第14話 西の大国
「それじゃあ俺は挨拶に行ってきますんで、二人は自由にしててください」
王都に到着すると早々に宿を取り、夜までには戻ると言い残して、シオンは一人で出掛けてしまった。
宿でじっとしているのも退屈で、ディアもソロと街見物に出かけることにする。
重厚な石造りの建物が並ぶゼベルの王都、ガルネーレ。世界でも有数の国立大学があり、周辺諸国から勉学のために訪れる者も多い。
ゼベルはラトメリアよりも北部に位置し、広大な土地を有する大国だ。
先の王が崩御し、まだ年若い王が後を継いだのは一年前のことである。新しい王は、まだ成人も迎えていない少年で、実質政を執り仕切っているのは王を取り巻く重臣達だという。
しかし豊かで安定した国勢であることから、不満を抱く者は極めて少ない。
「ゼベルは学問に力を入れてて、この国の人間はみんな文字だの計算の仕方だのを覚える。だから貧富の差が殆どなくて、国民の性質は穏やか、治安もいいそうです―――だってよ」
「そうなんだ? シオンさん相変わらず何でも知ってるよね」
「栄養が全部頭に行ってるんじゃねぇ?」
シオンは大抵のことなら何でも知っていて、疑問を投げかければ、それに答えてくれた。一度見聞きしたことは忘れないのだという。
すごいねと言うと、好きだからできるんだよと言っていた。
知らなかったことを知るのは、自分の中の世界を広げてくれるのだと。
ディアにも何となくわかる気がした。
ディアもここに来るまでに、シオンから文字の読み書きを教わった。おかげである程度の単語や文章なら読めるようになった。書くのはまだ少し苦手だ。
文字を覚えると、街中の張り紙や看板が目に留まるようになった。
これまでただの模様のようでしかなかったのに、それがどういう意味を持つものなのか理解できるようになって、それが何だかとても嬉しい。今までとは世界が少し違って見える気がした。
足や腰の痛みにお悩みの方はいませんか? シー・ブリーム薬店。
麦酒、果実酒、各種取り揃えています。お酒のことなら当店へ。
迷いネコを探しています。特徴は毛色が黒で瞳は金色、足としっぽの先が白色です。赤い首輪をしています。見かけたら連絡ください。
店先に貼られた張り紙を順に見ていたディアはふと通りに視線を戻して目を瞬く。
「あれ?」
悠然と前を横切る猫の姿。
黒い毛並みと金の瞳。足としっぽの先だけが白くて、首周りには鈴のついた赤い輪を付けている。
張り紙と猫を見比べ、ディアは人差し指を猫に向けて叫んだ。
「あ―――!」
声に驚いた猫はさっと走り出す。
ディアもその後を追って走り、ソロの怒ったような声が聞こえた。
「あ、おまえまたッ! もうオレ一人で回るからな勝手に宿戻れよ!」
「わかった―――!!」
走りながら手を上げて、了承の意を示す。
フェルディリカと出会った時ことを思い出すが、あの時とは違って今回は既に宿が決まっている。そこに戻りさえすれば二人と合流できるだろうからまあいいかと、ディアは楽観的に考えていた。
猫は体が小さく身軽で、狭い路地でも人が混みあった通りでも難なく駆け抜けていくが、ディアはそうもいかない。
人気のない路地で完全に見失ってしまい、仕方なく一旦大通りに戻ろうとしたところで、なあなあという小さな鳴き声が聞こえてきて、声のする方へ足を向けた。
いくつか角を曲がると、路地の奥、突き当たった場所に出る。
そこにいたのは先程の黒猫と、その黒猫に寄り添う真っ白な毛並みの猫だった。しかも二匹の猫の足元には子猫が何匹か見えて、ディアはそっとその場を離れた。
せめて飼い主には、このことを報せてあげられないだろうかと思って、張り紙を見かけた場所に引き返すことにする。確か連絡先が記されていたはずだ。
とはいえ、ディアはゼベルの地理に詳しくない。
張り紙をしている店に入って尋ねると、店主らしき男が言った。
「そうだったのかい、そりゃしばらくそっとしておいてやった方がいいだろうね。まあ飼い主の子には後で俺から報せておいてあげるよ。親戚の子でね、すごく心配していたから、無事だとわかったらきっと喜ぶと思うよ。向こうの通りの居酒屋の横の路地を入ったところだったね」
「はい、お願いします!」
これお礼ねと、店主に紙袋を渡される。中には焼き菓子が入っていた。
後でみんなで食べようと、ディアは礼を言い紙袋を抱えて店を後にする。
外に出ると、遠く鐘の音が聞こえた。連なる屋根の向こうに立派な尖塔が見える。街に到着した時に教えてもらった、グレイスゼベル大学の建物にある鐘。
シオンが招かれたという大きな大学。優秀な人たちがたくさん集まるのだと、西大陸に向かう船の上で誰だったかが言っていた。
シオン、最初にディアの味方になってくれた人。大切な仲間。
知識が豊富で頭が良く、見識が広くて、生まれ育ちだって良い。それでも他者を見下したりしなくて、親切だ。
そんな別世界の人が、見ず知らずのはずの自分に協力してくれることになって、本当に幸運だったのだなと改めて思った。
いつだったか、そう。山越えの途中、野営をしていた時にソロが言った。
