砂海の商人

白川黒木

第1話 熱砂の行商人

 どこまでも広がる雲一つない青い空。燦々と照り付ける日差しをもってありとあらゆる全てを焦がしてしまいそうな太陽。

 そして、空と同じく地平線の彼方まで広がる広大な

 その砂の海を行くのは、一隻の帆船だ。

 過酷な砂の海の環境に耐える為に木材のみならず、堅牢な砂鯨すなくじらの骨と鞣された革を用いて造られており、大きなメインマストには防砂布ぼうさふと呼ばれる風に巻かれた砂嵐の中でも破れる事のない頑丈な布が張られている。

 操舵するのは、一人の商人。

 大人、と称するには若干幼さの残る顔立ちをしており、髪色は黒。日に焼けた小麦色の肌をしており、瞳はアンバー。纏うのは白い貫頭衣の様なひらひらとした丈の長い上着と黒いズボン、それから革製のサンダル。

 頭には紺色のターバンが巻かれ、後方から吹く船を押す風に余った部分が揺れていた。

「……まだまだ、オアシスは遠そうだな」

 帆の影になっている甲板部分から空を見上げた商人、デゼルは鬱屈なため息を吐き出した。

 砂の海。すなわち、この世界の空気は酷く乾燥しているという事。乾燥しているという事は、空気中の水分が少ないという事。そして、雲というのは言ってしまえば水分の塊だ。

 空に雲が無いという事は、転じて周囲に蒸発するだけの水が無いという事なのだ。

 とはいえ、ため息を吐こうともデゼル自身は旅が嫌いな訳ではない。この先行きがハッキリとしない道のりも一種の娯楽と割り切って舵を固定すると、左舷側の転覆防止のために設けられ甲板と一体化したアウトリガーの上に腰を下ろした。

 砂混じりの風が吹いているが、デゼルにしてみれば日常過ぎて気になるようなものでもない。

 腰から下げた革袋の水筒から水を含み、癖にもなっている望遠の目で周囲を見渡した。

「……ん?」

 そして気が付く。

 左舷、十時の方向。一面に広がる砂の海に、ポツリと浮き上がる黒い影があった。

 この砂の海。珍しいながらもデゼルと同業の者や、或いは野盗の様な荒くれ者が各々の目的のために出港している。それだけではない。船の材料に用いられる砂鯨などの、流砂の環境に適応した生物なども存在する。

