第7話
ラナのおかげで時間経過がわからなくなる、というのが徐々に改善されていった。昼食は必ず声をかけてくれるし、なんならおやつの時間でもベルを鳴らしてくれる。
昼食の時間を忘れてしまったその日、夕食に彼に呼び出されて訥々と説教されてしまった。自由にするのは構わない、熱中するのもわかる、けれど決して食事を抜かすことはするなと。初めての朝食で身体は資本なのだという話をしたばかりだったため、彼の言うことはごもっともだと尚更反論することができなかった。それからはきっちり昼食は取るようになったし、朝食と夕食はなぜか彼と共に取ることが決まっていた。彼が言うには、しっかり食事を取っているかの確認とのこと。何も言い返せない。
今日もベルが鳴って中庭から屋敷内へと顔を出す。いつもと同じようにラナがワゴンを隣に置いて待っていてくれている。そしてあの日から時々昼食はラナと一緒に取るようになっていた。彼女が私が食べ終わるのを待ってそして中庭に送り届け、そこから自分の昼食を取るとなると時間がかかる。その時間でラナもやりたいことがあるだろう、一緒に昼食を取ればその時間を作ることができると私から提案した。最初は遠慮されたけれど「誰かと一緒に食べてみたい」と告げれば、彼女は困った顔をしながら折れた。
「今日はシェフが腕によりをかけてドーナツを作ったみたいです! おやつにどうでしょうか?」
「ドーナツ……っていうのは、どういう……?」
「えっ? ……ドーナツは、小麦粉とミルクとたまごを混ぜて輪っかにして、そして油で揚げるお菓子なんです!」
「……栄養的にどうなの?」
「そっ、それは言わない約束ですよぉ! 砂糖などをまぶして食べると本当に美味しいんです!」
「栄養的に……」
「その分動けば大丈夫です、きっと!」
つまりそこそこに罪な食べ物だということだ。使う材料がどれも栄養価が高くラナの言う通り身体を動かさなければあっという間に身に付いてしまいそう。気になるけれど、そのあとのことを思うと悩んでしまう。けれど折角ラナがここまで言ってくれるのであれば一つぐらいなら多分、恐らく、大丈夫だろうと踏んで頭を縦に振る。
ならばおやつも時間もしっかりとベルの音を聞いて中庭から出てこなければいけないと、苦笑をもらすとそれを見たラナの顔がパッと輝く。この屋敷に来てから他のメイドや執事と関わるようになったけれど、その中でもラナは私に就いてくれているため一緒にいる時間が彼よりもずっと長い。そんな彼女が時折こうして表情を輝かせることが多くなった。
どうしてそんな表情が多くなったのか不思議に思い、それをそのまま彼女に質問すれば何か恥ずかしげに言い淀んだあと、実はと口をもごつかせながら言葉を続けた。
「以前仕えていたときから、ずっとこのようにお喋りをしたかったのです。ダリル様がお慕いしている女性がどのようなお方なのか、ずっと気になっておりましたから。ですが……以前は、正式なご結婚ではなかったため、我々も色々と制限されてしまって……」
それに、とラナがこちらを気遣うような視線を向けてきたため、気にせずに言葉を続けていいと先を促す。
「……ロザリア様の、不遇も聞いておりましたから」
「可哀想だと思った?」
「……! そ、それはっ」
「別のいいのよ、私は気にいてはいない。私としては衣食住があったからそれで満足していた。人に愛されることもなかったし私は別にそれを気にしたこともなかった。それに……ルーニ」
別の中庭にいるけれど、私の呼びかけにルーニはすぐに飛んできて私の腕に止まってくれた。ラナは初めて見たせいか突然現れた鷹に目を丸くしている。そんなラナの様子に普通の人だとこういう反応するのねと小さく笑みをこぼす。
「この子たちがいてくれたから、寂しくはなかったわ」
「ロザリア様の『ご友人』ですか?」
「そうよ、可愛いでしょ」
「確かに……目がくりくりっとして、可愛いです!」
「この屋敷の主は格好いいと言ってたんだけど」
「そうなんですかっ?」
