第8話
ベルもなしに中庭から屋敷内に入る。ラナには今日は中庭と屋敷との行き来をするから控えておかなくてもいいと言っておいたからか、ドアの向こうにラナの姿を見ることはあまりなかった。ただおやつの時間にいるかどうかを聞いてくるだけ。今日はゆっくりできそうにもないし昼食だけはしっかり取るということだけを伝え、そうして朝からずっとウロウロとしていた。
その理由は彼の頼んでいたプランターだった。別の薬草を育てたいため多少用意をしてもらってもいいかと頼んでみれば、彼はすぐに頷いて手配をしてくれた。中庭の入り口まで運ぼうかと言われたけれど流石にそこまで面の皮は厚くはない。運ぶことぐらい自分ですると告げ、屋敷の入り口のところに置いてもらうことになった。それを取りに行くために行き来しているのだけれど、この屋敷には複数の人が働いているため彼らの邪魔にならないようにするのは難しい。なんせ私がすれ違う度に頭を下げるのだ、その分時間を取らせているのだと思うと居た堪れない。気にしないでほしい、と執事長にお願いしたのだけれど彼らは決まって「ダリル様のご友人ですので」と頭を縦に振ってはくれなかった。
ということで、人の行き来が少ない時間帯を見計らって動くしかなかったため時間がかかってしまった。すべてを運び終えたのは丁度中庭へのドアの前に立っているラナの姿が見えたとき。彼女が昼食を食べ損ねることにならなくてよかったと安堵し、少しだけ待っていてと告げて中庭へ入り急いでマチュリーの水で手を洗った。
「よかったですロザリア様、時間をお忘れではなかったようで」
「ラナがいなかったら忘れていたわ、ありがとう」
「いいえ! ロザリア様のお腹を空かせるわけにはいきませんので!」
そうしていつものように彼女と一緒に別の中庭で昼食を頂き、彼女は他のメイドの仕事へ。私は中庭へ戻ろうとしたときだった。どこからか声が聞こえて辺りを見渡す。丁度ファルもやってきて彼女も一緒に探してくれたようだ。ふわりと飛んだ先に現れたのは、ついこの間両手をガッツリと掴んできた人物。相手は私に気付くと笑顔になり、そして腕を大きく振ってきた。
「見つけた! 探していたのよ」
「どうしましたか?」
探していたということは何か用があったのだろう。走ってくる彼女を立ち止まって待っていれば両手を思いきり掴んでくることはなかったが、その代わりとても近い距離までやってきた。あまりの近さに思わず私ではなくファルのほうが少し反応する。
「今時間いいかしら? あなたと話をしてみたくて」
「多少なら、構いませんよ」
「よかった! ありがとう」
彼女に腕を引っ張られいつもラナと一緒に昼食を取っている場所とはまた別のところへ移動する。流石は幼馴染と言ったところか、幼いころからきっとこの屋敷に来ているのだろう。私よりもずっとこの屋敷に詳しそうだ。引っ張られるまま足を進めると、目の前には噴水が現れ中庭よりもすっきりと整頓された場所へと出た。
「あそこに座りましょ!」
噴水の傍に腰を下ろした彼女は隣に座るように促してくる。別に断る理由もなく大人しく座れば、早速と言わんばかりにこちらに思いきり振り向いてきた。
「ねぇねぇ、ダリルのことどう思う?」
「どう、とは」
「んも~! 好きかどうかよ! だってダリルはずっとあなたのこと想っていたんだもん。屋敷に戻ってきて愛の言葉とかたくさん言ってくる?」
まるで別の口の言葉のように聞こえる。この屋敷に戻ってきても彼は毎日忙しそうで、一緒にいる時間と言ったら大体食事を取るときぐらい。その間も昨日はどうだったかとか今日はどうするのかとか、そういう内容ばかり。その愛の言葉? とやらを彼が言ったのは恐らく村にいたときあの家に来たときぐらいだ。それ以降彼は何も言わない。
ということで彼女が言うようなことは何もないと首を横に振れば不満そうな声が聞こえる。折角一緒に暮らしているのに、とかやっぱりシャイじゃない、とか色々と言っているけれど何一つわからない。
