第17話 ヴィリニュス大学

6月9日 7時5分



 甘かった。

 三日分のお酒は一晩で無くなった。

 ぼくはトイレにこもって、享楽の報いを受けていた。

 講演は午後だが、間に合うかどうか怪しい。

 まったく、ペトリもヴィーラもぼくの何倍も飲んでいたのに、どうしてケロッとしていられるんだ。

 ぼくは、遺伝的な酒の弱さを実感しながら、やっぱりお酒は二十歳になってからなんだなぁ、と麻痺した頭で思い、もう一吐きした。

「大丈夫?」ヴィーラは言った。

「ちょっと楽しみすぎちゃった……」

「無理しないで。講演は、ペトリに撮ってもらうから」

「え?」ペトリは、キョトンとした顔で固まった。「あー……、あ、あぁ? あー……」ペトリは、少し考え事をするようにしてうなずいた。「あぁ、大丈夫。任せろ」

「女の子を連れてきても良いわ」

 ぼくはペトリを見た。「いつ知り合った……?」

「きみが無くした記憶の中でね」

「なんか詩的でロマンチックなこと言ってるけど、ナンパと飲みすぎでしょう?」

 ぼくは乾いた笑いを絞り出した。

「おい、褒められたぞ」ペトリはニヤニヤしながらぼくの肩を小突いて、ぼくはその刺激で再び吐いた。



9時5分


 

