第11話
指定された日まであと一週間だ。今までのことを思い返してみると、わりと充実した日々を過ごしていたなと改めて思う。衣食住があることももちろんありがたいけれど、今までずっとルーニたちだけだったことに対して今では随分と人の話し相手が増えた。ラナはもちろん、他のメイドたちともよく話すようになったし――以前噂話をしていた声の持ち主とは結局会えてはいない――執事と庭師の人と、そして調味料として薬草を使ってみたいと言っていた厨房の人たち。騎士の人たちと話をすることはあまりないが、彼らの護衛対象はダリルであって私ではないため私との会話なんて業務外だ。
以前よりも作れる薬の種類も増え、今では世間話をするほどにまでなったいつもの業者の人も相変わらず気さくな人だ。天気の話から始まり、村では今何が流行っているのかも教えてくれる。ただ前にたった一度だけ彼と話をしているときにダリルが現れて、彼は荷台を引き摺ってものすごい早さで去っていったことはあったけれど。
今も薬を託して庭に戻ろうとしているところだった。いつもなら視界に入らないようにしているのに、今日はめずらしく姿を現した。私の正面に立ち軽く頭を下げてきたため、同じように私も頭を下げる。
「スワード・オニキスと申します」
「オニキスさん、先日は助けていただいてありがとうございます」
「いいえ、職務を全うしたまでです」
やはり、と思う。ラナもセレネも他の人たちも、私と親しくしてくれるようになったけれど彼ら騎士は違う。ただ顔を合わさないだけ、という理由ではない。
彼があの令嬢を捕まえたとき少し感情的になっていたのは、決して私が傷付けられたからというわけではない。きっと女性が同じように危険な目に合えば彼は憤怒するような優しい性格なのだろう。
「単刀直入に言ってもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
だからこうして目の前に姿を現したのだろう。彼の言葉に迷うことなく頷くと、なぜか彼のほうが一瞬躊躇した。けれどすぐさま平常時に戻り騎士らしく真っ直ぐにこっちを見据えてくる。
「貴女はいつまでここにいるつもりですか」
「それは今すぐにでも出て行け、という意味で?」
「……正直、貴女は主君にとって弱点に成り得る人物だ。貴女に何かあればダリル様は冷静さを欠いてしまう」
貴女は自身が部屋から川へ落ちてしまったとき、主君がどんな反応をしていたのか知らないでしょう、と冷ややかな声色で静かに責め立てる。
だがそんな彼に反論することはない、なぜなら彼の言うことは正しいから。貴族の娘でもなく婚約しているわけでもない女が、いつまで主の恩恵に浸っているのか。遠回しでそう告げているのだ。それは本当のことだし私もそれもそうだと頷いてしまう。一ヶ月、という期限付きだったがその間私は何の恩も返さず施しを受けているだけなのだ。
セレネ様であれば、と小さくこぼれた声に視線を上げれば彼は急いで口を噤んだ。そして私は口を開く。
「私もそう思います。彼女ならば令嬢としての教育もしっかり受けていて、彼の隣に立つのに申し分ない女性だと」
「……ならば」
「けれど私には期限が付けられています。あと残り一週間です。貴方方が望むのであればこの屋敷をあとにしても構いません。ですが、手っ取り早い方法もあります」
「方法、とは」
「『あの女は貴方に相応しくない人物です。我々も幾度も嫌がらせを受けました』、そう彼に言えば話は簡単です。彼も最初は疑うでしょうがきっと私よりも付き合いの長い貴方方の言葉のほうを信じるはずです。そうすれば一週間待たずして私を追い出せます」
目を見開き唖然としている彼に気にすることなく、言葉を続ける。
「気に食わないのであれば、私を殺してみては如何ですか。それも一つの案です。ですが、私も簡単に殺されたくはないので逃げはしますが」
「一つよろしいですか」
「なんでしょう」
「貴女は自分がおかしなことを言っている自覚がおありで?」
まるでおかしなものを見るような目で告げられた言葉に、彼も彼で随分感情が表に出てしまう人物なのだとジッと見つめる。まぁ彼が言いたいことも思っていることもわかる。
「もちろんです。私は人として何か欠落していることぐらい」
自分が理解できない人間は面妖に見えるに違いない。今の彼にとって、私がそうであるかのように。私が何を言っているのか理解しているが、恐らくそれは人道的にいいことではないと彼はわかっている。が、私にとってその『人道的』なものが何でどう判断しそして基準としているのかわからない。
