第22話 囚われの盗賊に差し伸べられるは救いの手


 その頃、街ではちょっとした騒ぎがあった。

 どこかから野生の猛獣が入ってきたのだ。

 人々は逃げ惑い、建物の中へと避難した。

 連絡を受けた警邏兵が武器を手にすぐさま出動したが、獣は素早く街中を駆け回り、なかなか捕えられない。しかも、それは一頭に留まらなかった。次々と現れる獣は、まるで兵達を嘲るように、彼らの前に姿を見せては街の四方へと散って行く。

 とにかく数が多く、街に常駐している兵士だけでは対処しきれないということで、城へ応援の要請がなされた。


 牢の中で、ソロは外のざわつく気配を感じていた。

 閉ざされた扉の向こうで急き立てるような人の声と、複数の足音。それから派手な金属音と呻き声。

 何事かと思う余地もなく扉が開かれた。


「ソロ!」


 ディアだ。長い棒を手に、息を切らしている。

 彼女の後ろには倒れた兵士とそれを見下ろす知らない女がいた。

 女、いや男だろうか。前合わせの立て襟の、ゆったりとした長い上衣と、下は裾の広がったズボンを穿いていて、淡い金色の髪は首の後ろで束ねている。

 一瞬小さな子供のように見えた気がして、ソロは眉をひそめる。

 ディアが棒を放り出し、鉄の格子に取りすがって言う。


「なにこれひどい、傷だらけじゃない! そうだ、鍵! 鍵はどこ?」

「これか? たくさんついているが」


 倒れた兵士の傍に膝をついた女が鍵の束を持ち上げる。

 ディアが眉根を寄せて唸る。


「……一個一個試してみるしかないかな」

「めんどうだな。どれ、儂に任せろ」


 女は牢に近づきもせず、指を少しだけ動かした。すると錠が外れて落ち、足首を拘束していた鎖が解かれた。

 ソロは驚いて瞠目し、ディアと女が開いた扉を潜って牢の中に入ってくる。


「ソロ立てる?」

「いや……」


 ディアの手を借り半身を起こすが、それ以上は力が入らない。逃げるどころか、とても動けるような状態ではなかった。

 女がディアとは反対側にやってきて、ソロの顔から身体へと視線を流した。

 女は杏子色の目を細めて言う。


「なるほど、これでは立つこともままなるまい」


 にやりと笑うと、彼女はソロの背中と膝の裏に腕を差し入れて、軽々とその体を持ち上げた。


「は?」


 ぽかんと口を開けて固まるソロを、女は面白そうに見下ろしていた。

 いくら小柄であるとはいえ、ソロは男だ。それを自分よりもずっと細くて小さな女に容易く持ち上げられるなんて、とてもじゃないが信じられない。

 あれ? 女?

 ソロは目を何度も瞬かせる。

 自分はまだ寝ぼけているのだろうか。

 つい先程まで女だと思っていたそいつは、不思議なことに今は男のようにも見えた。


「では行くとするか、そろそろラティアータのやつも限界だろうしな」


 彼女、それとも彼だろうか。得体の知れないそいつが言うと、淡い金の髪が光を帯び始める。

 ソロは体に違和感を覚えて、視線を動かし肝を冷やした。

 足の一部が消えていた。足だけではない、腹や胸、それに腕も。

 いや、消えていたという表現は、正確ではないかもしれない。しかし他に的確な表現が浮かばない。積まれたブロックを無秩序に切り取ったように、体の一部が消えているのだ。ソロは目を剥き、体の欠けてしまったところを凝視する。そこには底知れない闇といくつもの光が混在していた。

