第19話 サミエラは奴隷商人と交渉する
一番大きくて目立っていた火縄式のマスケット銃を思わず手に取り、サミエラはそれをしげしげと観察した。その細かい形状やカラクリの構造、そして黒鉄の銃身に施された真鍮の
「タネガシマ? あ、いやそれはともかく、この火縄式の旧式マスケット銃は、どうも100年以上前にポルトガル人が彼らの国に伝えたものを、彼らの国で模倣して生産したものらしいですな。見ての通り、我々のよく知るマスケット銃とは構造も違えば弾の大きさの規格も違う。装飾こそ美しいが、この1丁の為に専用に部品や弾を準備してまで使う価値はないでしょうな」
言われてみれば納得の理由だった。確かに
「なるほど。ごもっともね」
サミエラが火縄銃を木箱の中にそっと戻す。改めて確認してみれば、木箱の中には火縄銃以外にも、サミエラにとってはお馴染みの日本の武器や道具が納められていることに気づく。
「この曲刀はそれなりに良いものに見えるけど?」
一振りの小太刀をすらっと鞘から抜いてみれば、目釘が折れているようで刀身はぐらつくものの、
「それは抜いてみての通り、刀身がガタガタでしてな。彼らの国の技術で作られているのでどうやって修理するかも分からんのです。美しい物ではありますがな」
「そういうことね。ならこっちの直刀は? 不具合はなさそうだけど」
小太刀を置いてそれよりも短い、装飾の一切ない武骨な直刀──
「それはあまりにも実用的すぎるのですな。それにこの長さの刃物なら反りのあるカトラスの方が好まれますので直刀は需要がないのです」
「あーなるほどね。この鍔の付いた鉄の棒は?」
忍刀を戻して次に十手を手に取って尋ねるも、奴隷商人は困ったように肩を竦めた。
「おそらく武器なんでしょうが用途が分からんのです。彼らともそこまで意思の疎通が出来ているわけではないので一生懸命説明しようとはしてくれるのですがよく分からんのですよ」
でしょうね。言葉のうまく通じない相手に忍刀や十手の使い方や有用性を言葉で説明するのは難しいわ。かといって奴隷に武器の実演はさせられないでしょうし。と、内心で呟きながらサミエラは木箱に十手を戻して立ち上がり、奴隷商人と向き合う。
「その東洋人たちは言葉はどの程度通じるの?」
「ふむ。オランダ語はまあカタコトで喋っておりますがイングランド語はさっぱりですな。わしも奴隷商人の端くれなんで多少はオランダ語もたしなむのでなんとかやりとりはしておりますが、
「……苦労したのね。でもそれならなんとかなりそうだわ。アタシもオランダ語は少しは分かるから」
そのサミエラの発言に奴隷商人は興味を引かれたような表情を浮かべる。
「おや、もしやお嬢さんは奴隷を買うおつもりで?」
「ええ。最近うちの商会で始めた事業が上手くいっているので奴隷たちを何人か買い入れようと思っているの。商会の秘密が漏れないように口が固い人間がいいのだけれど、そもそもイングランド語が喋れないならむしろ都合がいいわ。それに、世話になった船長の為に身売りするなんて見所があるじゃない。あまり高すぎるのは困るけど、相場程度ならその水夫たちはアタシがまとめて引き受けてもいいわ」
「なんと! それはむしろありがたいですな。そもそも東洋人は習慣は違えど成熟した国と文化を持ち、植民地としてではなく対等に国としてヨーロッパの列強と付き合いのある相手なので、未開の土地の土人たちと違って商品としては扱いづらいのです。特にその者たちの出身国の王はかつて、自国の民が密かにポルトガル人によって奴隷として売られていたことに激怒してポルトガルとの国交を断絶しておりますしな。
それにできればバラバラではなく同じ主人の元に売ってほしいというのが彼らの要望でもありまして、なんとか叶えてやりたいと思っておったのでお嬢さんの申し出は渡りに船なのですな。……ちなみに人数は3人で1人は女なのですがよろしいのですかな?」
「いいわよ。その3人の健康状態は?」
「航海が長かったので3人とも壊血病を患っておりますが、陸でしばらく過ごさせればじきに良くなる程度ですな。……うむ、そうですな、本当に引き受けていただけるなら3人で250ペソで、こちらの箱にある連中の私物もそのまま差し上げましょう。いかがですかな?」
ちなみにこの時代の黒人奴隷の相場は100ペソぐらいなのでかなり安くしてくれている。サミエラがちらっとロッコに視線を送るとロッコが小さく頷く。
「いいわ。その条件で3人を買うことにするわ。壊血病の治療を早くしてあげたいからなるべく早く引き取りたいけど、引き渡しはいつになるかしら?」
「ありがたい。ではそうですな……今日の夕方の4点鐘(18時)にはこちらに連れてこれると思いますが、お嬢さん方のご都合はいかがですかな?」
「ええ、それでいいわ。交易所のバール副所長に立会人になってもらえるよう頼んでおくから交易所のロビーで落ち合うのでいかがかしら? 元々、奴隷の買付の交渉に同行してもらう予定で夕方に約束していたの」
「……ふむ。それでわしにお嬢さんの所へ行くよう勧めたんですな。なるほど、色々納得しましたわい。では、わしはこのままこちらの屋台小屋でしばらく商売をしてから一度船に戻って
「アタシはゴールディ商会の商会長のサミエラ・ゴールディよ。こっちは番頭のロッコ・アレムケル。パーシグ会頭とお近づきになれて嬉しいわ」
「なんと、お嬢さんが商会長ですとな! ……あ、いや詮索はすまい。きっとご事情がおありなのでしょうが、わしにとって重要なのはお嬢さんの商売が上手くいっていて奴隷を雇い入れる余裕があるということだけですからな」
