第10話 トライアングル・メソッド
6月3日 10時2分
ぼくは書き上げた文章を、愛美に見てもらっていた。
愛美は、作業の手も止めて、静かに、真剣な目でそれを読んでくれていた。
ぼくは、彼女が読み終えるまで暇なので、頭の中で先日の会話を思い返していた。
ウルシュラに聞いたところ、ヴィーラは人が嫌いなわけではなく、人付き合いをするとどっと疲れてしまうから、必要以上の交流を避けているだけらしい。
気が合いそうだ。
ヴィーラは、今日もソファの辺りで様々なポーズを取ってナタリアに写真を撮ってもらっていた。
普段はくたびれたような顔でぼーっとしているヴィーラだけど、カメラが向くとキリッとした顔をする。
そんなところが素敵に思えた。
「読んだよー」
「どうかな」
愛美ちゃんは鼻を鳴らした。「コレじゃただの日記」
ぼくは笑った。「だよね」
「活動記録でも書いてみる? それか、コラムとか」
「コラム?」
「そうね。例えば、Chromebookを使ってみた感想とか。二万円もしないのに動作がMacBook並みって聞いたら、節約になるしそっちでも良いかなって思うでしょ?」
「うん」
「そんな感じ。ChromebookとMacBookの比較。でも、MacBookとは書かずに、ハイエンドクラスのPCとの比較って書くようにして。反感を上手いこと利用するには、一志は経験が足りないから」
「反感?」
「MacBookよりもこっちのほうが良いですよって書き方だと、少なからず、でも、MacBookの方がこういうところが良いじゃん? って思うMacBookユーザーが出てくるの。ハイエンドクラスって書くと、特定の人を逆なですることがない」
ぼくはうなずいた。「わかった。今日中に書くよ」
「文字数は、最低三千文字でお願い」
「わかった」その時、ぼくの頭にアイデアが一つ浮かんだ。「インスタグラムで、このオフィスで働くAさんが、毎日写真とか動画をアップするってのはアリ?」
愛美は親指を立てた。「Aさんの活動日誌か、それか……」
「新米社員Aの成長記録とか」
愛美はうなずいた。「ストーリー性がある方が良いよ。ノンフィクション風か物語風にしても良い。コラムテイストでも良いし、全部試すのも良いかもね。今日はペトリと出かけるんでしょ? アイデアまとめるなら環境を変えてみるってのもアリだと思うよ」
「同じこと考えてた」
「後でレシート見せてね」
ぼくはうなずいて、Chromebookに向き直った。
方向性が見えてきた。
後はアイデアを、ペトリと外出するときまでに、それなりに形のあるものにしよう。
11時13分
ぼくは、それなりにまとめたつもりのアイデアをペトリに話した。
「良いんじゃないかな」ペトリは言った。「ぼくは、企画を立てるのは得意で、概要を思いつくのも得意だけど、詳細を突き詰める才能はないんだ。アイデアを思いついて、それに魅力を感じた人たちの助けありきで、どうにかやってきた」
「そうなんだ」
ぼくたちは、大学に向かって歩いていた。
人通りは少なく、道路も空いている。
散歩をするのにうってつけの時間だ。
ぼくはPixelを見て、時間を確認した。
この時間を覚えておこう。
「きみはツイてる。何かを始めるなら今だ」
「なんで?」
ペトリは小さく笑った。「ぼくとヴィーラが君の活動を宣伝するだけで、良いスタートダッシュを切れるからだよ。プロジェクトに関すること以外でも、片手間で良いなら手伝うよ。ぼくもヴィーラも、他のみんなもね。みんなそういう人たちだ」
「お礼とか出来ないよ」
「Facebookのフレンドになってくれただろ。コレはそのお礼」
ぼくは笑った。
「ナンパの前に一杯飲もうか」ペトリは、少し前にある看板を指さした。
フィンランド語はわからないが、英語も書かれていたので、そこがカフェであることがわかった。
ぼく達は、そこで一杯やった後、大学へたどり着いた。
ペトリは、女子学生たちに声をかけたが、みんなペトリに一瞥を向けるだけで、足を止めもしない。
「やあ、ぼくYouTubeやってるんだけどーー」
「急いでますので」
ぼくは、酔った勢いに任せて、思わず笑ってしまった。「なにやってんだよっ!」
ペトリは照れたような顔で笑った。「うるさいなー。今日はどうしたんだろ。手強いね」
「なにがだよ」ぼくは笑った。
「いや、いつもならーー」「いつもやってんのかよっ、ウケるっ」
ペトリはぼくの肩を叩いた。「年上が好きなんだよ。君だって背の高い女が好きなんだろ?」
「ぼくの好みはヴィーラみたいな子だよ」
ペトリは鼻を鳴らした。「もっとかわいい女を見てもそう言えるかな?」
「誰だよそれ」
「ぼくのお姉ちゃん」
「ブフォ」ぼくは吹き出した。「シスコンかよ」
「だから年上が好き」
「それ笑えない」
「笑ってもらえないとぼくがただの変態みたいじゃないか」
「いや、変態だよお前は」
ペトリは笑った。「言うね〜、気に入った。次は君がやってみろよ」
「え?」
「ほら、あの子」
「へ? だれ?」
