第17話 サミエラは経営戦略を語る

 朝霧が立ち込めるサンファン郊外にあるロッコが経営するサトウキビ農園【アレムケル農園】はまだ朝日が上る前の早朝であるにもかかわらず喧騒の最中にあった。


「そいつはこっちだ」「同じ種類の物はまとめて積んどけ」「おいおい、チビが無茶すんな。転ぶぞ」「ぼくもできるもん」「お嬢、こいつぁどうしやすかい?」「それはこっちよ」「釣り銭は準備したか?」「持ったわ」


 アレムケル農園所有の荷馬車に干し果物の入った木箱が次々に積み込まれていく。サミエラが一人で始めた当初は人力で曳く荷車でも余裕で運べる量でしかなかったが、人気が出た今となってはアレムケル農園挙げての事業となっているので荷馬車を使わないと到底運べない。

 すべての箱を積み終わり、目録をチェックして抜けがないことを確認してから、サミエラは積み込みを手伝ってくれた使用人たちに向き直る。


「みんな、お疲れさま。お陰で早く済んだわ! 厨房には言ってあるから朝食にはベーコンがつくからね!」


「「「うおぉぉぉ!」」」


 滅多に食べられないごちそうに使用人たちが歓声を上げる。


「でも食事の前には何をする? ブラウン」


「は、はい。うがいと手洗いと感謝の祈りを忘れずに」


「よくできました。手と口の汚れは病気の元よ。食事の前にはいつも綺麗にすること! アタシはこれから売りに出かけるけど、帰ってくるまでに干し網をきちんと洗って干して乾かしておいてね。ルーク、あんたがちゃんと仕事を監督するのよ?」


「へぇ! お嬢、お任せを!」


「干し果物を腐らせない為には干し網と作業する手の清潔さが一番大事だからね。夕方にアタシらが次の果物を仕入れて戻ってきてからは次の仕込みでまた忙しくなるから、せめてそれまではほどほどの仕事で疲れすぎないように采配してやりな。そのへんのさじ加減はルークが上手いこと調整すること」


「お嬢の気遣い痛み入りやす」


「じゃ、行ってくるよ! 見送りはいいからみんな食事に行きな」


「「「へぃ! 行ってらっしゃいまし」」」


 ロッコと共に荷馬車に乗り込んだサミエラは舗装されていない土の道をサンファンに向かってゴトゴトと進んでいく。周囲にはサミエラたちと同じくサンファンの交易広場での朝市に参加するべく頭に作物の籠を乗せて脇にござを抱えた徒歩の露店商や人力で荷車を曳いている行商人の姿もちらほらあり、同じ方向に向かう者同士でなんとなくグループを作って進んでいく。


「おはようさん。ご一緒しても?」「どうぞどうぞ」「おはようサミエラちゃん」「あらステラおばさんも朝市?」「ビスケットを売ろうと思ってね」「あっしもご一緒させてもらっていいかい?」「いいわよ。あなたは何を扱ってるの?」「ロッコのダンナ、はよっす」「おう。おめぇも朝からご苦労だな」


 そんな会話をしながらどんどん増えていく同行者たち。

 治安のいいサンファン郊外とはいえ、悪さを企む者がいないわけではないので、人気が少ない時間の往来では同じ方向に向かう者たちが一緒に行くのが普通だ。


 やがて、まばらになってきた木立の向こうにサンファンの街を囲む城壁と城門が見えてくる。ここまでくれば城壁の上に立つ衛兵からもこちらが見えているので安心だ。ここまで同行していた者たちが自然とばらけていく。

 そのタイミングで御者をしているロッコが口を開いた。


「明日が奴隷市だからよ、そろそろ奴隷商人たちが集まってくるはずだぜ」


 それを聞いたサミエラもすっと真顔になる。


「信頼して仕事を任せられる人間が欲しいわね。それなりに気が利いて勤勉で健康なら言うことないわ。今日の市が終わったら、早めに到着している奴隷商のところを回って事前調査しておきたいのだけど」


「いいぜ。条件が折り合うなら明日の競りを待たずに奴隷商人に交渉して先に買ってもいいしな。早めに到着している奴隷商人たちはそのへんも折り込み済みだからよ」


「そうね。幸いにしてこの事業が成功しつつあるからアタシが奴隷を雇い入れることを不思議に思われることもないでしょうし。アタシとしてはいずれは商会の幹部としての登用を見据えて選びたいと思ってるわ」


