第3話 解決の糸口


 清水綾が退出していく。後には鏡だけが残った。

「鏡さんは清水さんから、犯人について何かお聞きになっていますか?」

「いえ、今以上の話は聞いていません。綾さんにとっては、ネイルズマーダーの存在は救いのようです」

 坂本の質問に鏡は特に表情を変えることなく、淡々と答えた。


「ですが、殺人者であることは変わりありません」

「そうですね。法の世界ではそう定義されます。それでも、綾さんのような被害者にとっては、立ち直るための効果は十分にありました。自分を理不尽に傷つけた者に、死の制裁が下ったのですから、これから生きていくのに希望が生まれます」


 鏡の言葉は説得力がある。青木には被害者のためにボランティア活動を続ける弁護士相手に、それでも犯罪は犯罪だと、正論を吐いて応酬する気には成れなかった。

「ところで話は変わりますが、清水さんはずいぶんあなたのことを信頼しているようですね」

 坂本は刑事の本能として、鏡に対して興味を持ったようだ。


「私は大したことはしていません。ただ綾さんの話を聞くだけです。うちの会では、傷ついた者同士が慰め合い、新たに傷ついた者を励ますことで、立ち直りを図りますが、正直ネイルズマーダーが現れるまでは、ここまで回復することは稀でした。犯罪被害に遭った者は、ネイルズマーダーの存在が心の支えに成ります」


 警察の存在ではダメなのだと皮肉られているような気がして、青木の顔色が変わる。

 坂本はその横顔を見て、若いなと苦笑いしそうになっていた。


「いやすっかりお邪魔しました。ありがとうございました。これで失礼します」

 坂本はここに長居しても、もう何も聞き出せることはないと思ったのか、あっさりと帰りを口にした。


「とんでもありません。来ていただいて嬉しく思います。いつでもいらして、犯罪に傷ついた人たちにお会いに成ってください」

 鏡の言葉はいちいち青木の心を逆なでするようで、再び顔が強ばる。


「ちょっと嫌味なやつでしたね」

 車に戻るや否や、青木の口から不満が出た。


「まあ、気にしてもしょうがないだろう。我々の行動は法に依って保証され、法の下に縛られる。大昔じゃあるまいし、警察だって力による制裁を許すわけにはいかない。だが、被害者に寄り添う者としては、法が生ぬるいと思うことだってあるだろう」


 坂口は当たり前のことを言ったのだが、青木には引っかかるものがあった。しばらく考え込んだ。

 再び口を開いたとき、とんでもないことを言い出した。


「でも昔は力で制裁していたんですよね」

「何を言ってる。そんなのは原始人の世界だ」

「でも、原始人の歴史は長いじゃないですか。ということはこんな法で縛られるようになった時間は、人間の歴史の中でごく僅かですよね」

 坂本が運転している青木の方を向いて、真意を探るようにじっと見た。


「何が言いたい」

「力で悪い奴に制裁を加えるってのは、人間に染み付いた本能のようなものだと思ったんです」

「刑事がそんなことを言ってどうするんだ」

「いや、あんな目にあった清水綾が、今はすっかり立ち直ってる。力による制裁が彼女の本能に安心感を与えたんだと思って」

「その結果、お前はどう成ると思う」

「このまま悪い奴だけ制裁していったら、あの殺人鬼は人々の心に潜在的な安心感を齎すんじゃないかと思いました」

「お前、二度とそんなことを言うな、刑事として失格だ」


 坂口が珍しく怒気を含んだ声で怒鳴ったので、青木はそれっきり口を閉じた。それでも青木の心のざわめきは止まらなかった。坂本も分かっているはずだ。鏡の言うことは半分正しいと――




 捜査本部のある新宿署に戻ると、相沢静香が来ていた。

「今日は捜査会議ないよな」

 坂本が声を掛けると、資料を見ながら考え込んでいた静香が顔を上げた。


「坂本さんご苦労様です。今日は少し気に成ることがあったので、資料を確認するために来ました」

 相変わらず、静香の言葉には明快な主張がある。


「何か気づかれましたか?」

 同じ年の静香に対して青木は敬語で話してしまう。彼女の知性に意識はしてないが、気後れしているようだ。


「ええ、発生した四件の被害者の特徴が、前日のツイッターのトレンドワードランキングと連動しているような気がして、調べてみました」

「ツイッター?」


 坂本は聞いたことはあるが、どんなものかよく知らない人間の反応をした。隣で青木はニヤニヤしてしまった。


「ええ、一件目の事件の被害者はホストでしたが、前日のランキングの三位に『悪魔のホスト』が入っています。これは、ホストに追い込まれた風俗嬢がナイフで刺そうとした傷害事件がきっかけです」


 その傷害事件は青木の記憶にもあった。


「それから二件目の事件の被害者は、生徒にいじめを行っていた中学教師ですが、前日ツイッターのランキングの五位に、『いじめ隠蔽』が入っています。自殺した生徒がいじめられていたことを、学校が隠蔽した事件が公表されたときのものです」


 その事件も記憶にあった。最初に記事を読んだときは、思わず中学生のときに嫌いだった先生を思い出したものだ。


「そして三件目の事件はクレーマーの主婦ですが、前日のトップに『クレームおばさん』がランクインしました。これはそのまま被害者の行動が、ネットで投稿されたのがきっかけです。四件目は前日二位に『ハングレ暴行』が入っています。六本木の暴行殺人からです」

「なるほど、そうやってみると、まるでツイッターを見て、殺す対象を決めてるみたいだな」

「ええ、偶然かもしれないですけど、犯人がネット、言い換えれば世論を、強く意識していることは想像できます」


 我々が光の会に聞き込みに行っている間に、静香は座ったままでとんでもない解決の糸口を探し出していた。

 捜査が進展する予感に、青木の心は震えた。

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