シリウスの日記帳 (3)


 4月3日(水)


 先日の失態に引きずられていたものの、朝、寮の前に集まってから登校する――という誰からともなく始まった流れのお陰で、幾分気持ちは晴れた。


 自分がこんな気持ちになるというのも、意外だ。

 朝とは思えないテンションのジェイクの声はやかましかったが…

 アイツが「楽しい」と言った理由も分からないでもない。


 寮にいる時だけは、自由になれる。

 こんな日記を書いてみようと思うくらいには、監視の目が緩い。


 今まで広い屋敷で過ごし、自分の意思で行動していたと思っていたが。

 案外、そうでもなかったようだ。

 自分たち以外立ち入る者のない特別寮は、閉鎖的な印象とは真逆だな。


 親の顔も使用人の顔も見なくて済む。

 強制的に寮に閉じ込められるというよりは、日常生活で雁字搦めだった自分たちの避難先のようなものか。


 …今日学園であったことと言えば…

 アーサーは相変わらずの調子だったが、驚くことがあった。


 フォスターの三つ子に対する周囲の反応が、あまり良くない雰囲気に変わりつつあったことを記しておく。

 庶民だから仕方ないとは言え、彼女達の言動はいささか奔放すぎることもあり、それを好まない女どもが陰口を囁いていた。

 特待生――庶民という存在は、最初こそ物珍しいという扱いだったが、慣れてくれば疎ましくも感じるもの。

 王国から特別扱いされて入学した…ということ自体、気に入らないのか。

 いや、直接的な原因はカサンドラだ。

 彼女に対して距離が近い、砕けた口調で話しかけすぎなのが良くないらしい。

 女生徒間の序列に対する神経質な視線は、面倒なものだ。


 しかしそんな些細な不穏の種を摘んだのが、あのカサンドラだったから耳を疑った。


 三つ子は庶民の出ゆえ、寛大な心で接してあげよう、などと言い出した。

 調書によれば、カサンドラは鷹揚な態度をとるような人物ではない。

 しかし現実は、彼女の一言で、三つ子は徐々にクラスの中に馴染んでいったようにも感じられる。


 そもそも庶民に話しかけられて普通に応対しているあの女は、一体誰だ?

 影武者とすり替わりでもしたのかと、疑いの目を向けたくなる。

 だがあの顔かたちをした瓜二つの女性が都合よく存在しているとも思えない。


 誰かの入れ知恵。

 昨日図書室にやってきたことといい…

 レンドール侯爵の指示を受けて、何かしらの動きを見せていると考えるのが妥当だ。

 今後も彼女の動きには注視する。



 そして…


 三つ子の一人、リナ・フォスターと邂逅。

 謝罪した。




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 シリウスは続きを書く手を止め、しばらく逡巡した後日記を閉じた。

