第3話 人間の国に呪いをかける。




 なんか暇、とつぶやいた俺に、側近のクロツィオが呆れたような視線を向けてくる。

 暇な俺の手元には、未決済の書類が山を作っているからだろう。


「では、もっと歴代の魔王らしく悪どいことをしてみたらどうです。人を滅ぼす、とか」

「えー、面倒くさ…」

「……」

「わかったわかった。その目は止めろ」


 吸血王クロツィオ・エル・ヴォルツの視線は、本当に怖い。普段は漆黒の瞳が、魔力を帯びると赤く光るのだ。

 人間界で魔族が大暴れしたのは俺の祖父の時代で、祖父が当時の勇者に倒されてからは、互いに不干渉を貫いている。

 この平和な時代に流血をもたらそうとは、こいつ、極悪人である。こいつが魔王になればいいのに。

 だが、悪どいことか、楽しそうではある。


「よし、やってやろうじゃないか」

「どのようになさるので」

「あー、そうだな……、人間の国に呪いをかける」

「呪い」

「聖女が思っていることと真逆になる呪いだ」

「真逆になる呪い、ですか」

「そうだ」


 迷子になった聖女を召喚したとき、こいつはいなかったが、詳細は知っている。俺が聖女のところに滞在していたことも。


「真逆……ね。つまり、聖女が常に平和を望んでいるなら、人間界は不安と疑心、死と破壊が渦巻く破滅的な世界になると」


 うむ、と俺はうなずいた。


「そうだ」

「つまり、相手が勝手に自滅していくよう仕向けるのですね」

「そうだ」

「我らは傍観するのみ」

「そうだ」

「見ているだけ」

「そうだ」

「面倒くさいのが嫌なだけじゃないですか」

「そ、そんなことはない」

「どもってますけど」




   ※




「で、どうしてこうなったんですか」


 クロツィオの視線が呆れを含んでいる。

 俺はその視線から目をそらした。


「……」

「陛下」

「俺は悪くない」

「善良だとでも?」

「聖女が悪いんだ」

「子供ですか。いったい何があったのか、詳細に話してください」


 俺は無言を貫いたが、クロの視線に負けて、小さく溜め息をついた。


「……呪いをかけたあと、聖女の絶望に染まる顔を見ようと思った」

「なるほど」

「みそぎ中だった」

「は?」

「真っ裸だった」

「……」

「驚いて」

「驚いて」

「思わず言ってしまった」


 ごくり、とクロが唾を飲む。側で聞いている小鬼のルークも唾を飲んでいる。


「……何を。何を言ってしまったんです」

「ない」

「は?」

「胸がなかった」

「…………ああー、まあ、そうですね」


 その様子が目に浮かぶのか、クロは息を吐いた。

 それで? とクロが続きを促す。

 俺もまた、その時のことを思い返す。滴る水、白い肌が真っ赤に染まり、その身を抱く腕の細さや、プルプルと震える小さな唇、宝石のような目には涙が浮かんでいた。


「魔王さんなんか大っ嫌い! って」

「叫ばれましたか」

「叫んだ」

「それで、みんな魔王さまが大好きになってしまった、と」


 うむ、と俺は遠くを見つめた。


「人間界で俺を嫌いなのは聖女だけになった」

「今すぐ、謝ってきなさい」




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