「そういう貴女こそ、彼のこと愛しているんのではないんですか?」
「そんなことないでしょ?! 前にも言った通り、ただの幼馴染――」
「ずっと長い間一緒にいて、少しもそう想わなかったと?」
「……それは」
私はずっとルーニたちと一緒にいたから、もちろんその間に愛情が芽生える。ずっと支えてくれたのだから当たり前だ。人も同じではないだろうかとそういう思いで口にすれば、さっきまでは否定していた彼女も語尾が徐々に小さくなっていく。
「……小さいころね、よくダリルと遊んでいたのよ。今はしっかりとした領主だけど、そのときはまだ習い事とか勉強とかよくサボっていたわ」
今の彼からは想像できない幼少期の彼女たちの思い出に、なんとなく想像してみる。それはもしかしたら幼いころに初めて会ったときの年齢ぐらいなのだろうか。彼女は視線を下げ、指を何度か絡めたり外したりしながら話を続ける。
「でもある日、ダリルのお父様と一緒にどこかへ出掛けてそして帰ってきてから、急に真面目になったのよ。サボることもなくなったし私と一緒に遊ぶのもなくなったわ。聞いてみたのよ、いきなり真面目になっちゃってどうしたのよって。そしたらなんて言ったと思う?」
顔を上げた彼女は昔を思い出しながら、困ったように笑ってみせた。
「『早く一人前の男にならないと、間に合わなくなる』って、言ったのよ。そのとき私全っ然意味わからなくて。だってまだ小さかったのよ? 跡継ぎなんてことまったく考えていなかったのに、急にそんなこと言い出してびっくりしたわ」
それから跡を継いで領主となり、領内も安定したころにやってきたのが私だったのだと。それで納得したのだと彼女は笑った。
「頑張ってるダリルをずっと見てきたの。だからあなたにもダリルの気持ちに応えてほしくて」
「……貴女は、鉱山で働いている男をどう思う?」
「え?」
私の突然の言葉に彼女は目を丸くして、何か考える素振りをしながら「そうね」と素直に返してきた。
「大変そうね、って思うぐらいかな」
「男たちは汗を掻いて泥まみれになって一日中発掘しているの。毎日つるはしを振り下ろす手は皮は破れて分厚くなっているわ。ずっと土の中を掘って、外の空気を吸うときは仕事が終わったときだけ。この話を聞いて貴女は初めて鉱山での仕事がどんなものか知ったでしょう? 今まで自分が見たこともなかったから聞かれても想像することしかできなかった」
「……その通りだわ」
「私にとって、貴女たちが言う『愛』ってものがまさにそう。想像することしかできないの。実際どんなものなのか人相手では知らないから。ねぇ、貴女たちが私に期待する『愛』ってなに?」
「え……?」
「本当に相手を想いやるだけのものが愛なの? 押しつけるものは? 憎しみに変わるものは? 一方的なものは? どれも『愛』でしょう?」
口にしたものは向こうで見てきたものだ。なぜ私の愛を受け取ってくれないのとしがみつく令嬢、どうしてわかってくれないんだと怒鳴り散らす貴族の息子、ただただ遠くで眺めているだけのメイド、振り向いてもらうためだけに贈り続けるプレゼント、私にはそれの何がいいのかさっぱりわからなかった。
「貴女はどれを私に強要しているの」
大切な人の努力が報われてほしい、幸せになってほしい、彼女の願いはそれだ。けれどその願いを叶えるために私に応えろと優しい顔をして『強要』してくる。やっとあの箱庭から出てきたというのにまた道具のような扱いをされなければならないのかと思うと、我慢ならない。何も言葉を返してこない彼女にこの話は終わりだと私は無言で立ち上がる。
「……あなたって」
「自分が欠陥のある人間だってわかっているわ。だからこそ彼には貴女のようにしっかり想ってくれる人と一緒になるほうが幸せじゃないのかしら」
「待って!」
歩き出そうとした私を止めるために、彼女はまた今度は思いきり手首を掴んできた。あまりの力強さに表情を歪めるとファルの気配が一段と強くなった。このままでは辺り一面燃やしかねないと彼女に視線を向け、小さく首を振る。
