第4話 不屈

 捜査本部の置かれた会議室の雰囲気は、これまでのどの捜査会議よりも暗かった。原因は自分たちにあることを、青木は痛感している。


 会議室には青木たち四人に加え、管理官の峰岸、五係長の蜂谷、三係長の三井、プロファイラーの静香、そして捜査一課長の大石まで本庁から駆け付けてきた。


 会議室に設置されてある五五インチディスプレイには、テレビ局から借りたスタジオのある階のフロアマップが映っていた。


「まず、事件発生時の配備状況を説明してくれ」

 峰岸は捜査員の失態に感情を荒立てることなく、冷静に状況把握を開始した。


「楽屋の扉の前に本庄と島田、スタジオから楽屋に向かう通路に私が、そして外部扉から楽屋に向かう通路には青木を配備しました」


 まず坂本が現場のリーダーとして、説明を開始する。

 静香がパソコンを操作しながら、配備ポイントをマーキングする。


「このMAPを見る限り、外部からの侵入は二つの通路意外にないな」

「窓からの侵入はできないのか?」

 フロアMAPを見ながら大石が確認をしてきた。


「スタジオのあるフロアは三階に在り、十メートル以上の長さの梯子か、屋上からロープで降りない限り、窓に達することはできません。殺しの手口から、犯人が室内に侵入したのは間違いないと思われますが、窓には鍵がかかったままで、誰かが窓を開けて犯行後に締めない限り無理です」


 坂本の説明を聞きながらも、青木の頭は疑問でいっぱいに成っていた。


「青木が楽屋前に来た時に、本庄、島田両名とも、意識を失って、ドアの前に倒れていたそうです。進入路はこの二つの通路で間違いないと思います」


 警視庁きっての猛者が、二人とも倒されたと聞いて、さすがに峰岸も顔色が変わったが、言葉は冷静なまま質問をした。


「青木はなぜ、二人の様子を見に行ったんだ?」

「誰かが私の横を通った気配を感じて、周囲を確認した後にインカムで二人に連絡したところ、何の応答もなかったので、心配に成って見に行きました」

「誰かが通った気配がしたとき、誰も目撃しなかったのか?」

 大石の声には半分怒気が籠っている。


「はい、誰も見ていません」

「本庄、島田、お前たちは犯人にのされたときに、何か見てないのか!」

 蜂谷が救いを求めるように確認する。


「申し訳ありません、誰かが近づくのに気づきましたが、すぐに意識を失ってしまい、犯人の顔や服装などまったく分かりません」

「私は誰かの気配を感じ、本庄さんが倒れているのを見ました。その時、目の前に人影が現れて、意識を失いました」

「スタンガンでも使われたのか?」


 峰岸の問いに二人は虚しく左右に首を振る。

 もう誰も声が出なかった。二人共に、機動隊から声がかかる程の猛者中の猛者である。その二人が易々と倒されてしまったのだ。恐るべき戦闘能力であることを認めざるをえない。


 しかも、二人ともはっきりと犯人を目撃していない。幅は五メートル、直線の廊下で起こったできごとだ。透明人間でもなければ、成しえないと思えた。


 青木は、もしそこにSATが配備されていたとしても、犯行を防げたかどうか分からないと思った。


「今分かっていることで、事件を整理してみませんか」

 それまで無言だった静香が徐に提案した。

「分かっていることとは」

 峰岸が肯定的に次の発言を促す。


「まずは、この犯人は近くにいても存在を認識されないことから検討しましょう」

「そうなんです。私も一瞬だけ誰かが傍を通った感覚がありましたが、周囲を見てもそれらしい者はいませんでした」

「そんなことがあるわけないだろう。気のせいだ」


 大石は青木の発言を、つまらなそうな顔で否定した。


「いえ、絶対にないとは言い切れません。見ると言う行為は、実は目ではなく、脳で映像を組み立てる作業です。目はそのための情報を送るセンサーの一つにすぎません。脳は結構いい加減で、過去の情報から勝手に、映像を復元することがあります。ちゃんとした目印なしで待ち合わせて、待ち合わせた相手を見つけられなかったことはないですか。強い暗示をかければ、自分の姿を消すことが不可能とは言えません」


「しかし、そんな暗示をいつかけたと言うんですか?」

「それはまだ分かりません。ただ、人間の脳には意識しない催眠誘導への記憶がたくさん眠っていると言われています」


「催眠誘導への記憶?」

 峰岸が怪訝な顔をした。


「はい、進化論に基づけば、人間のDNAには、太古の恐竜の時代からの記憶が刻まれています。つまり食物連鎖の弱者から強者へ、そしてまた弱者へと繰り返し、今の人間に至る歴史です。これらは今でも本能という形で発動したりします。犬が狼のように遠吠えをするのと同じです。また人間は本当の恐怖に遭遇すると、忘れるために恐怖の存在の記憶を消します。だからもし、人間が弱者であったときの記憶を、呼びさますトリガーを引かれたら、本能的に脳がその存在を消す可能性はあります」


「そんなことがあり得るのか」

「分かりません。ただ人間の脳はまだ解明しきれてない、謎が多い器官です。脳が見ると言う行為を司る以上、見えないものがあっても不思議ではありません」


「君の論によるとお手上げということではないか」

 大石が吐き捨てるように言った。


「決してお手上げだとは思いません。例えば最初に述べた自己暗示だとすると、方法はあります」

 全員の目が静香に注がれる。


「自己暗示なら、現実の痛みを身体に与えればいいのです。現に、本庄さんの苦痛の声に反応して、島田さんは犯人を感じることができました。つまり危険が近いと言う認識が、刺激として暗示が溶けたのかもしれません」

 青木は半信半疑だが、静香の説明を信じたいと思った。


「理由付けは別にして、この犯人は近寄ってきても、気づかないことを事実として認めましょう」

「もう一つ、分かったことがあります」

「もう一つ?」


 峰岸は興味深そうな目で静香を見る。


「はい、不意打ちとはいえ、本庄さんと島田さんを一撃で叩き伏せる武道の心得があるということです。本庄さん、あなたは自分をそういう風に、叩き伏せることができる人間がおいそれと存在すると思いますか?」

「確かに、武器を使った形跡はないし、相当の手練れだと思う」


「島田さんはどうですか?」

「やられた悔しさで、そういう思考はなかった。確かに警視庁の中でもそうはいないだろう」


 静香はにっこりと笑った。


「これは逆に大きな手掛かりです。都内の有力な空手道場、ボクシングジムなどをしらみつぶしに探せば、何らかのヒントは見つかるんじゃないですか」


 坂本の顔に赤みが戻った。

「よし、徹底調査だ。都内の空手道場、格闘技ジムを徹底的に洗え。全力で行くぞ」

 峰岸の言葉が終わらないうちに、青木たちは飛び出して行った。

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