第13話 さすがGoogle
6月5日 13時11分
ウルシュラは舌打ちをした。「またこいつか……」
「どうしたの?」愛美は言った。
「一人だけ何度もチャレンジしてくる奴がいるの。今度は第七段階まで突破された。あと千十四ステップで突破される……」
そんだけあれば十分なんじゃないだろうか……、そんなことを思うぼくの前で、ウルシュラは、PCケースからハードドライブを取り出した。ドライブの側面には、『セキュリティ・クエスト 〜ビリビリ! ビリオンダンジョンと不思議の鍵〜』と書かれている。なんだろう。中古のゲームでも入っているのだろうか。ブックオフで買ったのかもしれない。日本語で書いてあったし。「こいつをお見舞いしてやる」ウルシュラは無表情で言った。彼女がエンターキーを押した次の瞬間、彼女のChromebookからブザーが鳴り響いた。
ウルシュラは、信じられないようなものでも見るかのように、目を見開いた。
たぶん、セキュリティが突破されたのだろうということは、ぼくにもわかった。
「やられた……」ウルシュラは呟いた。「はぁい、先生」
『お粗末だね』PCから聞こえてきた声は、無機質な女性の声だった。
「どうやったの?」
『自分で調べなさい』
ウルシュラは、かぁっ! と目を見開いた。「全部壊されてる……」
その言葉に、ぼくたちは一斉にウルシュラを見た。
ウルシュラは愛美を見た。「平気。バックアップは取ってある。この女もそれを見越してこんな強引な手を使ったんだわ」
『そんなとこ』PCの向こうにいる女性は、サラッと言った。『ところで、あなた達のプロジェクトだけど、将来性がある。出資をさせてくれないかしら』
ウルシュラは鼻を鳴らした。「ふざけないでよルーニー。戯言を聞く気分じゃないわ」言い換えれば、寝言は寝て言えということだ。
「いや、待って」愛美は言った。「契約書を用意して。内容に納得出来れば考えないでもないわ。もっとも、このハッキングでプロジェクトの何もかもやあたしらの個人情報を盗んだとかなんとか、脅しをかけてくるつもりなら、あたしはこのプロジェクトを放棄する。あたしはこのプロジェクトの脳味噌よ。抜け殻にはなんの価値もないわ」
『平気よ。今回のコレは、直通の窓口が欲しかったからこじ開けただけのこと』
「そのやり方自体があたしとは合わない。正規のルートは提供している。順番抜かしをするようなタイプの強引さはお呼びじゃない。そっちのルートで契約書を送ってくれたら、目ぐらいは通すよ。この場で確約出来るのは、目を通すってことだけ。それに納得してもらえないならお断り。無理難題も理不尽も言ってないと思うけど、私はなにかおかしなことを言っていますか?」
『用意する』
「結構。ウルシュラのスキルにはお世話になっている。あなたがウルシュラの先生だって言うなら、その点に関しては感謝をします」
『どういたしまして』
「アイミ。この人に感謝することない。適齢期過ぎてヒスになってるのを必死にクールぶって隠そうとしてるけど隠しきれてないだけの変人だからうぐぅっ!」
ぼくは目を見開いた。
Chromebookの画面から、細い手が伸びて、ウルシュラの喉を掴んでいた。
続いて画面から出てきたのは、もう片方の手。
次にプラチナブロンドの頭。
胴、腰、足。
画面から出てきたのは、アルビノの女性だった。
全身が病的なほどにやせ細っていて、その目は燃えるように赤い。
小さな顔に対して、その目は大きい。
なんだか、胸もお尻もぺったんこだけれど、美しさとセクシーさがある、不思議な魅力の持ち主だった。
「わたしはまだ二十三だよ」
「そ、そうなんだ。いつもヒスってるから、てっきりもう更年期かと……」
ウルシュラの首を、ぎりぎりと締め付ける手、その力が徐々に増していく。
「やめろ」そう言ったのは、愛美だった。「選べ。今すぐ帰るならさっきの話は有効だ」
ウルシュラの首を掴む手が、パッと開いた。
色素欠乏症の女性は、冷蔵庫まで歩き、そこから瓶ビールとレッドブルを持ってくると、PCの画面に返っていった。
ホラー映画のワンシーンを思い浮かべながら、ぼくはその信じられないような光景をただ見ていた。
ウルシュラは、けほけほとむせながら、ぼくを見た。「す、3Dホログラムよ」
3DホログラムはPC画面から飛び出して人様の冷蔵庫を漁ったりはしないものだと思っていたけれど、ぼくよりもIT系に詳しいウルシュラが言うなら、多分そうなのだろう。
現代の科学技術は、ぼくが思っていた以上に発展していたようだ。
さすがGoogle、とでも言ったところか。
この様子だと、二次元のキャラと腕を組んでデート出来るようになるのもすぐのことかもしれない。
16時35分
