第30話 不吉の赤


 今でこそ一つどころに定住しているトルトゥガの民は、その昔大陸各地を巡り歌や伝承を語り継ぐ一族であったとされている。

 その名残か、彼らの住居は半円形に組んだ木枠に布を被せた簡易的なものだ。とはいえ、大陸の北に位置するこの場所は、冬の寒さが特に厳しい。そのためフェルトと呼ばれる動物の毛を圧縮して作られたものを重ね張りしたり、床には乾燥させた家畜の糞を撒き、木板とその上に絨毯を敷き詰めたりするなど様々な工夫がなされている。


「家畜の糞って、臭くねぇの?」

「あまりにおいのない羊のものを使うんです。それと家の中には炉があるから、それである程度寒さがしのげるようになってます」

「へえ、換気とかどうしてんの? あ、煙突か」


 屋根部分から突き出した円柱形のそれを見つけて納得するソロの隣では、シオンが興味津々といった様子で周りを見回していた。

 ディアも歩きながらあちらこちらに視線を移す。


「生活の知恵ですね。面白いなあ、東大陸の方にも移動民族っていたけど、彼らの住居とはまた少し違ってるんだよな」

「でも服は東大陸の人たちと似てるよ」

「ああ、本当だ」


 立て襟で丈の長い上衣と腰の辺りに巻かれた太い帯、ゆったりとしたズボンといった服装は、これまで目にした西大陸の人々の衣装とはまるで違っていて、どちらかというと故郷の人々の装いに近いものがある。


「大陸は大昔一つだったと言われているからね。もしかするとトルトゥガのルーツは東側にあるのかもしれない」

「ほほー正解正解。さすがだなー若いのよく勉強しとるようだな」


 ぱちぱちと手を叩くクレピスキュルは幼い子供の姿をしているが、実際にはものすごく長く生きていると確かラータが言っていた。


「あ、そっかクレピスキュルは何でも知ってるんだもんね」

「ていうかお前いつから存在してんだよ」

「んーこの星が生まれて間もなく?」

「軽く億は越えてますね」


 冗談を言い合っているように見えるけど、多分これ真面目に話してるんだよなあとディアは思う。

 前から人が歩いてきた。高齢の男で、すれ違いざまにディアは老人と目が合った。ディアの目を見た老人はぎょっとして、それから顔をしかめた。

 ラータがディアを自分の後ろに押しやって言った。


「こんにちはホニさん」

「何じゃおまえ、確かヤンのとこの」

「ラータです。大学がしばらく春休みで帰ってきてて」


 あ、嘘ついた。

 と思って、ラータもさらっとこういう嘘をつくんだなと妙な感心をしてしまった。

 ラータは老人と二言三言交わして、老人は去った。

 それからラータは黙って歩き出して、他の四人もついて歩く。ソロが隣を見やり、その視線を受けたシオンは首を横に振った。なので今度はクレピスキュルの方を見たが、こっちは知らん顔だ。


「わたしなんかした?」


 老人の反応を気にしたディアが言う。なんかやったかなと考えるが、思い当たることがない。目が合ったくらいだ。

 何もしていないのにあんな風に嫌な顔をされるのは気分が悪い。

 さっきラータはディアを後ろに庇うようにして、だから何か知っていると思った。

 だからディアの問いかけは前を歩くラータに向けられていたが、返事がない。


「ねえ、ラータ。わたしあのおじいさんになんかした?」

「別になんもしてないよ」

「じゃなんであんな顔されたの?」

「知らない」

「知らないことないでしょ」

「知らないって」

「クレピスキュルー」


 ディアは身体を反転させて、クレピスキュルの前に立つ。


「教えて」

「あーんん、まあアレだ、あのおまえのそれ。目の色」

「目の色?」


 言われてディアは驚く。

 珍しがられることはあっても、あんな嫌悪の目を向けられることはなかった。


「不吉と言われとるんだよ。この辺りでな。この辺りっていうかトルトゥガだとっていうか、ここいらの言い伝えみたいな?」

「赤い目がですか?」

「そう」

「それは目というよりも赤色そのものがそういう意味合いを持つとかそういう?」

「色そのものに悪い意味合いはない。あくまで瞳の色の話だ」

「なぜです?」

「めっちゃ食いついてくるな」

「そりゃ気になるからです」


 近くの家から住人らしき人が出てくる。妙齢の女だった。髪を緩く編んで肩に落とし、長い飾り紐が付いた丸い帽子をかぶっていた。何か鮮やかな橙色の果実を縦に連なるように紐で括り付けたものを束で持っていた。女は、自宅の前で立ち止まり話し込むディア達を邪魔くさそうに見やって言った。


