第4話 拉致
会は料理の美味しさと、紹興酒の酔いが手伝って大いに盛り上がった。会計が終わって外に出ると、朱音がすっかり酔っぱらって、愼也にもう一軒付き合えと絡んでいた。
「それじゃあ、僕たちはここで失礼します。お二人はごゆっくり」
一志の別れの挨拶に、愼也は慌てて叫んだ。
「待ってくれ、俺も一緒に帰るよ」
すると朱音が愼也の手を掴んで離さない。
「何よ、約束通りもう一軒ぐらいつきあいなさいよ」
二人が押し問答を続けてるのを見て、笑いながら毬恵は言った。
「邪魔しちゃ悪いから行きましょう」
三人で田町駅に向かって歩き出すと、さすがに愼也も諦めたのか、もう引き留める声はなかった。
「あの二人、梨都さんと三人複雑な感じだよね」
珍しく優が男女関係の話題を口にした。
「そうでしょうね。朱音さんは何が何でも佐伯さんを奪おうって感じじゃないものね。やっぱり梨都さんのことって気になるのかしら」
自分と綾の関係を微妙にダブらせながら毬恵は答えた。
一志がクスっと笑う。
三人は武蔵境駅から中央線に乗り新宿駅に向かった。優はそこから浦和に帰るために、埼京線に乗り換える。一志と毬恵は山手線に乗り換え渋谷で下車し、一志は二子玉川だから田園都市線に、毬恵は武蔵小杉の自宅に帰るために東横線に向かう。
新宿から一志と二人に成ると、毬恵は急に意識して動悸が激しくなった。
何を話しているのか自分でも分からず、声だけ出してる感じだ。
それでも一志は的確に応対してくれている。
電車の中で二人で立つと、毬恵の方が少しばかり目線が高く成る。
それなのに、あんなに気になった二人の身長差が、今はまったく気にならない。
二人だけの空間が、他人の目を忘れさせる。
僅か十分足らずの二人だけの時間が終わった。
毬恵は一志を引き留めたい思いを声に出せないまま、東横線に向かった。
一人に成って電車に揺られながら、今日一志が語った被害者への感情を、思い出していた。普段温厚な一志の心の奥底に、あれほど強い気持ちがあるとは思わなかった。
今日のように具体的に話されると、自分が遭遇する確率は低いかもしれないが、いざ被害にあってしまったら、それは人生をひっくり返されるぐらい、たいへんなことだとよく分かった。今まで身近に考えてなかっただけに、心に響く音は大きかった。
渋谷から武蔵小杉迄約二十分、一志のことをあれこれ考えていると、電車はあっという間に目的地に着いた。駅から自宅までは歩いて十分程度だ。駅を出て武蔵小杉タワーを過ぎると、人通りは少なくなり、閑静な住宅街が広がる。
家の一つ前の曲がり角を抜けたところに、見知らぬ車が停まっていた。あまり車に詳しくない毬恵でも、それがハイグレードのミニバンだということぐらいは分かった。黒いボディが街灯の淡い光でも鈍く輝く。
対向車が来ないことを確かめて、小走りに車の脇を抜ける。もう家まで一分もかからない。
背後で車のエンジンがかかり、動き出す気配がした。ヘッドライトは無点灯だ。そのまま追い越され道を塞がれた形で停まる。悪い予感がして立ち止まると、車から男が二人出て来た。逃げようとした瞬間手を取られ、口を塞がれる。
気の強い毬恵が、恐怖に身体が縛られて、無抵抗のまま車に引きずり込まれた。両脇に男が乗り込み、毬恵の口に猿轡をかます。
恐怖に歪んだ毬恵の顔を見て、男はニヤリと笑い、今度はバッグからケーブルを纏めるときに使う結束バンドを取り出して、毬恵の両手と両足を拘束した。
身体の自由を完全に奪われてから、毬恵はやっと抵抗しなければと気づく。必死で身体をくねらせて逃げようとすると、低い声で騒ぐなとナイフを顔に突きつけられた。
毬恵は恐怖で思わず失禁してしまう。
男は毬恵の股間から溢れ出す小水を見て、嬉しそうな顔をして、いきなり指ですくって匂いを嗅いだ。
その姿を見て、毬恵は恥ずかしさと恐怖で、意識を失いそうになる。
車の中には四人の男がいた。ドライバーと、自分を捕らえた後部座席の二人、そして助手席にも一人いる。
車が走り出すと、助手席の男がゆっくりと振り返った。
「お漏らししちゃったのか。前まで臭って来るよ、毬恵ちゃん」
振り向いた男の顔は南野だった。
車はしばらく走った後で、大きな屋敷のガレージに入り、毬恵は男二人に抱えられて、ガレージに隣接した部屋に運び入れられた。
そのまま部屋のベッドに寝かされ、四肢を拘束していた結束バンドが解かれて、新たに両手をベッドのスチールパイプに括りつけられた。自分を運んだ男たちと入れ替わりに南野が入って来る。
これから自分が何をされるのか、考えるのが恐ろしかった。
ついさっきまでは、一志たちと幸せな時間を過ごしたばかりだと言うのに――
南野は毬恵の顔を舐めまわすように見て、薄ら笑いを浮かべる。恐怖で思いっきり叫んでも、猿轡のせいで大きな声が出ない。
叫ぶのを諦めて、南野を睨みつける、
「おっと失礼、それを付けてちゃ、毬恵ちゃんの可愛い声が聞こえないな」
南野は毬恵の顔に手を回して猿轡を外す。
毬恵の口から絶叫のような声が上がった。何を叫んでいるのか、自分でもよく分からない。それでも、誰かの声に届けばと、力の限り叫んだ。
その様子を見てニヤニヤ笑いながら、ウィスキーをグラスに注ぎ、ゆっくりと口に含み、味わいながらゆっくりと飲み込む。
十五分も叫び続けたか。
喉が焼けて潰れそうになった。
こんなに叫んでるのだ、きっと誰かの耳には届いたはずだ。
「無駄、無駄、無駄なんだよ」
南野は大声で笑いながら叫んだ。
毬恵は違和感を感じて、叫ぶのを止めて南野を睨む。
「もう終わりかい、もっと叫んでも大丈夫だよ。この部屋は俺が高校生のときに、バンドの練習をする目的で、親父に頼んで完全防音にしてもらった部屋だ。いくら叫んでも外に漏れる心配はまったくない」
南野は悪魔のような笑みを浮かべて毬恵を見下ろす。
「私をどうする気」
「そんなの決まってるだろう。夜は長いんだ。ゆっくり楽しませてもらうよ」
笑顔に下卑た歪みが加わる。
「どうして、私にこんな酷いことをするの?」
「どうして? やりたいからに決まってるだろう。俺はお前を始めて見たときから、こうして俺のものにしたかった。だからお前と仲良く話す亀淵を、いじめてやったのさ。それをお前は柴田まで動かして、俺を拒絶した。だからさらった。逆らえないように拘束して、ここで自分は誰のものなのかしっかり教えてやる」
狂っている、自分は狂人の手に落ちた――と毬恵は思った。
「さあ、お前の躰を見せてもらおうか」
ブラウスのボタンを一つ一つ外されていく――私はここで汚されてしまう――今まであんなに輝いていた世界が一挙に灰色に変わった。
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