第15話 怒りと戸惑い



 拘束されたソロが連れてこられたのは、どこかの施設の地下牢だった。

 ゼベルには街の治安維持のための警邏兵が配備されているのだという。その詰所のような場所だろうかと予想はできるが、今のソロには、それを確認する術はない。何せ天井の梁から吊るされた縄で手首を拘束されているのだ。周りには何に使うのか考えるだけでもぞっとするような道具がいくつも置かれている。

 建物に入って真っ直ぐに連れてこられたのはこの地下牢で、真っ先に身体検査をされたことから、おおよそあの宝石が狙いなのだろうと見当がついた。

 幸い宝石は逃げる途中に見かけたディアの懐にねじ込んでやったから、彼らが目当てのそれは、ここにはない。このまましらばっくれてやろうと、そんなことを考えていると牢の扉が開かれた。

 入ってきたのは、質の良さそうな制服を纏った男だ。傍に控える兵士達の様子からして、彼らよりも位が上なのだろうということが知れる。

 錫色の髪と水色の瞳の、美しい容貌の男だった。

 彼は部下から何事か報告を受け、横目でソロを見やる。


「石を持っていないだと?」

「はい。身体検査を行いましたが、それらしい物はどこにも。金に換えたと言うばかりで」

「売却目的だったのか、いや、あの周辺の故買屋は片っ端から当たらせたはずだ。あるいはどこかに隠しているのやもしれん」


 部下の言葉に男は吊った水色の目を眇める。


「吐かせろ、ただしうっかり殺すなよ」


 何度も鞭で打たれ、罵声を浴びせれた。剥き出しの皮膚は、鞭で打たれる度に赤く腫れ、皮が捲れてひどく痛んだ。痛みのあまり気絶すると水を掛けられ無理やり起こされる。質問は同じことの繰り返しで、盗んだ宝石をどこへやったのかということ。それでもソロは口を割らなかった。ただただ乾いた笑いと共に白を切ってやった。


「こで、売ったかなんて……覚えてね、よ、いい値にゃなったけど、な………」


 するとまた背中に衝撃があって、視界に星が散る。

 指揮官と思しき銀髪の男は力なく項垂れたソロを冷めた目つきで見つめていた。新たな報告が入ったのはそんな時だった。


「この男が泊っている宿がわかりました。他に荷物はありませんでしたが、仲間と思しき者が二人いるようです」

「ほう?」

「宿の主が言うには一人は男、もう一人は女の子供ということです。特徴から二人とも東大陸の出の者と思われますが」


 銀髪の男がちらりとこちらを見やって目が合う。

 その酷薄そうな薄い唇の端が持ち上がるのをソロは見た。


「探し出して連れてこい。その二人を目の前で痛めつけてやる方が効果的かもしれん」




***



「だから、シオンという人が今ここに来てるはずなんです」


 グレイスゼベル大学の正門前。さっきから繰り返される押し問答に、ディアはそろそろ辟易としていた。

 ディアの前に立ちはだかるのは守衛の男性だ。門の内側に小さな小屋があって、ディアが近づいてくるのを見つけると、外に出てきて学生証を出すように求めてきた。

 もちろんそんなものは持っていなくて、ディアは事情を説明した。急ぎの用があって、知り合いがここにいるはずだから通してほしいと。


「いやあのね、お嬢ちゃん。そんな名前一つ言われてもどの学部のどの学科の研究室の生徒なのかとか、そういうのがわからないんじゃ確認しようがないんだよ。大体君はなんだ? その生徒の家族か何かかね?」

「だからー生徒じゃなくて留学生なんです!」


 両の拳を握りしめて訴えるが、守衛は頑として通してくれない。じゃあせめて探して呼んできてくれと頼んでも、それにも応じてくれない。

 学部とか学科とか研究室とか言われても、シオンとそんな込み入った話をしたことなどないのだから、答えられるはずもない。

 ふと思い出して言ってみる。


「あ、でもそうだ。シオンさん確か民俗学を専門にしてるって……」

「はいはい、そんなことを言われてもここにその勉強をしに来てる生徒がどれだけいると思ってるんだ。とにかく部外者を中に入れるわけにはいかないんだよ、なんならそこで待ってれば、君の知り合いもそのうち出てくるんじゃないか?」


 急いでるというのに、そんな悠長なことなどしていられない。もちろん相手はこちらの事情など知ったことではないのだろうけど。

 門の内側に見える広場では数人の学生の姿があって、皆何を騒いでいるのかと窺っているようだった。だがその中にシオンは見当たらない。


「あのー」


 近くで声がして、ディアと守衛の男が同じ方向に目を向けた。


「事務局で聞くくらいしてあげてもいいんじゃないですか? 民俗学専攻で、他国からの留学生でって言ったら、ある程度絞られると思うけどな。なんなら僕聞いてきましょうか? おじさんここ離れられないでしょう?」


 助け船を出したのは少年だった。短く切った黒髪と緑の瞳をしていて、年はディアと同じか、少し下くらいにしか見えないのに、話しぶりや表情にはどことなく大人びた雰囲気があった。