「まったく末恐ろしい嬢ちゃんだ。ここまで見越してこの商売を始めたのか?」


「まさか。これはただの偶然よ。アタシは自分の船の乗組員の為に食事の質を改善したかっただけだから、ここまで当たるとは思ってなかったわ。どうせすぐに真似されると思ってたし、ここまで独占できるとは思わなかったわよ」


「果物を腐らせずに干すってのは意外と難しいってこったな。魚の干物みてぇに塩を振るわけにもいかんしな。まさか果物と作業する手を蒸留したばかりの安いラム酒で洗うとは思わなかったぜ」


「そう? 酒に浸け込んだ果物は腐らないんだから、切った果物の表面を酒で洗うのも作業する手を酒で洗うのも不思議ではないと思うんだけど」


「うーむ。その発想が嬢ちゃんの商才なんだろうな。言われてみれば確かに納得なんだがよ。だがこの干し果物があれば長期の航海の食事の苦痛が和らぐのも間違いねぇ。本当に壊血病に効くかまでは知らねぇが」


「ちゃんと効くわよ。まあそれは航海に出るようになってから身をもって知ってもらうとして。今後の計画なんだけど、もうしばらくやってみて干し果物事業が完全に軌道に乗ったら、あえて製法を広めてサンファンの特産品にしようとも思ってるわ」


「は? おいおい、普通はこういう秘伝の製法は隠すもんだぜ?」


「もちろん今は隠すわよ。そのために奴隷を雇い入れるつもりなんだし。でも、今でさえ需要に供給が追いついていないことを考えると、将来的に他の町や島にも販路を拡げようと思ったらアレムケル農園だけでは明らかに生産力が足りないわ。ならいっそのこと製法を広めてサンファンを干し果物の一大生産地にして、アレムケル農園はその中での先駆者、元祖にして一番の老舗しにせという立場を目指す方向に変えていくべきだと思うの。そもそもアタシはこのサンファンだけでこじんまりと商売する気はないんだから」


「ううーむ……確かに隠していてもいずれ製法はバレるだろうし、うちばかりが儲けてたらやっかむ奴も出てくる、か。……だが、あえてこちらから製法を開示すれば逆に恩を着せることもできらぁな。

 それで追従してくる奴らが増えてサンファン名物といえば干し果物、という形に持っていければ同業者はみんな儲かってやっかみを回避できるし、すでに一歩先んじているうちが有利なのは変わらねぇし、街の連中はこれを始めたのが嬢ちゃんだってのはよく知ってるから嬢ちゃん自身も同業者たちから一目おかれる存在になるってわけか」


 感心したように唸るロッコにサミエラが我が意を得たりと頷く。


「一人勝ちの大儲けよりも、周りみんなを儲けさせてその中で周りよりちょっと多く儲けるのが理想的よね。そうすればサンファンの景気も良くなるし、新たな雇用が産み出されて人もどんどん集まってきて街もどんどん発展するわ。その中で常に新たな需要に目を光らせて流行を産み出し続ければアタシたちの成功は揺るがないわ」


「ははっ! いったい何手先まで読んでやがるんだか。だが面白ぇ! 嬢ちゃんの計画を聞いて俺もワクワクしてきちまったぜ。ってこたぁ、うちもサトウキビ農園なんかやってる場合じゃねぇんじゃ?」


「いいえ、それは違うわ。むしろサトウキビ農園は規模を拡大してほしいぐらいよ。サトウキビの需要はこれからどんどん上がるんだから」


「む、そうなのか? 理由を説明してくれ」


「アタシたちがラム酒で果物を腐らせないようにしているってノウハウを公開したら当然ラム酒がよく売れるようになるでしょうね。それも蒸留したばかりで熟成されていない本来なら安いはずのラム酒が」


「そうさな。防腐のためなら安いラム酒で十分だもんな」


「ラム酒の原料はなにかしら?」


「そりゃサトウキビ……おぅ、そういうことかよ」


「そういうことよ。需要が上がれば市場の原理が働いて値段も上がるわ。きっとラム酒の蒸留所も売れるとなれば蒸留したばかりのラム酒の値段を上げてくるでしょうし、サトウキビ農園もそうよね。そうなると干し果物作りの製造コストが上がるから、当然、干し果物も値段が上がることになるわ。……つまり、アタシたちが干し果物の製造ノウハウを公開したら連鎖的に干し果物もラム酒もサトウキビも値段が上がっていくってことね。

