第5話 女友達


 夜の三鷹は駅が主役となる町だ。

 中央線特別快速が停車し、東西線の終着駅でもある。都心から運ばれた多くの人々が、この駅のホームに降り立つ。


 慎哉は珍しく朱音と二人で、昔梨都たちとよく行った南口近くの中華料理店『香菜館』に向かった。遊ぶ街としては吉祥寺の方が、プレイスポットが多くて楽しめるのだが、この店の安くて旨い上、店が小さくてプライベート感に浸れる点が、学生ノリも手伝ってよく使ったものだ。


 慎哉はほぼ二人しかいない店内で、メニューを見ることもなく、テキパキとオーダーを済ませた。だいたい何を食べるか、相談しなくても決まっている。


 生ビールで乾杯すると、朱音が会話の口火を切った。


「二人で飲むなんて久しぶりね。最近梨都とはどう、うまくいってるの?」

「まあまあかな。近況を報告しようか」


 朱音の目が光る。女のこういう目は慎哉は苦手だった。特に朱音は梨津の親友だけに、おかしなことになりたくない。


(ククク)

 脳裏に信長の笑い声が聞こえるが、ここは無視した。


「いいわよ、無理しなくて。長い付き合いだもの、慎哉がそういう話をしたそうじゃないってことぐらい、顔を見れば分かるわ」


 朱音は人よりも気が回る。だから少しお嬢さん的な、我が儘な性格の梨都ともつきあえる。梨都とつきあう前は、そういうところに惹かれたこともあった。


「実は、浜野さんが少し悩んでいるみたいなんで、朱音が知ってれば聞きたいと思ったんだ」

「フーン、毬恵の話が聞きたいのか。そういうホットな話は、エビチリを食べてからにしましょう」

 珍しく朱音が話を回避した。

 仕方なく慎哉はエビチリが来るのを待った。ここのエビチリは舌が痺れるぐらい辛い。それでいてすぐ二口目が欲しくなる絶妙なバランスの味だ。


「どこまで聞いてるの?」

「まったく。この前ゼミ室で偶然会ったとき、何か話したそうだったけど、岬君が入ってきて結局聞けず仕舞いだった。」

「そう、いいわ。教えてあげる」


 朱音はもったいぶらずに、自分の知ってることを全て慎哉に話した。


「なかなか闇の深そうな話だな。この話を井坂教授はともかく、どうして梨都に話さないの?」

「井坂教授に話さないのは、国木准教授が意図と、南野の背景の力の強さが分からないから。梨都に話さない理由は言いたくないわ」

「高校からの親友の間にもいろいろあるわけか」

「親友? フッ、まあいいわ」


 笑った朱音の顔が、一瞬夜叉に見えて、慎也は思わず信長に語りかけた。


(信長、もう限界かも知れない。女性のこういう感情、怖すぎるよ)

(あきらめろ、朱音はそなただから、安心して本性を見せてるのだ。余では警戒されて見せてはくれぬ)


 あっさり、信長に突き放されて、慎也はもう一度覚悟を決めた。

 信長がこういう女の情念のようなものを見たいのならしかたない。


「ところで、国木准教授について、どんな人なのかもう少し詳しく聞かせて貰えないか?」

「なぜ私に訊くの?」


 朱音は少し気色ばんで、理由を聞いてきた。

 慎也は仕方なく、正直に思っていることを言ってみた。


「君は国木准教授にだいぶ気に入られていただろう。だから他の人よりも彼のことをよく知っていると思ったんだ」

 朱音はまるで値踏みをするときのような目で慎也を見た。


「国木准教授とはそういう仲ではないわよ」

「そんなことは聞いてないよ。でも飲む機会が多ければ、いろいろ聞いているんじゃないかと思って」

「あの人は女やばくちに金をつぎ込むタイプじゃないわよ。私を誘っても、ほぼ毎回居酒屋だったわ」

「そうなのか。准教授だし、学生よりは金回りがいいのかと思ってた」

「かなり奥さんがしっかりしている人みたいで、お給料はほぼ全額召しあげられるから、つぎ込みたくてもお金がないのよ」

「金がないから借金してるとかもないかな」

「ないわね。そういう度胸のある人じゃないと思うわ」

「ふーん」


 予想がだいぶ外れた。もしかしたら、金で釣られているのかと思ったが、どうやら違うようだ。だがそんな気の小さそうな人が、南野のような問題児を、自ら手を上げて引き取るのもおかしい。やはり二人の間には何かあるはずだ。


「南野について、何か知ってることはある?」

「南野ねぇ――はっきり言って彼のことはよく知らないわ。誘われたこともないし。年上はあまり好みじゃないみたいよ。彼の好みは、毬恵みたいな人じゃない」

「そうなのか?」


 慎也は驚いて、思わず大きな声で訊き返してしまった。


「あら、そんなに驚かなくてもいいでしょう。あなたもそうでしょう?」

 朱音の瞳に僅かだが嫉妬の炎が見えた。


「いや、大事な同級生だとは思ってるよ」

「何、高校生みたいな言い訳してんのよ。見てれば分かるって言ったでしょう。そんな悠長なこと言ってると、誰かに獲られるわよ。彼女みたいなタイプ、意外と男受けするから」


