第23話 世界を救うための旅


 街の中心にある大聖堂から六方向に伸びた大通り。そのうちの一つ、ラトメリア城へと続く道沿いに、教えてもらった菓子店を見つけた。通りに面した壁には大きなガラスが張られていて、外側からでも店内の様子が一目でわかる仕様になっている。

 店の二階部分は喫茶スペースになっていて、いくつかのローテーブルとソファがゆったりとした間隔で設けられていた。

 そのうちの一席に対面する形で座って注文すると、ほどなくしてケーキと紅茶が運ばれてくる。


「うわあ……」


 ディアは目を輝かせ、感嘆の息を漏らした。 

 タルトの上にたっぷり乗せられた苺は、鮮やかな赤色で艶があって、まるで宝石のようだ。


「きれい、おいしそう! 食べるのもったいない!」

「何を言う、職人がせっかく丹精込めて作ったものを食さず、腐らせ醜く変貌させてしまう方が余程もったいないというものだろう」

「そうだけどそういうことじゃなくてー」


 唇を尖らせるディアに、クレピスキュルは面白そうに言った。


「では食わんのか?」

「食べるけど……」


 結局一口食べたら止まらなくて、あっという間に平らげてしまった。見れば、クレピスキュルの皿も綺麗になっている。

 ディアは紅茶を一口飲むと、ほっと息を吐き出し、ソファにもたれかかる。


「おいしかった! ラトメリアにこんなお店があるなんて知らなかったな、前にも一度来てるのに」

「広い街だからなあ。儂も昔来たことがあるが、その時にはこんな店なかったよ」

「そうなの?」

「うん、そもそもルアランに来たのも二百年ぶりくらいだしな」

「二百年かー」


 クレピスキュルは店員を呼ぶと、追加でミルクとピスタチオのムースを注文した。


「そうだった。クレピスキュルはすごい長生きの魔王様だもんね」


 何億年と生きる魔王だとラータは言っていたが、とても想像がつかない。

 少なくとも今は見た目だけは若い女の姿だ。都合に合わせて、自在に姿を変えることができるらしい。


「ああ、そうだよ」

「何でも知ってるんだよね?」

「この世界で起こったすべてのことはな」

「じゃあ扉の向こうの世界は? 見たことある?」

「ミルクとピスタチオのムースをご注文のお客様」


 店員がやってきて、クレピスキュルが軽く手を上げる。薄緑色と白色の二層になったムースが乗せられた皿がテーブルに置かれた。

 クレピスキュルは皿を取り、スプーンで掬って一口食べてから答える。


「そうだなあ、見たことはないが話に聞いたことはある。この世界とは異なって、魔法がなく、機械が発達した世界なのだと。大昔にあちら側の世界から来た人間が言っていたよ。一口どうだ?」

「こっちもおいしい!」

「だろう?」

「ところでキカイって何?」

「魔力とは別の、光や水、火といった色々なものをエネルギーとして動く仕掛けのことだそうだ。ああそういえば」


 クレピスキュルは思い出したように言う。


「その話をしてくれた異世界の男がお前と同じ赤い瞳をしていたな」

「え」

「だが少なくともあれ以来扉は開いていないから、恐らくお前は千年前に扉を通りこちらの世界にやってきた者たちの内の、誰かの子孫といったところなのだろう」


 ディアは何度か瞬きをする。

 言われたことを理解するのに時間がかかって、反応が遅れる。


「ま、まって、それってつまりわたしは別の世界の人間ってこと?」

「そうではない、異世界の人間の血を引いているというだけさ」

「え、それじゃあその、もう一人のわたしはこの世界にいるとかそういうことじゃないの?」

「お前の片割れなら扉の向こうだよ」


 頭を抱えるディアにクレピスキュルは笑い、ソファにもたれかかって足を組んだ。


「対の魂はそれぞれの世界に分かれて宿るのが摂理だ。ディア、お前がこの世界で産まれたなら、お前の片割れはあちらの世界で誕生しているはずだよ。そういえばお前は初め、その片割れを探して旅をしていたのだったな」

