第12話 恋心

「ねぇ、たまには二人でご飯食べに行こうよ」

 違法薬物の引き渡しを終えた後、綾が毬恵を誘った。

 一志はもう少し鏡と相談があるみたいだ。


「じゃあ、ご一緒させてください」

 毬恵は綾と二人で希望の光を後にした。


 二人は目黒駅に向かって歩く途中にある、綾が行きつけの創作和食の店に入った。店はカウンターと四人席が二つ有り、シェフが一人で切り盛りしていた。


 シェフは綾の顔を見ると、L字型のカウンターの奥の席を勧めてくれた。まだ五時なので、他のお客さんはいない。

 綾はシェフに「お任せで」とオーダーした。シェフは食前酒としてスパークリングワインを出してくれた。


「飲み物勝手に注文してごめんね。ここではいつも食前酒はこれに決めているから。もし飲めなかったら、遠慮なく他のお酒を注文して」

「いえ、大好きです。ありがとうございます」


 毬恵がグラスを持つと、華やかなアロマが香り立つ、口に含むと辛口でコクのある味が口の中に広がった。


「美味しいですね。食欲が出てきました」

「そうでしょう。悩んでいても、これを飲めば元気に成る」

 綾は毬恵が悩んでいることに気づいたようだ。

 毬恵が打ち明けようか迷っていると、バーニャカウダ風の野菜盛りが出て来た。


「イタリアン風の前菜ですね。彩りが綺麗」

「野菜は全て京野菜なの。シェフは元々京都で修業をしてたらしいんだけど、東京で若い人に食べてもらえる和食を目指して、いろいろ他の料理も研究したみたい」


 人参を手に取って一口かじると、ソースの隠し味として味噌が入っていた。


「素敵、オリーブオイルと味噌って合うんですね」

「そう、便秘にも効くらしいよ」


 そう言って綾はニコッと笑った。

 毬恵は綾の笑顔が大好きだった。同性としてこんな素敵な笑顔を、好きな人に見せたいと思う。


「綾さんってホントに笑顔が素敵ですね。その笑顔は誰に向けてあげるんですか?」

「知りたい?」

 毬恵が何げなく口にした言葉に、綾は流さずに応えてきた。


「知りたいです」

 毬恵は、女性として最悪の仕打ちを受けた綾を、笑って恋愛の話ができるようにした人のことを、知りたいと思った。


「愼也君――」

「えっ!?」

「愼也君のことが好きなの」

 本気で驚いた。何か気の利いたことを言うつもりが、口が半開きに成ったままで、声に成らなかった。


「何で……」

 やっと一言だけ、間が抜けた言葉だった。


「愼也君と一緒に居ると安心するの。言葉は少ないけど、言葉しかない男性とは違う、包容力と言うか、ごめんなさい、うまく言えないけど」

 こんな都会的でいくらでも声を掛けられそうな人が、まさか愼也を好きになるなんて信じられなかった。


「いつから……」

「最初に会ったときからいいなと思ったのよ。でも自分の気持ちがはっきり分かったのは、一緒に文彦君の冤罪を調べに行ったとき」

「私、綾さんは鏡さんが好きなのかと思っていた」

「もちろん鏡さんは好きよ。でも愼也君とは違う。完璧すぎると言うか、立派過ぎると言うか。でもどこか怖いところがある。愼也君はお互いに高め合える気がするし、何より一緒に居て安心するの」

 不意に渡したくないという思いが、毬恵の胸を激しく揺さぶった。


「もう伝えたんですか……」

 訊く声が泣きそうになる。

 綾はそんな毬恵の顔をじっと見つめた。


「まだよ」

 綾も泣きそうな顔になった。

 二人とも声が出なくなり、不安定な静寂が訪れる。


「馬肉の蒸し焼き、オニオンソースです」

 シェフの二皿目が出て来た。香ばしい匂いが心を落ち着かせてくれる。


「美味しそう、食べよう」

 綾が元気を出して声を掛けてくる。


「はい」

 毬恵も心の隙間を埋めようと肉を口に入れる。

 肉の旨味が心の痛みを癒してくれた。


「毬恵さんも愼也君のこと、好きなんでしょう?」

 不意を突かれて、思わず頷いてしまった。


「でも、一志君も好きなのね」

 答えられなかった。好きだと言ったら愼也が取られてしまうような気がした。


「大丈夫、だったら愼也君は私にくださいなんて言わないよ」

「どうして――普通なら、許せないでしょう?」

 悲痛な顔で訊いてくる毬恵に、綾は笑顔で答えた。


「今日、分かったの。あなたも愼也君が好きなんだって。こんな悲惨な事件ばかり見ているんだもん。優しい男性が現れたら、気持ちが動くのも無理がないと思う。二人ともタイプが違うから決められないのも仕方ないと思う」


「でも綾さんは佐伯さんだけなんでしょう?」

「ねぇ、私たち大事なことを忘れて話してるわよ」

 毬恵は綾の冷静な言葉に、ふっと興奮が解けた。


「そうか、佐伯さんには彼女がいたんだ」

「それもとびきりの美人で、頭脳明晰だって一志君から聞いたわ」

「一志とそんな話したんですか?」

「一志君って、とっつきにくそうだけど、弱い者には優しいの。だから私にはとっても優しくしてくれる」


 一志と綾がそんなに仲良しだったとは意外だった。

 毬恵は一志の口から綾の話を聞いたことはなかった。


「そうかー、意外です。でもどうして、梨都さんのこと聞いたら普通諦めますよね」

「あら、あなたは今私と、愼也君を巡って取り合おうとしてたじゃない」

「綾さんの言葉に頭がカーッとして、忘れてたんです」


 毬恵は自分でも意外だった。どんなに愼也に惹かれても、梨都のことが引っかかって、口にすることを止めていたのに。


「自分がしたかったことを、他の人がしようとすると、人間って素直に成るらしいよ。鏡先生の受け売りだけど」

 綾は言ってからペロッと舌を出した。

 その姿がとてもチャーミングで、こんなハイセンスで大人なのに勝てないなぁと、真面目な自分の性格と比べながら毬恵は思った。


「話は戻るけど、愼也君と一志君で迷ったときに、彼女のいるいないとかで選んじゃ駄目よ。それは出会うのが早いか遅いかだけなんだから」

 自分の考えすぎる性格を気にして、アドバイスしてくれる綾が姉のように感じた。


「綾さん……」

 また涙が零れそうになったので、急いで肉を頬張る。


「元気を出そう。今の毬恵には分からないかもしれないけど、人っていつどんなことがあるか分からないし、自分の心には素直にならなきゃ」


 年は四つしか違わないのに、綾は素敵な大人だった。

 毬恵は綾のことが大好きになって、心が大きく強くなるように感じた。

「食べます。たくさん食べて元気に成ります」

 毬恵の言葉に応えるように、シェフが三皿目を運んで来るのが、目の片隅に入った。

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