ぼくは、ペトリに肩を押された。
身長が高く、体格も良いペトリは力強かった。
押し出された先にいるのは、緑色の瞳に長いブロンド、スラリと背の高い北欧美女だった。
北欧美女は、ぼくを見て、その長いまつげを瞬かせた。
ぼくは、北欧美女を見上げ、力強くありながらも人当たりの良さそうな感じで微笑んだ。 北欧美女は、優しく、美しく微笑んだ。
イケる、ぼくは思った。
ぼくは、意を決して、口を開いた。「あ、あああ、あ、あの、ぼぼぼぼ、ぼく」
北欧美女は、首を傾げて口を開いたが、英語だったのでよくわからなかった。
その時、背後にいたペトリが笑った。「どうしたの? 迷子? だってさ」
北欧美女は、ペトリを見て、彼にジェスチャーも交えて、知り合い? と聞いた。
ペトリはうなずいて、フィンランド語で何かを言うと、笑いながらぼくの肩を抱いた。
北欧美女は、ぼくたちに笑顔を見せると、どこかへスタスタと歩いていった。
「ブフォっ!」ペトリは吹き出した。「あの、あの、ぼくぼく」
「だまれっ」ぼくはペトリの腹を殴った。「いきなりでパニクったんだよ。舐めんなよ。ぼくだって英語話せればさっきの女くらい余裕で落とせる」
「ほー、じゃあ、きみをペラッペラにしてやんなきゃね」ペトリはクスクスと笑った。「いや、しかしあれだ、このどん詰まりを抜け出す方法が一つ見つかったな。きみの自尊心は無駄死にせずに済んだわけだ」
「別に死んでませんけど。解決策って何?」
12時
ペトリがぼくを押し出し、ぼくが北欧美女を戸惑わせ、北欧美女がペトリにこの子は迷子かと尋ねる。
ペトリがトライアングル・メソッドと名付けたその作戦で、ぼくたちは北欧美女三人からの連絡先を手に入れることが出来た。
ちなみに、北欧美女が連絡先を渡したのはペトリだけ。
通訳を必要とするぼくでは、そもそもまともなコミュニケーションを取ることも難しかったので当然と言えば当然だが納得いかない気持ちがあるのは否定出来ない。
つまり、ペトリの野郎はぼくをダシに使ってナンパをしたわけであって、そして、作戦を成功に導いた功労者であるぼくには特になんの成果も見返りもない。
もちろん、今回のコレは、ナンパの名を借りたエキストラの勧誘という立派な仕事ではあるのだけれど、やっぱり腑に落ちない。
この腑に落ちない気持ちを解消したのは、大学のそばにあったレストランでの食事だった。
「厳しい冬は気を滅入らせるけど、ぼく達フィンランド人は、酒とサウナとヘビィメタルで乗り越えるんだ」
「なるほどね」
ぼくたちは、本日二杯目のビールを飲んでいた。
ラピン・クルタというビールで、これがまた、トナカイのハンバーグとキノコのソテーに合うのだった。
どうでも良いけれど、ぼくたちは17歳であるにも限らず、ウェイターからは年齢確認をされなかった。
ペトリはともかく、ぼくは明らかに大人には見えないだろう。
それに、考えてみればここはフィンランドで、ペトリもウェイターもフィンランド人なのだから、17歳のフィンランド人の男の子がどんな感じなのかウェイターにもわかったはずだ。
良いのだろうか。
まあ、いっか。
ぼくは肩を竦めて、食事に戻った。
「夏休みの間にコテージに行こう。湖沿いにあるんだ」
「良いね。自分の?」
ペトリはニヤリと笑ってうなずいた。「YouTubeのおかげだ」
「映画が好きなんだね」
「小さい頃から映画ばっかり観てた。ストーリーはともかく、構図とか映像に関してのセンスが磨かれたみたいで、作品を褒めてもらえることが何度かあったんだ。そのうちYouTubeに動画上げ始めたんだ。はじめは趣味だったんだけど、楽しくなっちゃってね。気がついたら今になってた」
「才能あるんだね」
「そうかも」ペトリは笑った。「きみの趣味は?」
ぼくはビールを啜った。「なんだろう。ネットフリックス見るのは好きだよ。いつもやってることって言ったら、後はゲームとか、本読んだりとか」
ペトリはうなずいた。「それだったら、ライブ配信で日常系を二十四時間流すとかやってみたら?」
「需要ある?」
「そういうのアップしてる人もいるよ。それに、スローで落ち着ける動画を好む人たちもいる。寝るときに流したり、作業のBGMにしたり」
ぼくはうなずいた。
ペトリは、キノコのバターチーズソテーをフォークで突いた。「ぼくが今そう言った理由は、ビデオ日記をつけたらどうかなって思ったからなんだ。後で見返して、あぁ、自分ってこんな一日を過ごしてるんだー、ってわかれば、無駄な時間を減らすことにも繋がる。逆に、勉強とか仕事とか運動をしている自分を見て、自身を持てるようにもなる。そのついでに自分のチャンネルにアップする動画を増やせるんだ。あとは、そういった動画を求めている人たちに向けて上手く宣伝すれば将来お金が入ってくるかも」
「入ってこなくても損しないね」
「なんでもやってみなよ。続ければスキルになる」
ぼくはうなずいた。
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