 つまりは、黒い影が砂の海に現れてもおかしくは無いのだ。無いのだが、手をひさしにして目を細めたデゼルはその眉根を寄せていた。

「……船?……いや、もっと別の物、か。石か?」

 呟きながら手を下し、そのついでに左手の人差し指を口に少し含んで湿らせる。これは風を見る為のお手軽な方法であり、ヒヤリとする方が風上となる。

 デゼルは商人だ。だが、決まった店を持たない行商人である。どちらかといえば、旅人と言った方が正しいかもしれない。

 空を見上げ、そして周囲を見渡し、デゼルの脳内では水と食料の備蓄量とこれから先の予想できる天気変化を組み合わせた計算が導き出されていく。

 その結果、弾き出されるのは、

「……よし、行こうか」

 直行。すぐさま立ち上がると、舵の抑えを外して取り舵いっぱい。軋みを上げて船首が左を向き、舵を戻したら次は帆の調整だ。

 砂の海の風は、遮るものが無いため一度風が吹き始めれば止まらない。そして、この風を如何に利用するかが旅する者たちの手腕にかかっている。

 大きく風を受けて膨らむ帆を確認して、デゼルは改めてこれから向かうへと目を向けた。

 数年旅をしてきたが、少なくとも遠目にだって彼はそんなものを見たことは無い。

 だがしかし、とある知識がその頭にはあった。今回舵を切ったのも、その知識に後押しされた、というのもある。

 船底が砂をかき分ける音を聞きながら、デゼルの顔には笑みが浮かんでいるのだった。



 それは、遠い遠い昔の話


 世界には未だ『水』が満ち満ちていた


 『水』は命の源で


 世界は命に溢れていた


 しかしいつしか『水』は地の底へ


 入れ替わる様に世界は『砂』に覆われた



 先史時代というものが存在する。これは、世界が砂の海に覆われる以前の時代の事で。世界各地で遺物と称されるものが出土していた。

 デゼルの前に現れたのもまた、その遺物の一つだった。

「こりゃあ、凄いな。この規模の遺物は初めて見た」

 船を止めて歩を畳んだデゼルは、右手を庇にして目の前の石の建物を見上げる。

 かなり大きな建物だ。凡そ半分近くが砂の中に埋もれているというのに、それでもデゼルの帆船、そのメインマストよりもそのてっぺんは高い。

 割れてはいるが、規則正しい間隔で窓が設けられ陽光が差し込んでいる事が外からも確認できた。

 デゼルは、船から錨を下すと腰から下げた革袋の水筒の中身を確認して、船後方に設けられた船室へと足を向けた。

 甲板から階段を下るような構造のそこで、携帯食料や革製のシースに入ったナイフ、ロープなどを巾着の様な革の袋の中へと放り込んでいき、そして袋を水筒を提げるベルトに括りつけた。

 更に、デゼルが手に取ったのは船室の奥の壁に立て掛けてあったとある物体。

 それは、櫂だ。だが、木製ではない。かといって鉄などの金属製でもない。

 全長凡そ2メトラ(1メトラで1メートルほど)。柄が1メトラと少しであり、残りは水掻き部分。黒い色合いで、材質は木のようで、石のようで、金属のようで、しかし何物でもないような不思議な雰囲気を放っている。

 解を手に取ったデゼルは、何度か確かめるように柄の上を右手で擦り、その後小脇に抱えて船室を出て行った。

 甲板へと再び戻ってきたデゼルは、その足で船首へと向かう。そこで改めて遺物と向き合う事になった。

「それにしても、デカいな……まあ、この大きさでここまで残ってるなら適当に踏み込んでも崩れやしない、か」

 櫂を左肩に担いだまま何度か屈伸や屈伸をして、デゼルの顔に笑みが浮かぶ。

 間が一つ挟まり、その体は宙を舞う。船が僅かに揺れる程の踏み込みからの跳躍だ。その勢いのままに、彼は割れた窓の一つへと飛び込んでいた。

「うおっとと……石、じゃないのか」

 窓から入り込んでいた砂に若干足をとられながら勢いを滑って殺したデゼルは、そのまま興味深そうにその場に膝をついて右手を床に走らせる。

 外壁の石とはまた違う、硬さの中に滑らかさのある独特の質感。爪を立てれば、砂とは違う僅かな引っかかりがあった。

 床一つとってもデゼルの興味を引いて仕方が無いが、だからといって時間は有限。その全てを床に費やすなどはナンセンスだろう。

 興味の未練も断ち切って、立ち上がるデゼル。改めて、自分の踏み入れた遺物の中に視線を走らせた。

「廊下、か。外壁の感じからして、この造りが積み重なってるのか」

 窓とは反対の壁に等間隔に並んだ扉。全て同じ造りで金属とそれから薄っぺらい板のようなものと明り取りなのか磨りガラスを組み合わせた扉だ。

 試しに櫂の柄の先端で小突いてみれば、蝶番がイカレテいたのか扉はゆったりとした速度で部屋の中へと倒れていった。

「……経年劣化あり、か」

 入り口から首だけ突っ込んで部屋の中を確認したデゼルは、扉が倒れた時に舞ったであろう砂埃に眉根を寄せる。

 室内は荒れてはいた、だが同時に見慣れないものばかりが鎮座していた。

 金属製の棚が四方の壁に設置され、段数は6。その棚には少ないながらも幾つかの書籍も並んでいる。その他には、部屋の中央辺りに置かれた足の短いテーブルと、それから長年手入れされなかった結果表面がひび割れ、中の黒ずんだ綿と錆びたスプリングが飛び出したソファ。そのソファの後方に足の長いテーブルと、倒れた椅子。