 リナとの二度目の遭遇を思い出し、何とも言えない感情に襲われたからだ。

 日記の主旨を考えるのなら、記録にして残しておくべきだと思う。


 だが、もうその記載だけで充分思い出せるだろうと溜息をつくしかなかった。


 同じ学園、そして同じクラス。

 日常的に彼女達の姿は視界に入る、そして会話をすることになるのも自然な流れ。


 そういう距離感を続けさせることも、父の思惑の一つだ。

 全く見も知らない他人として接触するより、クラスメイトというグループの中にいれば、親しくなるだろう…と。

 耳を覆いたくなるような、人の心のない計画。



 あまり他の生徒たちに話しかけられることを好まないシリウスは、放課後すぐに図書室へ向かった。ここに来れば騒々しい連中からは距離をとれる。

 自分はアーサーのように聞き上手でもないし、ラルフのように社交的な性格でもない。

 ジェイクは女子とは話をしないが、常に男友達と気さくに話をしているので――どうもついていけない。

 議論は好きだが、会話は苦手だ。

 相手の心情を見定めながら言葉をコントロールするのは、神経を使う。


 しばらく時間を潰そうと思っていたのだが、少し経って再び図書室に誰かが入って来たのに気づいた。


 そして足音は自分のいる方に近づいてくる。

 面倒だな、と顔を顰めていると…すぐ隣の列に用があったのか、そこで気配がごそごそしている反応が伺えた。

 どうやら自分に用事があるわけではなさそうだ。


 逆に何があるのか? と気になり、シリウスは顔をのぞかせる。


「…リナ・フォスター」


 彼女の青いリボンは強く印象に残っている。

 先日の放課後、同じ場所で彼女を強く叱責してしまった。


 気まずい思いで一杯になったが、それよりも彼女が何をしているのか、声を掛けずにはいられなかった。


「あ…シリウス様」


 彼女は困惑の表情を向け、そして頭を下げる。

 肩で切りそろえた栗色の髪が大きく揺れていた。


「先日は申し訳ございませんでした」


「いや、私も言葉が過ぎた。

 …足は大丈夫だったか」


「お気遣いありがとうございます、怪我はしておりませんでした」


 リナは微笑み、手に持っている本を両腕で抱きしめる。

 ここで何をしているのか、と聞くのも極めて不自然だろう。

 図書館で本を持っていることに、何の疑問もない。


 気まずい沈黙が一瞬、二人の間に落ちた。




 ――会話は、苦手だ。




 だが、相手は聖女候補。

 彼女とある程度親しくなることも、自分の『仕事』なのだと一歩前へ踏み出した。


「…何の本を借りるつもりだ?」


「いえ! これは、違うんです」


 彼女は慌てた様子で片手を横に振った。


「こちらの蔵書は大変貴重なものばかりと伺いました。

 先日私が床に落としてしまったせいで、傷がついているのではないかと…

 もしそうなら弁償する必要があると考え、確認に来たのです」


 彼女は申し訳なさそうな表情で、肩を落とす。


「申し訳ないです、先日は動転して確認を怠ってしまいました。

 少し角が損傷しているようです、どうすればいいでしょう」


 彼女は消え入りそうな声で、抱えていた本の端を指差す。


「そうか」


 確かに、彼女が落とした数冊の本は、この棚にあったものだ。

 高所から落とし、表紙など壊していたらどうしよう、と彼女も不安に襲われていたのかもしれない。

 しかもその場面を自分に見られていたのだから、誤魔化しもきかないわけで。


「見たところ大きな破損状態でもなさそうだ。

 本当に昨日のことが原因かも証明しようがない。

 …次回以降気を付けて扱うように」


 リナはホッとした様子だったが、リナの姿を見ていると当然先日のやりとりが鮮明に思い起こされる。


「ところで」


「は、はい、なんでしょう!」


「…入学試験の成績に関する代表指名の不公平な措置は、確かに学園側の落ち度だと考える。

 来年度以降は改めるよう、学園長に申し立てる予定だ」


 シリウスもリゼの発言は気になった、入学試験で不正があったのかと担任に問いただしたのだ。だが彼は悪びれた風もなく、リゼ・フォスターもシリウスと同じ点数だったと返答したのだから絶句した。


 成程…


 それなら彼女のあのキツい眼差しの理由に説明がつく。

 自分が逆の立場でも釈然としない、イラっとしたことだろう。

 主席の挨拶をしたいとか、したくないという問題ではなく。


「は、はい…かしこまりました。

 またリゼにも伝えておきます」


 リナはもう一度頭を下げ、忙しなく図書室から出て行ったようだ。


 聖女候補の一人が常識的な考え方を持っていると分かって、少し安堵した。

 やはり性格面や思考の面でも、彼女達が「相応しい」存在なのか判断されるだろう。もしも彼女達がエリックの想定する聖女のような存在でなかったら…




   消される…のか?




 言葉を交わしてしまう相手のことだ、心が痛む。


『一人も犠牲を払わないまつりごとなどあると思うか』


 父エリックは、そんなことを平然という男だ。

 そして彼の発言は決して間違っているものではない。

 誰か一人が泣くことを嫌がって大多数に不利益を被らせるのは、良くない事だ。

 時として非情にならなければ、国なんて運営していられない。


 だが、数字上で「三名の犠牲者」と突きつけられるのとは違う。

 姿を知り、名前を知り、会話を交わした人間が、死ぬ…

 しかも自分は、無関係ではない。


 耐えられるのだろうか。

 彼女達が健全な精神の持ち主であればあるほど、シリウスの心理的な不安も一気に加速していく。


 聖女計画?


 馬鹿らしい、辞めてしまえ。

 今からでも辞退するとエリックに吐き捨ててやりたい。


 でもそうすればあの人は、シリウスを棄てて別の人間を代わりにするだろう。

 代わりは誰だ?

 優秀ではあるが、底意地の悪い従兄達か?