「うん。でももう諦めたけどね」

「そうだったな。これからは扉を開かせないための……」


 言いかけて一度口を噤み、クレピスキュルは少し考えてからふむと頷く。


「さしずめ世界を守るための旅といったところか」

「うわ、そう言われるとなんか責任重大。けど別にそんな大層なことじゃ」

「何がどう違う、連中は世界を崩壊させてまで扉を開こうとしていて、お前はそれを阻止しようとしているのだろう? 成し遂げればお前は世界を救った英雄だ」

「簡単に言わないでよ、クレピスキュルみたいに何でもできるわけじゃないんだから」


 クレピスキュルが楽しげに言って、ディアはむくれる。


「まあまあ、少なくともあの二人が回復するまでは動けまい。今は束の間の休息というやつだ。久しぶりに仲の良い友人と会うなどしてみてはどうだ?」



 あまり気乗りはしなかったが、他に何ができるわけでもなかったので、勧められるままにディアはラトメリア城を訪れた。

 あの夜、

 旅が終われば、また会いに来ることを約束した。秋の祭りの時期に、庭園の薔薇が美しい季節に。旅の話を聞かせてほしいと言われた。

 楽しく話をしようと思っていた。まるで物語のように、ドキドキわくわくしたりして、めでたしめでたしだなんて、そんな締めくくりの言葉で終われるような冒険の話を。

 だけど、旅は終わっていない。

 やるべきことはまだ残っている。

 いい報告がなくて、何を話そうか迷う。

 クレピスキュルは一緒に来なかった。ムースの残りを食べていて、食べ終えたら先に宿に戻ると言っていた。

 応接室で一人待っていると、廊下の方から急いたような足音が近づいてきた。


「ディア!」


 開かれた扉から姿を現したのは、平時用のドレスに身を包んだフェルディリカだった。その喜びにほころんだ顔を見た途端、ディアはそれまで胸に満ちていた陰鬱な感情が吹き飛ぶのがわかった。


「こんなに早くまたあなたに会えるなんて! すごくすごくうれしいわ!」

「フェリカ! わたしもうれしい!」


 二人の少女は手を取り合って再会を喜び、ソファに並んで腰を下ろした。


「一体どうしたの? 旅は終わったの? シオンさんやソロさんはお元気にしているのかしら」


 朗らかな笑みを浮かべ、フェルディリカは問いを重ねる。

 ディアは複雑な思いを抱えながら、それでも微笑んで見せた。


「あの、実はねフェリカ。わたし……本当はまだ旅は終わってないの」

「え?」

「事情があって、少しの間ラトメリアに戻ってくることがあったから……」


 フェルディリカはディアの手を取り握りしめて、目を細めた。

 その穏やかな光を湛えた瞳の青。

 全ての命を抱き育む海のような。あるいは旅人を導いてくれる星のような。

 柔らかくも力強い輝き。


「事情はどうあれ、会いに来てくれてありがとうディア。それで、これまでのお話を聞かせてもらうくらいの時間はあるのかしら?」


 これが全て解決した後だったらなと思う。

 たとえどんな大変なことがあっても、その時は辛かったとしても、最後には何もかもうまくいって、丸く収まったのだと。

 それでも現実はそうではない。

 だから、説明をした。

 あれから起こったことを。淡々と事実だけを伝えた。

 話し終えると、フェルディリカは何か言いかけてやめ、自身の手元に目を向けた。

 静かな時間があって、それからフェルディリカが言った。


「ディア、しばらくここで待っていてね」


 一旦応接室を出て行き、着替えて戻ってきたフェルディリカは、動きやすさを旨とした軽装にフード付きの外套と、初めて会った時と同じ装いだった。背後には鼻に皺を寄せた老人が控えていて、今にも小言が飛び出しそうだった。それにもう一人、ゆったりとしたローブ姿の女性がいて、ディアに向けて微笑み会釈する。


