第6話 真の救済
「あの、柴田さんがこの会に入会したいきさつを教えてください」
「ああ当時彼は大学生だけど、犯罪被害者の真の救済に熱心でね、法律の不備を研究するためにと、私の所を訪れたんだ」
「被害者救済ですか」
毬恵は柴田の意外な一面を見た気がした。
「彼は純粋に被害者救済を考えてましたよ。あなたにはそう見えませんでしたか?」
「柴田さんは犯人を憎む気持ちばかりだと思ってました」
「なるほど、卵と鶏ですね」
毬恵は意味が分からなくて、思わず怪訝な顔をした。
「つまりですね、彼は被害者救済に熱心なあまり、この活動の限界も感じていたんですよ。ここに来る被害者の中には、犯罪の証拠が不十分で、加害者が法律では裁かれていない人がいます。裁けたとしても、被害者の心の傷に比べて、加害者の罪があまりにも軽い場合もあります。彼は法律家として法律の限界を感じて、非情に悩んでいました」
毬恵は少しだけ柴田が自殺した理由が分かった気がした。
柴田は他の誰よりも、南野に下した自分の裁定が許せなかったのだ。
それは自ら命を絶つほど、柴田の心に傷を負わせたような気がする。
そんな毬恵の思いを知ってか知らずか、鏡は話を続けた。
「また彼は犯罪者の再犯に関しても悩んでいました。犯罪が再び起きるリスクもそうですが、被害者が再犯の可能性におびえる姿に、無力感を感じるのです。法律の限界だとも言っていました」
「私は被害者の精神的ケアって、一番大変だと思います」
「そうなんです。そこが一番大変です。何しろ心の痛みは、本当に傷を負った人にしか分からない痛みですから。ただ、有効な手段がないわけではありません。それは同じような傷を負った人と、知り合うことです。知り合い、痛みを共有し合うことによって、少しずつ傷は風化していきます。実は、こちらの清水さんも、ある事件で大きな傷を負いました。浜野さんも同性ですので、ぜひ、お友達に成ってもらえばと思います」
「私なんかで役に立ちますか?」
「私はレイプ事件の被害者なの。でもレイプ被害者だと構えないで。私を辱めた憎い男は、罪人のように釘で頭を貫かれて死にました。私はとても安心して、楽な気持ちで毎日を過ごしています。どうか普通のお友達として接してください」
犯人が死んでよかったと嘯く綾に、毬恵はそこまで女性を追い込むレイプという犯罪に憎しみを覚えた。
「私には想像もできません。何だか世の中全てが許せなくなる」
いつのまにか涙が出ている。他の人は平和に暮らしているのに、どうしてこんな目に遭う人がいるのか。そう言えば、南野のレイプ事件を聞いたときも感情が制御できなくなったものだ。
「世の中に不幸は溢れている。でも正義も確かにあります。あんな簡単に今までの人生を失う危機に陥ったのに、私は最高の形で救われた。あのまま他の男たちにも犯され、最後は殺されてどこかに捨てられたかもしれなかったのに。そうならなくとも怯えて暮らすように成ってた。もしあいつ等が警察に捕まっても、決して死刑にはならずに私が生活する場所に戻って来る。それが全て解消されたの、彼らの死によって」
綾の口調は次第に強まっていく。毬恵はそれに合わせるように彼女の狂気に引きずられ始めた。激した感情が綾の言葉に絡め捕られて、身体の外側に流れ出ていくように感じるのだ。
「毬恵さん、違和感があるかもしれないが、酷い目に遭った代わりに、被害者を傷つけた者が、この世から抹消されたことも事実だと、受け止めてください。法を司る立場の私がこう言うとまずいのかもしれないが、この会を通しての経験で被害者の傷ついた心を守るには、そういう方法も良いのだと思ってしまいます」
普通に聞けば無茶苦茶な話だ。
今この場では殺人が、確かに肯定されている。
明るい光が作り出す影が、ゆっくりと大きく成って、部屋を覆っていくように感じた。
だが、不思議と毬恵の心は影に覆われることを拒否しなかった。
「私、まだ何が正しいのか良く分かりません。でもこれからは逃げずに向き合ってみたいと思います」
言葉にすると本当にそう思えてきた。犯人が殺されて良かったと受け入れたとたんに、先ほどまで自分を襲っていた恐怖や怒りの感情が、小さくなっていくように感じる。
「それでいいんです。被害者は自分が平穏になる事実から目を背ける必要はない。世界最古の法律と呼ばれるウル・ナンム法典は、殺人や強姦の罪に対して理由にかかわらず極刑を与えていた。人類は高度な知恵を持つ過程で、余計な感情を作り出したと私は思います」
鏡が天秤のように左右に傾きを変える毬恵の心を、ふんわりと包んで安定した大地の上に移し替えてくれる。
「でも、例えばネイルズマーダーは罪の意識に問われないのですか?」
毬恵の心が最後に天秤を大きく傾けた。
「大丈夫だと思う。彼は決して自分を正義だとは思っていない。悪の自覚を持ったまま、悪を駆逐してるのさ」
最後は一志の言葉が、部屋の隅々に響き、毬恵の心はしっかりと着地した。
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