「あのちょっとあなた方、なんなんですかうちの前で」

「ああすみません」

「旅の人?」

「そうですそうです。すぐどきますので」


 シオンが言って、ディアとクレピスキュルの背中を押して退かした。


「ああ、ねえちょっと、この村に宿はありませんよ」

「そうなんですか。まあどうにかします」


 さっさとその場を後にして、またラータについて歩く。シオンが訊いた。


「どうにかなります?」

「うちもそこまで広くはないですけど、多分なんとか……」

「さっきの人は気にしてなかったですね」

「へ」

「ディアの目」


 一拍遅れて、ラータは理解する。


「気にしてない人は気にしてないんです。比較的若い世代の方が気にしません、そういう言い伝えとか。だって世界には、もっと色んな色が溢れてるのに」

「なんで隠してたのよ」


 ディアは足を速め、ラータの隣に並んで言う。

 わかっている。

 想像はつく。逆の立場ならディアも同じことをしていたかもしれない。

 それでも言ってやりたくなった。

 予想通りの返答があった。


「言いづらいだろ、君の目の色は不吉って思われてるんだよとか。そこまで無神経な性格してない」

「ラータはそう思ってるの?」

「何が!」

「だから、わたし見て不吉って思うのかって」

「思わないから一緒にいるんだけど」

「じゃあそれでいいじゃない。知らない人からそういう風に思われても気にしない。ちょっとむかつきはするけど」

「むかつくんじゃん、ダメじゃん」

「そりゃ誰だってむかつくでしょ」

「飽きないねーおまえ達も」


 諦め顔のソロの前を歩きながら、クレピスキュルが笑った。


「やらせとけやらせとけ喧嘩するほど仲が良いと言うからなー」

「それ実際どうなんです?」

「時と場合に寄るんじゃないか? 知らんけど」




「春休みだと? 嘘つけ」


 村の一番奥の、裏手に木でできた柵で大きく囲いをして、そこに十数頭の羊を飼育している住居の炉の前に座った人が言った。眉尻が吊っていて、眉間に皺が寄っていて、厳しそうな老爺だ。体格はしっかりしていて、背筋が伸びていた。


「お前が帰ってくるのは毎年コデマリが花をつける時期だろうが」

「ごめんなさい。うそです、ちょっとわけあって休んでます」

「それはお前の後ろにいる客人と何か関係があるのか?」


 ラータが返答に迷う。その一瞬で老爺は察したようだった。

 老爺の視線はディアに注がれていた。その圧に耐えられず、逃れるようにディアは目を逸らす。


「おじいちゃん、この人たちは……」

「話をするなら座りなさい。あんたがたもどうぞその辺に適当に」


 ラータが奥から丸型のクッションを四つ抱えて持ってくる。

 青の生地に黄色の糸で刺繍がしてあった。その紋様。植物の蔦をイメージしたような渦、ひし形を変形させたような上下左右に伸びる四つ棘。

 この柄が持つ意味を、ディアは知っていた。

 床に敷いて座る。


「父さんと母さんは?」

「出ておる。日暮れ前には戻るだろうよ。なに、茶ァくらい儂でも入れられる。湯が沸くまで待ちなさい。その間にお前の話でも聞かせてもらおうか、ラータ」


 火にかけた鉄瓶の湯を長い匙でかき混ぜ、蓋をすると、老爺がじろりとラータを睨む。老爺の目は、瞳が小さく眼球の白い部分が大きくて、眼光が鋭かった。


「東大陸から来ましたシオン・アルクトスと申します。差し支えなければ俺から説明しましょう」


 愛想よく微笑んだシオンが言った。

 ソロが横からぼそりとうさんくせぇと呟く。


「大丈夫です。自分で話せます」


 ぴしりと背筋を伸ばすラータの前で、老爺は腕組みをする。


「本当のこと言うと大学は春休みとかじゃなくて、本当は授業あるんだけど、でも正直それどころじゃなくて」

「無断欠席というやつか」

「……はい」

「契約違反じゃないか。お前国から学費援助してもらっておいて」

「あの、そうだけど、ほんとそれどころじゃないんだよ! 世界が滅ぶかもしれないんだ! ゼベルが世界の扉を開こうとしてて、もし扉が開かれてしまったら均衡が崩れて世界がめちゃくちゃになるって、だから僕たちはそれを止めるためにここまできて……」

「お前、何を言っとるんだ?」


 低い声にラータはすべての動きを止める。

 老爺は短く息を吐く。


「嘘をつくにしても、もう少しマシな嘘をついたらどうなんだ」

「う、嘘じゃないよ、全部本当のことで」

「馬鹿者、すぐに学校に戻って謝罪してきなさい! 退学にでもなったらどうするつもりだ!」

「うそじゃないです」


 間近に響く胴間声に、頭の内側で鐘を打ち鳴らされたみたいになりながらディアが言った。


「ゼベルの、扉を研究している人たちが扉を開こうとしていて、鍵ももう手に入れてます。世界の危機なんです」


 険しい視線が再びディアを捕えて、ディアは縮こまった。

 いきなり誰もいない真っ暗闇の中に放り出されたような気分だった。

 老爺は長く、長く息を吐き出して言う。


「赤い瞳は不吉と昔から言われておるが、まったくもってそのとおりだな」

「あ、な」

「もしその話が本当であるというならばそうだろう、お前が持ち込んだ禍なのではないか? あんたら旅の人だろう? どこで何をしようが勝手だが、うちの大事な孫を巻き込まんでくれ!」


 何言ってるんだろうこの人。

 くらくらする頭でディアは考える。

 赤い瞳だから?

 禍を持ち込んだ?

 何か言わなくちゃ、言い返さなくちゃ。

 そう思うのに言葉がうまく出てこない。言葉が、文章にならない。


「赤い瞳は異世界の人間の血を引く証」


 艶のある声がすぐ隣から聞こえた。クレピスキュルだった。大人の女の姿に変化していた。


「千年前、異世界より扉が開かれ、あちら側の人間がこの世界を訪れた。異変はそうして起こった。大地が怒り、空は荒れ狂い、人が大勢死んだ。動物も。魔力が安定せず、発狂し暴走した魔族もいた。赤い瞳を持つ人々が現れたことにより世界が災厄に見舞われた」

「な、なんだおまえ、今どこから……」

「千年前の災厄を引き起こしたのは確かに扉を開いたとされる、赤い瞳をもつ人間達だ。その人間達も今はもういない。この娘は彼らの内の、誰かの血を引いているというだけだ」


 ふふと鼻で笑って、クレピスキュルは鮮やかな赤の唇を歪ませる。

 そしてディアの髪を掬いあげるように手に取った。


「気づかぬか? この髪の色と結わえ方、この地方のものだろう。瞳の色こそ違えど、この娘は、ディアはお前たち一族に連なる者ではないのか」

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