だから彼らにとって最もいい案を伝えただけに過ぎない。邪魔ならば消してしまえばいい、それが一番手っ取り早くそして簡単だ。殺すことができなくても相手が逃げればこの屋敷から追い出すことに成功した、ということになり彼らにとっては万々歳なのだ。
主のことを思うのであれば、彼らは一番最善の方法を選んで当然なのだ。
「私という弱点がなくなり、そして彼の隣にはセレネ様が立つ。ヘリオドール家にとってこれが一番良い方法でしょう。ヘリオドール家を守っている騎士の貴方方がそう思っていても何もおかしくない、至極真っ当なことです。それで?」
「……それで?」
「貴方は私を殺すんですか。それならば私は逃げる準備をしなければ」
彼は騎士だ、常に剣を腰に携えている。恐らく薬草などを取りに行く時間はないためルーニたちを呼び寄せるだけになる。剣を振り下ろされても致命傷にならなければそれでいい、あの子たちも私が逃げるぐらいの時間稼ぎはしてくれるはず。彼の手は剣の柄に伸びているのが見えて、私も呼び寄せようと口を開く。
「何をやっているんですかッ?!」
けれど私が口を開くよりも早く、彼が剣を引き抜くよりも早く、この場を動かしたのは私を探しに来たであろうメイドのラナだった。私が騎士と対峙していてそして決して穏やかではない空気を感じ取ったのだろう、急いで駆け込んできた彼女は私の腕を掴み彼との距離を取ろうとしていた。
「ロザリア様に何をやっているんです?! 事によってはダリル様に報告をっ」
「彼は何もやってはいないわ。ただ……そうね、話をしていただけ」
「話をしていただけでなぜ彼は今にも剣を抜きそうなんですか?!」
「……ハエでも飛んでいたんじゃない?」
なかなかに着眼点のいいラナを言い包めることはこれ以上できないと小さく息を吐き出す。私の適当な言葉に彼女も「ハエなんていません!!」と顔を真っ赤にして言い返してきた。流石に適当過ぎたかともう一度息を吐き出す。
「本当に話をしていただけなの。ダリルにはセレネが相応しい、という話」
「ロザリア様! またそんなことっ」
「間違ってはいないでしょ。私も常々思っていることよ。身分も何もないこんな人間が公爵に相応しいとでも? そんなこと誰も思わない。それよりもセレネのほうが余程、幼きころからずっと一緒にいて彼のこともよく理解しているわ。前にここに来たときも思っていたもの、二人が並んで歩いている様子は絵になっていて綺麗だったわ」
それはまるで孤児院にいたとき、小さい子たちに読み聞かせていた絵本に出てくる王子と姫のようだった。オブシディアンにいたときに目にしていた夫婦よりも私にとってはその二人のほうがずっと綺麗に見えた。きっとこれが理想の夫婦というものなのだろうと、絵本から学んだのだから私の教養はその程度だ。
「ヘリオドール家のことを思うのであれば、私を追い出そうとして当然なのよ。この屋敷の人たちは優しいわ、優しすぎるの。そして彼らは優しさと厳しさを持ち合わせている常識人であるだけ――」
「やめてくださいよッ!! そんなこと言わないでください!!」
「ラナ……?」
「なんで……なんでいつも、そんな悲しいこと言うんですか……折角ロザリア様の笑顔が見れるようになったのに、そんな、まるで前みたいに、ならないでください……!」
「その通りだ」
第三者の声が聞こえ、視線を向けたけれど視界の端では騎士である彼はすでに跪いている。ラナはと言うと私の腕にしがみついたまま固まってしまった。
「悪い、騒がしいと思って様子を見に来た」
「いいえ。騒がしくしてごめんなさい」
「いや……ラナ、ロザリアを中庭に連れて行ってくれ」
「は、はい!」
「スワード、お前は俺と共に来い」
「……はい」
ダリルが現れたことによってあっという間に場は静まり返り、そして彼の指示通りに動くしかない。忙しい中騒がしいという理由だけで彼の手を煩わせてしまった。少し振り返りもう一度彼に頭を下げると、彼は小さく口角を上げるだけで何も言わず歩き出した私たちを見送るだけだった。
***
影から見守るように、と指示をしていたにも関わらず姿を見せたスワードに嫌な予感がした。様子を探るべく気配を消して近付いたが、やはり予想していた会話をしており頭を抱えた。
