第9話 反逆の誘い

「ちょっと重い話しだけど、一度は聞いてるんだから我慢して聞いてね」

 聞きようによっては意味深な言葉に、愼也は思わず二、三度小刻みに首を振って頷いた。

 そんな愼也を朱音が無言でじっと見つめる。

 緊張感に耐えきれなくなって、思わず他に救いを求めて意識を散らした。


 再び音楽が愼也の耳に飛び込んでくる――ああこれは、リンダロンシュタットのホワッツニューだ――愼也の意識が音の方に流れる。


「私の本当の父と母は詐欺に騙されて首を括ったの」

 唐突に朱音の口から飛び出た言葉は、店内の音楽に意識を移していた愼也の頭を、横殴りにぶん殴った。

 その衝撃が大きすぎて、聞いた直後は単なる音としか認識できなかった。

 十秒ほどして、ようやく言葉の意味が脳の中に広がった。


「私が十才のときだったけど、どうして両親がいなくなったのか、理由は理解できた。それから母方の叔母が引き取ってくれたの。叔母は看護師をしていて、独身だったから私を育てる経済的な余裕はあったの。とってもよくしてもらったわ。お金が掛かるのに明峰に入れてくれたしね。だけどやっぱり寂しい気持ちは埋まらなかった。それを見抜かれまいとして、今のような性格になったと思うの」


 朱音はそこまで話して、テキーラを注文した。酒が届くまでBGMだけ聴こえてくる。テキーラが来ると朱音は一気に飲み干した。唇が酒で湿ってキラキラして見えた。


「高校に入ったとき仲の良かった友達と、二四時間テレビに募金に行こうと盛り上がったの。梨都じゃないわよ。違う友達。新宿でオールナイトで遊んで、朝に成ったら募金して帰る予定だった。二四時間イベントだと、少し浮かれていたのは自分でも認める」


 朱音の顔がだんだん青くなってきた。ここまで聞いて、もう話を止められないと思い、愼也は覚悟を決めた。


「ご飯食べてからクラブに入ったら、優しそうな大学生二人組に声を掛けられた。少し話したらクラブを出ようと言われて、のこのこついて行った。大人のように扱われて舞い上がったのね。歩いているうちに、友達と離ればなれになっていた。探そうと思ったら、二人になってちょっと休もうと言われたの。断る勇気が無くてホテルに入ったら、無理やり服を脱がされて処女を奪われた」


 朱音はまたテキーラを注文し、それを一息で飲み干した。

 愼也は自分がまるで石のようだと思った。気の利いた言葉が思いつかないから黙っている。どんな顔をすればいいか分からないから無表情でいる。肩を抱き寄せるほどの仲でもないから、硬直して座っていた。


「その顔、凄いね。何も今更慰めて欲しいと思って、この話をしたんじゃないよ。鏡さんから罪と法の話を聞いたときどう思った?」

「今の法が人権重視しすぎるという話のこと?」

「そう、私はすぐ両親の騙された詐欺事件を思い出した。犯人は捕まってないみたいだけど、もし捕まっても死刑にはならないでしょう」

「そうだね。死刑自体を否定する文化人が多いから」

「私は両親を騙した詐欺師と躰を奪われた大学生、どっちも殺せるものならそうしたいと、今でも思っている」


 なんだか物騒な話に成ってきた。

 鏡は確かに法の不完全さに対して批判的だった。

 その熱が朱音に伝わって、こんな話を始めたのだろう。


 朱音の口ぶりでは、一年前に信長はこの話を聞いてるはずだ。

 そのとき信長は何を言ったのだろう。

 アドバイスが欲しかったが、信長は沈黙を保っている。

 朱音の相手を代わろうとも言ってくれない。


 ほの暗い店内でテーブルに置かれたキャンドルの炎が、赤みが差した朱音の顔を照らし出す。愼也は揺らめくような輝きの中に、朱音の怨念を見たように思った。


「朱音は鏡さんの考え方を支持するということか」

「鏡さんの話は、私のような経験をした者なら誰でもそう思う。だけど一方で、それができないことだということも、みんな分かっている。現実味のない言葉には、人はついて行かないわ」

「だけど、希望の光はどんどん大きくなっていると言う。もはや一万人も目の前だ」

「それは鏡さんの言葉に、現実感を持たせる事件が起きているから」

「ネイルズマーダー」


 愼也は絞り上げるような声になった。

 その名を呼んでみて、改めて身体に衝撃が走る。

 鏡とは違うスタンスだが、愼也も同じ弁護士としてネイルズマーダーには関心を寄せていた。

 もしネイルズマーダーの弁護をすることになったら、どうするかを信長を相手に議論したこともある。


 そのときの信長は驚くほど冷ややかだった。考えてみれば信長が生きていた時代、信長自身がネイルズマーダーと同じようなことを公に行っていた。


 信長の主張は単純明快だ。そのときは信長が支配者だからそれで良かった。今は法が支配者だ。つまりネイルズマーダーに逆らうと言うことは、支配者に対する反逆で有り、反逆者は支配者によって抹殺されるのが道理であり、是非もないと言い切った。


 逆に信長は愼也に迫った。お前は支配者につくのか、それとも反逆者につくのか。もし反逆者の立場で革命を起こしたいのなら、それはそれで面白いから手伝うと逆に煽られた。

 そんなことを言われても、丁重に断るしかない。

 そんな愼也の反応が信長は面白いらしい。


 愼也が信長とのやりとりを思い出している間も、朱音の話しは続く。

「私は話を聞いているうちに、ネイルズマーダーに復讐を頼みたいと思った。非合法な願いをする自分の心の痛みは、鏡さんの言葉が癒してくれる」

「いやだなぁ、想像力強すぎ。鏡さんはネイルズマーダーとは関係ないだろう」

 愼也は頭に浮かんだ恐ろしい想像を振り払うように、わざと明るく朱音の言葉を打ち消した。


「清水綾、それから浅野水江、二人ともネイルズマーダー絡みの事件の被害者だと言ってた。そして二人とも鏡さんによって癒されている」

「……」


 朱音の話が引き起こす恐ろしい想像に、愼也は唇を噛んだ――今すぐ話を止めさせたい、でもその言葉を飲み込むことしかできない。


「希望の光とネイルズマーダーって何か関係あるんじゃないかしら」

「やめろ!」

 愼也は下を向いた。


「一志や毬恵が入ってる会なんだよね。無神経だったね、ごめん」


 二人は言葉を発することを止めた。もうそれ以上、話を進めてはいけないと思ったからだ。愼也の脳裏には、正邪の判断がつかない闇が、自分たちに近づいている絵が浮かんだ。

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