 ぼくは、孤独な戦いに耐えていた。

 二日酔いだ。

 なんだか、胃の中にプールがあって、その水面が常に揺れているような感じだった。

 ヴィーラは近くのカフェに避難していた。

 ぼくの吐瀉物の臭いは、彼女の鼻には刺激が強すぎたようだ。

 ペトリはデートに出かけている。

 二人とも、ぼくに二日酔いを解消するための知恵を授けてくれた。

 卵は二日酔いに効くと言って、スクランブルエッグを作ってくれたけど、食べられる気がしない。

 食欲がまったくない。

 将来ダイエットをしたくなった際はこの経験が活かされるに違いない。

「あー……」ぼくは、うめき声を上げながら、ひとまずトイレから出て、ソファに横たわった。

 そういえば、ここはヴィーラの部屋だと言っていた。

 ぼくは、ソファから立ち上がって、部屋の中を見た。

 イケアだらけの室内。

 壁には写真が飾られている。

 ご家族のものだろうか。

 ヴィーラは写真に移っている五人の中で、二番目に背が高かった。

 一番目に高い人は、男性で、ヴィーラと、ヴィーラよりも少し背の低い男の子の方に手を回していた。

 ヴィーラよりは背が低く、男の子よりは少しだけ背の高い男性は、おそらくお父さん。

 男の子と同じくらいの身長の女性はお母さんだろうか。

 みんな美形で、男の子以外は大人びていて、パッと見はみんな大学生くらいに見える。

 ただ、表情なんかには、どこか幼さや精悍さなど、個性を感じられる。

 後で、ヴィーラが帰ってきたら聞いてみよう。

 今は、とりあえずトイレに駆け込んで吐かないとまずい。

 ぼくはトイレに突撃した。



11時1分



 どうにかこうにかスクランブルエッグを胃に押し込むと、それは数分後、勢いよくトイレに突っ込んでいった。

 だが、卵が二日酔いに効果があるのは確かなようで、吐き気や倦怠感は、なくなっていた。

 卵と一緒にトイレに流れていったようだ。

 ぼくは、歯を三回磨いて、シャワーを浴び、トイレ掃除をしてから、部屋を出た。

 預かっていた合鍵で鍵を締め、中庭を通り過ぎてピリエス通りに出た。

 先日、初めてこの通りにやってきたときはすでに日が傾いていたし、酒を買いに出たときはほろ酔いで、夜だった。

 夜は店明かりや街灯が石畳やクリーム色の外壁を照らす、キレイな景色だった。

 太陽が登っているときは、窓枠の花や、落ち着いた色合いながらも色彩豊かな建物や、レストランやカフェの看板が趣のある風情を醸し出していて、これまたキレイだった。

 ぼくは、その景色を楽しみながら大学を探して歩いた。

 ふと、ジェラテリアを見つけた。

 今朝から何も食べていない。

 スクランブルエッグは食べたけど、すぐに戻してしまった。

 ぼくは、ジェラテリアに入った。

「ラーバス」

「ラーバス・リタス」そう返したのは、背の高い、リトアニアの美女だった。

 多分、大学生だろう。

 彼女の美貌を楽しんでいると、彼女は首を傾げた。「何にいたしますか?」彼女は、英語で言った。

「あ、あぁ、えっと」その時、ぼくは気が付いた。これは英語の上達を試す初めての機会だ。「おすすめを教えて」

 女性は、その大きな目でパチパチと瞬きをすると、その細長い指で、ガラスケースに入ったジェラートを指さした。「レモンとメロンとマンゴーは人気よ。後は、チョコレートとチェリーとラムネも」

 ぼくはうなずいた。「レモンとメロンとマンゴーでお願いします」

「カップ? コーン?」

「コーンで」

「持ち帰り? 店内?」

「持ち帰り」

「四ユーロ五セントよ」

 ぼくは、トレイに5ユーロ紙幣を載せた。「お釣りは、チップボックスに入れておいてください」

 女性は、暖かく微笑んだ。「アチュー」

「どういたしまして」可愛いっ! と思いながら、ぼくはジェラートを受け取った。「大学に講演を聞きに行くんですけど、どうやって行けば良いですか?」

「それなら、通りをまっすぐ行って、右手に見えるわ」

「ありがとう。良い一日を」

「ありがとう。あなたも」

 ぼくは、女性と笑顔を交わして、ジェラテリアを出た。

 やったぞ。

 ぼくは思った。

 一人で、英語で注文が出来た。

 ぼくは、弾む足取りで大学へ向かった。



12時36分



 ぼくは、ヴィリニュス大学の食堂にいた。

 石造りの建物で、一見すると教会のようにも見える。

 内装は焦げ茶色の柱やテーブルなどが並んでおり、天井や壁にある窓からは、外の光が差し込んでくる。

 講演はここで行われるらしい。

 あちらこちらでは、大学生たちが勉強をしながら食事をしている。

 男子生徒も女子生徒も美男美女揃いで、ぼくが日頃足を運んでいるオフィスは、序の口だったことを思い知った。

 ぼくは、ヴィーラにメッセンジャーで、自分の現在地を伝えた。

 ヴィーラから、すぐに返信が来た。

 ヴィーラもこの食堂にいるらしい。

 隅っこの柱の影にいるとのことだ。

 ぼくは、スープとパンと蒸したチキンを買って、ヴィーラを探した。

 彼女は、すぐに見つかった。

 ジトッとした目で、柱の影からこちらを伺っている。

 美女だから良いものを、もしも違ければ、ちょっとしたホラーだった。

 いや、やっぱり美女でもホラーだった。

 ぼくは、手の平が汗ばむのを感じながら、恐る恐るヴィーラの下へ向かった。

 ヴィーラはグレーのパンツスーツに着替えていた。

 柱の裏には、ヴィーラの他にも、ペトリと、彼の新しいガールフレンドが隠れていた。

 ぼくは、テーブルに加わった。「やあ、どうにか持ち直したよ」ぼくは英語で言った。

「良かったわ」ヴィーラは言った。「人が多いわね。やっぱり、講演はリモートにしてもらおうかしら」

「今更無理だろ」ペトリは言った。「きみも成長するときだ」

「ヒトシの次はわたしが吐くわ」

「やだー」ペトリのガールフレンドは言った。「水を飲むと良いですよ」

「ヒトシ。こちらはインガ。ヴィリニュスでの撮影を手伝ってくれるんだ。こちらはヒトシ」

「よろしく」ぼくは右手を差し出した。

 インガはぼくを見上げてニッコリと微笑んだ。「よろしく」インガは、黒いセミロングの髪に、青色の目をした可愛い大学生だった。しっとりとした、濃いボルドーのセーターの生地を豊かな胸が押上げている。ペトリはそこに惚れたに違いない。彼女も民俗学を勉強しているとのことだった。ペトリは、ヴィーラの友人であることを最大限有効活用して、インガと親しくなったらしい。ほっそりとした肩は引いていて、背筋はピンと伸びている。彼女のナイフとフォークの扱い方は、これまたお嬢様のようだった。ヴィーラもそうだが、リトアニアの女性はお嬢様になるための英才教育でも受けているのかもしれない。「あなたも映画家?」

