第12話 追って沙汰があるものと


 月が中天に差し掛かる頃。

 この街一番の資産家と言われるクレバールの屋敷に、息を潜め忍び込もうとする人影が一つ。影はとても身軽で塀を軽く乗り越えると、庭の植え込みの間を足早に抜ける。そして屋敷の傍まで来ると、廊下に通じる一階の窓ガラスにナイフの先を使って器用にくりぬき、鍵を外して中へ侵入した。

建物の裏手にあたる部分。明かりはなく、人の気配もない。月明かりが届かない場所であっても、多少の夜目は利く。

 目指す場所は二階にあると言われる、この屋敷の主の書斎だ。

 リザから教えてもらった奉公人もあまり使うことのないという階段を通り、壁に並ぶいくつもの扉から目的の部屋を探し出す。

 部屋にあったランタンに火を灯し、机と棚の引き出しを開け、中の書類を全て机の上に出していく。

いくつもある書類の中に、領主モルセゴの名前が記されたものを見つける。ただそれは一枚に限らない。他にも何か数字が多く書かれたものがあったり、地図のようなものだったり、契約書と大きく記されたものだったりと、商売に関係しそうなものが多くあった。

 文字は教えてもらって多少読めるようになったが、書類の中身は難しくて、どういう内容のものかまでは読み取れないものが殆どだ。

 そんなわけで彼女の決断は早かった。

 わからないなら全部持ち帰ってしまえばいい。

 そう考えて、その場にある書類をまとめて鞄に突っ込んだのだった。



 同時刻、クレバールが経営する店を訪れる客の姿があった。

 深い赤色のベロアの生地と白いリボンのドレス姿の女性だ。肩までの長さの薄茶色の髪は下ろしたままで、小さな花を象った銀の飾りをつけている。

 リザだ。

 昼間クレバールから半ば脅しのように呼び出された彼女は、これからその身に起こりうる事態を憂えてか、冴えない表情をしていて、僅かに怯えた様子さえあった。


「そろそろいらっしゃる頃だと思ってお待ちしてましたよ、リザさん」


 扉を押し開けると、クレバールが待ち構えていた。

 彼が経営するこの店は一階が酒場で、二階から上は宿になっている。

 案内されたのは三階の一室だ。豪勢な部屋で、石床は大理石に絨毯が敷かれていて、その上には大きなベッドと丸テーブルと椅子、それから化粧台が置かれていた。


「しばらくお待ちください」


 この部屋に連れてこられた意味は理解している。

 リザは何も言わず、静かにベッドの端に腰を下ろす。

 言われた通り待っていると、ノックもなく扉が開かれて軽い足取りで男が入ってきた。初老の男で鼻の下と顎に髭を蓄えている。クレバールほどではないが横幅のある体つきで、服装はご丁寧なことに寝間着だった。

 恐らくこれが領主モルセゴ。


「リザ、とうとう決心してくれたのだな。わしはこの時を、首を長くして待っておったのだぞ」


 モルセゴは興奮のためにか声を弾ませながら近づいてくる。

 キモッ。

 思わず口の中で呟いてしまい、まずいと思って彼女は顔を背けた。だがモルセゴは気づかず細い肩に手を置く。


「さあさ、恥ずかしがることはない。今宵は存分に可愛がってやるからな」


 掴まれた肩に体重がかけられ背中から倒れそうになったリザは、しかし突如ひらりと身を翻してモルセゴの手の中から逃れ、反対に彼の胸倉を掴んでベッドに押し倒すと、その上に乗りかかった。更に彼女はスカートの下から短剣を抜き取り、男の首筋に突きつける。浮かれ切っていた男は自身の上に覆いかぶさる美女の姿に、一体何が起こったのか理解できず目を瞬かせてた。