「ごめんなさい、待って……そういうつもりじゃなかったの。ただ、私、二人に幸せになってほしくて……ううん、私が急ぎすぎたの。本当にごめんね」
そんなに落ち込まれて謝れるとは思わなかった。パタパタと羽根を動かすファルに視線を送ると彼女は中庭に向かって飛んでいく。
私は振り返ると今にも泣きそうな彼女の手に自分の手を重ねて、視線を合わせるように膝を折る。
「……ごめんなさい、欠陥品で」
「そんなこと言わないでッ! 私、私はね、ただあなたと友達になるためにここに来たの」
でも二人で喋るのはこれが初めてだったため、何か共通の話題はないかと考えた末に出したものが彼のことだったらしい。最初から余計なことを言ってしまったと顔には笑顔を浮かべているけれど、うまく笑えてはいない。そんな彼女に私は「ところで」と話を切り出した。
「私、彼とまともに喋ったのは幼かったときだけで、以前ここに来たときは一言も喋らなかったの。でもまたこの屋敷にやったときに彼は私のこと『友人』だと言ったわ。友人って、そう言えば成立するの?」
「……ちょっとそれは、ダリルが力技だわ。友達っていうのはね、いっぱい会話したり同じ時間過ごしたり楽しんだりするのが友達だと私は思うのよ」
確かにニールたちは会話……考えは伝わているから恐らくそれは成立している。そして同じ時間を過ごして楽しんだりしているから友人で間違いない。でも一方彼のほうは友人と言うよりも知人のような気もするし、彼女の定義で言うのであればラナのほうが私の友人になる。
「……人間関係って難しいわ」
「私が教えてもいい? まずは友達になってくれない?」
「そのやり方は彼と同じなんじゃ」
「いいのいいの! 私はこれからあなたとの時間をたくさん増やすから! 私のことは『セレネ』って呼んで? あなたは『ロザリア』で間違いない?」
「ええ、そうね」
「よろしくね、ロザリア!」
さっきまでの落ち込んだ姿はどこへ行ったのだろう、と思うほど彼女は満面な笑みで私に握手を求めてくる。これが精霊ならば何も遠慮することはないけれど、相手は人間かと思ってしまう私がいる。今まで深く関わったことがないため、どこか関心が薄いのだと自分でも薄々と気付いていた。
けれど期限までここにいる間、彼が言うように少しずつ知っていくのもありなのかもしれない。何もせずに置いてもらっている身としては少しでも屋敷の主の要望を聞いておいたほうがいいだろう。差し出された彼女の手を掴み、そして軽く握った。
「よろしくお願いします、セレネ様」
「もう! 友達だって言ったでしょ? 敬語なんてなくていいし私も『セレネ』でいいの!」
「……わかったわ、セレネ」
「ふふっ! あ、そうそう! 実はお菓子を持ってきてたの。食べてみる?」
そういってセレネが取り出したものは焼き菓子のようなもの。材料は小麦粉にバター、ミルク、よくよく見ればフルーツなようなものが練り込まれている。どうやら「スコーン」と言うものらしい。なんだかデジャブ、と思いつつそのお菓子から視線を上げてセレネをジッと見る。
「とても栄養価が高そうに見えるけど」
「……大丈夫よ!」
「メイドのラナもそう言ってたくさん食べていたわ」
「大丈夫大丈夫!」
彼女たちは一体どこからその自信が湧き出てくるのだろう。確か以前ラナとドーナツを食べたとき彼女は食べ過ぎたと言ってしばらくダイエットするとボヤいていた。メイドの仕事も重労働のためその必要はないと思ったのだけれど、それから多少おやつは減らしているようだった。
なぜあとで苦労するとわかっておきながら食べてしまうの、と思ったけれどセレネが言うには「美味しそうなお菓子が悪い」とのこと。お菓子もそれを作ったシェフも不憫な思いをしていそうだ。
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