 そして、これが大事なんだけど、この連鎖的な値上げのタイミングを決めるのはアタシたちよ。つまり、アタシたちにとって一番有利なタイミングを選べるってことなのよ。……なら、アタシたちは干し果物作りのノウハウを公開する前に何をしたらいいと思う?」


「おぅ、そうさなぁ……例えば製造コストを抑えることを考えるんなら、どっかの蒸留所と契約して、原材料サトウキビ持ち込みで蒸留だけやってもらって手数料を払うという形にすりゃあラム酒を安く入手できるわな」


「それも一つの方法ね。ただこの方法だと、周囲のラム酒の値段が上がった時に手数料そのものを引き上げられたり、最悪うちの分を後回しにされちゃうリスクもあるわよね」


「む、それもそれだな。ならばいっそのこと蒸留所そのものを買い取って商会に組み込んじまった方がいいのか?」


「正解よ。製造から流通までを商会内で賄えるようになれば確実にコストを抑えた上で安定生産ができるようになるわ。ただし、この方法は同業者には可能な限り隠蔽しなくちゃいけないわ。周りの同業者が高い製造コストで干し果物を作る中、うちだけは安く作れるようにしておけば周囲と同じ値段で売ったとしても多くの利益を上げられるようになるんだから」


「おぅ、そりゃ確かに大事だな。だが、隠せるか? ラム酒の蒸留所を買い取るなんて目立つことは隠せねぇだろ」


「そこで役に立つのが【バンシー】と、アタシの資産を隠すために街に流した噂『借金の返済のためにアタシが残された船でロッコの農園の砂糖を売りに行く』ってやつよ。

 買い取る蒸留所はあえてこのサンファンにこだわる必要はないわ。プエルトリコ島の別の港町でもいいし、いっそ別の島でもいいわね。それこそ最初はさっきおじ様が言ったように原料のサトウキビ持ち込みで手数料を払ってラム酒を製造してもらうのでもいいんだけど、とにかく外部からラム酒を安く仕入れるところから始めて、いずれは経営権を完全に買い取って製造から流通までを完全に商会内で完結させるのが目標ね。ついでにサトウキビだけじゃなくて商品として干し果物も持ち込んで販売して、そっちでも広められれば最高ね」


 ロッコが唖然としてしばしの間、言葉を失う。


「…………やべぇ。嬢ちゃんが賢いのは分かってたがよ、そこまでたぁ思ってなかったぜ。普通、船で商品を売りに行くのは、売れるか売れねぇか分からんから博打の要素がでけぇんだ。だが嬢ちゃんの計画では船はあくまでも輸送の手段でしかなくて運んだブツは確実に利益に化ける。……おぅ、ジーザス! こいつぁえらいことだぞ。このままじゃ人手が全然足りねぇじゃねえか!」


「そうよ。これからは労働力だけじゃなくて商会の幹部として色々な責任を委ねられる人材もどんどん必要になるから早急な人材育成も課題よ。だからこそ奴隷市には期待してるのよね」


「ああ、よーく分かったぜ。こいつぁ奴隷商人との交渉にはもし出来るならジャンの野郎も一緒に来てもらうのがいいな。今日、嬢ちゃんが商売をしている間に俺が交易所で話してくるぜ。……今の計画はどこまで話していいんだ?」


「そのあたりの判断は番頭のおじ様にお任せするわ」


「分かったぜ。とりあえず嬢ちゃんが干し果物作りのノウハウをいずれは公開してサンファンの特産品にしようと考えてるってことは話すが、それ以外はジャンの反応を見ながら臨機応変に対応することにするぜ」


「ええ。それでいいわ」


 そんな会話をしながらも荷馬車はゴトゴトと道を進んでいき、気付けばサンファンの城門が間近に近づいていた。






【作者コメント】


サミエラがやろうとしているのはまあ例えればシャト○ーゼみたいな感じですね。自社農園、自社工場により製造から流通までの中間マージンのロスを無くし、高品質な商品を手頃な値段で販売できるようにするのが狙いです。


アレムケル農園は今のところ一応ゴールディ商会とは経営は別れていることになっていますが、そもそもロッコがゴールディ商会の番頭でもあり、サミエラが個人で始めた干し果物事業を今ではアレムケル農園が全面的にサポートしている現状ほぼ経営統合しているようなものです。


商会の格ではゴールディ商会の方が断然上なのでいずれは正式に統合してゴールディ商会アレムケル農園になることでしょう。

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