第2話 行き詰まる捜査
坂本と青木は専門家の意見を聞くために、大阪四天王寺まで出向き、当代の名人と呼ばれる宮大工に会って来た。
紹介された宮大工は小柄な老人だったが、ピンと背筋が張って職人らしい雰囲気を漂わせていた。
その男は棟梁の要請で、立てかけた板に水平に釘を打ち付ける技を披露してくれた。要請通り一打ちで成し遂げた。
坂本はこういう技を持った男は多いのかと、棟梁に質問したが、返ってきた言葉は期待を裏切るものだった。
「板相手なら、修練を積んだ大工ならできる者もいるだろうが、生き物相手と成ると別だ。動くもの相手に呼吸を合わせるとなると、もうそれは大工の技ではない」
棟梁ははっきりと、生き物相手に一瞬で釘を打つ技は別物だと言い切った。殺人用に心と技の両方を鍛えた者じゃないと、無理だと言うのだ。
「車の中にいた仲間の供述が取れました」
渋谷署の刑事が報告に来た。まだ若い刑事だ。
「ガイシャは成川章吉、六本木を根城にしたハングレ集団『Z』のリーダー格です。隣のカフェで女を物色して、狙いを付けた女が一人で出るところを、ナイフで脅して車に連れ込み、裸にしてから車を出したそうです」
「何でわざわざ車から出たんですか?」
青木は不審な顔で訊いた。
「女の脚が綺麗に見えないと言って、ハイヒールを履かせて外に出たようです」
「変態だな」
青木は吐き捨てるように言った。
「それからしばらく二人の様子を車内から見てましたが、男がなかなか始めないので、馬鹿らしくなって見るのをやめ、自分たちの番が来るまでと、てんでにスマホでゲームを始めたとのことです」
「じゃあ、殺しの瞬間は見てないのか」
「ええ、一人も見ていません。女が成川の死に驚いて悲鳴を上げたので、慌てて車を出たときは成川はそこに倒れていたそうです」
「ドラレコは回収したか?」
「この車には装着してありませんでした」
「深夜だから少ないとは思うが、明日は朝から聞き込み開始、それから付近の監視カメラを押さえろ。まずあれだな」
坂本が指さした先には、駐車場監視用のカメラがあった。
「女は話せる状態か?」
「いえ、ショック状態で今病院に搬送中です」
「通報者は?」
「通報したのは、隣のカフェの店員で、女の悲鳴に驚いて現場に来たところ、裸の女が座り込んで、その側に男が倒れていたので、一一○通報したそうです」
「分かった。では現場確認を続行だ」
坂本が指示を出し終えると、青木は付近を歩き始めた。何かを発見する期待からではなく、現場を歩くことで思考がまとまるのだ。
最初の事件は新宿歌舞伎町と新大久保の中間地点だった。二十人以上の女をソープに沈めたホストがガイシャだった。今回と同じくこめかみに、釘が打ち込まれていた。
使われた釘はJIS規格CN―100、長さが約十センチ、胴部の直径が五ミリの大型の釘だ。別名「太め鉄丸釘」と呼ばれ、ツーバイフォー工法の建築でも使われる強力な釘だった。
釘は頭の部分までしっかりと打ち込まれ、頭蓋骨の薄い部分を突き破り、脳に達していた。鑑識解剖の結果、こめかみ周辺にしっかりと、ハンマーの打痕が残っていると報告された。
当初は過去の被害者女性たちの怨恨を疑ったが、殺人手段から女の手で行うことは不可能だとされた。
新宿署を中心に周辺の聞き込み、監視カメラの徹底確認が行われたが、手掛かりらしいものはなかった。
次の事件は板橋だった。被害者は中学教師だった。受け持ちの生徒が自殺し、その教師はいじめを止めるどころか、逆に助長していたと噂されていた。
だがネットでどんなに騒がれても学校は沈黙し、まったく追及の手が及ばなかった。噂が下火に成りかけた頃、自宅付近でこめかみに釘を打ち込まれている。最初の事件で使われたのと同じ釘だった。
三件目の被害者は練馬に住む主婦だった。かなりのクレーマーらしく、近所の中にはクレームの凄さに辟易して、ノイローゼになって引っ越した者もいた。
ネットでその行状を訴えられたことから有名になったが、早朝に自宅付近のゴミ置き場で、懲りもせず他の者のゴミをチェックしていたところを狙われた。
このときだけ、こめかみではなく後頭部の右耳の後ろを、同じ釘で貫かれている。
そして今回は悪の限りを尽くすハングレのリーダーだった。
被害者には世間的に悪と噂されている共通点があったが、それ以外は何のつながりもない。悪人としてのレベルも違いすぎて、目的がよく分からない。
殺しの先にある目的が見えない以上、犯人像は絞り難い。それはそのまま警察の捜査の難航へとつながる。
夜の闇がそうさせるのか、青木の頭はモヤモヤした感覚でいっぱいに成ってきた。今日の殺しを見てから、何か真実が見えそうなのにモヤモヤとしてはっきりしない。
夜の現場の異様な雰囲気が想像力を助長している気がする。
今すぐ闇の中から犯人が躍り出て来そうな感覚が絶えずあった。
歩きながら頭の中で再度、犯人像をイメージしてみる。
一度だけ犯人の姿は監視カメラに捕らえられている。三件目の主婦殺しの際に、ごみ置き場を監視するカメラが、早朝の淡い光の中で殺しの現場を捕らえたのだ。
犯人はジーンズにグレーの薄手のパーカーを身に纏い、ゴミを物色する主婦の後ろに立って、一瞬で犯行を終えている。
残念なことに、カメラ位置が背後からと悪いため、目深に被ったパーカーのフードに遮られ、犯人の顔はまったく特定できなかった。右手に持った小型のハンマーについても、解像度の悪いカメラでは、いくら画像修正をかけても、テレビドラマのように製品を特定できる画像は得られなかった。
それでも収穫は大きい。
まず、犯人はそれほど大きくない。それは長身の女性も犯人の可能性があることを示している。更に、接近から犯行を終えるまで、被害者に一切気配を察知されていない。
しかも、犯行は一瞬で行われている。それは一撃で釘を頭部に打ち込む技術を示していた。いたずらに頭部を傷つけないため、釘が上手に蓋の役割をして、返り血も浴びない。だから殺人事件としては、極端に綺麗な現場が誕生する。
周辺を歩き終えて犯行現場に戻ると、現場検証は依然として続いていた。
「とりあえず、帰るか。明日は早朝から新宿だ」
この一連の殺人事件の捜査本部は、最初の殺人が起きた新宿署に設置されている。坂本はそう言ってから、さっさとタクシーを捕まえて乗り込んだ。
「お疲れさまでした」
まったく、坂本はあっさりした性格だ。かと言って犯人逮捕に情熱がないわけではない。
要するに無駄が嫌いなのだ。その引きずらない性格は、見習うべき点だった。
「さあ、俺も引き上げるか」
青木はまだ現場から動かない善さんに挨拶をして帰路に着いた。
タクシーの窓から見える月は半月だった。少し黄みがかかった気味の悪い白さが胸に沈んでいく。
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