「しっかし、昼はびっくりしたね。まさか3Dホログラムがレッドブルを持って行っちゃうなんて」ぼくはビールを飲んだ。
ペトリは、声を上げて笑った。「さすがGoogleだな」
「ぼくも思った」
ぼくたちは声を上げて笑った。
ぼくとペトリは、アパートの近くのレストランに来ていた。
今日も一日中翻訳。
来週もずっとだ。
「色々な作品を読めるから、楽しいっちゃ楽しいけど、もう少し刺激が欲しい」
「プロジェクトが安定してきたってことだな」ペトリはPixelで店内を撮影すると、ゴリラポッドでカメラを固定した。「撮影しても良いか? 映画に使いたいんだ」
「映画に使うときは、目の辺りにモザイクを入れてくれ」
「顔がタマみたいになるけど良いか?」
「喋るタマなら笑えるだろ。光栄だよ」
ペトリは笑った。「クリエイティブになってきたな。色々な脚本を見てきたからだ」
「この調子で英語の勉強も進むと良いんだけどね」
「ぼくたちがついてる。安心しろ」
ぼくはうなずいた。
「アイミは気が強いな。彼女がいなかったら口説いてたところだよ」
「かっこよかったね」
「きみは、どんな女が好みなんだ?」
「ヴィーラみたいな子」
ペトリは笑った。「どこが良いんだ?」
「可愛いじゃん」ぼくはトナカイのハンバーガーを頬張った。マクドナルドよりもよっぽど美味しい。「大きいし」
「胸のことじゃないよな」
「胸は小さくて良いんだよ。背が高いのが良い。願わくば胸も大きい方が良い」
「わかる」
ぼくはビールを啜った。「翻訳のコツなんだけど、教えて欲しいな」
ペトリはビールを仰いだ。「慣れるしかないな」
「そっか」
「新聞を読みなよ。毎日だ。図書館もあるから、そこで本を読むと良い。電子書籍も便利だけど、紙の方が脳の働きも良い」
「ぼくたち、小説をネットに上げてるんだよね?」
「紙の本を作る予算があればそうしてる」ペトリは、ニシンの酢漬けを食べた。「最近はネットの普及で機会を与えられる人が増えた。幸福っていうのは、機会に恵まれることだ。ぼくたちは、芸術家たちの宣伝をすることで、また新たな機会を与えてるんだ」
「ぼくたちの活動に希望を見出した人が、コンテンツの作成に時間を使って、なんの結果も出なかったら、なんか申し訳ない気がしない?」
「しないな。これからは動画や、イラストや絵画、五百単語以上の文章、どれか一つを投稿するごとに三セントのインセンティブが保証される。閲覧数に応じた報酬も支払われる。小説に関しては、翻訳や、世界中の賞や出版社や出版エージェントへの投稿の手数料もなし。それで見返りはあるんだ。それについての説明書きもサイトには書いてある。なんの結果も成果も出ないなんてことはないんだから、ぼくたちはぼくたちの仕事をすれば良いんだ」
「受賞か出版にこぎつけられなかったら、ぼくたちに収益はないんだろ?」
「そんなことない。ぼくのYouTubeと、ヴィーラのInstagram、サイトに乗せる広告で、他社からの宣伝費が入る。そこから必要経費を捻出しても、どうにか黒字だ。ウルシュラの先生が言ってただろ。将来性はある。きみは少し心配してるみたいだけれど、黒字が見えてるチャレンジなんだから、きみがほんのちょっとしか成果を出せなくても問題ない。リラックスしろ」
「Instagramで収入って入るの?」
「一万人以上になると、こういう商品を宣伝してくれとか、そういう依頼が入ってくるんだ」
「ぼくもやろうかな」
「小遣い稼ぎにはちょうど良いだろうね。ただ、趣味で続けたほうが良いよ。宣伝効果を認められるまでは、最低でも三年以上かかるって考えるべき。ビジネスとしては効率が悪い。今有名なYouTuberだって、日々の隙間時間でやってるんだ。ぼく映画作りも趣味だし、ゲーム配信だって、暇な時間でゲームやりながら、ついでだから配信してみようかなって思ったのが始まりだし。ゲームのプレイを見に来てる人と、ぼくと雑談しに来てる人と、作業BGMで再生してる人と、目的は色々だから、ほんと、どんな動画がウケるかなんてわからないよ」
ぼくは、うなずきながらペトリの話を聞いていた。
「そんな、考えてもわからないことをやるなら、自分が楽しめることをやらないと。楽しくないと続かない」
「そうだね。ぼくは、旅行動画でも撮ろうかと思う」
「このテーブルの写真でも撮ったら? Instagramにあげなよ」
「価値あるかな」
「ヘルシンキならではだろ。ユーザーにホ〜って思わせて、三秒間写真を見てもらえるだけで良いんだ」
ぼくは、ホ〜っと思いながら、テーブルの写真を撮り、InstagramとTwitterとFacebookにあげた。
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