第10話 忠告
ゼミ会が終わって、帰ろうとした愼也はこのところご無沙汰をしていた梨都につかまり、大学を出るときには辺りはすっかり暗くなっていた。冬の風の冷たさが会えない梨都の寂しさを大きくしたようだ。
愼也は梨都の不満を察して、「寒いね」と積極的に声を掛けた。
梨都自身が卒業に向けて忙しかった。
学生弁護士の愼也と違って、梨都はこれから二年間法科大学院に通って、卒業後の司法試験に備えなければならない。
そのための準備に時間がないし、ゼミ長としての仕事も多い。
会えない時間は増えるが、それでも梨都は歯を食いしばって我慢した。
早く自分も司法試験に受かって弁護士に成り、愼也と対等に成りたいからだ。
対等以外の立場で甘い夢に浸れるほど、梨都のプライドは安くはなかった。
大学のカフェテリアで、久しぶりに梨都と二人の時間を過ごし、梨都が司法試験用のスクールに向かったところで二人は別れ、愼也は一人で鏡の事務所に向かった。
文彦の事件の行方を聞くためだ。
不動前迄の道すがら、文彦の冤罪疑惑から発した、古瀬勝悟の違法薬物売買疑惑までの一連の話を振り返ってみた。
文彦の友人の幸三郎の話を聞く限り、文彦にかけられた痴漢の容疑は冤罪に思えてくる。
しかもその背景には、被害者である松岡愛華が、ボーイフレンドの古瀬勝悟が犯した薬物犯罪の告発をもみ消すために、でっち上げた可能性がある。
痴漢容疑自体も愛華の一方的な証言によるもので信憑性に乏しい。第三者の目撃情報や近くの防犯カメラによる証拠映像なども出てきてないことから、これで犯人にされたら、日本中だれでも犯人いされてしまう。
これほど、曖昧な証拠で今文彦が拘留されているのは、古瀬勝悟や松岡愛華の父親の力と考えて無理はなさそうだ。
勝悟や愛華の父親については、既に鏡が調べていて、勝悟の父は現法務副大臣の古瀬勝俊、愛華の父親は警察庁長官官房長だった。
いずれも警察に対し強い力を持っていても不思議ではない。
不動前に着くと、いつものように綾が迎えてくれた。
「どうも文彦君のその後が気になってしまって、お忙しいと思ったのですが、来てしまいました」
愼也が突然の訪問を謝罪すると、綾は笑顔を返してくれた。
「いえ、構いません。愼也君の優しい気持ちが嬉しいです」
既に鏡は出先から戻って、愼也が到着するのを待っていると言うので、挨拶もそこそこに鏡の部屋に急いで向かった。
鏡の部屋に入ると、早速薬の調査結果から話が始まった。
「先日預かった薬だけど、違法薬物であることが判明しました。通称ホワイトドリームという、最近若い世代を中心に流通しているものです。アンフェタミンなどの化合物を合成して製造される覚せい剤の一種ですが、強い副作用があり、常用すると大変危険な薬です」
「そうだったんですか」
愼也はそんな危険な薬の売買を見逃すなんて、まるで警察が薬物犯罪を隠すために冤罪に協力しているように思えてならない。
鏡にこの後の処置をどうするか聞いてみた。
「本来であれば警察にこの薬を渡して古瀬勝悟を逮捕し、服用したと考えられる仲間にもスクリーニング検査を実施して、陽性反応が出た者は全て逮捕しなければなりません」
「その時、文彦君の冤罪はどうなりますか?」
愼也が心配そうに、文彦の冤罪の行方を確認した。
「古瀬が全て吐くでしょう。状況証拠的にも十分です」
「良かった。これであの親子も救われる」
嬉しそうな顔をする愼也を見て、綾も嬉しそうに微笑む。
「ところで、すぐに警察に届けないのは、やはり大平清司に対する警察の対応が、気になるからですか」
愼也がそう切り出すと、鏡は隣の綾の顔を見てから、決心したように話し始めた。
「その通りです。綾さんとも相談して、どういう風に警察に伝えるか悩みました。その結果、先日うちにやって来た二人の刑事さんに託すことにしました。青木さんと相沢さんです」
「その二人なら信用できそうですか?」
「ええ、私と綾さんの二人の意見は一致してます」
ここは大きな賭けとなる。その困難さに気苦労が絶えないのか、鏡の表情が曇りがちに見えた。
鏡から食事でもどうかと誘われたが、梨都がマンションで待っているので、丁寧に辞退して帰ることにした。
帰りの電車で一人になると、早速信長が話しかけてきた。
(役人の不正はいつの時代も絶えぬものだな)
(証拠物件を破棄するとか、今の警察は怪しいよね)
(それも闇ではあるが、そなたはもっと深い闇を見失ってないか?)
深い闇と言われて愼也は言葉に詰まった。
鏡のことを言っているような気がしたが、愼也の目から見て鏡は善人そのものだった。
(鏡さんのことを言ってるのなら、僕は何も問題ないと思うけど)
(そなたは半分以上、あの綾という娘の目を通して鏡を見ている。それでは本当の姿は見えぬ)
綾の名を出されて、愼也は気持ちが怯んだ。
確かにあんな事件に遭ったのに、健気に人のために頑張る姿を見ていると、応援したい気持ちでいっぱいになる。
(信長には鏡さんがどういう風に見えるの?)
(鏡は顕如に似ている)
(顕如って、本願寺の?)
(そうだ。民の救いのためと称して活動するが、裏では体制に対する反逆者だ)
(まさか)
信長は鏡がテロリストだと言っている。
愼也は信じられなくて、思わず信長の言葉を疑った。
(まあ、よい。いいか、誰かを評するとき、決して他の者を介した言葉に惑わされるな。情報は必要だが、第三者の情報と自分が得た情報の区別はしっかりつけるのだ)
それっきり信長は話しかけてこなかった。
愼也は、自分がどれほど綾に影響されたか分からないまま、呆然と鏡のことを考え続けた。
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