「あー……」


 守衛の男はちょっとだけ考えてから答えた。


「そういやそうだな、悪いが行ってきてくれるか?」

「いいですよ、どうせこの後授業もないし」


 少年は淡々と言い、踵を返す。

 ディアはその背中に向かって声を投げかけた。


「あ、あの! ありがとう!」


 少年は一度振り返ったが、にこりともせずに小さく頷くのみだった。

 正門の横に建てられた人一人しか入れなさそうな小屋に戻って、守衛の男が教えてくれた。


「すごいよな、あの子最年少だってよ。うちの子と同じくらいじゃねぇかな」


 焦っているせいか、待ち時間は妙に長く感じられた。

 実際そこそこ待っていた。少なくとも広場の中央に見える、太陽光と影の性質を利用した時計の影の位置が変わったことがはっきりとわかるくらいには。

 痺れを切らしたディアが門の格子にしがみついた時だった。広場の奥の方から小走りにやってくるシオンの姿が見えた。


「ごめんごめんディア。軽く挨拶だけ済ませようと思ってたんだけど、つい話し込んじゃって。何かあった?」

「シオンさん、ソロがっ!」

「ソロさん?」


 門から出てきたシオンの服を掴んで、ディアは泣きそうになって訴えた。


「ソロが、どうしよう、連れて行かれちゃって」

「わかったディア、聞くからちゃんと最初から話してくれ。ここで話す? それか宿に戻ってからの方がいい?」


 ただごとではないと感じ取って、シオンが言った。

 街路樹の下に行き話す。時間帯のせいか、大学に面した通りは人の姿がまばらで都合がよかった。

 ディアは順を追って説明した。

 話を聞くうちに、シオンの顔から表情が消えていった。


「何かの間違いだよね? だってあれはどこかのさびれた神殿で見つけたものだって……」

「どうだか」


 同意してもらえるものと思っていたから、少なからず驚いた。

 シオンはそれきり黙りこみ、腕を組んで何か考え事をしていた。


「街を出よう」

「えっ!」

「急いでディア、歩きながら話す」


 シオンはディアの手首を掴んで引き、声量を押さえた声で言う。


「ソロさんが捕まったなら、あの人と一緒にいた俺たちも共犯とみなされている可能性が高い。否定したところで信じてもらえないだろうしね」

「そんな横暴な」

「仕方ないだろ、ソロさんが君にそんなもの押し付けたりするから」


 棘のある言い方に、シオンが怒っているのだとようやく気づいた。同時に取り乱しているのだとも。

 街の入り口を目指して、早足に歩いて行く。


「とにかく一度、状況を整理したい。それで落ち着ける場所を見つけてそれから解決策を」


 シオンがいきなり立ち止まるものだから、ディアはその背にぶつかってしまった。どうかしたのかと尋ねる前に、前方に警邏兵を見つけた。

 いたぞ。

 こっちだ。

 口々に言って、走り寄ってくる。

 シオンの予想どおりだった。彼らにとって、自分たちは人を殺し宝石を奪った賊の仲間なのだ。


「走って!」


 シオンの後に続いて、警邏兵とは反対方向に走り出す。背後で甲高い笛の音が鳴り響いた。

 道行く人々は遠巻きにこちらを見ている。笛の音はまだ続いていた。

 通りの先には大きな川が流れていて、立派な石造りの橋がかけられていた。橋の真ん中あたりに来たところで、前の方から新手が駆け付けてきて、挟み撃ちに合う。

 警邏兵がじりじりと迫ってきて、背中に欄干が当たる。

 ちらりと橋の下に目をやる。川の流れはそう速くないように見える。高さもそれほどではない。


「シオンさん泳げる?」

「無理」


 間髪入れずに返ってきた答えに、ディアは絶望する。


「でもこのままじゃ捕まっちゃう」

「行け君だけでも逃げろ!」

「シオンさんどうすんの!」

「どうにかするよ!」

「どうにかってどう、いいから飛び込んで! わたしが抱えて泳ぐから」

「無茶言うなよ体格差考えなって」


 腕を取って引くが、シオンは引きつった顔で首を振るばかりだ。その間にも警邏兵との距離は縮まっていて、もう後がない。

 四方から飛び掛かってくる警邏兵に諦めかけた時だった。

 風が吹いた。

 それはただの風ではなくて、足元から二人を掬うように上空に向けて吹き上げるものだった。ふわりと体が宙に浮きあがる。警邏兵がざわめき慌てふためくさまが、遥か下方に見えた。

 もちろんディアとシオンも状況を理解できてなどいない。ただ中空で、うかつに動くこともできないでいた。

 すると何かに引き寄せられるように体が宙を滑り始め、耳元でごうごうと音が鳴る。


「シシシシオンさんこれなに!」

「知らないよ俺じゃない!」

「それは知ってる!」


 傾いた陽の、橙色の光に染められた空。離れたところでは翼を広げた鳥が群れ、同じ方角へ飛んでゆく。進む方向には山があった。つい先日、苦労して越えてきたミンタミヤ山だった。

 そのまま山肌にぶつかるんじゃないかと一瞬危惧したが、山の手前までくると少しずつ動きが緩やかになっていることに気づいた。山の中腹辺り、木々の茂った場所に降り立つ。

 シオンもディアもその場で気が抜けたように座り込んでしまった。

 今になって思い出す。

 そうだ。

 この感じ、自分にはない力。見えざる力によって引き起こされる不思議な現象。

 つい最近まで馴染みがなかったもの。

 ディアが呟く。


「魔法……」


 近くで葉擦れの音がしたかと思うと、目の前で風が渦巻き小さな竜巻のようなものができた。

 風はすぐに静まり、その中心に人が現れる。

 いや、人というには色んな点で不自然だった。

 まず目についたのが先の尖った耳。そして頬から首にかけて、皮膚に何か彫り物のような模様があって、それはほのかに明滅しているように見えた。目も白目にあたる部分がなく、黒くて丸い石をはめ込んだような感じだ。

 身体の脇に垂れる腕は、手の甲の辺りまで鳥の羽のようなもので覆われていて、その先に伸びる手の形も少しいびつだ。指が三本しかないし、やけに爪が長い。

 今度はシオンが口を開いた。


「魔族?」

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