「行きましょうか」

「行くって、どこへ?」


 呆気にとられるディアに、フェルディリカは言う。


「まずは扉と二つの世界の関係性について、詳しく話が聞きたいわ。魔族の王で、クレピスキュルさんと言ったかしら? その方のところにわたくしを連れて行ってください」




 均等な感覚で並ぶ尖頭アーチ型の窓に、壁に伝う蔦。入口上部に取り付けられた看板は塗装が一部剥がれ落ちている。鈍い音を立てる扉を押し開け入ると、カウンターの奥に座る娘がおかえりなさいませと言って頭を下げた。出かける時に見かけた娘だった。

 クレピスキュルは通りがかりに声を掛けていく。


「苺のタルト美味しかったよ、いい店を紹介してくれてありがとう」

「お役にたてたようで光栄ですわ」


 階段を上がって、扉を数え、三つ目で足を止めてノブを回す。なるべく音を立てないようにしたつもりだが、ベッドの上で男が跳ね起きるのが見えた。

 クレピスキュルは鼻を鳴らして笑う。


「まるで野生の獣だな」


 それには答えず、ソロはクレピスキュルをきつく睨む。

 クレピスキュルは構わず部屋を横切り、ベッドの端に腰を下ろして足を組んだ。手には紙の袋を持っていた。


「どうだ、腹に何か入れられるなら食わぬか?」


 中身は先程の店で買った焼き菓子だ。

 だがソロはふいと顔を逸らすと、裸足のままベッドから降りて部屋の隅にあるテーブルまで歩き、水差しを手に取る。それを見て、クレピスキュルが肩を竦めた。


「なんだ、飲み物が欲しいのならそう言えばいい。まだ動くのも辛かろうに」

「いらね。あんたに世話なんて焼いてもらったら今度は何を要求されるかわからないからな」

「相手が全くその気でないのに、強引に事を押し進めるほど無粋ではないよ。その気にさせるための努力は惜しまないがな。ほら何も見返りを求めたりはしないから、食え。そう警戒してくれるな。甘い物はいいぞ、気分をやわらげてくれる」


 ソロはコップに注いだ水を飲み干し、それからベッドの上に胡坐をかいて座る。

 そうして広げられた紙袋に手を突っ込むと中身を一つ取って齧った。それは柔らかいカステラのようなもので、ほんのりとレモンとクリームチーズの風味が感じられた。


「どうだうまいかうまいだろう、そうだ、今度は二人で店に行かないか? なんなら恋人たちがそうするように一つのパルフェでも分け合って食べようじゃないか」

「嫌だよ。つーかこれだけうるさくしてて、そいつ、一向に起きる気配ないけどいいのかよ?」


 顎を振り隣のベッドを示して、ソロが言う。


「相当の魔力を消耗したようだからな。しばらくは目を覚まさないだろうよ」

「そうか……」

「どうした、気が咎めるか? ラティアータが己の意思で行動した結果だ。気にすることはない。大体お前こそ泥のように眠っていてもいいくらいだというのにな」


 クレピスキュルは苦笑して、紙袋を近くの棚に置く。

 傷は治し、痛みを取り除きはしたが、衰弱した体には休息が必要だ。どうせ言ったところで聞きはしないのだが。

 気にするなといったところで、気になるものは気になるし、考えたくなくても考えてしまうことはある。こういったことは人に限らない。クレピスキュルにも経験があった。

 難儀なものだと思う。

 周りが何を言っても無駄で、時間が解決するか、自分の中で折り合いをつけるしかない。

 他人のクレピスキュルができることといったら、せいぜい甘やかしてやるくらいのものだ。

 振り返ると、ソロは菓子を食べ切っていて、クレピスキュルは満足そうに笑った。

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