第3話 美人プロファイラー
翌日は生憎と雨だった。典型的な夏の雨で、雨量の振幅が大きい。青木が新宿駅を出るときに、ちょうど雨は盥の水をぶちまけたような勢いで降っていた。
「酷いな、これは」
傘を差してもズボンはびしょ濡れに成る。排水溝は雨水を吸収しきれず、歩道のところどころで大きな水たまりができている。
青木は雨水が昨日の凶行の痕跡を、残らず押し流すような気がして、忌々しく思った。
対策本部に入ると、既に坂本は来ていた。
「おはよう」
昨晩現場に来たとは思えないほど元気な声だ。
「おはようございます。今日の会議で少しは進展しますかね」
「鑑識の連中、昨日は徹夜に成ったらしい」
事件発生直後の現場は鑑識の独り舞台である。本庁の刑事は事件関係者の事情聴取ぐらいで、それも所轄を中心に行うので、意外とやることがない。
それでも現場の雰囲気を知っておくことが、後で役に立つと言うのが坂本の持論で、確かにどの事件でもそれは役に立った。
「そうですか、ところで管理官の隣にいる女性は誰ですか?」
今回の事件の総指揮を担当する峰岸管理官の隣に、見慣れない女が座っていた。ショートボムの小柄な身体は、ピンと背筋が伸びて、管理官と話す動作の一つ一つに切れを感じる。一見してただものではないという感じだ。
「あれ、青木は昨日の係長の話を聞いてなかったのか? FBIに出向中のプロファイラーが帰国したんで、今日から捜査に加わるんだよ」
「そのプロファイラーってのは女でしたか?」
「やばい発言してるな。女性だよ。年齢はお前の一つ上の二九才、階級は警部だ」
「警部、キャリアですか?」
「そうだ。京都大学の心理学出身だ。ほら見るからに賢そうだろう」
「フーン、プロファイラーって占い師みたいな人ですか?」
「怒られるぞ。統計と心理学を駆使した予測と言え」
「お前たち煩いぞ」
前に座っている係長の蜂谷が、前を向いたままで注意した。蜂谷が四五才で警部だから、やはりキャリアは出世が早い。
蜂谷の気持ちも複雑か、いや坂本だって四二才で警部補だから、もっと複雑な心境に成っているのでは……
「それでは捜査会議を始める。最初に新しく捜査に加わるメンバーの紹介をする。私の隣にいるのが、相沢静香(しずか)警部、二年間FBIにプロファイリングのスキルを学ぶために出向していた。先週帰国したばかりだが、早速この難事件の捜査を担当してもらうことにした」
「相沢です。若輩者ではありますが、FBIで学んだことを活かして、皆さんのお手伝いをさせてもらえれば光栄です」
峰岸に紹介されたこの新しい捜査官は、歴戦の刑事たちを前にして、臆することなく堂々と挨拶した。
「なかなかやりますね」
青木が小声で感心したように囁いた。
「ああ」
坂本は会議中なので短く同意した。
プロファイリングでも、何でもいい。この事件はまったく犯人の姿が見えない。ヒントに成るなら藁にでもすがりたい思いだ。
「それじゃあ、昨夜の事件の整理からいこうか」
峰岸がすぐに会議を進める。峰岸のやり方は地道な捜査を疎かにせず、かつ人の使い方が合理的だ。所轄の人間も実に巧く使う。変なプライドに拘らないところは坂本と同じだ。
今日は新宿署だけではなく、板橋署、練馬署、そして渋谷署からも刑事が来ている。こういう広域に発生した事件では、各所轄の警察署長とうまく調整して、土地勘のある人手を調達するのも管理官の手腕だ。
渋谷署からはベテランの善さんが来ていた。こういう有能な刑事を派遣してもらえるのは、峰岸の手腕によるところが大きい。
「それでは昨日の事件の報告をします」
善さんが立ち上がり、殺された成川について報告し始めた。ここまでは昨日だいたい聞いた内容と同じだった。
「それから成川に襲われた女性ですが――」
おいおい昨夜の今朝で、もうそこまで調べたのか――青木は善さんは寝てないとこのとき確信した。
「女性の名前は清水綾、都内のラジオ局に勤め、DJとして番組も担当しています。年齢は二八才で独身。家は中目黒で両親と一緒に住んでいます。昨夜は大学時代の友人と代官山で会って、帰宅時に一人に成ったところを成川達に襲われました。担当医師の話では、ショックが大きくて今は事情聴取は控えて欲しいと言うことです」
「善さん、詳細な調査をありがとうございます。ではまだ清水に対して事情聴取は難しいですね」
殺されたガイシャを除けば、ホシに一番近いところにいた女性だ。まだ事情聴取できないと聞いて、峰岸が残念がるのはよく分かる。それにしてもちゃんと善田の顔と仇名を、憶えているところは峰岸らしい。
「それでは、前の三件について、何か新しい情報が有ったら報告してください」
各所轄から派遣された刑事が、状況報告を始めたが、ほとんど目新しい情報はなかった。所轄の能力の問題ではなく、本当に手がかりが残ってないのだ。
付近の防犯カメラや聞き込みからは、まったく犯人の情報は出てこない。現場にも凶器の釘以外、遺留物がまったく残ってないのだから、八方塞がりの感が拭えない。
「相沢君も何か意見があったら共有してください」
峰岸が新参の静香に振った。
「はい」
静香は臆することなく、やや釣り気味のアーモンド形の目を見開いて、その要請に応えた。
「犯人は典型的なシリアルキラーだと思います。しかもテッドバンディと同じ秩序型です。ただ、秩序型によく見られる性欲は希薄です。あえて言えば動機はスリルかもしれませんが、被害者が一貫して社会的悪と評価されている存在なので、断定しにくいところです。そういう意味ではミッション系かもしれません。ただしこのタイプは達成の証として、スーベニアを持ち去ることが多いのですが、この犯人は一切そういう傾向が見られません」
青木には静香が話している内容が、ほとんど理解できなかった。それでも一生懸命に聞いた。
「これらを総合して考えると、昨年ロサンゼルスで十二人を殺害した、マイケル・ショーンが似ていると思います。彼は有能な新聞記者でしたが、世間で話題になった者を殺すことに、性的快楽を感じていました。主に対象になったのは、いじめやセクハラの疑いのある問題教師で、仕事柄次々に見つけ出し殺しました」
少しだけ青木にも理解できる話になってきた。
「同じタイプだとすると、犯人は非常に知能が高く、社会的なポジションもしっかりと確保しているエリートだと考えられます。そして殺し方が一貫して、頭部に釘を打ち付けると言う、難しい方法を選択していることから、目的を達成するために努力を惜しまないタイプだと言えます」
青木は思わず感心してしまった。当たる当たらないは別にして、相沢のおかげでそれまで何ともモヤッとした犯人像が整理された。
「更にもう一つ、この犯人は、性別は分かりませんが、年は若いと思われます」
「なぜ――」
坂本が思わず大きな声を出していた。
相沢は坂本の顔を一瞥して続けた。
「犯人はこれまで一度もこの殺し方を披露していません。今年になって初めて現れた感があります。ただこれだけの殺しの技を発揮するには、若い肉体が必須だと考えられます」
「釘を打つ技は年を取った者の方が習得してるんじゃないか」
第三係長の三井が思わず反論した。
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