第16話 街の噂
最近、プエルトリコ島北部にある港湾都市サンファンではとある人物に関する噂がしばしば人々の口に上っている。
──貿易商人ジョン・ゴールディが遭難死したらしい。
──らしいね。ゴールディ商会はどうなるの?
──あそこは娘しかいないから、婿を取って継がせるか、そのまま畳むか、商会ごと売るか、かな。
──娘さんはサミエラさんだっけ。お気の毒なことだね。
──本当にお気の毒なことだ。せめて彼女のこれからの人生に幸多からんことを願うよ。アーメン。
──いくばくかでも遺産を残してもらえていればいいけど。
──……
──ゴールディ商会の船が売りに出されたらしいね。
──ああ。死んだ先代の遺言で娘の後見人になっていたロッコが商会の後始末を仕切っているらしい。
──ロッコか。先代に信頼されてたもんな。
──しかし、船を売りに出すってことはゴールディ商会は畳むってことか。
──らしいよ。今ロッコが資産を売りに出してるのも雇われていた連中や取引先との清算の為だそうだよ。
──娘の元に少しぐらいは資産は残るんだろうかね?
──カサグラン商会が船を買い取るって噂もあるけど……。
──……
──ゴールディ商会がとんでもない借金を抱えてたらしいって聞いたか?
──あそこは堅実にやってたと思うんだけどねぇ?
──それが最後に金塊の納品の仕事を副王庁から請け負ってたらしくてさ、それを運ぶ船ごと沈んじまったから……。
──その船を見つけたら大富豪ってわけか。
──不謹慎だな。ジョン・ゴールディの幽霊に呪われるぞ。
──金塊はまずいな。今の銀との交換レートが銀150に対して金1ぐらいだろ。どれだけの金を扱ってたかは知らないがどれほどの負債になったんだろう?
──だからロッコが資産の売却を急いでたのか。カサグランが船をずいぶん安く買い叩いたらしいぜ。
──おれっちの聞いた話だと負債総額3万ペソ近いらしい。
──おお、神よ……。
──……
──ゴールディの家が競売にかけられてたね。
──巨額の負債の噂は本当だったんだな。
──噂じゃゴールディの娘の遺産狙いで近づいたカサグランのボンボンが逆に巨額の負債にビビって逃げたって聞いたけど。
──それ本当の話。俺、その場にいたから見てたよ。交易所でカサグランのダニエルの野郎がサミエラ嬢に愛人になれって迫ってたけど、借金額聞いて逃げた。
──可哀想なサミエラ嬢。お父さんを亡くした上に家も無くして借金だけ背負わされて……。
──彼女、今はどうしているのかしら?
──後見人のロッコが彼女を引き取ったって話だけど。
──なんでもロッコがサミエラ嬢と協力して毎月少しずつでも返していく方向で話はついたらしい。
──……
──ゴールディのサミエラ嬢が新しい商売始めてたぜ。
──へぇ。彼女なに売ってるの?
──これさ。干したフルーツらしいぜ。なんでも日保ちするから船乗りにオススメだとよ。それにこれ食べてると壊血病にならないらしい。
──ぶはっ! お前、そんなの真に受けたの?
──いや。さすがに壊血病に効くとまでは思ってないけどな。でも日保ちするって船乗り的には嬉しいからな。それに、頑張ってるから応援してやりたいじゃないか。あと、これ普通にうめぇんだ。食ってみろよ。
──どれどれ……。ほぉ、悪くねぇな。これはどこで売ってるんだ?
──何日かに一回の頻度で交易広場に売りに来てるぜ。
──……
──あら? あなた何を食べてらっしゃるの?
──まあ、あなたまだ知らないの? サミエラさんがお売りになっている干し果物よ。
──サミエラさんってあのゴールディ商会のサミエラさん?
──そうよ。お父様を亡くされてどうされたかと思ってたら、最近は時々交易広場でこの干し果物を売ってらっしゃるのよ。
──男の方のような服装をされてらしたから一瞬誰かと思いましたわ。
──でも今のサミエラさんも凛々しくてドキドキしてしまいますわ。
──そうなのよ! 男装のサミエラさん、いえサミエラ様は素敵なのよ!
──まあ……。次に来られたら私も買ってみようかしら。
──……
──おいっ! やべぇぞ。サミエラちゃんの干し果物は本当に壊血病に効くらしい。
──ははっ! いい加減なこと抜かしやがったらただじゃおかねえぞ!
