過湿

絵空こそら

第1話

 加湿器ぜんぶピンクなの。

 20台。誕生日プレゼント何がいい?ってきかれたから、お客さん全員に加湿器って耳打ちした。わたしのピンク好きは公式設定だから、とうぜん、同じ色が集まるよね。

 濃い色、薄い色、形も性能も若干ずつ異なる加湿器たちを、狭い狭い部屋の中に置く。延長コードにさらに延長コードを挿したりして、コンセントを繋いでいく。やまたのおろちもびっくりの様相、だ。部屋全体が可愛らしい部屋の中で、コードの黒だけが、異質。

 つん、つん、と指先で、スイッチを押していく。もはや、誰にどれを貰ったのか、判然としない。

 加湿器たちは、猛烈な勢いで水蒸気を吐き出し始めた。もうもうと煙のような蒸気が立ち込め、みるみる部屋の遠近感が曖昧になった。

 息をするだけで、身体の奥に水の粒が入り込んでくるみたい。いつの間にか肌も、髪も、汗をかいたみたいに、ぐっしょりと濡れている。顔を拭った。ぽたぽたと水滴が落ちては、また皮膚に張りついてくる。なんだかサウナみたいね。でもけして、暖かくはないんだ。しんと冷たい心地よさが、肌を満たしていく。

 気づけば足元にも水が溜まっていた。コンセントが水没してるかも。もし感電したら、ミュージック・ビデオの米津玄師みたいになるのかしら。きっとママは泡を食ったような顔をするに違いないわ。想像して、可笑しくなった。あはは。声に出して笑う。水蒸気に吸い込まれて、音は反響せず消えた。

 今度は真顔になって、ひとつひとつの電源を切っていく。活気盛んに水蒸気を送り出していた彼らがぴたりと止まると、不意打ちで刺されたか、心臓麻痺を起こしたか、そんなイメージが浮かぶ。死んでいく、わたしの気まぐれで。愉快。

 ばっと扉が開いて、森夫が入ってきた。水蒸気が外へ漏れ出していく。クリアになった視界に、ハート型の壁時計が映る。17:45。いつもより15分早い。

 森夫は何も言わなかった。ただ黙って、水に濡れたわたしの裸体をじっと見た。とろとろと地面に溜まっていた水が、扉の外へ流れていく。

「姉ちゃんに誕生日プレゼントをあげにきたんだよ」

 部屋の視界が正常になった頃に、森夫は言った。その頃には森夫もいくらか濡れていた。

「何を?」

 わたしは首を傾げた。身体に染み込んでいる愛らしい所作。森夫は服を手渡した。

「着て。そのままじゃ、目立つから」

 わたしは森夫を見つめた。言う通りに身につける。

「行こう」と言って、森夫はわたしの手をとった。


 森夫のバイクが冷たい風を切り裂いていく。どんどん寒さが濃くなっていく。温室育ちのわりに、わたしは寒さに強い。それを、森夫もわかっている。

 あたりはもうすっかり暗くて、星が瞬き始めている。潮のにおいがする。

 砂浜の手前で森夫はバイクを停めた。ざざん、ざざん、とローリングする波打ち際へ歩いていく。

 海。わたしは走って、冷たい波へ飛び込んだ。心地よく身体を、水が包んでいく。生きている心地がする。ざぶりと顔を海面に出す。

「ありがとう、森夫。連れてきてくれて」

 これが誕生日プレゼント。ママが帰ってくるまでの数時間、連れ出してくれたのだろう。

 ところが、森夫は首を振って「姉ちゃんを殺すことにした」と言った。

「俺は姉ちゃんに脅されて、海の近くに送り届けたけど、その後のことは知らないっていう設定」

「脅すなんて、可愛くないことしないわ」

「姉ちゃんならそうだろう。でも姉ちゃんは死んだんだ。だからあんたはもう、俺の姉ちゃんじゃない」

「難しいわね。勘当ってわけね」

「そうだ。勘当だ」

 髪が潮風に揺れている。わたしは森夫に手を伸ばした。このまま引き摺り込んでしまいたかった。

「森夫も行けたらいいのに」

 森夫は首を振った。わたしは立ちあがろうとしたけど、うまく立てなかった。代わりに森夫が、少しだけ海に入ってきて、屈む。わたしは森夫の頬にキスをした。

「ママの毒に疲れたらあなたもいらっしゃい。きっと、いいところよ」

 うん、と森夫は言った。波の飛沫が顔にかかっている。

 さようなら。

 もうなくなってしまった踵を返して、わたしは波に沈んだ。深くとろりとした、心地よい闇に向かって、泳いでいく。

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過湿 絵空こそら @hiidurutokorono

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