3
目線をもっと遠く、グティエレスの領の外に向けるとアクイラははじかれたように固まって目を見開いた。
「……いかなきゃ」
「なにかあったの?」
「え?……ええと、人に会わないといけないんだ」
「ふうん。あ、わかった、ノイクサさんでしょ。トカゲの帽子つけた真っ黒な郵便屋さん。でもあのお兄ちゃんだったら、会いに行かなくてもたまに来てくれるよね」
箱入り娘のアンネには、西の知人というのは貴族専用の郵便屋をしている少年しか思いつかなかったようだ。
「あはは、そうかも」
アンネは前を向いているので、アクイラが西のある一点を見ていたこともそれを見ながら目を細めていたことも知らない。
「そろそろ戻ろうか」
「うん」
鷲は来たときと同じようにゆっくりと飛び、二人を城下町の端から真ん中へゆっくりと下降し、芝生を揺らして元の庭に戻ると足を畳んで二人を下ろした。
アンネは身軽にジャンプで降り、鷲の胸に抱きついて顔を埋めた。
「ぷはっ、えへへいいこだね!じゃあねアクイラまた遊ぼうね!」
「明日は飛ばないよ」
「やだー」
包帯を左に巻き直している途中で目をあけられないアクイラに、見えていないことを承知であかんべして城の中に戻った。
包帯を左目に巻き終えると、金色の右目を開き鳥の背中から降りる。
「お疲れ様。明日は呼ばないからゆっくり休んでね。ああ分かった、分かってるからつつかないで」
アクイラは鷲からつつかれながら、いや、どつかれながらポーチから三つ光る石を取り出した。手に平に乗せられたそれを、鳥は嘴で器用に摘んで食べる。そして満足したように鳴くとどこかへ飛び去った。
次の日は本当に飛ばなかった。アンネは大図書館に行ったきり一日中戻ってこないアクイラにぶうぶう文句を垂れては父になだめられていた。
「あいつも大人になったんだろう。しかし珍しいな、自分から図書館に行くなんて」
「ねえ父上、アクイラ帰ってこれるかな」
「ん?」
「だって、アクイラすっごい方向音痴なんだもん」
それからひと月が経ち、アクイラが王権を獲得したという知らせがないまま成人の儀が執り行われた。全国から集まった客人を前に、アクイラは晴れて十五歳の誕生日を迎えたのであった。
「なんだろう……」
挨拶回りでへとへとになったアクイラは、ひとり廊下で首を傾げた。今日起きてから、少し声に違和感を感じているのである。喉は違和感がないのだが、自分が発した声がいつもと違って聞こえるのだ。声変わりをしたのかとも思ったが、一日でこんなに変わるなんて聞いたことがない。
「……さ、これで準備は終わりかな」
「はい、大司教様。いやぁ無事にこの日を迎えることができて良かったですね」
扉の向こうから話し声が聞こえてきた。後片付けか何かで残っていた大司教が司教と話しているようだ。そういえば、自分のために尽くしてくれた人に感謝を伝えていなかったとドアを開けようとした時、アクイラは大司教の言葉に耳を疑った。
「そろそろ陛下はダメかもなぁ」
アクイラは憤り、扉を蹴った。驚いた老人が腰を抜かして倒れる。司教は隅の方で呆然と立ち尽くしていた。
「なんて言った、父上がなんだって」
「ア、アクイラ様……いえ、これは、その……」
素っ頓狂な声を出して狼狽える。アクイラは勿論、王室に権力者が生まれると近いうちに王が逝去する、という呪いじみた現象は理解している。けれど、それを言葉として聞くと耐えられなく苦しい。自分は王権を持っていないからまだ大丈夫、と信じているのでそれを揺らされたくないのだ。
「立て」
アクイラにしては低い声で命令すると、腰を抜かしていたはずの爺はすぐさま立ち上がった。自分で言っておきながら、まさか本当に立つとは思っていなかったアクイラが驚いて半歩下がった。
「こっ……これは」
自らの意思に反し立ち上がった自分の不可解な行動が信じられなくて、王がどうとか、今王子に責められていることとかは頭から抜け落ちた。
「まさか、王権が……」
若い司教が恐る恐る口を開く。アクイラは司教の方を見てから自分の口に手をやった。そして、震える声でさっきと同じように司教に“命令”する。
「俺を指さして」
人に指を指すのはタブーで、当然命じられたとはいえ王子に指を指すなんて無礼なことをするなどあり得ない。しかし、彼はためらうことなく真っ直ぐに人差し指をアクイラに向けていた。
空気が凍った。拘束が解けたように目を見開き、直ぐに手を引っ込めて頭が地面にめり込むくらい擦り付けて、白い服が汚れることも気にせず謝る司教。それを呆然と見下ろし、アクイラは後ずさりをしながら
「お願い、このことは忘れて」と部屋から飛び出した。
「アクイラ、どうした」
部屋を出たアクイラをちょうど通りかかった王が呼び止める。アクイラは四つめの権力のことと、目の前に立った父のことを考え、泣きそうな顔をしていた。王権を獲得してしまった、王権を……
「いえ、なんでもありません」
「そうか、酷い顔をしているぞ、鏡を見てくると良いだろう」
「……はい」
言葉を慎重に選ばなければならない。取り返しのつかないことになってはならない。もっと色々話したいことがあるのに、アクイラは言葉を発することが出来なくなってしまった。
両手を強く握り、父に背を向けて自室へ戻った。自分の言葉は相手に強制力を働かせる。きっと、自害しろといえばその人はその場で命を絶つだろう。もしこのまま自分が王となり、国民へ演説すれば。その際に人を動かす言葉を一切言わないというのは無理な話だろう。最悪自分の言葉一つでこの世界が滅んでしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます