第7話 冤罪調査

 秋晴れの休日を迎え、愼也は西調布駅前に来ていた。都会的なビルが立ち並ぶ調布駅前と違って、一駅進むだけで低層のビルと民家に囲まれた、落ち着いた街並みに変わる。


「何だか気持ちが休まる町ですね」

 同行した清水綾はこの町が気に入ったようだ。鏡から託された使命感に満ち溢れて、溌溂とした姿は、愼也の目には眩しく映った。


 愼也が綾と共にこの町に来たのは、希望の光の会員の相談を聞くためだ。

 毬恵に伴って希望の光を訪れた翌日、愼也は鏡から電話をもらった。


 電話の内容は、痴漢で捕まった高校生の母親が冤罪だと思うので疑いを晴らして欲しいと、鏡の事務所に相談してきたから、その調査を愼也に手伝って欲しいというものだった。

 最初は自分はまだ学生で本格的に弁護士業務を始めてないから、力に成れるか分からないと断りをいれた。


 事実、痴漢冤罪は最も立証が難しい案件だし、形の上では三枝・神崎法律事務所に属しているわけで、違う事務所の仕事をするには差し障りがある。


 それでも鏡は執拗だった。

 鏡はこれを弁護士業務として扱わないでくれと言った。

 一人の人間として、こういう事件が世の中にあることを見て聞いて、その上で今後の弁護士人生を送る上での糧にして欲しいと言われた。


 そこで、愼也は急に興味が湧いてきた。

 事件もそうだが、なぜ鏡が自分に頼むのか理由を知りたくなった。

 そして信長もこの話を受けろと執拗に言ってきた。


 愼也が承諾すると、鏡はアシスタントとして使ってくれと綾をつけてくれた。

 綾は既に鏡のアシスタントとして、救いを求める者の問題解決のために、何度か面談を経験していた。


「綾さんはすごいなぁ。鏡さんの仕事をこうやって一人で任されるなんて」

 愼也は弁護士でも実績はないから、思ったままを口にした。


「とんでもないです。前は先生に随行していただいて、ただ付き添ってるだけでした。今日だって愼也君がいるから、先生も安心して任せてくれたんですよ」

「それにしても綾さんは、希望の光の活動にずいぶん熱心ですね?」

 愼也は前から思っている疑問を訊いてみた。


「私、いろいろと悩んでいたんです。あんな事件に遭って、人が殺されたのに平気な自分が信じられなくなったんです。でも希望の光の話を聞いて、鏡さんに会って話をしたら、それから心が軽くなりました。この仕事だって、結局自分のためにしてるんですよ。困っている人の話を聞くと、不幸なのは自分だけじゃないってファイトがわくんです」


 愼也は犯罪被害者ではないが、周りには被害者が思ったよりもたくさんいることに気づいた。最も縁遠そうな朱音がそうであったし、長期間南野の嫌がらせにあっていた亀淵もそうだ。


 被害者たちは、表面上問題が解決しても、一度経験した苦汁が心の中に残って、未来に対して漠然とした不安を感じている。それを癒す方法の一つが希望の光への入会であり、鏡たちの献身的な対応であることは理解できた。


 しかし気になるのはそこではなく、ネイルズマーダーの出現によって、加害者に対する直接報復がなされ、それを希望の光としては是として受け入れ、実際に被害者の心を癒すことに使われていることだ。


 現にここにいる綾自身の口からもネイルズマーダーへの賛美の言葉が出ている。

 愼也にとって、それはこの道で生きていく上で、軽く流すことができない事実だった。司法の在り方について自分なりに納得のいく答えが欲しかった。


 そう思うのは、最終的に裁かれなかった南野の存在が大きい。南野が裁かれないことによって柴田が自殺した。愼也はまだ柴田の自殺に納得がいってない。信長も人が死ぬ理由にならないと言っていた。


「僕はまだネイルズマーダーの存在を、是とする心境に成れないんだ。もちろん犯罪被害に遭ったことない自分が分かるはずはない、と言われればそうなんだが、それでもちゃんと理解したくてこの仕事を手伝うことにしたんだ」


「愼也君って、正直なんですね。私と一緒にこの仕事を通じて、少しでも分かってもらえればとても嬉しいです」

「もちろんそのつもりだ。でも今は困っている人の力に成れるように頑張るよ」

 愼也の素直な言葉に、綾は暗い過去を感じさせない爽やかな笑顔で応じた。


 ネイルズマーダーの殺人対象が、政治家の子息に変わってから、希望の光がやたらとマスコミに取り上げられるようになった。

 それと共に当事者の一人である綾も、その美しい容姿の効果も手伝って、マスコミに取り上げられることが多くなった。本人としては、そういう風に取り上げられるのは迷惑に決まっている。


 しかし綾はめげることなく、希望の光の活動に積極的に参加し続けている。たった今見せた素敵な笑顔を、できることなら守ってあげたいと、愼也は強く思った。


 今回の二人のミッションは、谷山文彦という高校生にかけられた容疑を、調べることだった。依頼者は文彦の母親志野で、父親は三年前に交通事故で亡くなっていて、兄弟はなく西調布に二人で暮らしている。


 最初の依頼は、希望の光のホームページに掲載している、鏡のメールアドレスに送られた。依頼内容は、同級生の女性に対する暴行の容疑が文彦に掛けられたので、無実であることを証明して欲しいというものだった。


 母親のメールには、痴漢が出た夜に、文彦はずっと家にいたとあったが、家族の証言なので、警察では採用されなかったらしい。

 鏡は既に電話して概要を聞き、現地にも赴いて現場検証もしている。その上で、愼也に再度母親に会って現場を見て欲しいと依頼した。


 訪問にあたって、鏡からは自身の見解を一切語られていない。あくまでも綾と愼也のバイアスの掛からない、素の意見が欲しいということだった。


 駅から十二分程歩くと、谷山親子が住んでいる家に着いた。築十五年の一戸建てで、親子二人で住むにはその広さが寂しさを呼び込みそうだ。


 文彦は送検されて拘置所に拘留されているため、既に六日間志野が一人で住んでいる。志野の不安な心中を思うと、愼也は胸が痛くなった。

 二人は志野の案内でリビングに入る。家の南側が道路になっているので、大きな窓から陽の光が十分に入る明るい部屋だった。

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