 一頻り目での観察を続けていたデゼルは、一つ間を開けて部屋の中へと足を踏み入れた。向かうのは、金属の棚だ。

 本を一冊手に取り、慎重にページを開く。

「……うん、読めねえ」

 風化して傷み切ったページに目を走らせたデゼルの感想が、これだった。

 遺物内に残された書籍類は、先史時代を知る上でとても重要なものだ。その時代の文化や時代背景、体制のみならず、生態系や物資の流通等々。様々な事柄を知る事が出来る。

 だが、欲をかいてこの手の書籍を大量に持ち運ぶのは難しい。

 まず書籍は風化するほどにボロボロの場合が多い。この場合、ページなどは下手をすれば摘まむだけでも破れて、崩れる可能性を持っている。それも中身だけの話ではなく、表紙すらも持つだけでボロボロと崩れる事があった。

 次いで、盗掘家として目を付けられかねない。こうなるとあちこちのオアシスを利用する事も難しくなり定住する事はおろか、旅を続けることも難しいだろう。これは、過去に大規模な盗掘が行われ、そこで多くの貴重な資料が持ち出されて闇市で振り撒かれ、その杜撰な管理の結果大部分が失われてしまったから。

 大人しく書籍を棚へと戻し、デゼルは部屋を出た。

 入り込んだ砂でじゃりじゃりと音がする廊下を進み、辿り着くのは突き当りに設けられた階段。

「上か、下か」

 道は二つ。担いだ櫂で左肩を二度軽く叩きながら、デゼルは何度か上下それぞれに視線を送り、選んだのは階下へと進む階段だった。

 廊下と違い、差し込む日光が無いために昼間でありながら階段は結構薄暗かった。

 ワンフロア降りるたびに、デゼルは廊下へと目を走らせたが、やはり代わり映えしない造りばかり。

 やがて、割れていない窓の外を砂が覆い廊下の先も見通せなくなった頃、デゼルは持ち込んでいた金属製の透かし彫りが施された小さなランタンを片手にそこに立っていた。

 どこからか入り込んだ流砂のせいで、砂に埋もれた部分からの探索範囲はかなり狭かったのだ。場所によってはワンフロアの大半が砂に埋もれて、階段ギリギリにまで砂が迫っている処もあった。

 そんな場所を乗り越えて辿り着いた最下層。これ以上降りる階段は、少なくともデゼルの目には映らなかった。

 そこは他のフロアとは、明らかに違った。いや、その前の階層から石の様な壁から徐々に金属の板が増えていき、所によっては天井の板が外れて中に走っていたであろう黒い線が千切れて飛び出している部分もあった。

 だが、このフロアだけは違う。フロアへと足を踏み入れたデゼルは階段を振り返り、ランタンを掲げてその出入り口の枠組みをしげしげと眺めた。

 デゼルは知らない事ではあるが、本来ならばこのフロアには部外者の侵入はまず不可能である筈だったのだ。階段からしてセキュリティが敷かれており、このフロアに足を踏み入れるにしても認証システムが作動しており、許可のない者は入り口にてレーザーになます切りにされていた。