やっぱり女性と男性では見方が違うようだ。撫でてもいいかと聞いてくるラナに頷いてあげる。子どもの頃はルーニが暴れるんじゃないかって心配したけれど、長い間共にした今ならば撫でられたところで暴れないということを知っている。少し遠慮がちに手を伸ばしたラナの様子を見ながら、撫でやすいようにと腕を差し出してみれば彼女はビクつきながらもゆっくりとルーニの頭を小さく撫でた。ルーニは暴れることなく大人しくしてくれている。その様子にラナもようやくホッと安堵の息をついた。
そのまま大人しく頭を撫でられていたルーニだけれど、ハッと顔を上げて視線を動かす。何かを見つけたときの動作だということをわかっていたため、私もルーニの視線の先をたどる。真っ先に気まずそうな声を上げたのはラナだった。
私たちの視線の先にこの屋敷の主である彼と、そしてその隣には見覚えのある女性。前に自室にいたときに何度も二人が一緒にいるところ目にしたことがあった。二人とも仲良さげに楽しそうに会話をしながら歩いている。ラナが私の名を呼んでいるのを聞こえ、視線を向けた。
「やっぱりあの二人って結婚するの?」
「なっ?! 何を仰っているんですかロザリア様!」
「結婚というものはああいう男女がするものじゃないのかしら。よく知らないけど」
「ままま待ってくださいロザリア様それ以上はっ……あっ……!」
ラナの悲壮にも見た声に再び二人へと視線を戻す。すると向こうも向こうでこっちに気付いたのか、ものすごい早さでズンズンと大股で歩いてきていた。隣にはすっかり怯えてしまったラナが慌てて椅子から飛び上がって私の隣に控える。私も似たようにしたほうがいいのかと同じように立ち上がり、歩いてくる人物に向かって頭を下げたのと同時に思いきり両手を鷲掴みされた。
「あなたがロザリア?!」
「……そうですけど」
「初めまして会いたかったわ! 私はセレネ・モルガナイト、よろしくね! 早速だけどダリルと私はただの幼馴染恋愛感情なんてこれっぽっちもないのよ!! ただ私はあのシャイからあなたについて何度も相談されていてそれがあなたに見られて誤解されていると聞いてもうあなたがいなくなったの私のせいだってずっと思っていて謝りたかったのよいいえ許して欲しいなんておこがましい許さないでほしい! でも信じて決して私たちの間にやましいことなんて何一つないわ! アイツはずっとあなた一筋だったんだからだからいい加減シャイなところをどうにかしろってずっと思っていてだから」
「やめろセレネ、ロザリアが困っている」
私の両手を鷲掴みしてきたのは彼の幼馴染であるセレネ・モルガナイト様で、彼はまくし立てる彼女を顔を顰めながら止めていた。怒涛の如く言葉を続けられて私も半分も理解していなかたったのだけれど。
「つまりお二人は、恋人同士ではないと」
「そうよそうなの!!」
「ということは、結婚は」
「しないわ! だってダリルは私のタイプじゃないんだもの! 私のタイプは女性に優しくってでも強くてなるべくそんな筋肉質じゃない人がいいの!」
強くて尚且つ筋肉質ではない、となるとなかなかに難しいのでは。鍛錬すれば自ずと筋肉もつく。彼女が理想としている男性像がなかなか想像できなくて固まっていると、彼女がいきなり「あつっ」と声を上げてハッと我に返る。いつの間にかファルが私の周りを飛んでいて、そして彼女が火傷しない程度に火の粉を降らせたのだろう。何が起こったのかわからずキョトンとしながら彼女は私の手を離し、そんな彼女に言葉にせずに謝罪をする。ここで実際口に出してしまえばファルの説明をしなければならない。
ファルは彼女が私に危害を加えると思ってしまったようで、ずっと私の周りを警戒しながら飛んでいる。彼女とラナは不思議そうな顔をしながら蝶を眺めていたけれど、意味がわかっている彼はそれとなく私から彼女を引き剥がし距離を置いた。それでもファルの警戒は解けず、大丈夫という意味を込めて指を掲げれば大人しくそこに止まる。
「わぁ……! ロザリア様は生き物に好かれているのですね!」
「……そうね」
