第12話 会議

6月4日 10時2分



 朝のミーティングといっても形式ばかりのもので、いつもは三分ほどで終わるのだけれど、今日は違った。

 ウルシュラは、レッドブルを飲んだ。「緊急事態よ」と、彼女は緊迫感のない無表情で言った。「登録ユーザーの増加ペースは順調なんだけど、動画とか写真のアップ数が多い。この調子だと、容量がすぐにパンクする」

 愛美は、コーヒーを啜った。「すぐに対処したほうが良い?」

「そうね」

「じゃあ、調達しましょう」

「それよりも、代案があるわ。ユーザーをライターとフィルムメイカーで分けるの。ライターのユーザーには三ギガバイトを与えて、フィルムメイカーのユーザーには五ギガバイトを与える。それ以上の投稿をしたいなら、一ギガバイトごとに五十セントを払う必要がある。増設の費用をいくつか節約出来るわ」

「始めて四日目よ」ナタリアは言った。「それなら、そのプランで始めるべきだった。ユーザーから不満が出るわ」

 ペトリは指を弾いた。「こうしよう。今月までにユーザーになったら、一年間容量の縛りはなし。二年目からは有料だ。来月からのユーザーには、ウルシュラのプランを適用する。良いスタートダッシュを切るためだろ。必要ならぼくも出資する」

 愛美はうなずいた。「じゃあ、ウルシュラ。ペタマックスで」

「わかった」ウルシュラは、キッチンへ向かうと、戸棚からあの巨大なカップ焼きそばを六つ取り出して、お湯を沸かし始めた。

「ナタリア。翻訳は何ヶ国語いける?」

「主要十三ヶ国はいける」

「一日に何作くらい?」

「三作くらいかな」

「一志。あなたも一作やってみようか」

 ぼくは顔を上げて、愛美を見た。「マジ? やったことないよ?」

「どの程度出来るかっていうのを見せて。今はネコの手も借りたいの」

 ぼくはうなずいた。「Google翻訳使って、それっぽい形に調整するっていうのは?」

「良いと思う。今日はそれを進めて。短編映画の脚本が一作来てる」

「わかった」

「脚本なら、ぼくにもやらせてくれ」ペトリは言った。

「もう送っといた」

 愛美の言葉に、ペトリはChromebookを開いた。「良いのがあると良いな……。めぼしいものがあったら、ぼくたち名義かぼく名義で契約を進めて良いか? 自分で映画を撮りたいんだ。それとも、脚本賞に送る?」

「任せる」

「翻訳は外部委託をしたほうが良いかもね」ウルシュラが、テーブルに出来上がった巨大カップ焼きそばを持ってきた。「送られてきた作品も勧誘した作品も合わせて、数が多すぎる。それか、一部を一般公開して、閲覧数の多い順から取り掛かるとか」

「あなたは手伝ってくれないの?」愛美は、ウルシュラに言った。

「まだ無理ね」ウルシュラは、焼きそばを配りながら言った。「セキュリティの構築に時間がかかる。この三日で三千二百五十二回の侵入の試みがあった。短期間で注目を集めたからかもね。全部跳ね返してやったけど。逆に情報を盗んでやったわ」

 愛美は口笛を吹いた。

「三%が第二段階までの侵入をしてきた。99.9%を入り口で付き返せるようになるまでは気を抜けない」

「きみのセキュリティを破れる奴なんかいないだろ」ペトリは、焼きそばを啜った。

 ウルシュラは焼きそばをはぐはぐと食べた。「そうでもないわ。先生と、他にも数百人はいる」

 ナタリアはうなずいた。「わたしも、時間をかけたら出来そう」

「ほう」ウルシュラは、鋭い目でナタリアを見た。「どれくらい?」

 ナタリアは焼きそばを少しだけ箸で取り、スルスルと啜った。彼女は、食べ方は上品だが、かなりの量を食べるのだということをぼくは知っていた。ナタリアは、口をもぐもぐさせながら、考え事をしていた。ごくん。「一週間。プラスマイナス一日」

