第18話 サミエラは商売をする

──カンカーン……カーン……


 サンファンの街の教会が朝の3点鍾を鳴らす。


 点鍾は30分ごとに1つずつ増えていき、8点鍾すなわち4時間で1サイクルとなり、以後また1点鍾から繰り返す。8点鍾は0時、4時、8時、12時、16時、20時に鳴らされるので、4時半に鳴らされる朝の1点鍾から数えて3点鍾は5時半ということになる。


 まだ時間が早いのでサンファンの街は静まり返っているが、朝市に出店する商人たちにより、港に隣接した交易広場はすでに喧騒の最中にあった。


 朝市の開始が4点鍾からで、鐘が鳴ると同時に交易広場に買い物客が入れるようになるので、商人たちは誰もが慌ただしく荷車や荷馬車から荷物を下ろして開店準備に追われている。



 交易広場には、交易所が管理する屋台に似た粗末な小屋の立ち並ぶ有料スペースと露店商が持ち込んだ敷物を広げて自由に商売をする無料スペースがある。


 屋台小屋は1日借りて1/2ペソすなわち4レアルだが、ある程度まとまった量の商品を売るには便利なので、取り扱う商品の量が増えたサミエラは最近はこちらを利用している。



 街の門が開くのが早朝の8点鍾(4時)であり、交易所もまたその時間から稼働している。


 朝の2点鍾(5時)に交易広場に到着したサミエラはまず交易所に寄って屋台小屋の料金を払い、指定された屋台小屋に荷馬車を横付けして荷を下ろし、ロッコが荷馬車を預かり所に移動させ、その後、二人で商品を陳列し、量り売りの為の天秤やお釣りのための少額硬貨を用意したりして朝の4点鍾の開店に向けて準備を進め、3点鍾が鳴った頃にはすでに準備は一段落していた。


 屋台小屋の中で堅焼きビスケットハードタックをポリポリかじって腹ごしらえをしながら話し合う。


「今日は早く準備が終わったな」


「みんなが頑張ってくれたから出発も到着も早かったしね。お陰で屋台小屋もいい場所を確保できたし」


 今日借りることができた屋台小屋は正面に交易広場の港側の出入り口がある、交易広場全体が一望できる目立つ場所だ。


「……お、嬢ちゃん、沖の方を見てみろ。奴隷船団が来てるぜ」


 ロッコの顎でしゃくった先、波止場のやや沖合いに奴隷船旗を掲げた何隻もの大型商船が錨を下ろして停泊しているのが見える。普通の商船と一目で見て分かる違いといえば、船縁全体に脱走を阻むための金属製の先の尖った柵が張り巡らされていることだろう。


「ああ、あの大型のガレオン船団ね」


「おう。あの連中は国からきちんと認可を受けた正規の奴隷商人だが、時には違法の奴隷商人が拐ってきた人間を売るために紛れ込むこともあるから気をつけろよ。……拐われてきた奴らは奴隷という立場に納得してねぇから隙あらば逃げ出そうとするからよ」


「あー、まあ逃げたくなる気持ちは分かるけどね。買う側としてはそれじゃ困るけど」


「そういうこった。奴隷は明日の奴隷市まで上陸させねぇだろうが、奴隷商人たちは今日にも上陸してくるだろうから条件に合う奴隷がいるか聞いてみたらいいと思うぜ」


「それなら今日の商売を早く終わらせなきゃね」




 そうこうしているうちに朝市開始の4点鍾の時刻が近づいてきて交易広場の街側の入り口に買い物客が集まり始める。


 サミエラが屋台小屋の表にすっかりお馴染みとなったゴールディ商会の新たなエンブレムであるバンシーが描かれた看板を掲げたのと、4点鍾の時鐘が街に鳴り響いたのはほぼ同時だった。