詳しく言うとこの子は生き物ではなく精霊だけれど。それを訂正するわけにもいかず口を閉じるとこの場に妙な沈黙が流れた。
「……ロザリアと二人きりで話がしたいんだ、いいか」
「……あっ、そ、そうよね! ごめんうっかりしてた! そしたら私、お菓子もらいに行こうかな!」
「ラナ、悪いがセレネの案内を頼んでいいか」
「もちろんでございます! それではモルガナイト様、こちらへどうぞ」
「わざわざごめんなさいね!」
ラナと彼女は慌ただしくバタバタと去っていくのをボーッとしながら見つつ、軽く肩を指で叩かれてようやく我に返る。
「悪い騒がしかっただろう。セレネは昔からそそっかしいんだ」
「そう」
「……その子たちのご機嫌は直っただろうか?」
彼の視線の先にはパタパタと飛んでいるファルに、そして再び私の腕に止まったルーニ。ファルのほうはもう大丈夫そうなんだけどルーニのほうはまだ少し警戒している。もしかしたらルーニは彼のことが苦手なのかもしれない。幼いころ一度会っているのに薄情な子、と軽く撫でれば甘えるように擦り寄ってきて思わず笑みがこぼれた。
「庭に行ってもいいか?」
「元は貴方の庭だもの」
案内された日以来、初めて彼と共にあの庭に向かう。歩いている途中今まで食事以外に会えなかったことを謝られた。忙しいのだから仕方がないということと、わざわざ会いに来る理由もないと告げれば彼はまた苦笑する。彼女といたときのほうが楽しそうだったのに、なぜわざわざ私と一緒にいようとするのかがわからない。
そして中庭へ向かうドアを彼が開けて先に私を中に入るよう促す。そういえば貴族の習わしで女性を優先的にすることがあったなと思いつつ庭に足を踏み入れた。私にとっては毎日見ているものだけれど彼にとっては久々に見る光景。目の前に広がる庭になぜか感嘆の声を上げていた。
「すごいな、最初に比べて随分と自然が増えた」
「そうかしら」
「あそこのプランターは薬草か?」
「そうよ。日当たりもよくて水も綺麗だからよく育ってる」
「そうか、それはよかった」
そういえば客人を招くことがなかったため椅子が一脚しかない。樹に戻るルーニと自由に飛び回るファルに視線を向けつつ庭の中を歩き一つの樹の前に立ち止まる。
「ポム、悪いのだけれど椅子をもう一脚作るのに手伝ってもらってもいいかしら?」
そう口にすると作業机のときと同じように幹がうねり樹から離れ、そして私の手で一つの椅子ができあがる。精霊の存在を知っている彼の目の前なら別に構わないだろうと特に気にすることもなく、その椅子を休憩用にと作っていたテーブルのところまで運び彼にどうぞと座るのを勧めた。
「一応お茶もあるけれど、飲む?」
「……ああ、頂こう」
薬草を作っている副産物で生まれたものだけれど、味もそこまで悪くはないし薬草の成分も少し入っているおかげか飲むと頭がすっきりする。マチュリーとファルに頼んで湯を沸かし、煎じた葉を濾して入れる。ほのかに緑色に染まったそれをまずは味見で私が口にして、そして味に問題ないことを確認して別のコップに淹れたお茶を彼に差し出した。
まぁ、あの暮らしをしていたせいで私の味覚もおかしいことになっているだろうし、彼も普段からいいものを食べているだろうから味の良し悪しについては大きく差がついていそうだけれど。彼は一言お礼を言うと躊躇うことなくコップを口に運び、そして喉を動かした。今更ながら毒が入っているかもしれないという警戒をしなくてよかったのだろうか。
「美味いな。さっぱりしていて身体に良さそうだ」
「薬草の成分も少し入っているから身体にはいいわ。味の保証はしないけれど」
「大丈夫、美味しいよ」
そして半分ほど一気に飲んだ彼は、それにしてもとコップから口を外して言葉を続けた。
「まるで魔法使いのようだった。ああやって精霊の力を借りているんだな」
「そう、お願いすれば力を貸してくれるの」
「けれど椅子に関しては君のまるで魔法を使っているようだったが? それも精霊たちに習ったのか?」
