第13話 静香の回想
四杯目の焼酎ロックのお代わりを貰って、一息で飲むと漸く酔いが回って来たような気がした。
希望の光からの帰り道で、青木は静香にもう仕事はお終いにして、飲みに行こうと誘われた。
青木は何も考えないで、「いいよ」と即答した。
静香は、学生時代に駒場キャンパスから、よく飲みに行った店に行きたいと言うので、二人はタクシーに乗って神泉に向かった。
その店はカウンターだけで、十人も入ればいっぱいに成るような小さな造りで、大将が一人で切り盛りする和風バーだった。
大将は静香の顔を見ると、無言で席を指さした。客がいないのに、指定すると言うことは、静香の指定席なのかもしれない。
よく言えば静か、悪く言えば愛想のない店だった。大将はオーダーに対して返事もしないで、無言で聞いてるだけだ。
そんな大将の態度に慣れているのか、静香は何ら気にすることもなく、メニューも見ないで注文した。
静香のビールジョッキと、青木の焼酎グラスを合わせて、ネイルズマーダー逮捕を掛けて乾杯したとき、静香の香水の匂いが坂本の鼻を刺激した。一瞬、静香の伸びやかな肢体が頭を過った。
急に静香に女を意識して、青木はいたたまれなくなった。
いい大人が、同僚相手に何を血迷ってるのかと、心の中で自分を叱りつけたが、高揚とした気分は一向に治まる気配がない。
話しかけてくる静香に生返事をしながら、急速なピッチで焼酎を飲み干した。上手い具合に酔いが深まって来るにつれて、徐々に興奮が治まり余裕が出て来た。
「ピッチが速くない?」
静香が青木の顔を覗き込む。大きな瞳と酒に濡れた唇を見て、また動機が早まり、慌てて五杯目を頼む。
「どうしたの、そんなに速く飲むと気持ち悪くなるよ」
静香が青木の様子がおかしいと心配する。
「谷山文彦君の話を聞いて、警察官として情けなくなった」
我ながら下手な言い訳だったが、静香は素直に納得してくれた。
「自分の組織を信頼できないなんて、悲しいね」
「警察官に成ってそんなに長くはないけど、これほど組織を疑ったことはないよ」
「突き詰めれば、警察の存在なんて、社会を安定させるためにあるようなものだから、こうなるんだよね。警察は決して正義じゃない」
「だが、俺は自分たちは正義だと思って、これまでやってきた」
「でも鏡さんたちは、ネイルズマーダーにこそ、正義があると思っているよ」
「そうだな」
青木はまた自分の仕事が情けなくなった。
「鏡弁護士は私たちを信頼して証拠品を預けてくれた。この証拠品を使って谷山君の容疑の真相を解明して、警察の信頼を取り戻しましょう」
「もし警察が犯罪を隠蔽していてもか」
「何もかも公表することが大事なんだと思う。考えてみれば、必死で隠蔽を支持する政治家も可哀そうかもしれない。責任、責任って馬鹿の一つ覚えみたいに、本人とは無関係のことでも責任を要求する。マスコミとそれに踊らされる国民にも問題があると思う」
青木は身体中から汗が噴き出してくるように思った。
「警察もそうだな」
「私が大学のときにつき合っていた男性は、常々現代日本の民主主義社会の構造的矛盾を、口にしていた。優れた見識、行動力、そしてリーダーシップを兼ね備えた人間は、日本だけ見ても多数輩出している。しかし、大衆の支持がなければ彼らは活躍の場を得ることができない。ではいったい大衆の支持とは何だと思う?」
「大衆の支持? 世論のことか?」
話の内容が辛くなってきたが、いつもならすぐに降参する青木が必死にくらいつく。
静香と二人の時間が彼にがんばることを強要した。
「彼は、大衆の支持とは、個人の幸せに根差すものではなく、もちろん国家の反映に根差すものでもない。単なる大衆の最大公約数となる感情に寄り添い、その理解者として認められ、さらに多くの人々をその感情の中に取り込むことと言ったわ。だから米国は戦争を引き起こす。日本は中途半端な福祉や守られない公約を掲げる。本来の目的を失っても、その指示を得なければ成り立たないのが民主政治だと主張した」
静香は遠い目をした。
青木はその目を見て、いつもの静香が見せない感情だと思った。
「彼は人類をあるべき姿に導き破滅から救う、なんて言いながら、そのために必要な力を得るために、多くの友人が官僚、あるいはアカデミックな世界に身を投じる中で、あえてクリエイティブな世界に進んだ。大衆の目と耳をフルに刺激する映像メディアに注目したから」
テレビ業界のようなところかと青木は想像した。
「その時彼が目を付けたのは、ネット配信の世界だった。コンテンツの魅力次第で、何億という人々に影響を与える、究極の大衆操作ツールを制する。それが彼の野望だった」
エリートの考えることは複雑だ、青木は別世界の人々の話だと思った。
「私は彼から毎晩遅くまで、理想とするコンテンツについて聞かされ続けた。卓越したストーリー、圧倒的な映像技術、そして人々の心に沁み通るテーマ、この三つの要素を究極までに磨き上げることが、彼の理想だった」
話しているうちに、静香の雰囲気が刺々しく成って来た。
「二〇一一年に東日本大震災が発生して、彼は、学生ながら現地に取材に行って、そこで得たものをテーマに『大地の怒り』という映像を作ったの。それをネットにアップすると、なんと全世界で三億回以上の再生回数を記録する大ヒットコンテンツになったわ」
大地の怒り――ネットをあまり見ない青木には、まったく聞き覚えのないタイトルだった。
「その後も、政府による現地の交通封鎖の様子や、故郷を追われた人々を描いた彼のコンテンツは、たくさんの支持者を生んでいった。でも皮肉なことに、これらの原発をテーマにしたコンテンツで注目されたことが、彼の人生に終止符を打つことになった」
そこで、静香は話を切って、酒を一口飲んだ。刺々しく攻撃的な雰囲気は、一層増してきた。
「当時政府は東北復興支援のために、大規模な財政政策を計画していた。『復興支援金』と名付けられたその財源は、やがて思いもよらない使われ方をされ始める。まったく復興と関係ない、財政難から中断されていた土木計画などに次々とつぎ込まれた」
それは覚えている。最初は野党の追及が厳しかったが、なぜか追及は中途半端に終わった記憶がある。
「彼は夢中でその実態を調べ上げ、人々の認識をこちらに向けるためのシナリオを作成した。それから人生の全てを懸けてコンテンツ作りに没頭し、結果として大地の怒りを凌ぐ傑作映像を作り上げた。それは現政権が転覆しかねない破壊力を持った映像だったと思う」
とんでもない話だった。だがそんな映像を目にしたことはない。
「彼は自分の野望の実現が近いことを確信していた。これらの映像を起爆剤に心惹かれた人々から、次の大型コンテンツの資金を吸い上げる。そして思想的な映像家として、人々の意識を一つにまとめる活動を始める予定だった。事実第二弾映像はアップ後、わずか二四時間で百万回の再生回数を記録し、ネット上で大きな話題を引き起こし、もう少し時間が許せば、彼の野望も実現に向かって進めたはずだった」
はずだった?
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