第6話 准教授の秘密

 毬恵は柴田と共に、武蔵境駅の北口にある喫茶店にいた。

 二人でここにいるのは、柴田の知り合いの弁護士が、南野の高校の同級生を連れてきてくれることになっているからだ。


 本音を言えば、共に行動するのは気心が知れた一志の方が良かった。一志が毬恵の調査協力に、なかなか賛同しないので、仕方なく柴田と、行動を共にすることになったのだ。


 それでも一人だけ何もしないで、結果を待つのは嫌だった。

 自分が所属するゼミで、子供じみたいじめが行われていることに、我慢できなかったからだ。


 中学生のときに、毬恵自身クラスの中でいじめられていた時期があった。

 毬恵の伸びやかな肢体と涼し気な顔立ちは、クラスの男の子の人気を集めるのに十分な魅力を秘めていた。

 当然クラスの女子からは反発を買った。本人の自信のない様子が、余計に女の子たちの感情を逆なでし、ついには毬恵へのいじめが始まったのだ。


 それ以来、毬恵はいじめを憎んだ。高校のときは、仲間内でいじめが始まりそうになると、本気で怒って止めた。

 それで自分が陰口を叩かれたり、新たないじめの対象になっても平気だった。

 毬恵の中に世の中の理不尽に屈しない、強い心が育ったのだ。


 だからこそ、毬恵は優を放ってはおれなかった。

 卑劣な南野の行為を正し、友を救うために、この件に本気で取り組むことを決意した。


 喫茶店に入り、五分もしないうちに二人の男が現れた。

 一人は、年は三十代半場ぐらいか。やや小柄な背丈にも関わらず、半袖から除く腕が筋肉で引き締まっていた。太い眉が強い意志を主張している。


 もう一人は中肉中背の体つきで、三十才前後に見える。おそらくこっちが南野の同級生なのだろう。シルバーフレームのメガネが、冷静さと頭の良さを感じさせる。


「初めまして、鏡と申します。柴田君とはもう五年のつきあいになります。仕事は弁護士をしていますが、あまり儲かりません」


 鏡が自己紹介しながら、ガハハと笑うのを見て、毬恵は初対面の緊張が一気に消えたことに気づいた。肩の力が抜けて、何でも話せそうな感じがする。


「島谷祐二です。鏡先生には、詐欺に騙されて生きる気力を失った父親を、救ってもらいました。本当は南野のことはあまり思い出したくないんですが、先生のお願いなので協力します」


 南野の名前を口にしたとき、祐二の顔が少しだけひきつったような気がした。直接何かされたのか、それとも目に余る何かがあったのかは分からないが、いずれにしても、相当嫌な人間として祐二の記憶に残っているのだろう。


「ありがとうございます。私は柴田隆司、南野が入学した大学で准教授をしています。隣にいるのは南野の同級生の浜野毬恵さんです」


 毬恵は何て自己紹介しようか、ドキドキしていたが、あっさりと柴田が紹介してくれたので、ホッとして会釈をした。


「じゃあ、祐二君にどうして南野さんのことを聞こうと思ったのか、その理由を話してくれないかな」


 鏡の言うことはもっともだった。柴田が同意を求めるように毬恵を見たので、素直に頷いた。


 毬恵の同意を得たので、柴田が簡潔に南野の論文盗用について説明してくれた。

 話を聞いて、鏡が質問を開始した。


「国木准教授が南野の不正を庇う原因は分かっているのですか?」

「それはまだ調査中です」


「南野が亀淵さんをターゲットに選んだ理由は分かっていますか?」

「それもはっきりとは分かりません」


「柴田さんはどう思っているのですか?」

「私は盗用はあったと考えています」


 島谷は、柴田と鏡のやりとりをずっと黙って聞いていたが、顔は薄っすらと紅潮していた。柴田と鏡の顔を交互に見比べながら、ついに我慢できなくなったのか、低い声で割って入った。


「南野の盗用で間違いないと思います」

 島谷の断定に鏡が意外そうに訊いた。


「なぜ祐二君は南野の盗用はあったと思うんだい。君は南野さん以外は知らないはずだし、何か特別な理由がなければ、断定するには早くないかい」

「前にもやってるんです。あいつはずっとそうやって生きている。その准教授の方も、きっと南野に何か弱みを握られているはずです」


「前にもって、南野さんは君に何をしたの?」

「同じようなことです。あいつは、担任の先生の弱みを握って、意のままに動くようにする。そういう権力的なヒエラルキーの上に立つ方法を、熟知してるんです。それから、自分が気に入らない奴を悉く貶めてゆく」


「高校生のときはどんなことをしたんですか?」

 島谷に詳細を訊く柴田の目は、冷たい光を放っていた


「私がはっきり知っているのは、二年のときに同じクラスになったときです。あいつは中学のときから一緒に遊ぶ悪い仲間がいました。そいつらを使って、クラスを恐怖で制圧しました。それに逆らうと言うか無視した友達がいたんですが、そいつは机を糞で汚されたり、痴漢をしてると言う噂を流されたり、精神的にゆさぶりをかけられ、ノイローゼになって学校を辞めました。他にも女にもてる、成績が良いなどの理由でもターゲットにされるので、その時はみんな、わざとテストでいい点を取らないようにしたり、女子と付き合わないようにしてました」


「ひどいな、島谷君の高校は都内でも指折りの進学校じゃないか。それでもそんなことがあったのか」

 鏡は顔をしかめて、怒りを面に出した。


「はい、あいつはうちの学校には裏口で入学してるんです。だから元々成績にはコンプレックスがあるから、よけい酷かったんだと思います」

「裏口って、あんな名門校でもそんなことができるのか?」

「あいつが一度威張って言ったことがあります。親父が大臣で顔が利くから、たいていの学校は入ることができると」

「懸命に受験勉強してる者にとっては、やる気を失う言葉だな」

「はい、うちの学校にいてはいけない男だと思います。それに女生徒が、あいつに攫われてレイプされたという噂もありました」


 レイプと聞いて、毬恵は本能的に血が引いて、身体が怒りで震えた。

 今の話を聞く限り、かなり凶悪な犯罪者ではないか、なぜ警察に逮捕されないのか分からなかった。


「かなり危険な奴ですね。そのときは、学校の先生には言わなかったの?」

 ここにきて柴田は冷静な表情に戻っている。鏡の怒りが高まるのと反比例しているみたいだった。


「何人もの先生があいつに弱みを握られてる状態でした。不倫だったり、子供の裏口入学を斡旋されたりして」

「名門校なのに、ずいぶんレベルが低いのですね」


 毬恵は思わず不満を口にした。そんな状態を野放しにする教師に対して、腹がたってしかたなかった。


「そんなに悪い先生たちではなかったと思います。とにかく人の弱いところに付け込むのが上手いんです」

「今、裏口入学を斡旋して、それを脅しの手口にしたと言ったよね」

「はい、言いました」


 柴田が何か思いついたような顔をしている。


「柴田君、裏口入学に何か引っかかった?」

 鏡がすかさず確認する。


「浜野さん、確か国木准教授のお嬢さんは、今年名門S女学園に入学したんだよね」

 毬恵にも柴田のヒットしたことが分かった。


「まさか、そんなこと……」


「もしかしたら、国木准教授が南野を庇うのは、それかもしれないな」

 柴田の目が再び冷たく光り始めた。

 今度は毬恵もそれに臆することなく、柴田の顔を見つめることができた。


「S女学園の裏口入学について調べてみよう」

 鏡が協力を申し出てくれた。

 少しだけ、優を救う光が見えた気がした。

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