そこまで言われてはたと気付く。言われてみれば、私はどうしてああいうことができるのか自分でもよくわかってはいない。精霊たちにも教わったわけではなかったのだけれど、でも『イメージすればできる』と勝手に思っていたのだ。よくわからない、と首を傾げていると彼は気にするなと笑った。魔法に関してはどの国にもしっかりとした確証を持てているわけではないからだ。
「話は変わるが、ここの暮らしはどうだ?」
「不自由はしてないわ。とても良い人ばかりだもの」
「メイドのラナとの随分仲良くなったみたいだな。ラナのほうが毎日嬉しそうな顔をしている」
「ああ、そうだ。貴方に聞きたいことがあったんだけど」
ラナの名前が出てきてポッと思い出した疑問。彼は何が嬉しかったのかパッと表情を輝かせながらも「何だ?」と首を傾げつつ話の続きを催促してくる。人に関してはよくわからないことばかりね、と思いつつも思い出したものを忘れないうちに言葉にする。
「ラナがね、私が笑うとすごく幸せそうに笑うのよ。私は何もしていないっていうのに。なぜだがわかる?」
「それはとても簡単な答えだな」
「そうなの?」
「ああ。ラナは君の笑顔が見れて嬉しいんだよ。彼女は前から君に仕えてくれていただろう? 君に心を砕いているんだ」
よくわからず眉を下げていると彼は「そうだな……」と何かを考えたあと、そうだともう一度私と向き合った。
「精霊が、楽しそうにしていたら君も嬉しいだろう?」
「それはもちろんそうよ」
「ラナにとってその精霊が君、ということだ」
「なるほど……?」
納得できたような、まだイマイチわからないような。けれど彼は「それについてはゆっくりと実感していこう」と笑顔を浮かべた。
それから身体に良さそうなお茶のおかわりを所望されて、同じようにもう一度お茶を作って彼に渡す。頭が冴えて仕事が進みそうだと笑う彼によかったら茶葉をそのうち送ってあげようかと思案する。薬草はこれからも作るしその副産物もそれに伴って量産される。彼に渡す茶葉の量ぐらいすぐに貯まりそう、と色々考えながら口にすると彼は「是非とも」と前のめりに返事をした。
「ああそうだ、近いうちに村に薬を売りに行く商人を紹介するよ。昔からの馴染みでな、信頼できる男だということは俺が保証する」
「……何から何までしてもらって悪いけど、私に返せるものは何もないわ」
「気にするな。君がそう思っているだけだ」
中庭に呼び出しのベルが鳴り響く。もしかして昼食の時間だろうか、とベルが鳴るイコール昼食なのだとインプットされてしまった私に彼は「俺の呼び出しだ」と苦笑した。どうやら休憩時間が終わって仕事に戻らなければならないらしい。
「公爵様」
見送ろうと口を開いた私に前を歩いていた彼はピタリと足を止め、そしてぐるりと振り返る。さっきまで表情が柔らかかったような気もするけれど今はどことなく厳しい。何かやってしまっただろうかと見に覚えがなく首を傾げていると、彼はほんの少しだけ口角を上げた。
「ロザリア、君は俺の友人だ。友人ならばそんな呼び方ではなくもっと親しく『ダリル』と呼んでくれ」
「……友人とはそういうものなの?」
「そういうものだ」
なんだか「そういうものだ」という言葉がものすごく使い勝手のいいものにされているような気もするけれど。でも前にも公爵様と呼ぶと彼はさっきと同じように無表情になるため、恐らく正解ではないのだろう。
「では――ダリル、お仕事頑張って」
「……! ああ、ありがとう」
名残惜しそうに屋敷内に戻っていくダリルに軽く手を振る。すると尚更足を前に踏み出そうとはしなかったけれど、何かを振り切るように彼は大股で歩き出した。その様子を見つつ「難しい仕事なのかしら」と思いながらも私も中庭に戻る。ダリルとお喋りしていたため今日中に作る予定だった薬がまだ完成していない。さっさと作ってしまおうとマチュリーとファルを呼んだ。
やれしばらくして再び鳴るベル。そのベルは例の『ドーナツ』という罪な食べ物を持ってきたというラナのお知らせだった。
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