第2話 再開


 その日の夕方、井坂教授の音頭で、ゼミ長自ら幹事役を買って出て、有志による慎也の歓迎会が行われた。

 ゼミに所属する三年生は全員参加するので、毬恵ももちろん参加した。


 会が始まると女性たちは、ハイスペック男子である慎也に群がったが、梨都がぴったりと隣を占拠するので、全員撃退されている。


 マリエの隣に座った四年生の篠田朱音あかねが笑いながらそれを見ていた。

「梨都も少し譲ってあげればいいのにね。自分はもうすぐ卒業するんだし、どうせ今日は慎也君の部屋に泊まるんだから」


 朱音の口から大胆な情報がリークされ、毬恵は思わず顔を赤らめた。

 毬恵はまだ男性を知らない。

 男子学生からの誘いがないことはなかったが、どうしても自分の身体に自信が持てず、その行為は避けてしまう。そのうちにフラれた男たちから、鉄の女と喧伝され、誘いの声もかからなくなった。


「そう言えば浜野さん、あなたはいいの?」

「私はいいです」

 女性的な魅力に欠ける自分が梨都と張り合うなんて、考えた事もなかった。


「あら、遠慮しないで行っちゃいなさいよ。これから同級生になるんだし、法律を学ぶ上でも慎也君と親しければ、何かと教えてもらえるわよ」


 確かに、現役の弁護士に教えてもらえるなんて、すごいチャンスには違いないと、毬恵は思ったが、それでも身体が動かない。

 業を煮やして、朱音が毬恵の腕を引っ張って、慎也のテーブルに向かった。


「ちょっと空けて、同級生同士で、話があるの」

 朱音の迫力に負けて、三年生の女子が脇に追いやられる。

 毬恵は、朱音に手を引っ張られて、慎也の前に座らされた。

 同級生の嫉妬が混じった視線が集まって、毬恵は少し硬くなった。


「久しぶりね。どう学生弁護士に成った気分は」

「うん、あんまり変わらないかな」

 慎也は思った通り、のんびりした話し方だった。

 梨都と朱音の肉食系女子二人に囲まれると、草食動物が捕食されてる気がして、思わず毬恵は笑いを漏らした。


「ああ、この子は三年生の浜野毬恵さん。どうなかなかの美人でしょう」


 美人と言われて、毬恵は焦った。

 そしてこの配置の取り合わせの悪さに気づいた。

 慎也の前で並んで座っている朱音は、一六〇センチの程よい身長と、女性らしい見事な曲線を持つ、所謂くびれ美人だ。特に胸の膨らみの隆起は素晴らしくて、女性の毬恵でさえ触ってみたくなるほどだ。

 美人と紹介された言葉が宙に浮くような最悪な状態だ。


 ところが慎也の反応は違った。おとなしそうな表情から、自分を紹介されて少し嬉しそうな表情を浮かべた。そして――


「同級生になるから、来年もよろしくね」


 それまで、他の女子に無反応だったのに、ちゃんと挨拶を返してくれた。

 慎也の変化に気づき、梨都の表情が少し強ばったように見えた。

 それを見て、朱音が慌てて繕った。


「そう言えば、慎也は完全にギターやめたの?」

「うん、あの夏フェスで完全に終了だよ」


 えっ、ギター、夏フェス?


「もしかして、佐伯さんって、ザ・ファントムのギターの人ですか?」

「そうだよ。昔の話だけどね」


 周りの女子も知ってるらしく、ワーっと歓声を上げて盛り上がった。

 毬恵は、慎也があの恋心を抱いたギタリストだったと知って、顔を赤らめてしまった。


 梨都は毬恵と慎也のやりとりを見て、イライラがマックスに成って、朱音を睨みつける。それを見て朱音が毬恵に言った。


「ちょっと向こうに戻ろうか」

 朱音は来たときと同じように、まだぽーっとしている毬恵の手を引いて、元の席に戻った。席に戻ってもまだ、毬恵の心は宙に浮いていた。

 そんな毬恵を一志が暗い眼で見つめた。


「ところでさあ、あなたたちの同級生の亀淵君、なんだか南野君のパシリをさせられてるみたいだよ」


 朱音が噂した亀淵優(まさる)は、毬恵と一志の同級生で、同じ法科大学院への進学希望者だ。

 当然三人は仲が良く、毬恵、一志、優と名前で呼び合っていた。


 一方、南野武史も同じ同級生だが、こちらは国家公務員上級試験を狙っていて、純粋な法律家養成を目指す井坂ゼミは専門違いだ。


 噂では南野の父親は現職の衆議院議員で、しかも文部科学大臣を務めているということだった。それが真実なら、もしかしたら上級試験も、何か有利に働くようなことがあって、公務員試験の専門ゼミに入らないのかもしれない。


「心配でしょう」

 なぜか朱音は言葉に力を込めて問いかけてきた。

「はい」

「それでね、亀淵君を飲みに誘って、元気づけてあげようと思ったの」

「篠田さんがですか?」

「そう、ただ私と二人だと誤解されるじゃない。だからあなたたちもどうかと思って」

「私はかまいませんが」

「僕も大丈夫です」


 二人の承諾を得て、朱音はにっこりと笑った。


「良かった。じゃあ当日は亀淵君を盛り上げてあげようね」

「はい」


 二人の返事を聞いて、朱音はなぜか上機嫌だった。

 その姿を見ながら、何となく朱音のねらいが分かった気がした。

 面倒見の良い朱音の性格から、優を心配して元気づけたい気持ちが半分、そして滅多に飲みに行かない一志と接近したい気持ちが半分といったところか。


 考えてみれば朱音はなぜか彼氏がいない。来年は法科大学院で司法試験目指して猛勉強が待ってるから、年下の一志を彼氏候補としてロックオンしても不思議ではない。

 一志は物憂げな表情が一分の女子から人気があって、仲良くなりたい女子から、ときどき毬恵はだしに使われることがある。


 一志絡みのいつものパターンに少しだけうんざりしたが、それでも優の変化は心配だったので、この飲み会は幹事をがんばろうと思った。

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