 侮蔑の眼差しがモルセゴに注がれる。


「きしょっくわりぃマネすんじゃねぇよ、このエロ爺」


 紅の淡い桃色で彩られた唇が紡ぐ声は想像していたよりも低い。というより男のものだった。

 一拍遅れて、モルセゴはひぃと悲鳴を上げる。


「動くなよ」


 刃を首の薄い皮膚に押し当てて、リザと全く同じ顔の男は言う。


「こんな格好までさせられたんだ。テメェが知ってること洗いざらい吐いてもらうぜ」


 いっそ理不尽なまでの怒りと容赦のなさを感じて、モルセゴはガタガタと身を震わせた。



 一階の酒場ではクレバールがカウンターに座り、一人グラスを傾けていた。

 店は今晩に限り貸し切りにしているから、店内に客はいない。


「今頃はお楽しみか、まあこれであの頑固な娘も諦めがつくだろう」

「そうなればあの土地と家はクレバール様の思いのままというわけですね」


 カウンター奥でグラスを磨きながら、バーテンダーが言った。


「そういうことだ。しかしあの時親子共々あの世に葬ってやれれば余計な手間もなく、もっと早くに手に入れることができたんだがな。まさか屋敷勤めしていたあの娘にご領主が目をつけるとは」

「まあまあ色々とご不満がございましょうが、目的は果たされたのです。ひとまずは祝杯をあげましょう」


 バーテンダーは言い、棚に並ぶ酒の中でも最高級の一瓶を選び取り、磨いたばかりのグラスに注いでクレバールの前に差し出した。

 クレバールは頷き、楽しげな笑みを浮かべてグラスを取る。


「そうだな。しかしこれからまた忙しくなるぞ、そろそろ他国にも足をのばそうと思ってな」

「捕らぬ狸の皮算用っていうのは、まさにこのことですよねぇ」


 返ってきたのは人を小ばかにしたような第三者の声だ。クレバールとバーテンダーが入り口に目をやると、開かれた扉から眼鏡を掛けた長身の青年が入ってくるところだった。

 昼間、リザと一緒にいた旅人だ。

 クレバールは椅子から立ち上がって言う。


「これは旅のお方、一体何のことですかな? それに今日店は貸し切りで」

「冬の夜の大三角」


 眼鏡の青年が発した一言に、クレバールの目つきが剣呑なものに変わった。

 彼は臆することなく店の中に足を踏み入れ、一枚の紙を掲げて見せる。


「五年前、盗賊の首領が残した暗号の答えです。ここに記されているサソリの目玉とヤギの尾の先、それから小熊の爪というのは冬の星座の、恒星のこと。ラトメリア王都と盗賊の根城となっていた岩山をサソリの目玉とヤギ尾の先だとすると、小熊の爪にあたる部分はその二つの点から西に交わるところ。そうリザさんの家のある場所です」


 クレバールが目配せをし、バーテンダーは店の奥に控える男達を呼んだ。

 用心棒代わりに金で雇った者たちだ。


「そこには盗賊達が隠した金が隠されている、だからあの家が欲しかったんですよね?」

「おまえさんどこでその紙を見つけた?」

「あ、これですか? あなたの書斎にあったものですが」

「な、なに?」

「他にもいろいろありましたよ」


 眼鏡の青年の手招きに応じて、彼の後ろから出てきた少女が体の脇に下げた鞄の中から書類の束を取り出す。青年はそれを一枚一枚捲りながら読み上げていった。


「収益の偽り報告に、ご禁制の品物の密売と人身売買、違法な高利貸し等々、よくまあこれだけ悪いことばっかり思いつきますよね」

「な、な、なんなんだおまえは、一体何者だ!?」


 激しく動揺するクレバールに対し、彼はにこりと笑った。


「ただの旅の学者です」

「ふざけるな! おい、おまえ達この怪しいやつらを逃がすなよ!」


 人相の悪い男達が一斉に飛び掛かってくる。

 だが眼鏡の青年はあくまで穏やかな笑顔を崩さなかった。


「いやだなあ。俺腕っぷし強くないんですよ。それでこれだけの証拠掴んでおきながら、一人でこんなとこ来るわけないじゃないですか」


 どういう意味かと考える間もなく、微笑む青年の背後から武装した兵たちが駆け込んできた。彼らが身に着けているのは自警団の制服だ。

 その内の一人、先頭に立つ指揮官らしい男に先程の書類の束を手渡し、眼鏡の青年は後ろに下がった。


「神妙にしろ、クレバール・カニス。盗賊と共謀し王都を荒らした罪、そして数々の不正行為、逃れえぬ証拠はここにあるぞ!」

「なんと、そのようなどこの者とも知れぬ男の言葉を鵜呑みにするのですか? そちらの書類についても私にはまったく身に覚えがありません、誰かが私に無実の罪を着せようとしたのではありませんか?」