ようやく、徐々にと言ったところだったのに。もしかしたら振り出しに戻ってしまったかもしれない。そうしてしまったスワードを責めたいところだが彼も彼でヘリオドール家を思って言ったまでだ、一方的に物を言うわけにもいかなかった。
書斎に移動しローマンに茶の準備を頼む。俺とスワードの様子を見て何か起こったのか察知できたのだろう、ローマンは小さくお辞儀をして退室する。恐らく戻ってくるまで時間がかかるはずだ。
「……先に、お前の言い分を聞こう」
「……申し訳ございません。ですが、我々は彼女のことをよく存じ上げておりません。ダリル様の心を乱す人物、としか思えないのです」
「そのことについては弁解もできないな」
ロザリアに何か起これば俺は多少なりとも取り乱すだろう。それこそ目の前で身を投げられたりしたら。
だが先程のやり取りで騎士たちはますますロザリアを理解しようとはしなくなるかもしれない。普通であれば女性があんなことを容易く口にすることはないからだ。
「……ロザリアは、ある意味今治療中なんだ」
「治療、でございますか……?」
「ああ」
スワードはもしかしたら先日怪我をした左腕のことを思ったのかもしれない。確かに左腕もまだ完治しておらず彼女は自分で作った薬を塗って治療しようとしている。だが本当に治療しているのは外傷ではない。
「ロザリアはな、俺にもお前にも誰でも持っている『執着』というものがない。『執着』がないものだから、人に対しての『関心』も薄い……そういう環境で育ったせいでだ」
ハッと息を呑む音が聞こえる。この屋敷の者誰でも彼女の生い立ちを知っているわけではない。ただ普段接する機会の多いメイドや執事は何かを察知している。
実際彼女がどんな環境で育ったか目にしたことがあるのは俺だけだ。オブシディアンの領主も知っているだけできっと幼い彼女の元へ顔を出したこともなかっただろう。あの『箱庭』は荷物を置くための場所、ロザリアが口にしていた言葉がすべてだ。
「わかるか? 執着がないんだ……自分自身にも。だから彼女は自分の生死にも関心が薄い。だからあんな言葉を簡単に口にできる。そして彼女がそんな欠落している部分を、自覚している」
「……ですが、彼女は殺すことを提案しておきながらも、自身は逃げると」
「それは自分自身のためじゃない。彼女が愛している『友』のためだ」
精霊たちは彼女に危機が訪れれば必ず助けようとするだろう。彼らも彼女を愛している、そして彼女は精霊たちの気持ちがわかっているから「逃げる」選択肢を入れているにすぎない。もしこれで精霊たちがいなかったとする、すると彼女は簡単にその命を投げ出すに違いない。
そうでなければ簡単に川へ身を投げようとはしないだろう、簡単に己が傷付くことを選択しないだろう。
「俺はそんなロザリアを守りたいんだ。わかってくれ……」
「……申し訳ございません、何も知らず、無責任なことを」
「いいや、俺も言わずにいたからな。やりきれなかっただろう? 守ろうとしていた対象が自ら身を危険に晒すようなことをするのだから」
念のためにとスワードにはロザリアの護衛を命じていた、そしてスワードはその命令を忠実に従おうとしていたまでだ。なのに守ろうとしていた者が簡単に危険に身を投じる。騎士として、これほど歯がゆいことはないはずだ。
「だがな、彼女は元から優しい人なんだ」
感謝の言葉は忘れない、間違いに気付けたときは反省することもできる。欠けている部分が大きすぎてよく見ないと気付かないが、相手を想いやる心はちゃんと持っている。これは精霊たちが常に傍にいてくれたおかげだろう。
気持ちはわかるが一方的な考えを押しつけないでほしい、と苦笑して告げるとスワードは一度たじろいたがすぐにいつもの様子に戻った。何か驚くようなことでもあっただろうかと軽く首を傾げると、一度俺から視線を戻し口をもごつかせたあと視線は戻ってきた。
「いえ……ダリル様の大切なお方に、本当に申し訳ございませんでした」
今度はこちらが目を見張る番だ。そんなにわかりやすかったかと告げるとスワードは顔と声色に出ていたと臆さず言ってくるものだから、もう苦笑しか出てこない。セレネにも言われたが、俺はロザリアのことになるとどうも顔に出やすいようだ。それが騎士たちにも色んな意味で伝わってしまったのだろう。
ヘリオドールの当主として情けないことだが、こればかりは俺自身治すのも難しそうだと息を吐きだした。
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