第13話 野営、そしてゼベルへ


 大陸を南北に大きく分断するミンタミヤ山脈は、周辺に散らばる国々の国境の役目を果たしている。ゼベルはこの山を越えた向こう側にあり、王都を目指すには山を越えるのが一番の近道ではある。

 ただし山道は険しく、旅人たちからは忌避されがちだ。

 海路の方が楽ではあるけれど時間と費用が嵩むということで、話し合いの結果、山越えに決まったわけだが、


「でもやっぱり、多少お金と時間がかかっても、船使った方が、よかったんじゃないですかねこれ……」


 真っ先に音を上げたのはシオンだった。

 山道はそれなりに整備されているが、とにかく傾斜がきつい。登り始めて間もなく、息は切れ、足の筋肉は引きつるように痛んだ。

 頭から顔から汗が流れて、地面に落ちる。もちろん体も汗でぐっしょり濡れて、服が貼りつく。

 どうして平らな地面が斜めになっただけで、こんなに疲れるんだろう。

 やや先を歩くソロは涼しい顔で、呆れたように言う。


「いや体力なさすぎだろ。まだそんなに登ってないぜ」

「俺は、昔から、体動かすのが苦手、なんですよ!」

「シオンさん頑張って、あと少し行ったらちょっと休憩しよう!」


 ディアに背を押されながら、シオンは鉛のように重い足を前に運んだ。殆ど気力だけで動いていた。

 今からでも下山して海路に変更したい気分だった。


「今日はここまでにするか」


 夕暮れが近づく頃、平坦な場所を見つけて、ソロが提案した。夜動くのは足元が悪く、危険だからだ。

 それに獣が活動する時間帯でもある。火を起こして、獣除けをしなければいけない。

 本当なら山頂に到達してもいい頃だが、途中何度も休憩を挟んだせいで、今はまだ中腹を過ぎた辺りだ。


「シオンさん休んでていいよ」

「ごめん。悪いけどそうさせてもらう」


 ディアは慣れた様子で薪を組み、その周りを石で囲う。

 その間にソロが燃やせそうな木の枝を拾い集めてくる。燃やしやすいように短剣で木の枝を縦に割り、火打石を使って火を起こす。

 食事は山に入る前に買っておいた保存食だ。パンと燻製にしたチーズ、それから少し冷えるからとディアが簡単なスープを作った。

 シオンはぐったりと地面に座り込み、木の幹に背中を預けて、ぼんやりと二人が動くさまを眺めていた。 

 眺めながら、自分には無理だなあと思う。

 そもそも一人だったら船を使っていた。金と時間を使ってでも楽な行程を選んでいただろう。

 まあいい。今回やってみて、体力を要することが自分には向いていないのがよくわかった。

 山登りなんて二度としない。

 落ち着いたのを見計らって、ソロがパンとチーズを持ってきた。


「はいこれあんたの分。食える?」

「ありがとうございます」

「スープもすぐできるってさ。今日はオレが火の番するからあんたとディアは寝ろよ」

「だったら俺が……」

「アホか、今日一日でくたばってる奴がそのうえ徹夜なんかして体力持つと思ってんのか?」


 すげなく返されて、シオンは黙った。

 悔しいが、反論できない。実際遅れをとっているのは自分のせいだ。

 ソロはその場にしゃがんで言う。


「けどまあなんだ、オレやディアはともかく、明らかにこういう野外生活にゃ向いてなさそうな坊っちゃんがいるってのに、よく考えず山越えの方にしようぜなんて言って悪かったと思ってるよ」

「え、馬鹿にしてます?」

「してねぇって」

「スープできたよー」


 ディアの声にソロは立ち上がり、焚火の方に行った。

 椀を二つ持って戻ってくる。スープは豆を使った素朴な味付けのものだった。息を吹きかけ冷ましていると、ソロが話し始める。


「オレはさ前にも言ったけどさ、水害で家族なくしてさ、だからなんつーのかな、その日の飯も満足にない時だってあって。仲間はいたけど基本的に自分のことは自分で何とかしなくちゃいけなかったからよ。場合によっちゃ店先のもん盗ったりして、追いかけられてさ。だからまあ割と体を動かすのは苦痛じゃないし、慣れてるっていうか……でもあんたはそうじゃないだろって話」

「どうせ俺は軟弱な男ですよ」

「だからそういうんじゃなくてだな」

「わかってますよ、気使ってくれてるんでしょう? けど山越えは三人で話し合って決めたことですし、俺が足引っ張ってるのは事実ですから、ソロさんがそれで謝る必要はないと思いますけど」

「いやまーそりゃそうだけどさぁ」


 シオンは椀に口を付けてスープを啜り、あちちと言って舌を出す。


「正直言って山登りだけは二度としたくはないですけど、こういうのはいいなあって思いますしね。焚火とか野外で食べる食事とか、山登りさえなければですが。俺何もできてなくて言うのもあれですけど、二人が段取りよくやって行くの見てて気持ちいいっていうか、あーそれそうするんだーって思ったり、覚えてたら何かの時役に立つかなとか思ったり。もちろん山登りはしたくないですけど」

