第4話 恋心
「君たちの話は良く分かった。問題なのは国木准教授が、なぜ南野の盗用に加担しているかだな」
柴田隆志はギリシャ彫刻を思わせる、彫りの深い端正な顔を歪ませて、声高に言い放った。
一志は南野を糾弾するために、国木の同僚である法学部准教授の柴田に相談した。柴田は一志の高校の先輩で、国木より十二才も若い新進気鋭の法学者だ。
ゼミは違うが井坂教授からの信頼も厚い。
毬恵は一志から柴田が高校の先輩だと明かされたときに、二人を見比べてこの高校出身者はなぜこんなにモデルのようなのかと、驚いたものだ。
その後、柴田が大学内の警察である、ハラスメント委員会の担当者と知って、容姿とのギャップに二度目の驚きを覚えた。
だいたい柴田のような男が、大学にいること自体が不思議だった。クールな頭脳に加えて、スター性のある容姿は、誰が見ても大学よりも実社会に出た方が活かせるように思える。
柴田が大学の中で、最も暗いイメージがある仕事に、情熱を傾けている姿を見て、なんて勿体ない人の使い方だと思った。
しかし、一志と毬恵から優の話を聞き、その理不尽さにトレートに怒りを表す姿を見て、柴田は大学から役割を与えられたからではなく、不正を正すこと自体に、この人の持つ全ての情熱が注がれていることを知った。
「柴田さんは南野さんのバックボーンについて、何か知っていますか?」
一志の冷静な声に柴田が我に返って怒りを鎮めた。
毬恵は個人情報について教えてくれという一志の要求は、柴田にとって立場的に困るだろうと思ってハラハラしたが、あっさりと話し始めた。
「南野の父親は国会議員なんだ。文部科学大臣をしている。兄貴は文部科学省の官僚だ。つまり大学にとっては、もっとも大事な人物の子息というわけさ」
「ふーん、それでやりたい放題なんだ?」
「前から素行が悪くて、女性関係で複数のトラブルを起こした。そしてついに教育学部の女学生に対し、強姦事件を起こした」
「どうして退学にならないんですか?」
毬恵は強姦と聞いて思わず問いただしてしまった。
「全て親父さんの力だ。被害者の女性がいつの間にか和解して、学長直々に問題にしないで欲しいと法学部長に頼んできた。ただ、彼のゼミを決めるとき手を上げたのは、国木准教授だけだった」
「何か二人の間には、我々の知らない関係がありますね」
「そうだな。調べてみるか」
柴田と一志は何かあてがあるのか、目を合わせて頷いた。
「何をするつもりなの?」
毬恵の心配そうな視線に、一志は優しい笑顔で応えた。
「大丈夫、僕は法学部内の内部情報の収集をして、柴田さんに伝えるだけだ。外部の情報を調査するのは、柴田さんがする」
「私は何をすればいい?」
「君は何もしないでいて欲しい。南野はかなり危険な男だ。君が関与していることさえ知られたくない」
「そんな、優は私の同級生よ。私だって何かできるはず」
困ったような顔で承諾しない一志に、毬恵は絶対引かないと言う意志を、見せつけるかのように強く睨んだ。
「ハハ、浜野さんは面白いな。いいじゃないか一志、今時友達のために助けに成ろうと思う気持ちは貴重だ」
柴田は嬉しそうな顔で一志を宥めるが、それでも一志の心配そうな顔は変わらない。
毬恵は一志を無視して、今度は柴田に再度申し出た。
「私は何をすればいいですか?」
「一志は気が進まないようだから、私と一緒に南野の裏の顔を探ろう」
柴田の提案に嬉しそうに「はい」と答える毬恵を見て、一志もようやく観念したのか、小さな声で「分かりました」と答えた。
「じゃあ、我々は行動開始だ」
柴田が力強く戦いを宣言した。
次の授業まで三時間ある。
毬恵は一志と二人でゼミ室に戻ることにした。
一志とエレベーターに乗り込んで、五階のボタンを押す。エレベーターはゆっくりと上昇を始め、二人きりの空間に軽いGがかかる。