 首を捻って、ディアを見る。彼女も同じような状態になっていたが、取り乱した様子はない。

 ディアが笑って言う。


「大丈夫、怖くないよ。ここから一緒に逃げ出すの」


 声の最後が微かに途切れた感じがあって、次に目の前に広がる景色が変わった。

 霞むような青色だった。薄い雲が流れる、春の空。太陽が近い。

 新鮮な外の空気は久しぶりだ。

 場所はどこか建物の屋根の上のようだった。


「おつかれ、うまくいったみたいだね」


 掠れた声で言ったのは、こちらもソロの知らない黒髪の少年だ。彼は今のソロよりもずっと疲れたような顔で、大量に汗をかいていた。

 少年は両手の指を組んで胸の前に突き出し、呟く。


「我が魔力により、魂結い生まれ出でし獣らはたゆたう幻惑の砂海へと還れ」


 少年の髪が光る。

 発せられる声が律動し、幾重にも重なって、空気を震わせる。賛歌のようだ。


「―――Iyn:VUS;,Eenel」


 ふつりと糸が切れたように少年の身体が崩れ落かけたところを、ディアが手を掴んで支える。

 低く張りのある声がすぐ上で言った。


「さぁ、退散だ」


 街中から移動したのは、背の高い木々に覆われた場所だった。

 森か林か山か。そんなところだ。

 ソロは地面に下ろされる。少し離れた場所では、黒髪の少年が同じように力なく転がっていた。

 ディアが地べたに座り込んだまま、それぞれを振り返り言う。


「ありがとうラータ。それに、クレピスキュル」

「構わんよ、儂はあくまでそこの小僧との契約を履行したまでのことだ」


 言われて、少年は小さく手を振るのみだった。


「連続して魔法を使い続けた反動だな、休みさえすれば、すぐ動けるようになるだろうよ。それよりも問題はこちらだ」


 女が言って、ソロを見やった。すいっと手を上方向に動かす。

 途端に、ソロの身体から痛みが消えた。沈みそうに重かった身体が軽い。飛び起きて身体を見下ろすと、傷口はすべて塞がっていた。


「あとはしっかり栄養をとって寝ることだ」

「あんた一体……」

「クレピスキュルよ、魔族の王様。ソロを助けるのに協力してくれたの。それとこっちがラータ、クレピスキュルと契約してて、色んな魔法も使えてすごいの」

「そうか、そりゃ世話になったな」

「それでね、シオンさんのことなんだけど」

「あー……」


 ソロは大きく息を吐き、がりがりと乱暴に頭を掻いた。舌打ちしそうになるのを堪える。

 正直、今はあまり聞きたくない名前だ。


「あと、ソロの宝石も」

「知ってる。牢の中であいつと会った」

「そう……」


 それきり、どちらもが口を閉ざす。

 すると、クレピスキュルが顎を掴んで上向かせた。


「聞いていなかったのか? 今のお前に必要なのは休息だ。難しいことを考えるな。精神の衰耗は肉体にも影響を及ぼす」

「うるせえな。助けてもらったことは感謝してるが、オレの身体がどうなろうがあんたに関係ないだろ」


 顎を振って手から逃れ、睨みつけるソロにクレピスキュルは微笑みかけた。


「関係あるさ。傷を塞ぎ、いくらかでも体力を回復させたのは儂だ。これはラティアータの願いの範疇外でな。お前自身に対価を払ってもらわねばならん」

「言っとくけど、金なら持ってねぇぞ」

「誰が金など欲しいと言った」


 伸ばした足に跨るようにして、顔を近づけ、クレピスキュルが囁く。


「お前はなかなか儂好みなんでな。本来なら寿命だったり、記憶だったりをもらうところだが、特別だ。一夜の共寝で許してやろう」

「あんたが勝手にしたことだろ。オレが頼んだわけでもない。それに魔族の王様が人間とそういう真似事すんのは問題なんじゃないの?」

「魔族の王様だって人間と恋に落ちることもあるさ」


 クレピスキュルは蕩けそうに甘い声で言った。ソロは冷たい目でクレピスキュルを見上げる。

 互いの鼻先が触れ合う。

 別にいい雰囲気でも何でもなかったが、わざとらしい咳払いが割り込んできた。

 相変わらず起き上がれないまま、二人の会話を黙って聞いていたラータだった。


「あんたら、そういうことは他人のいないとこでやれ」


 振り向くと、ディアが真っ赤な顔をして固まっていた。

 クレピスキュルは喉の奥でくつくつと笑う。


「そうだな、ともかくお前たちは一旦寝ろ。話はその後だ」


 また周囲の景色が変わったかと思うと、見上げているのは天井で、ソロは今度はベッドの上に寝かされていた。どこかの宿の部屋のようだった。

 隣にはもう一台ベッドがあって、そこにはラータがいた。余程疲れていたのか早々に寝息を立てていた。

 ベッドの脇に立つクレピスキュルが小首を傾げる。


「必要なら添い寝するが?」

「いらねぇよ」

「ではゆっくりおやすみ、ぼうや。儂は下で茶でも飲んどるよ」


 ディアを促し、クレピスキュルは部屋を出て階段を降りる。階下は宿の入り口に続いていて、年若い娘が店番をしていた。迷うことなく、カウンターに近づいて言う。


「こんにちは、お嬢さん。この階段を上がって手前から三つ目の、左側にある扉の、四人部屋を一晩借りられるかな? 事後申し込みで申し訳ないが」


 店番の娘は目を白黒させる。

 なにせたった今声を掛けてきた客の二人は階段から降りてきたのだ。入り口の前の受付で、客が訪れるのをずっと待ち構えていた娘には、何がなんだかわからない。


「少々訳ありでな、すまないが窓から失礼させてもらった」


 二階の?

 とは声に出さずに心の中だけで呟き、ディアは娘の視線から顔を背けた。

 クレピスキュルは強引に話を進める。


「宿代は、前払いでいいのかね? それとも宿を出る時かな?」

「あの、それでしたら先にお支払いを……それとこちらにお名前をお願いします」


 クレピスキュルはペンを取り、宿帳に名前を書く。

 それからいくらか金を出して、釣銭を受け取り、娘に尋ねた。


「ところで何か飲み物と軽く摘まめるものが欲しいのだけれど」

「申し訳ございません、お客様。食堂は朝晩のみの利用となっています。代わりと言ってはなんですが、この宿を出て右に進み二つ目の角を曲がったところに、有名な菓子店がございます。店内で召し上がることができますので、よろしければそちらで。今のおすすめは季節の果物のタルトとレモンハーブティーです」

「ありがとう」


 宿を出て街を歩く。街の風景はどことなく見覚えがあった。

 白壁と赤煉瓦の屋根の建物と、統一感のある美しい街並み。通りの先に見える重厚な石造りの大聖堂。

 ディアはクレピスキュルの後を、小走りについていきながら呟く。


「クレピスキュル、ここってひょっとして……」


 菓子店のガラス戸を押し開きながら、クレピスキュルはディアの疑問に答えを寄越した。


「そう、ラトメリアの王都ルアランだ。お前達にとって思い出深い場所だろう? そしてゼベル国内と違って安全だ。こうして堂々と街中を歩くこともできる」

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