「ぼくはペトリの助手だよ。彼の下で撮影を学ばせてもらってるんだ」

 ペトリはニヤリとした。「良い助手だよ。気が利くし、勉強家だ。一週間前までは、英語もまともに話せなかった」

 インガは目を青色の目をキラキラさせた。「日本人なんですってね。わたしもいつか行ってみたい」

「いつでも歓迎するよ」

 インガは、ふふっ、と微笑んだ。「そのチキン、半分もらって良い?」

「え、良いけど……、ローストビーフを食べたばかりじゃ?」ぼくは、まだ口をつけていないナイフとフォークで、蒸したチキンを半分に切り分け、インガの前の皿に載せた。

「お腹が空いちゃって」

「そっか。パンもいる? つい、いつもの調子で買ったんだけど、正直お腹が空いてないんだ」

「スープもらって良いか?」と、ペトリ。

 ぼくは、トレイをペトリとインガの間に置いた。

 聞くところによると、ペトリはインガにプロジェクトについて話したらしい。

 インガも、ちょうど小説を書いていたようで、一枚噛ませて欲しいと申し出たようだ。

 彼女には、小説だけでなく、プロジェクトに加わって欲しいと思った。

 翻訳や顧客の確保などで、オフィスは大忙しだし、愛美も断ったりはしないだろう。

 インガは勉強にアルバイトと、大忙しの毎日を送っていたけれど、歩合制で、週に一作とかの翻訳をこなすくらいなら良いんじゃないだろうか。

「アイミに話したらオーケーが出たよ」ペトリは、インガを見て微笑んだ。

「英語をリトアニア語に翻訳すれば良いのね?」

「ロシア語は話せる?」

 インガはうなずいた。

「じゃあ、ロシア語にも翻訳してくれると助かる。リトアニア語への翻訳で七十二ユーロ。ロシア語への翻訳も七十二ユーロだ。逆にリトアニア語やロシア語を英語に翻訳してくれても良い。最後の編集はぼくたちがやるからね」

「月に二回やれば家賃になるわ。助かる」インガはペトリの頬にキスをした。

 ペトリは幸せ一杯の顔をしていた。「期限は設けてないから、空いた時間でゆっくりやってくれれば良いよ。困ったことがあったらぼくが手伝うからね」

「あぁん、優しいのねっ、好き」

「ぼくもー!」

 ペトリとインガはキスをして、ぼくとヴィーラは、見たくないものを見たような感じの顔をした。

 要するにしかめ面だ。

 


13時9分



 教授によるジョーク混じりの前置きが終わり、食堂内が笑いに包まれる。

 空気が温まった頃に、ヴィーラの名前が呼ばれた。

 ヴィーラは、フラフラとした足取りで、小さなステージに上がった。「ご紹介に預かりました、ヴィーラです。この度は、私の講演にお集まりいただきまして、ありがとうございます。ーー」

 ぼくは、ヴィーラが話している姿を見ていた。

 ペトリはインガの肩に手を回し、インガはPCにヴィーラの話を入力している。

 民俗学は詳しくないし、彼女がその美しい唇から紡ぎ出す言語はリトアニア語なので、ぼくはヴィーラを見ることだけしか出来なかった。

「キレイだな」ペトリはぼくに耳打ちをした。

 ぼくはうなずいた。「来て良かった」

 インガは、ぼくを見た。「ヴィーラ先生と付き合ってるの?」

「ぼく? いや」

「アプローチしている最中だよ」ペトリは言った。

「毎日同じオフィスで働いてるなら、チャンスあるでしょ。頑張って」インガは笑顔とともに言った。

 彼女は良い人な気がした。

「ありがとう」

「紳士っぽく、男らしくね。バラの花とか良いわ。直接プレゼントしなくても、花をオフィスに持ってくるところを見せるだけで良いとこ見せられるわ」

「それなら、バラはちょっと違うんじゃないかな。パンジーとかユリとか」

 インガはうなずいた。「そっちのほうがカジュアルかも。わたしにもプレゼントしてくれる?」

「もちろんだよ。ハニー」ペトリはインガの頬にキスをした。

「そうだ。今夜、わたしとペトリとヴィーラ先生とヒトシで、レストランにでも行かない?」

「良いとこ知ってる?」ペトリは聞いた。

「ええ。先生と話して決めるわ」インガは、ブラインドタッチをしながら、ほぅ……、と息を吐いた。「それにしても、夢みたい。昨日は退屈な時間を過ごしてたのに、今はヴィーラ先生とディナーをする予定を立ててる」

