第9話

「頼むから、あんなことは金輪際しないでくれ!ちゃんと今日も手伝ってやるから」

ニヤけているアムリタは私の目を見た。

「卿は素直じゃないわね」

私はこの娘が無性に怖くなった。その笑顔に隠した魂胆が見え隠れしている。


「突付いても出ないもんは出ないぞ」

「教えてくれないのね」

「ああ、教えるもんか。それに…」

「それに、どうしたの?」

私は『それ』を口にするのを躊躇ためらった。

祖国を離れて数年来それを無くしていた。

そんな何かにやっと手が届きそうな気がしていた。

それを無碍むげにしても良いのだろうか。


(今の俺とあの頃の俺は違う。)


「俺たちはもう、会わな……」


言いかけたその時、朝に見舞われたあの感覚。

鋭い刃が頬に当たる熱を斬る。


ドス


背後に高く積み上げられた木箱に刃が突き刺さる。


アムリタの鋭い眼光。背後に睨みをきかせて敵襲の出を探る。

「こんなところまでついてくるなんてね…」

「アムリタ!あいつらなのか!?」

アムリタは黙ったまま周囲を睨み続ける。

「レーンコよろしくね......」

ひとりごとを呟くアムリタ。


人の影は無い。

静寂の路地裏。


「ここからアーシャの宿は近い?」

突然の質問に私は答える。

「ここは広場の近くだ。アーシャの宿には遠くない」

「この街の地図は頭に入っている?」

アムリタの質問の意味は解せない。

「?ある程度なら……」

「なら、案内して!」

そう言うと、おもむろに私を右手を掴んで路地の壁を蹴り上がっていった。


小娘にしてはかなりの怪力。

大男との自負はあったものの、その誇りは砕けた。

10秒も経たないうちに、街の天井へたどり着く。


心臓の鼓動は鳴り止まない。

驚きの念に頭の処理が追いつかない。


屋根の上を伝ってアムリタは全力疾走を続ける。

「まっ‥ぐで‥だ‥じょ‥ぶ?」

風の音でアムリタの声ははっきり聞こえない。繋いだ右手に力を込める。

自分の足で走るよう努めていながらも、筋肉は悲鳴を上げ続けている。

「こ……ぎだ」(そこをみぎだ)

私は動体視力を全身全霊をこめて稼働させてアムリタに指示を送った。

(聞こえるか?)


「りょ‥か‥」


通じていたようだ。


なんとかアーシャの宿の屋根までたどり着いた。アムリタは握った手を離し、ひょいと地上へ飛び降りた。

私は魂が抜けたような気持ちである。

ふらつく両足を頼りにゆっくりと屋根の上を歩く。


激痛ズキリ


私は倒れる。屋根の上に倒れた身を支えるものはない。

私は転げる。屋根の上に転げる身を留めるものはない。

私は落ちた。


意識が遠のくのを感じていた…

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