 だが、今は違う。電気は残っておらず、システムは停止状態。そもそも、経年劣化と入り込んだ砂によって大部分が破損していた。

 生きている機能は、踏み込んだフロアの最奥。上のフロアでは見る事の無かった金属製のぱっと見では壁にしか見えない扉。

 時折、亀裂ではない隙間に緑色のラインが輝いており、ここだけ機能が生きているという証明に他ならない。

「凄いな、先史時代。そもそも、この建物自体がこうして残ってるのが、凄い」

 扉に顔を近づけていたデゼルが振り返って見るのは、壁の一部。

 亀裂があり、時折砂が落ちてくるがそれでも崩壊するにはまだまだ時間がかかる事だろう。

 改めて、デゼルは扉へと向き直った。

 破ろうと思えば、恐らく行けるだろう。ノックをしたデゼルの所感が、そうだった。

 問題は、壊していいものかどうか。

 デゼルは盗掘家ではない。商人だ。扱うものは商品であって、盗品ではないのだ。

 困った様に頭を掻いて、再度扉へと手を伸ばしてみる。

『ジジッ……ピーーーー……ガガガッ、ザザッ』

「な、何だ?」

 突然フロアに響いた音。デゼルはランタンを手放してその場から跳び下がると、両手で櫂の柄を握って槍の様に構えをとる。因みに、落ちたランタンは洒落た見た目に反して実用面を多分に追求したものであるため、この程度では壊れる事はおろか火が消える事も無い。

 そのまま周囲へと視線を這わせれば、扉の右斜め上の天井近くに黒い何かがあった。

 彼の知識にはないものだが、それはスピーカー。動いているのが奇跡と言えそうなほどの年代物だが、しかし確かにそこから音が流れてくる。

『ド、ドド動体センサーニ、感アリ。パ、パス、パパパパパパスコード ヲ 入力シテクダサ イ』

「ぱ……?誰か、居るのか?」

 スピーカーの構造など知らないデゼルにしてみれば、何が原因なのか急に人の声が響くのだ。警戒するなと言う方が無理な話。

 ただ、それ以上何かが出来るのかと問われれば、それも否だ。結局、後手に回るしかない。

 主導権を握るのは、壊れかけの機械音声。もとい、辛うじて稼働しているシステムの方だ。

 変化は突然に。扉の左隣の部分に縦に亀裂が小さく入ったかと思えば、左右に開いて現れるのは黒い板のようなもの。

 櫂の水搔き部分の先端を向けるデゼル。板には砂嵐が走り、そして時折ブレながらも表示されたのはテンキーだった。

 無論、デゼルはこんなもの知らない。知らないが、しかし彼の頭脳は決して愚鈍な蒙昧ではない。

 警戒しながらも櫂を肩に担ぎ直してランタンを拾い上げ、板へと顔を近づける。体重は後ろに残して、場合によっては跳び下がるか、最悪しりもちをついてでも難を逃れる為に。

「数字、か……触っても……大丈夫だな。桁数は四つ」

『パスコード ガ違イマス』

「そう当たりかぁ?……無理だろ」

 0~9の数字を無作為に組み合わせる場合、その総数は10000程となる。そんな物試していれば、まず間違いなく日が暮れるというものだ。

 デゼルとしては、ここで探索を切り上げても良い。再三述べるように、彼は盗掘家ではないのだから。

 だが、旅を好む者としてはこのまま引き下がるのもまた、少しばかり思う所がある。

「……まあ、ダメで元々、か」

 制限回数がある事を何となく察したデゼルは、ダメになればその時点で諦めよう、といった軽い気持ちでテンキーへと手を伸ばす。

 2度目、3度目、4度目、と全て失敗。

 普通は焦りそうなものだが、既に危険が無いと分かったデゼルは鼻歌でも歌いそうな軽やかさで数字を入力していく。

 4、6、8、7。先ほどまで赤い光ばかりが灯っていた部分に、緑色の光が灯る。

『オカエリナサイマママママママママ――――』

「人じゃないのか……というか、開いちゃったよ」

 ブツリと切れたスピーカーからの音に首を傾げ、デゼルは今まさに開いたばかりの扉へと目を向ける。

 室内は薄暗い。少なくとも、ランタンを持っているデゼルの居る出入り口から奥まで見通せない程度には。

 ここまで来て、デゼルとしても撤退の選択肢を採れる筈もない。

「……うっし、行こうか」

 何度か深呼吸を繰り返し、その一歩を踏み込んでいく。

 

 そして、彼の運命の歯車は軋みを挙げて回り始める事になる。

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