「ぼくと出会えて良かったろ?」

「そうね」インガは、ペトリの頬に手を添えると、再び、ステージの上で講演をするヴィーラに視線を向けた。



15時21分



 ぼくは、ペトリと一緒に、大学構内の休憩所のベンチに腰掛けて、コーヒーを飲んでいた。

 ヴィーラとインガとはここで待ち合わせをしているのだ。

 自動販売機と、なぜかビリヤード台が置かれている。

 ぼくたちの目の前では、リトアニア美女がChromebookをいじっていた。

「インガとはもう寝たの?」ぼくは、日本語で聞いた。

「良いや。キスはしたけどね。あくまでも、プロジェクトを進めるためのヘッドハンティングだから。新しい友達が出来れば良いなとは思ってるけどね」

「フィンランドの子も?」

 ペトリはうなずいた。「軽いタイプじゃないし、軽い女の子は苦手だ。ぼくは徐々に関係を深めていくのが好きなんだ」

 ぼくは、コーヒーを啜った。「それなら、ナンパなんかするべきじゃないだろ」

「お硬いね。こっちじゃ普通だよ。そうじゃなかったら、出会いの場は学校か職場だけになるだろ? そこも主流の出会いの場だけど、映画館やカフェやパブも同じくらいポピュラーだ」

「まあ、会話が上手ければ、出会いなんてどこにでもありそうだね」

「その通り。わかってきたね」

 ぼくはコーヒーを啜った。「目の前の子もChromebook使ってるね」

「Dellだな」ペトリは、コーヒーを啜った。「動画の編集をしてるんだ」

「どんな感じ?」

「思ったよりもやりやすいけど、MacBookの方が使いやすい。Pixelでもやれるけど、ベストなチョイスとは言いにくいかも知れない。簡単な編集なら出来るけどね」

 ぼくはうなずいた。「MacBookで編集してるの?」

「こっそりね」

「プロジェクトの意向に反してる。愛美が怒るぞ」

「微笑んだら許してくれないかな」

「日本の女を舐めるな」

 ペトリは小さく笑った。「わかったよ。Chromebookでやる」

「頼むよ。相棒」

 ペトリは微笑んだ。「任せとけよ、相棒。でも、多分大丈夫だと思うんだよ。MacBookで作った動画とChromebookで作った動画の比較をするんだ。作業にかかった時間とか出来ることの詳細の比較をしながら進めてるんだ」

「さすが」

「そうだろ」

「今はどんな映画を撮ってるんだ?」

「リトアニアを舞台に、一人の旅人が人生の持ち物について考えて、ミニマリズム最高って気付く話」

「そうなの?」

 ペトリはうなずいた。「季節毎に服の買い替えをするなら、一年に二回ブランドの服を買った方が良い。生地もしっかりしてるし、おしゃれだし」

「ぼくが来てる服はファストファッションだけど、何年も着回してるよ」ちなみに、ぼくが来ている服は、ヴィーラが選んでくれたリトアニア用の服だった。たぶん、この街に馴染めていると思う。この街は、濃い色の服で溢れていた。「カジュアルだから、高級でも安物でも、パッと見はわからない」

「一度は買ってみなよ。着心地も違うし、街を歩いてて楽しい」

「ブランドに興味はないな」

「そう言わず。リトアニアはリネンが有名なんだ。服だけじゃなくて色々あるから、見て周るのも良い」ペトリはコーヒーを啜った。「持ち物が少なければ、部屋も小さくて良い。部屋が小さければ冷暖房の効きも早い。広い部屋も良いけど、自分の好きなものでいっぱいになったこぢんまりとした部屋も、ぎっしり詰まっていて良いもんだよ。なにより、小さい部屋のほうが家賃が安く済む。郊外にある広い部屋と駅近にある狭い部屋が同じ値段なら、どっちが良い?」