「ほんとうに南野に目をつけられないように気をつけてくれよ」
一志が毬恵を見る目が、気持ち悪いぐらい心配していることを告げていた。
毬恵は少ししつこいと思って、強めに言っておくことにした。
「一志、私は法律家を目指しているの。法の番人として、ときには危険に踏み入らなければならないことは、これから十分考えられる。柴田さんとつないでくれたことには感謝してる。でも、あなたは私の保護者じゃない。過度の心配は迷惑だわ」
かなり強い口調に、一志は目を伏せた。
エレベーターの扉が開いて、二人は廊下を進む。
その間、ずっと無言で気まずい雰囲気が流れた。
ゼミ室に入ると、慎也がいた。
今日は梨都がいなくて、一人で本を読んでいる。
これはチャンスだと毬恵は思って、一志をおいて慎也の方に向かった。
「こんにちは、今日は一人ですか?」
毬恵は自然な声を出しているつもりだったが、実際に出てきた声は少し高いトーンでかすれていた。
それに対し、慎也は人懐こい笑顔を返してくれた。
「こんにちは。浜野さんは岬君と一緒だったの。二人は仲いいんだね」
「ええ、同級生ですから」
見てないようで、誰と一緒かしっかり見ている。
しっかり同級生を強調する自分が、少しだけ犯罪者のように思えた。
慎也は特にコメントはくれず、微笑んで小さく頷くと、再び本を読み始めた。
せっかくのチャンスだ。もう少し話がしたい――毬恵の心に生じた強い衝動は、普段は異性に対して積極敵ではない口を開かせた。
「あの、お話を訊いてもよろしいですか?」
慎也は再び本から目を離して、毬恵を見た。
その目に拒絶は現れてないので、毬恵は安心した。
「バンドのことなんですけど?」
「どうしてやめたかってこと?」
「えっ、分かるんですか?」
「よく訊かれるから」
そう言って慎也は、少しはにかむ。
あのライブで観衆の心を躍らせたギタリストとは、別人のようなナイーブな表情に、毬恵の好奇心が膨れ上がる。
「元々、夏フェスに出ることだけが目的だったから」
「あんな凄いレベルなのにもったいない気もします」
「まあ、夏フェスに向けて初めたから、ギターを弾いたのはせいぜい二ヶ月だし、あまり拘ることなくやめられたよ」
この慎也の言葉に毬恵は仰天する。
「たった二ヶ月であんな凄い演奏ができたんですか。天才じゃないですか」
慎也はしまったという顔で、慌てて取り繕うとした。
「まあ、法律家に成りたかったし、これで満足してるから」
なんだか笑えるぐらい、慎也はあたふたと狼狽している。
そんな隙だらけの姿を見て、毬恵の慎也に対する気持ちが、憧れから好意に変わった。
「でも法律の道でも学生弁護士に成っちゃうし、何でもできちゃうんですね」
毬恵は絶賛したつもりだったが、慎也は照れて謙遜するわけでも、まあとか言って澄ますわけでもなく、まるで不正がばれた役人のような複雑な表情を見せた。
「あの、気を悪くしました?」
「いや、何でも無い」
慎也の返事は先ほどまでと違って、少し距離を置くような、冷たい感じがした。
その態度に毬恵は不安になって、さらに話しかけようとしたとき、一志が入ってきた。
「毬恵、もうそのぐらいにしたら。佐伯さんの読書の邪魔だよ」
そう言って一志は、毬恵の手を引いて、ゼミ室から出ようとする。
毬恵は慎也が止めてくれないかと期待したが、何も言われないままゼミ室を出た。
冷たくされたような気がして、逆に毬恵の心に火がついた――慎也の心の裏側に踏み入りたい。
ゼミ室が遠くなるのに比例して、毬恵の心についた火は、どんどん大きくなっていった。
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