 どちらにせよ間違いなく、他の人材が次期当主に祭り上げられる、自分はその程度の存在でしかない。

 父が自分を後継者に指名しているから、皆が自分に気を遣ってくれるし、尊重してくれる。

 アーサー達と共に行動することもできるのだ。



 エルディムの跡継ぎと言う称号が無ければ、自分の影響力などたかが知れている。

 今の立場を失えば、大局を動かす権利も失ってしまう。




 ……誰かに打ち明けることができれば。




 真っ先に顔が浮かんだのはジェイクだったが、彼にエリックの話をしたらその段階で全てが終わるような気がする。

 あの真っ直ぐで正義感の強い男が、そんな計画や過去の話を聞いて黙っていられるわけがない。

 …ダグラスに逆らって、殺されるぞ。



 じゃあラルフ…

 いや、駄目だな。




    多分、自分がラルフに殺される。




 血のつながりがある以上に、ラルフはアーサーに近しい存在だし、何よりどちら側につくかと考えたら間違いなくアーサーにつく。

 彼を巻き込みたくはないし、敵対もしたくない。


 ヴァイル家は、今回に限り『中立』でいてもらうよう、エリックにも言い含められているのだから。


 まさかアーサーに言えるはずもない、まさかお前の母と弟を殺したのは自分の親だとどんな顔で告げられる?


 自分は…

 彼らの他に信頼できる友人がいない。

 他の人間は、何を考えているのか分からない、信用できない。


 身内も、周囲の人間も、皆――敵だ。




   自分が、何とかしなければ。





 そう思うのに、三つ子の顔が脳裏を過ぎっていく。




 自分に向かって真っ向から敵意を向けてきたリゼの顔。

 ホッとしたように顔をほころばせたリナの顔。

 …騒々しく、嫌でも目につくリタの顔。



 聖女になれば、彼女達は死なずに済むのか?

 でも彼女達が目覚めてしまうということは、アーサーは…?



 彼とは何度も、王城の私室で語り明かした。


 父の補佐を行うようになった時、「将来、自分ならこうしたい」と考える度に、アーサーと意見を交わし合ったのを覚えている。

 二重になっている税制は絶対に変えた方がいい、地方領主との会合の場を中継地に設けるべきだ、法典も見直して――


 そんな自分の言葉を真剣に聞いてくれて、話し相手になってくれるのはアーサーくらいなものだ。どんな面倒な話を振ったとしても、彼は嫌な顔一つしたことがない。

 ただ聞き流すだけじゃなく、時折彼は自分の考えている事もポツポツ話してくれるようになったんだ。


 アーサーの言葉はシリウスにとって理想とするような話だ。

 ああ、荒唐無稽な大人の事情抜きの青臭い理想論。

 空想の、お伽噺のような善政の敷かれた王国の話。



 空想でも嬉しかった。

 そういう考えを持つ人間が自分の仕える王様だったら、どれだけ報われることか。

 幸せなことなんだろうと、凄く楽しみだった。



 彼を支えると言うエルディムの人間であることが嬉しく、誇らしかった。



 それがなんだ。

 今、自分は「運がかみ合えば」彼の命を、差し出そうとしている。





 

 空想の王国を実現するために

 条件が揃ったらアーサーを見殺しにするのか







『ねぇ、シリウス。

 君がエルディムの後継ぎで、僕は嬉しい。

 一緒にがんばろう』






 そう言って手を強く握ってきたアーサーの姿を、覚えている。






 ああ、駄目だ。

 想像したら、嫌悪感で夕食に食べたものが、全部出てきそう。






 ※




 日記を机の引き出しに厳重にしまった後、シリウスは部屋から出て中庭に出た。

 冷たい夜の風に当たれば、少しは冷静になれるかと思ったのだが…



「シリウス!」


 中庭に踏み出そうとした直後、緊迫した様子のアーサーとラルフ…

 そして特別寮管理人のウルが狼狽した様子で顔を突き合わせていたのだ。


「どうした、雁首揃えて」


「ジェイクを知らないか?」


 アーサーは食い気味にそう尋ねて来た。


「知らん、どうかしたのか」


 友人とは言え、彼はロンバルドの人間だ、一々行動を把握しているわけがない。


「それが、もう門限を過ぎているのですが、連絡がなく」


 管理人は困惑し、何度も時計を確認していた。

 もしも門限を過ぎても戻ってこなかった場合、実家に連絡を入れなければいけない。

 大きな問題になるので、門限だけは守るようにと何度も注意を受けていたはずだ。


 しかも自分達の門限は決して早いわけじゃない――

 夜の9時までに帰寮すればいいだけの話なのに、それを平気で破るとは。

 しかも、まだ学園が始まって三日目の段階だと言うのに、人騒がせな。


「はぁ…大方どこぞで騎士連中と飲んでいるのではないか?」


「何か事件に巻き込まれた可能性は?」


 ラルフの言葉に、シリウスは肩を竦めた。


「そもそもアイツをどうこうできる人間が、この国にそう何人もいるはずが…」


 シリウスが胡乱な表情になった後、急に月明かりが遮られる。

 そして――上空で、パリンとガラスが砕け散るような音が鳴ったのと同時に、



「門限は!? 10分くらい、セーフ……」



 まさか何も無い空からジェイクが降って来るとは。

 