「どんだけ山登り嫌なんだよ」

「だって息は苦しいし足は痛くなるし。それを好きとか、わざわざ自分を痛めつけるためにやるようなもんじゃないですか。痛いの好きとかそういう感覚と同じでしょ」

「飛躍しすぎ。達成感がどうとか景色見る為とか色々あるじゃんよ」

「それ以前の苦痛が大きすぎるんですよ。ま、それはともかく」


 心底からみたいな息を吐き出して、シオンは言う。


「次があるなら間違いなく山登りだけは断固反対しますけど今回だけは頑張りますんで、申し訳ないですがもうしばらく付き合ってください」

「早くて二日ってとこか。そっから街道沿いに真っ直ぐ進んで、それでも二日はかかるって言ってたっけ」

「食料もちます?」


 山越えは厳しいと聞いていたから、できるだけ荷物は減らしている。

 予定よりも遅れているとなると、真っ先に気になるのは食料のことだ。


「さあ。足りないなら調達すればいいだろ」

「調達って言っても………」


 山道に入ってからというもの店どころか人の姿さえ見かけない。それに木の実も今の季節殆ど見られない。近くに小さな川が流れていたから、ひょっとして魚でもとれるのだろうか。

 素直な疑問を口にしかけたシオンの耳にディアの声が響いてきた。

 手にはふわふわの毛玉のような物があって、まるで釣り上げた魚でも見せるように顔の高さに掲げている。


「ねー、ウサギ捕まえたけど食べるー?」




 肉は好物だ。特に新鮮なものは臭みがなくて、柔らかい。

 食べる時にわざわざ元の姿を考えたことなどないが、その肉がどんな姿の動物だったかということくらいは知っている。魚が切り身の姿で泳いでいるわけではないということと同じで、肉も別に肉の塊が歩いているわけではないのだ。

 だけど知識はあっても、実感はあまりなかったのだと思う。

 実際こうして皮を剥ぎ、内臓を取り出し、肉を切り分けるところを見てしまうと何とも言えない複雑な気分になる。

 シオンは見ている途中で耐えられず、目をそらしてしまった。


「だって君、昼間見かけた時は可愛いとか言ってたのに………」

「言ったけど……」

「それはそれこれはこれだろ」


 枝に刺した肉を焚火で炙りながら、ソロが言った。


「で、食うの食わねぇの?」

「食べます……」

「食うのかよ」


 息を吹きかけて冷まし、焦げ目のついた部分に前歯を立てて嚙みちぎる。初めて食べるウサギの肉は淡泊だが、肉としての旨味がしっかりあった。


「おいしい」

「でしょ?」

「でもウサギなんですよね」


 ぽつりとシオンが漏らして、ディアはちょっと考えてから言った。


「……牛も猪も鹿も鳥もかわいいよ。赤ちゃんの時なんかみんなかわいいよ」

「わかってるよ」


 言いながらもシオンは残さず食べた。

 同じく完食したソロがやれやれと肩を竦める。


「何だかんだ言ってあんたタフだよな」

「明日もありますし、食べてしっかり体力つけとかないとと思いまして」

「そーりゃそうだ」


 ソロが両腕を上げて伸びをする。

 ディアは先程のウサギの皮や内臓を土に埋めて、手を洗うために川へ行った。


「そうだ、ゼベルに着いたらさ。あんたは大学行くんだろ? そしたらオレとディアはどうすりゃいいんだ? あんたが情報仕入れてくるのを大人しく待ってたらいいわけ?」

「そうですね、ひとまず宿をとってもらって。何か有力な情報が見つかればお知らせしますんで、それで後はソロさんたちに動いてもらえたらいいかなって」

「一緒に行かないのかって、行けねぇよな。共同研究とかって言ってたもんな」

「はい」


 シオンは枝を折って焚火に放り込む。パチッと音がして、火花が爆ぜた。


「そういやこの前の話だけど」

「なんですか?」

「こいつ、この石が何とかって星を表してるんじゃないかって」


 ソロは胸の辺りを押さえて言えば、シオンは頷いてみせた。


「ああ、ヴェルメリオのことですね。星座の、獅子座の目にあたる部分のあれです」

「そうそう。それでもう片方が青いヘビだっけ?」

「紅き眸の獅子と蒼き眸の蛇。アルバ族が信仰していたとされる二神ですね」


 ラトメリア城の書庫で見つけた古い文献に記されていた内容だ。著者は民俗学を専門とする研究者で、アルバ族が暮らしていたとされる一帯、この西大陸の最北にあたる地域で遺跡を発見したのだという。

 祭壇のようなものや壁画から、それは神殿跡ではないかと考えられているらしい。

 壁画には獅子とヘビ、そしてそれらを崇める人々の姿が描かれていたそうだ。


「ここからはただの俺の推測ですけど、ソロさんが持っている赤い宝石には太陽という言葉がありました。それから考えられるのは」


 シオンは枝の先で地面に簡単な絵を描いていく。

 連なる山に沈む太陽、そして昇る月。そして、その傍らに二つの点を記した。


「夏の夕暮れ時、沈む太陽の近くに輝く赤い星、つまりヴェルメリオです。そして同時刻に現れる月の近くには青い星が見えます。これはアルバストゥル、ヘビ座の目の部分になります」

「つまりオレが持ってるコレに片割れがあるとしたら青い石ってことだろ?」

「多分ですけど」


 戻ってきたディアがシオンの隣に座って、地面に描かれた絵を見て言った。


「何これ、ブタ?」

「獅子だよ……」

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