「あんたも物好きだよな。オレやディア、こんな赤の他人に協力したりして。しかも無償でさ」
そうするとシオンは笑って答えたのだ。
「楽しいんですよ俺。まだ知られていない事実を見つけたり謎を解き明かしたり、そういうのが」
その笑顔は本当に楽しそうで、本気でそう思ってくれているんだろうなというのが、ディアにも伝わってきた。
大学には貴重な書物がいくつもあるらしい。何か新しくわかったことがあれば、報せてくれるという。
これから本格的に扉探しが始まるのだと思うと、ディアの胸は早くも高鳴った。まあ今日はまだ挨拶に行くだけだと言っていたから、また明日以降になるのだろうけれど。
今日戻るのは夕方頃だと言っていた。今はまだ日は高い。恐らくシオンやソロももうしばらく宿には帰ってこないだろう。もう少し街を見て回ろうとぶらついていると、通りの端に人だかりが見えた。
何事かと人と人の間から背伸びをして見てみると、中心には竪琴を抱えた美しい青年が立っていた。
背中に流した長い菫色の髪。まっすぐ伸びて艶があり太陽の光を弾くさまは、まるで星屑を散らした滝のようだ。髪と同色の瞳は、なんだかこの世のものではないような、どこまでも澄んだ輝きを宿していて、底が知れない。
身を包んでいるのは見たことのないような長衣で、そして額には青い涙型の石を着けていた。
青年は優雅な長い指で弦を弾いて、唄う。
宵の太陽 白昼の月
極北の地に アルバの民あり
始まりは太陽の東 終わりは月の西
目指す最果ての丘 祀りし神の社
薄明の空 輝く二つの星
勇壮なる獅子 博雅の蛇
神々の瞳が 交わりし時
世界を繋ぐ 扉が開く
青年は唄い終えると、軽くお辞儀をする。
すると聞き入っていた人々は、夢から覚めたような顔つきになった。
拍手と貨幣が飛び交う中、ディアはまだぼんやりとしていた。
獅子と蛇はシオンの話にも出てきたアルバ族が信仰していたという神々、だとすると神の社というのは例の遺跡のことだろうか。壁画や祭壇があったというアルバ族の神殿。
青年の紫色の宝石のような瞳がふとディアを捕えて、微笑む。
「おや娘さん。どうやらあなたも私と同じ旅人のようですね」
「え?」
言い回しが奇妙に思えて、ディアは首を傾げた。
旅人であることには違いないが、「私と同じ」というのはどういうことだろう。
だが疑問を口にする前に、ディアは強い衝撃を受けて地面に倒れてしまった。
「大丈夫かい?」
「あ、はい」
近くにいた人が助け起こしてくれる。
一瞬頭を過ったのはエテジアでの出来事で、ディアはすぐさま懐を確認した。だが財布や他に物を盗られた様子はない。それどころか先程までは持っていなかったはずの巾着袋が出てきて、しかもそれには見覚えがあった。
こっそり開いてみると、思った通り中には赤い宝石がある。
内側に文字が浮かぶ、あの魔法のような石だ。
通りに目をやれば、走り去る男の後ろ姿。遠目にもわかる、くすんだ濃緑色の外套に薄茶の髪。
ソロだ。
余程急いでいるのか脇目も振らず、通りを駆け抜けていく。
更にその後からは、鎧姿の男達が幾人も同じように駆けて行った。手には剣だの槍だのを携えていて、街の人々は彼らの存在に気付くと素早く道を開け見守っていた。
「警邏兵だよ。何かあったのかな?」
食い逃げかスリかという声が聞こえてきて、まさかと思う。
ソロは確かに前はそうだったかもしれないけれど、今は違う。シオンとの約束があるし、何より今は金には困っていないはずだ。
「おい、これだこれ! ついこの前お触れが出てたこの」
どこかから剥がしてきたらしい貼り紙を手に男がやってきて、皆が集まる。頭上高く掲げられたその貼り紙を見て、ディアは息を呑んだ。
大罪人の文字と、この男を見掛けた者はすぐに城まで知らせるようにとの文面。
そしてその下に描かれた似顔絵はディアもよく知った人物の、ソロのものだった。
誰かが言った。
「そうそうオストリカのどこだっけ、金持ち殺してお宝を奪っていったっていう話だぜ」
ディアの顔からざっと血の気が引く。
耳を疑う。
殺した?
誰が誰を?
握りしめた巾着袋を持つ手が汗に滲む。
嘘だ。だってこれは、廃墟になった神殿で見つけたものだって。隠し部屋にあったものだったって。あの時、ソロは確かにそう言っていた。
呆然とするディアの耳に会話が入ってくる。
「けどよ、オストリカ国内のことだろ? どうしてゼベルでお触れが出てるんだ?」
「その殺された金持ちってのがゼベルの人間なんだってよ」
「人を殺した上に窃盗だろ? こりゃあ死罪確定だな」
他人事な言葉に身震いする。
どうしよう。
ぶんぶんと首を横に振り、冷静さを欠いた頭で必死に考える。
真っ先に浮かんだのはシオンの顔だった。そうだ、シオンならきっと何か、どうにかしてくれるはずだ。ゼベルの偉い人相手でも、きっと上手に話をして、ソロが無実だってことを証明してくれるだろう。
ディアは宝石の入った巾着袋を鞄の中に押し込むと、屋根の向こうに見える尖塔を目指して走った。
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