「アウトだ」


 シリウスは腕を組み、舌打ち混じりにジェイクに告げる。



「アウトだね」


 ラルフも額を押さえて首を横に振る。



「……ジェイク、入り口を間違えてるよ」



 アーサーはにこやかな笑みでジェイクを見ているが、声が若干低い。

 学園に入学したてで、生活が変わったことで気がかりなことも増える。

 親元を離れた途端に事件に巻き込まれたなんて話も稀にあるので、友人の安否を心配していたのだと思われる。


 殺しても死なないような男だが、殺す以外にも動きを封じる方法はある。



「いや、マジでごめんって。

 詰所に寄ったら、レーベのおっさんに声かけられて…」




「だからと言って、連絡も寄越さずあまつさえ寮上部の障壁を粉々に砕いて帰寮する馬鹿がどこにいる」


 普通の手段では、あの魔法障壁を抜けることはできない。

 弓矢などの遠隔攻撃を使っての暗殺にも対応した、かなり高度な結界も一緒に張られているのだ。


 どんな馬鹿魔力ぢからだ。


「ジェイク様…」



 柔和な笑みを浮かべる管理人は、ポン、とジェイクの肩に手を置いた。


「あの結界障壁はかなり修復に資金がかかりそうですね。

 ……将軍に請求書送らせてもらいます」


「おいやめろ! 俺の命がヤバい!」


「それと門限を過ぎたので、そのことも合わせて報告させてもらいますね。

 はぁ…この段階で門限破りなど、今後が心配です」



 トラブルを起こしたことを報告されるのは、自分が悪くなくても連座的にマイナスポイントだ。

 出来ればこのことは他所に知られずにやり過ごしたい。


 シリウスは苦虫をかみつぶしたような顔で、一歩前に進み出る。


「待て、これから私達が障壁の修復作業に入る。

 あの程度、元通りにできるだろう――今回のことはロンバルドに報告はしないでもらいたい」


「いいんですか?

 それは私としても、それが一番助かりますけど…」



 管理人としての責任問題にもなりかねない、ウルは”ホ―――っ”と大きな長い安堵の吐息を吐いた。


「ジェイク、作業に移るぞ」


「俺も?

 いやー、自分で開けといて言うのもなんだけど、高いぞ?

 天辺の修復は風魔法で飛ばしてもらわないと無理って言うか」


「そもそも何故上空から入ってきた」


「ホントは寮の壁を乗り越えて帰ろうと思ったんだよ、でも側面の結界強度が桁違いで無理だったんだよなー。

 構造的に天辺の強度の方が弱いだろ? 上から一点突破チャレンジしたら通ったってだけ」


 あっけらかんと、常識外なことを言う。

 完全な脳筋仕様でもないのが、ジェイクの厄介なところでもあった。


「塀を乗り越えて入ってくるのも駄目に決まってるだろう」


 シリウスは顔を顰めて、ジェイクを見据える。



「しょうがない、アーサー、僕達も手伝おうか」


「そうだね」




『うわっ』


 シリウスとジェイクの足が同時に地上から離れていく。

 気味が悪い浮遊感を伴い、二人の身体がゆっくりと上昇していった。


 ジェイクと同時に下方に目を向けると、ヒラヒラと手を振るアーサーとラルフの姿が見える――彼らの足元を中心に、翡翠色に輝く透明な光の渦が巻き起こっていた。



 …魔導士相手に魔法を使うことに、何と躊躇いのない二人か。



 特別寮の上部に空いた結界の穴を補修するまで、日付が変わるギリギリまでかかってしまった。

 まさか帰寮してまで労働作業が待っているとは思わなかった――


 だが、文句を言いつつも協力して作業をするのは嫌ではない。

 面倒なことに駆り出されるのは二度とごめんだと思うと同時に、こうやって彼らと一緒に過ごせる時間は想像していた以上に気が楽で、楽しいとも感じる。






 このまま、何ごともなく、学園を卒業できないだろうか。





 現実感に乏しく、まだ、そんな希望に縋っている。




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