 梨都を差し置いて、他の女を口説けと言ってるように聞こえて、慎也は一瞬言葉に詰まった。


「君は梨都の友達だろう? そんな話はやめて、南野の話に戻そう。奴はこのゼミに入ってからは、前のような悪さはしてないのか?」

「私が知る限りではないわね。金回りは元々いいから、その手のトラブルは元々ないし、このゼミでは亀淵君の話が初めての悪い話ね」

「うーん、そもそも彼は何で亀淵君に目をつけたんだろう……」


 慎也がこの話を聞いて、最初に思った疑問を口にすると、朱音は急にまじめな顔に成った。


「あなただから言うけど、おそらく原因は毬恵ね。言っちゃダメだよ。ショックを受けるから」

「なんで浜野さんなんだ」

 全く接点のない話なので、動揺が顔に現れた。


「だから彼女はタイプなんだって。ほらあの三人いくら同級生だって言っても、妙に仲がいいでしょう。三人でちょくちょく飲みに行くらしいし、昼間だってよく話してる。それを見て焼いたのね。もちろん退屈だからということもあるけど」

「だったら岬君はどうなんだ?」


「一志って、あなたに似てちょっと怖いとこない?」

「僕に? 怖いってどういうこと?」


 慎也が驚いて訊くと、朱音はフフンと笑った。


「ほら、その無自覚なとこが怖いわ。自分では分かってないかも知れないけど、あなたってなめてかかると、とんでもない雰囲気で威圧して逆らえなくするでしょう。人はそういう二面性を見せられると怖いものよ」


 朱音は信長の話をしている。確かに信長が身体を支配したとき、慎也はとてつもない人を従わせるパワーを出す。でもそれは人の持つ力じゃない。じゃあ、岬の怖さとはなんだ――慎也は今日一番の謎に直面した。


「それはおいといて、准教授の柴田がこの件に乗り出したわ」

「それも考えようによっては怖いね。彼は徹底的にやりすぎるきらいがあるから、関係者が逆恨みされる。彼が介入するなら、君や浜野さんは手を引いた方がいいな」

「あら、嬉しい。心配してくれるの」


 朱音はそう言って、小指をそっと絡ませてきた。

 慎也は、グラスを持つフリをして、そっと小指を外す。


 今日の朱音は梨都がいるときは決して見せない妖艶さを解放している。

 元々、朱音はグラマラスで女性としての魅力が溢れたタイプだ。

 信長が変なことを思いつかないように、気を引き締めなくてはと、慎也は決意を固くした。


「結局、国木准教授がなぜ南野を引き取って、亀淵君の訴えに対して注意をしないかに戻るね」

「国木准教授って、私生活でも特徴がないのよね。最近のトピックってお嬢さんが名門女子高に入学したぐらい」


 朱音が何気なく話した情報に、慎也は反応した。


「それは今年の話か? 名門女子高ってS女学園?」

「あら、よく知ってるわねぇ。そうよ、S女学園に入ったらしいわ」

「おかしいな。一昨年国木准教授から直接聞いた話だと、お嬢さんはあまり成績が良くないって聞いてたけど。一年でそこまで学力が上がるのかなぁ」

「上がるんじゃない。今はお金をかければ、家庭教師でも塾でもいろんな手段があるから」

「学力だけじゃないんだ。実は娘さん、一時期ぐれていて万引きで補導歴があるらしい。ああいう名門校がそれを許すかのかなぁ」

「それはおかしいわね。あそこの校風から言って絶対にそれは許さないわ」


 しばし、二人の間に沈黙が流れた。


「もし、もしだよ。有力な政治家の口利きである程度の裏金を収めたら、特別に入学許可とかあるものなのか」

「あるわね。明峰大付属でもそういう噂のあった生徒はいたわ。私立ってやっぱり経営は大変なのよね。教師の人件費は年々上がるし、いい生徒を集めようとしたら、設備投資は欠かせないし。特に今はIT系の投資は欠かせないし」

「南野の父親なら仲介役には十分か?」

「現職文部科学大臣の口利きなら助成金のこともあるし、効果は十分でしょうね」


 答えながら慎也の意図を察知し、朱音は酔いが醒めたような顔をした。


「よし、弁護士バッジを使って、この件を少し調べてみるか」

「そうね、それがいいわ」


 妖艶に成っても、朱音はやはり頭が切れる。さすがに梨都の対等な友達として、長年付き合ってただけはある。


「君は相変わらず凄いな。もったいないと思うぞ。もっと自分の力をアピールすれば、皆に認められる場は十分に与えられるはずだよ」


 慎也が朱音の才能を惜しんで思わず忠告すると、当の朱音はフフンと鼻で笑った。


「何言ってんのよ。梨都がいる限り、私はいいお友達の役割を演じ続けるの。さあ、これだけ捜査協力してあげたんだから、今夜は旧交を温めてよね」

 そう言った朱音の顔は、再び先ほどの妖艶な女の顔に戻っていた。

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