「そうね。大勢を一気に雇い入れるとさすがに面倒見切れないから今回はこの3人だけにするけど、今回3人を雇い入れてもまだまだ商会に人手は必要だからまた機会とご縁があればお願いしたいわ」
サミエラが追加購入の可能性に言及すればジョージが目をきらりと光らせる。
「ほう。サミエラ嬢はお若いのになかなかやり手でらっしゃるのですな。……ちなみに、どのような人材を望まれますかな?」
「そうね。うちは女のアタシが商会長をしていることでお察しかもしれないけど、既存の価値観に囚われずに常に新しいことに挑戦するのがモットーよ。だから、柔軟な考え方ができる人間がいいわね。それこそ、男でも女でも構わないし出身国や人種も問わないけど、やる気があることが最低条件ね。あとは、例えば大工や鍛冶師みたいな手に職がある人間ならなおいいわ」
「なるほどなるほど。わしはヨーロッパとアフリカとカリブ海を定期的に回っておりますから、そのような条件に合う者を乗せてこの地に来た時にはサミエラ嬢のゴールディ商会にお声をお掛けいたしましょう。年季奴隷でもよろしいので?」
「もちろん。年季が明けて、もしお互いに条件の折り合いがつくなら普通に雇えばいいしね」
何気なく返したサミエラの答えにジョージが満足げに微笑む。
「……ふふ。サミエラ嬢は奴隷にとって良い主人になりそうですな。奴隷をモノとして見る主人は自分の所有物にならない年季奴隷は嫌がるのですが、人として見ている主人は今のサミエラ嬢のように年季奴隷でも気にせず受け入れ、年季が明ければ給金を払えばいいだけのことだとおっしゃるのですな」
「あら、試されてたのね。……それにしても、パーシグ会頭はずいぶんと人間味があるというか……奴隷商人らしくないわね」
サミエラが先ほどから感じていた疑問をぶつけると、ジョージは困ったように笑って頭を掻いた。
「はは。奴隷商人にしてはお人好しすぎるとはよく言われますな。……わしは奴隷商人の免状を父から引き継いだ2代目でして、元々は人の売り買いなどしたくはなかったんですな。父からこの仕事を引き継いだ当初も免状を国王陛下にご返納しようと思っておったぐらいで」
「あら。なぜそれをしなかったのかお聞きしても?」
「わしに子供の頃から付いてくれておった世話役の奴隷に止められましてな。どうしても自分を奴隷として売らねばならない者は必ずいて、それは不幸なことではあるが、良い主人に巡り会えた奴隷の生活は奴隷になる前よりもずっと幸せなものだ、と。奴隷をモノとして扱う奴隷商人が多い中で、奴隷を人として扱ってくれる奴隷商人がどれほど奴隷にとって救いになるか考えてほしい、と説かれましてな」
「なるほど。それで……」
「ええ。わしは奴隷商人というよりも、あくまでも仕事の仲介者でありたいと思っておるんですな。特に今ヨーロッパではイングランドとフランスで相次いで大きなバブルがはじけた影響で大勢の人間が失業して食い詰め、自分や妻子を奴隷として売る者や盗賊や海賊に堕ちる者が後を絶ちませんのでな。年季明けを待たずに命を落とすことの多い娼婦や鉱山労働者になるはずだった者の幾人かでも良い主人と引き会わすことができれば良いと思っておる次第でしてな」
ジョージは奴隷商人という立場を活用して奴隷落ちした生活窮乏者のセーフティネットであろうとしているようで、その姿はサミエラにとっても好感の持てるものだった。それで、サミエラは周囲に注意を払いつつ声を潜める。
「……そういうことなら、まだ詳細を言うわけにはいかないけど、もう数ヵ月もすればこのサンファンで雇用の需要が高まるはずよ。うちも少なくともあと10人は雇い入れるつもりだから。信じるかどうかは自由だけど」
奴隷商人にとって最重要ともいえる情報にジョージは目をぱちぱちと瞬かせ、次いで笑みを浮かべる。
「……理由は分かりませんがサミエラ嬢には確信があるようですな。他の奴隷商人たちには言わずにわしの心の中にだけこっそり書き留めておきましょう」
【作者コメント】
奴隷制を肯定する気はないですけどね。ただ、社会保障制度がない時代における社会的弱者のセーフティネットであったことは事実です。
アメリカにおける黒人奴隷解放運動に大きな影響を及ぼし、南北戦争の引き金になったといわれるストーの『アンクルトムの小屋』においても、良い主人の元にいる奴隷が解放されることを望まず奴隷のままでいさせてほしいと願うシーンが描かれているのが興味深いですね。
奴隷制度についても色々調べてみましたが、旧約聖書のペンタチュークにある古代イスラエルのヨベルという制度が見事なシステムだと感動したのでご紹介したいと思います。
古代イスラエルでは50年毎に『解放』を意味するヨベルの年が設けられていました。ヨベルの年には売られた土地は元の持ち主に返され、奴隷は自由になりました。これだけだと買い手が一方的に損をする中世日本の悪法『徳政令』のようですが、ヨベル制度のすごいところは、最初から次のヨベルまでの残り年数を考慮して土地や人の値段が設定されたところにあります。年季奴隷制度にも似ていますが、ヨベルごとのリセットにより奴隷落ちした人間は平民に戻り、困窮して手放した畑や家も取り戻すことができ、子孫にチャンスを残すことができました。また買う側も最初からヨベルで手放す前提でそれに見合う金額で買っているので損はしませんでした。
このシステムが3000年以上前に運用されていたことを考えるとすごいとしか言えませんね。
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