「それなら、六日ごとにアップデートしていく必要があるわね」

「賢明だと思うわ」ナタリアはうなずいた。

「きみもパソコンに詳しいの?」ぼくは聞いた。

「パソコン?」ナタリアはほくそ笑んだ。「あんたよりはね」

「ぼくも」

「あたしも」

「わたしも」

 ぼくは鼻を鳴らした。「そうだろうよ。畑違いをからかうのはやめてくれ」ぼくは焼きそばをコレでもかと頬張った。

 この部屋にいるメンバーは、この世にあふれているほとんどのことについてぼくよりも詳しいだろうことは、この三日で十分にわかったことだった。



11時13分



 ぼくは、PC画面を前に固まっていた。

 一つのウィンドウには英語で書かれた短編の脚本、一つのウィンドウには翻訳アプリ、最後の一つにはドキュメントの編集画面。

 翻訳アプリは、英語の文章をまともな日本語に変えることを拒否していた。

 ただ単にエラーが出るだけならまだしも、翻訳の結果が「それはジャンプをするのに適しています」などという、日本語もどきのものになるというひねくれっぷりだ。

 ぼくは、部分的に翻訳しようと思ったのが失敗だったのかと思い、前後の文章も合わせて翻訳をしたが、その結果は混迷を極めるばかり。

 ぼくは天井を仰いだ。

 プロペラが回っていた。

 テーブルにはぼく、愛美、ナタリア、ウルシュラ、ペトリ。

 ソファにはヴィーラがいた。

 ヴィーラのインスタグラムのおかげである程度は、授業以外でも英語が理解出来るようになった気はしたけれど、それはあくまでその気になっていただけだったようだ。

「Problem?」その声に顔を上げれば、愛美だった。彼女は、Chromebookの画面に目を向けていた。「問題?」

「あぁ、英語の文章を日本語に翻訳したら、それはジャンプをするのに適していますって」

「見してみ」

 ぼくはChromebookを愛美の前に押した。

 愛美は、Chromebookの画面をちらっと見ると、うなずいた。「これは、元の文章が良くないわ。執筆したのは……、デンマーク人ね」

「デンマーク人の英語は聞き取りにくいからな」ペトリは言った。「まるで喉の奥にポテトを突っ込んで話してるみたいだ。プードルのほうがまだキレイな英語を話すぜ。その文章はフレンチフライでギトギトになった指でタイプしたんだろうさ」

「知らなかった。デンマークのことが嫌いなのってスウェーデン人だけだと思ってたわ」ウルシュラは言った。

「ぼくたちスカンディナヴィア人はお互いをからかい合うのが伝統だ。そうして成長してきた。愛があればこそさ」

 テーブルが笑いに包まれた。

「とりあえず、そこは飛ばしちゃって良いわ。そこと同じでちょっと変だなって思ったところは飛ばして良い。とりあえず全部終わらせちゃって、二周目三周目で編集と再チャレンジを繰り返して、終わらせちゃお。一志の今日の仕事はそれだけね。代わりに、終わるまで残ってもらうわ」

「えー」

「逆に考えろよ」ペトリは、カタカタしながら、こちらを見て言った。「午前中に終わらせれば午後はまるごと休みだ」

「おぉー、その手があったか」ぼくは、PCの画面を見て、残りが何ページくらいあるのか確認した。そして、作業開始からどれくらいの時間が立ったかを確認した。そして絶望した。この調子では、終わるのは夜中だった。ぼくはレッドブルを飲むことにした。翼くらい生やせなくては、この山を乗り越えることなど出来そうにない。



12時



 前途多難な翻訳作業だったが、その後は、大体のところがどうにかなった。

 短編映画の所々にはポテトの匂いが漂っていたが、それでも、ナタリアがお昼ご飯のデリバリーを注文し始める頃には、ぼくの作業は終わっていた。

 残りは、ポテトの匂いの消臭をしてもらい、ぼくの翻訳をチェックしてもらうことだけ。

 夜中まで残業をするという計算は、ぼくがでかいポテトに躓きすぎたからだった。

 でかいポテトを無視すれば、コレほどまでに早く作業が終わる。

 コレは有益な教訓だった。

 愛美は、ぼくの翻訳をChromebookの画面でチェックしていた。

 手持ち無沙汰なぼくは、レッドブルを啜った。

 愛美は、数分後、顔を上げた。「良いね。雑なところはあるけど、後はあたしが調整しておく。100店満点なら48点くらい。明日はもう少し上を目指してね」

「コラムは書かなくて良いの?」

「書いて欲しいな。少なくとも週に一回は」

「わかった。明日からは、翻訳だけ?」

「オフィスのことも引き続きお願い。料理と備品の整理と、足りないものの補充と」

「オッケー」

「改善点といえば、英文に慣れてもらうことくらいかな。この三ヶ月で、英語ペラペラにしてあげる」

「ありがと」

 愛美はにっこりと微笑んだ。「午後は自由に過ごして良いよ。出来ればもう一作手伝って欲しいな。それかコラムを書いてみて欲しい」

 ぼくはうなずいた。「英語の短い脚本を一作送って」

「あいよ」

 ぼくはペトリを見た。「この脚本って、映画にしたら何分くらいなの?」

 ペトリは、ぼくのChromebookをいじり、ドキュメントで文字数を確認した。「六分未満だな」

 ぼくはうなずいて、コーヒーを啜った。

 その日は、結局3本の短編脚本の翻訳をすることが出来た。

 達成感とともに飲むビールは、なんだか美味しい気がした。

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