「言いたいことはわかる。でも、ぼくはその二つなら郊外を選ぶよ。そっちのほうが静かだからね」

「なるほど。でも、郊外だと自転車や車が必要になる。車を選べばガソリン代やバッテリーの充電代が必要になる。自転車を選べば車よりも移動に時間がかかる。駅近なら色んなものが揃ってる。騒がしさが気になるなら、少し上の階に部屋を取れば良いし、ノイズキャンセリングのイヤフォンを選んだって良い」

 ぼくはうなずいた。「駅の近くだと空気が汚い」

「空気をキレイにする観葉植物でも飾れば良い。緑の効果でリラックス出来る。逆に、郊外の利点ってなんだ?」

「家賃が安い。静か。空気が少しキレイ。郊外も車は多いと思う。移動のためにみんな持ってそう」

「完璧なとこなんてないけど、自分で考えて、行動して、居心地良くすることは出来る。それは、住む所にも、学校にも、職場にも言えることだよ」

「今の職場は気に入ってる。学校も嫌いじゃないよ。でも、学園のほうが楽しいかもって思ってる」

 


17時34分



 ぼくたちは、ゲディミノ通りにある、G09というデパートに来ていた。

 ヴィーラが、今晩のディナーのために服を買いたいと言い出したのだ。

 ヴィーラとインガが決めたディナーの場所は、少しばかりフォーマルな服が適切なようだ。

 ぼくとペトリは、H&Mでカジュアルなスーツを買った。

 ヴィーラは、別の洋服店で黒のワンピースドレスと、それに合わせるベージュ色の上着、そしてハイヒールを買った。

 おしゃれに着飾ったぼくたちは、地下のスーパーマーケットで瓶ビールを一本ずつ買い、それを手に、アパートに戻り、一杯やってから、待ち合わせのレストランへ向かった。



18時



 ぼくたちは、ゲディミナス大聖堂のある大広場に面したレストランに来ていた。

 艶のある光沢のあるタイルにカウンターにテーブルに椅子。

 客はみんな、スーツやタキシードやドレスに身を包んでいた。

「奢らせる気だね?」ペトリは、笑顔を浮かべながらインガの肩をさすった。「ぼくたちがそんな深い仲になってたなんて気が付かなかったよ。なんせ昨日出会ったばかりなもんだから」

「もー」インガは唸り声を上げるとともに肩を落とし、唇を尖らせた。「ちゃんと払うわよ。わたしがそんな性悪に見える?」

「そうだね、気分を害して悪かった。お詫びに奢らせてくれ」

 インガは、ぼくとヴィーラに向けて、おどけるような顔で舌を出した。

 ぼくとヴィーラは笑った。

 ペトリは、怪訝そうな顔を作って、きょろきょろと、ぼくとヴィーラを見て、インガを見た。

 インガは、ぼくたちに見せた顔のまま、ペトリを見上げた。「やば、バレた」

 ペトリは声を上げて笑った。

 ぼくたちは、受付で名前を告げ、案内されるまま、テーブルに着いた。

 ウェイトレスは、今日のおすすめの紹介をした。

 ぼくたちは、ひとまずリトアニアの赤ワインをボトルで注文した。

 お酒が回った頃、ビーフステーキと、サラダを注文した。

 それから、別の赤ワインをボトルで注文し、ローストビーフを注文し、また別の赤ワインをボトルで注文し、会計を済ませて店を出て、ダンスクラブに入って、カクテルを飲みながら、ぼくは、ヴィーラと手を取り合ってダンスをした。途中から、インガとダンスをして、再びヴィーラとダンスをして、ドサクサ紛れにキスをして、ヴィーラの灰色の目と見つめ合い、今度はもう少し時間をかけてキスをした。

 そして、アパートに戻ったぼくは、今朝と同じように吐いた。

 酔っ払ったので、記憶は曖昧だったが、最高の夜だった気がする。

 そして、それは気のせいじゃなかった。

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