──カンカーン……カンカーン……


 交易広場の入り口に張られていたロープを交易所の職員が外すと同時に待ってましたとばかりに買い物客たちがなだれ込んでくる。


「サミエラちゃん! マンゴー干したのおくれっ! ハーフポンドだ」「はーい! マンゴーハーフポンドで2レアルね」


「サミエラお姉様、オレンジを1/4ポンドとパイナップルを1/4ポンド頂きたく!」「いつもありがとね! 2レアルだよ。……1ペソね。なら6レアルお釣りだよ」


「おう、嬢ちゃん。これからロンドンに行く船に乗るからよ、全種類2ポンドずつくれや」「遠いね! 気をつけて行ってきなよ。マンゴー、オレンジ、パイナップル、ナツメヤシ、リンゴを2ポンドずつで5ペソだよ。この空き箱に入れたげるからこのまま持ってきな。まいどありっ!」


「よぉっ! 今日は間に合ったぜ! マンゴーとオレンジを1ポンドずつくんな」「あは。今日は早起きじゃないか! 1ペソだよ。はい、まいど」


「お嬢さん、オレンジを1/4ポンドいただけますかな?」「お爺ちゃんオレンジお気に入りだね。1レアルだよ! はい、ありがと」



 すっかり人気になった干し果物目当ての客が押し寄せ、屋台小屋の中に山積みだった箱の山が見る見るうちに低くなっていき、裏には空箱が積み上がっていく。


 サミエラが客の対応をして、ロッコが商品の目方を量って客に渡していくという流れで次々に客を捌いていき、およそ2時間後の8点鍾が鳴る頃にようやく客の波が引き始めるが、それまでには特に人気のマンゴーとオレンジは売り切れてしまっていた。


「つ、疲れたぁ! あんなに作ったのに、よく売れたわねぇ」


「マンゴーとオレンジはかなり多く作ったってぇのにまだ足りねぇってか」


「嬉しい悲鳴ってやつね。今日はこれから出航する船の乗組員たちの大口が多かったからそれもあるんだろうね」


「まあでもぼちぼち落ちついたか」


「そうね。ここからはアタシだけで回せるから、おじ様は次回の材料用の果物を仕入れてきてほしいわ。あと、ついでにここまでの売上金をギルドの銀行に預けてきてほしいのだけど」


「いいぜ。ついでにジャンの奴とも話してくるからな」


 ロッコが丈夫な革の肩掛け鞄に売上金の詰まったずっしりと重い革袋を入れてそれをたすき掛けにして、重さを感じさせないしっかりした足取りで屋台小屋から出ていく。サミエラが目で追えば、ロッコは果物を扱う露店で立ち止まり、そこの店主と交渉を始めていた。


「やあ、干し果物はまだあるかい?」「あるよぉ! 残ってるのはパイナップルとナツメヤシとリンゴだけだけどね」「じゃあパイナップルを1/4ポンドもらおうか」「はい、1レアルね。ありがとさん」


 サミエラは客への対応を終えて再びロッコの姿を探したがもう見つけることはできなかった。すぐに別の客が来るのでそちらに意識を切り替える。


「あっちゃあ出遅れたか。マンゴーもう売り切れかよぉ」「なんだい今日は寝坊かい? 来ないなーとは思ってたけどさ」「なんだよぉそう思うんなら取っといてくれよぉ」「早いもん勝ちさ。パイナップルなんかどうだい?」「あ、じゃあそれで。1/2ポンドくれよ」「はいよっ! 2レアルね」


「ゴールディのお嬢さん、干しリンゴをいただけるかしら?」「あら、ロドリー商会の奥さま。どれぐらいご用意いたします?」「そうね、お友だちとのお茶会用に2ポンドいただこうかしら」「はい、じゃあこちら代金は1ペソですね」


「お、まだやってた。ねぇちゃん、今あるやつ1/4ポンドずつくれる?」「はいよ。お使いかい?」「うちの親方がなかなか干し果物を上手く作れないから調べるためにこっそり買ってこいって」「それをアタシに言っちゃダメだろ。4レアルだよ」「やっべ。親方には内緒にしてよ」




 朝一のような怒濤のラッシュこそないものの、客足は途切れることなく続き、昼前にロッコが戻ってきた頃には持ち込んだ干し果物はすべて売り切れてしまっていた。




「ジャンとも話したがよ、やっこさんは夕方になったら奴隷の仕入れ交渉に付き合えるとよ」


「そうなのね、じゃあアタシはそれまで孤児院に行ってようかしら」


「それでもいいぜ。俺は一度この荷物を農園に運んでからまた夕方にこっちに戻ってくるからよ」


 ロッコと喋りながら屋台小屋の表に掲げていた看板を下ろし、新しく仕入れた果物を詰めた木箱を荷馬車に積み込んだりして引き上げの準備をしているサミエラに声を掛ける男がいた。