「往生際が悪いぜ、クレバールさんよ」


 白々しく言い逃れようとするクレバールだったが、タイミングを計ったように頭上から声が降ってきた。


「ひっ……!」


 続いて息を呑むような音がして、カウンター上部に見える二階廊下の欄干に何かがぶつかった。

 それは髪と夜着を乱れさせたモルセゴで、彼は真っ青な顔で這うようにして階段を逃げ降りてくる。その後から続いて現れたのは赤いドレス姿の女性。

 リザだ。

 少なくとも顔形だけは。

 だが声は男のものだし、仕草、口調に荒っぽさがあって、表情もまるで別人だ。

 何がどうなっているのか、クレバールにはわけがわからない。

 リザと全く同じ顔で、その男は言う。


「そいつがみんな吐いちまったよ。五年前、あんたが盗賊団を使って競合相手の店を襲わせたこと、賊達が連れてきた娘をあんたが売りさばいていたこと。そしてそのおっさんから仕入れた警備の配置情報を賊達に流していたこと」


 モルセゴがバランスを崩して階段を転がり落ち、クレバールはがくりと床に膝をついた。

 指揮官の号令で兵達が悪党たちを捕えに動く中、二階に目を向けたまま、ぽかんと口を開けて突っ立っている者がいた。


「リ、リザさん………?」


 それはリザと親しげに話していた若者、ルトラで、彼は衝撃のあまり固まっているらしかった。

 そんな彼の様子に気づいたシオンが彼の背中をつつき、店の外を指し示してやる。そこにはいつもの可憐な、けれど少し困惑したような笑みを浮かべる女性が佇んでいた。



***



 捕えられたモルセゴとクレバールは、近い内に王都に移送されることが決まった。王都で取り調べを受けた上で、裁きを待つことになるらしい。

 ディアとシオン、ソロの三人はリザの家に戻って一眠りした。

 そして翌朝、出発するという三人を見送りにリザが家の外に出てきてくれた。その隣には、心配で様子を見に来たというルトラの姿もあった。


「リザさんこれからどうするの?」

「おかげさまで借金もなくなりましたし、これからも私は両親が残してくれたこの家で薬草を採りながら細々と暮らしていこうと思ってます」

「そうですか、こんな場所に女性が一人でっていうのはちょっと気がかりではありますけど」


 シオンが肩を竦めて言うのに、ルトラが緊張した面持ちで口を開いた。

 顔は湯気でも出そうに赤い。


「そ、そのことなんですけど……リザさんさえよければその、これからは俺がちょくちょく様子を見に来させてもらうというのはどうですか?」

「え? でもルトラさんもお役目で忙しいでしょう? 悪いわ」

「えーいやそれは何とかして……」


 シオンはリザとルトラの顔を交互に見ていたが、ああと手を叩いて言った。


「お二人でここに住めばいいじゃないですか? 好きあっている者同士なんですし」

「!」


 リザとルトラは驚いた顔でお互いを見て、それからそれぞれ反対方向に顔を背けた。

 ソロが横目でシオンを見る。


「お前何でそういうこと言うんだよ」

「何でって、いいじゃないですか。当たってたし」

「当たってるから余計に性質が悪いんだよ」

「えー……」


 何故かちょっとぐったりした様子のソロに、シオンが後ろ頭を掻く。

 そんな二人をよそに、ディアがリザ達に手を振った。


「リザさん、ルトラさん元気でね。お幸せに」

「はい。みなさんも道中お気をつけて」


 互いに気まずそうにしつつも、先程より二人の距離は近かった。

 街道を歩きながら、ディアが言う。


「あーそれにしてもソロの女装可愛かったよねー」

「嬉しくねぇよ思い出させんなよ」

「いいじゃないですか、これからいろんな場面で使えるかもしれませんよ」


 今回の計画を練った張本人が笑いながら言って、ソロが睨みつけた。


「いや二度としないからな?」

「なんでですか、いい商売にもなりそうですし。そうだ、俺が望んでもない見合いとかさせられそうになったら恋人のフリでもしてくださいよ」

「絶対に嫌だ」


 真顔で即答するソロに、シオンがそれは残念と軽い感じで返した。

 遠くに、高くそびえる山の連なりが見えていた。

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