──ヨーロッパから来た船に乗ってた壊血病の奴に食わせたらすぐに良くなったらしいぜ。
──本当かよ? じゃあ今度ロンドン行きの船に乗るから試しに買っていってみるぞ。まあ普通にうめぇしな。
──塩漬け肉と虫付きビスケットをグロッグで流し込むだけの食事に潤いができるわな。それで壊血病も防げるならめっけもんだ。
──ちげぇねえ。
──……
──サミエラちゃんが売ってる干し果物は食べたかい?
──食べたよ。あたしゃマンゴーのが好きだねぇ。甘くてねっとりしててさ。
──元々は船乗り向けって話だったけど、あたいも好きさね。パンに入れても美味しいんさ。
──オレンジを輪切りにしたやつをカカオの飲み物と一緒に食べるのが若い娘さんらに流行ってるらしいね。
──真似して作ろうとしたやつもいたみたいだけどさ、ほとんど腐らせちまったって話だよ。
──あたしも他のやつが作ったものを買ってみたけどカビ臭くて不味くてサミエラちゃんが作ったのとはぜんぜん違ってたよ。やっぱり買うならサミエラちゃんのじゃなきゃね。
──苦労しているサミエラちゃんを神様が助けてくださってるのかもねぇ。
──……
──くそっ! また失敗だ。どうしてゴールディの娘が作る干し果物みたいにならねぇんだ!
──味も見た目もぜんぜん違うんだよなぁ。
──作り方を聞いたら、切って干すだけだって言ってたから同じようにしても半分は腐っちまう。これじゃゴールディの娘が売ってる値段じゃ利益が出ねぇ。どうなってんだ?
──半分はまあまあ上手くいってるからサミエラ嬢が嘘をついてる訳でもないと思うんだが、失敗してる残り半分の理由が分からんのだよなぁ。
──噂によるとサミエラ嬢は干し果物を売りに来た日は必ず教会に寄っているそうだぜ。信仰心が主の目に留まって祝福されてんじゃねぇか?
──そうか。俺もちょっくらお祈りしてくるぜ。
──やめとけやめとけ。そんな利己的な祈りは主に聞かれまいて。
──……
──サミエラちゃんが教会で何やってるか知ってるかい?
──お祈りしてんじゃねえのか?
──もちろんお祈りもしてるんだろうがよ、入ったらなかなか出てこねぇから牧師に聞いてみたらよ、教会の裏の孤児院に行ってるらしいんだ。
──孤児院? なんでまた?
──どうも、ガキ共に読み書きと計算を教えてるらしいぜ。
──なんでそんなことを?
──親父さんが健在でゴールディ商会の羽振りが良かった頃は定期的にまとまった金額を寄付してたらしいんだが、今となっちゃそれも難しいから、代わりに奉仕活動としてやってるって話だぜ。読み書きと計算が出来ればガキ共の将来の役に立つってな。
──どれだけ善良なんだよ。天使か?
──……
──あーくそっ! また買えなかった。
──すっかり人気になっちまったもんなぁ。
──便乗して真似して作って売ってる奴もいるけど、サミエラちゃんのとはぜんぜん違うんだよなー。サミエラちゃんのも値上げしたけどそれでもみんなサミエラちゃんのを買うもんな。
──サミエラちゃんのには粗悪品が混ざってねぇって信用があるからな。
──それにみんなサミエラちゃんを応援したいんだよね。あのバンシーの看板を見たらなんとかして助けになってやりたいと思うんだ。
──ロッコのところの農園の使用人たちも干し果物作りに駆り出されてるらしいが、それだけじゃ手が足りねぇってんで奴隷を追加で買い入れるって噂もあるぜ。
──そういやもうすぐ奴隷市の時期か。
──……
【作者コメント】
この時代は栄養や衛生の概念が全然理解されていないので、船乗りの生活は酷いものです。なにより食事の質が悪い。その事に気づいたサミエラは主に自分の船のクルーの食生活を良くする目的で、長期保存が可能で体のバランスを整えるビタミンが失われないドライフルーツを開発し、多額の借金を抱えているというカムフラージュのために交易広場で売り始めましたが、予想外にヒットしてしまったのでロッコの農園も巻き込んで大々的にやるようになったのが今の状況です。
サミエラとしてはすぐに模倣されて埋没すると思っていたのに、周囲の衛生観念が低すぎて真似した奴がことごとくドライフルーツ作りに失敗し続けるうちに独占企業としてブランドが確立してしまい、簡単に手が引けなくなったので、今はその状況を利用して本拠地であるサンファンでの地盤固めに勤しんでいる感じですね。次回はそんなサミエラのサンファンでの一日をお届けします。
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