「今日はもう店じまいですかな?」


「ああ。悪いね。今日は売り切れだよ……おや、見慣れない顔だね、外から来た人かい?」


 振り向いたサミエラが見れば、上等のインド綿キャラコの服をまとい、孔雀の羽のついた立派な帽子を被った恰幅のいい紳士だった。大きな木箱を担いだ屈強な体格の黒人奴隷を2人連れている。


「いかにも。わしは明日の奴隷市のために来た奴隷商人でございましてな。ちょっと売りたい物があるんですな。それで、屋台小屋を借りようと交易所に行きましたら、副所長からこちらのお嬢さんのところに行くよう勧められましてな。……それで、ものは相談なのだが、お嬢さんがもう引き上げるのでしたらこの屋台小屋を使わせてもらえんかな? とまあそういう話でしてな」


 この屋台小屋は今日一日サミエラが借りているが、早く店じまいしたからといって賃料は戻ってこない。その代わり別の商人に又貸ししてもいいことになっているので、遅めの時間から小商こあきないをしたい人間がこのような交渉を持ちかけてくることはよくあることだ。そしてそれがジャンからの紹介ならなおのこと問題はないだろう。


 ここでわざわざ奴隷を買うつもりのサミエラに奴隷商人を紹介するあたり、ジャンの気遣いが感じられる。ロッコもそれが分かっているようで素知らぬ顔で荷物の積み込みを続けている。


「ああ、構わないよ。でも何を扱うんだい?」


「まあ、船で死んだ連中や奴隷の私物ですな。わしはアフリカから来たんですがな、途中で火事で沈んだオランダ船から逃げ出してボートで漂流しておった連中を拾いましてな。その者たちが故郷へ帰るための路銀の足しに死んだ連中の私物を売ってほしいと申しましたのと、その船に乗っておった東洋人の水夫たちが、世話になったオランダ人船長のために自らを奴隷として売ってほしいと申しましてな。明日の奴隷市に先駆けて彼らの私物も売って足しにしようと持ってきた、とまあそういうことですな」


「へぇ。その水夫たち、なかなか義理堅い奴らだね。その私物とやらを見せてもらってもいいかい?」


「勿論ですとも。まあ、珍しいもんではありますが、実用的とは言い難い代物ですから、そう高く売れるものではないと思ってますがね。おいルー、お前の箱の中身をお嬢さんに見せてさしあげなさい。ノル、お前も荷物を一度降ろしなさい」


 奴隷商人が連れていた奴隷たちが肩に担いでいた大きな木箱を下ろし、そのうちの1人が箱の蓋を開ける。その中身を見たサミエラは自分の目を疑った。


「む? こいつは…………いや、まさか……種子島たねがしま? なんだってこんな物がこんな所に……」








【作者コメント】

8点鐘は帆船時代の時間を語る上で欠かせないものです。特に船乗りたちは航海中は8点鐘が鳴ると当直を交代しました。


しかし、2交代制の場合、4時間サイクルだと毎日同じ時間の当直になり、片方の組は船乗りにとって一番大事な夕食の時間にいつも当直に入るという不公平が生じます。


その不公平を解消するために16時から20時の間だけは2時間で交代し、当直時間が日替りになるように調整されます。この夕方の2時間交代の当直は折半直ドッグ・ワッチといいます。


航海中は砂時計で時間を計って時鐘を鳴らしますが、これは非常に重要な仕事であり、時間を計り忘れたら死刑になることもありました。重すぎる刑罰にも思えますが、帆船時代は出港時に設定した船内時間と太陽の位置による実際の時間との誤差で船の現在経度を割り出していたので時間を計り忘れる=現在位置が分からなくなることになり、乗組員全員の命を危険に晒すことになったので特に長距離航海中には最重要任務とされました。この状況は航海用の正確な時計クロノメーターが発明されるまで続きました。


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