シリウスの日記帳 (2)
4月2日(火)
本格的な学園生活が始まった。
全生徒が一堂に会しての食事は思っていた以上に不可思議な光景で、どこか落ち着かない。その内慣れるだろう。
今日、目標対象の三つ子と実際に会話をすることができた。
まさか放課後の図書室に彼女達が訪れるとは思わなかった、やはり奇妙な縁を感じる。
突然彼女の姿が視界に入り、リナ・フォスターに対してあまり良い応対が出来なかった事が悔やまれる。
こちらから接触するつもりはなかったのだが……
過ぎた事を悔やんでも仕方ない。
足を痛めていたということだ、彼女に対し何かしらのフォローを入れておこう。
ただ、リゼ・フォスター――彼女は一体、何者なのだ。
確かに特待生で、私と同等の入学試験結果を得た生徒がいるという話は聞いていた。
……彼女がそうだった、と?
それにしても、あの挑発的な態度には驚いた。
中々変わった人間だと、逆に興味を引かれる。
彼女が優秀な生徒で、そして聖女の素質を持つ者で……
いや、今の段階で三年後の事を考えていても仕方がない。
場の仲裁に出てきたカサンドラの存在も少々引っ掛かる。
そもそも彼女と顔を合わせるはずのない場所ではないか。
カサンドラが勉強熱心だった、という話は一切聞いていない。
試験も凡庸な成績だったと聞く。
図書室で、わざわざ特待生を庇うように声を掛けてきたタイミングもおかしい。
そんなことをして彼女の何の利益が?
昨日と言い、今日と言い、アーサーに対して媚びを売りに行く気配も無い。
こちらの件も変わらず様子見だ。
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……やらかした。
シリウスは寮の自室で日記を閉じ、大仰に溜息をついた。
これから一度王城に向かわなければならず、支度をしなければいけないというのに。
記憶や感情が新しい内に、と記録を始めた日記帳。
臙脂色の表紙はタイトルも何も書いてはいない。
誰かの目に触れれば大事になるので魔法で存在を隠してはいるものの、後々自分以上の魔法の使い手に暴かれないとも限らない。
自分がもしも不慮の事故か何かで死んだ時にも一緒に喪失するような仕掛けも別に作っておかなければいけないだろう。
馴染みのない、分厚い日記帳。
日記を書くとは自分らしくもないことを始めようと思ったものだ、と苦笑が漏れる。
……日記を書き始めたのは、『誰か』と対話をしたかったからだ。
現状を正確に把握するだの、思考の流れをまとめるだのはその副産物に過ぎない。
今の自分の立場を理解し、相談に乗ってくれる人間はこの世のどこにもいない。
だが、”過去の自分”なら当然全てを汲んで理解してくれているわけだ。
長いスパン、過去の自分の選択や記録、思考の流れを書き留めておくことで後々迷った時。
過去の自分が、相談相手になれるかもしれない、と思った。
日記など自分に似合わないことだと思ったが、思っていることを文字という形で表出させるという手段は悪くない。
悪くはない、が……
ざらつく日記帳の表紙を指先で撫でる。
「くそ……!」
今日の図書室での自分の振る舞い、そして失態を思い返すと胃が焼ききれそうな痛みを発し胸元を押さえるシリウス。
カラスの濡れ羽色を想起させる黒い髪が、大きく揺れる。
折角三つ子と知り合える機会だったというのに、自分は何故あんな態度をとってしまったのだろう。
もっと彼女達にとって親しみやすさを強調することが出来れば……
いや、そもそもシリウスは演技が下手だ。
思ってもない事を口に出すことにこの上ない苦痛を感じるタイプである。
ここで無理をしてアーサーのような好青年らしい態度をとったところで、三年という期間長続きするわけがない。
絶対に襤褸が出るし、第一そんな自分を第三者に目撃されることは屈辱以外の何物でもなかった。
ゆえに、もしも何度今日の場面をやり直すとしても自分は今日のような態度しか取れないだろう。
図書室で大きな音を立てる生徒がいれば、相手が誰だろうとシリウスは注意に向かうはずだ。
たまたま、今回――その対象が三つ子の一人で、引っ込みのつかない状態になってしまったという不運が重なっただけ。
もしも三つ子だからと特別扱い、急に掌を返して友好的に接するなどという器用な真似はシリウスには出来やしない。
だが、別に説教をする必要は無かっただろう、とか。
リゼ当人に興味を持ち、つい突っかかるような態度をとってしまったことをカサンドラに見られた上に窘められるというのは苛立たしい話である。
正直、今日の出来事は記憶の彼方に放り出して忘れてしまいたい……
『貴方がシリウス様ですか?』
恐縮し俯くばかりの妹を庇うように、ハッキリとした声で話しかけてきたリゼ・フォスター。
いきなり敵意のようなものを向けられ、面食らったということもある。
リナを虐めているように見えたからなのかもしれないと思ったが、どうやら彼女は……
成績が同水準だったのに主席入学がシリウスだったことが気に入らない、と言外にモノ申していたわけだ。
その胆力にはシリウスも唖然とせざるを得ない。
この場で学園側の姿勢に文句を言われても、こちらとしても答えようがない。
まぁ、実際主席合格をしなければいけない立場という点で、学園側の”選択”はシリウスにとって感謝するべきものかもしれないが。
別にシリウスが無理矢理代表挨拶をさせろとねじ込んだわけでもあるまいし……
色んな感情が渦巻き、平静を保つことに苦労した。
あの意思の強い蒼い
……あれが、聖女か。
実際に会ってしまえば、他人ではない。
同じクラスで三年過ごせば、例え今日会わなかったとしてもいつかはその機会があった事だろう。
……どうしたって、無関係だと切り捨てられない。
シリウスだって鬼じゃない、情だって湧く。
アーサーを”悪魔にしないため”、あの計画の餌食にさせないために 死んでくれ
笑顔で学園生活を楽しんでいるだろう、あの三つ子に言えるのか?
そう、割り切って考えられるようになるのか? 自分は。
彼女達を無事に生かすにはどうすればいい?
親を告発……?
……何一つ証拠を掴んでもない、荒唐無稽なこんなバカらしい計画とも言えない計画を真顔で訴えるのか?
誰に?
今の段階で突き詰めて考え続けても、胃薬の量が増えるだけだ。
何はともあれ、シリウスの今の立場は決して盤石なものではない。
一応エリックから後継者として指名されているものの、それはこの三年間を恙なく周囲の期待に応えることが前提の話。
父はいつだって、この不安定な盤面をひっくり返せるのだ。
父エリックはかつて二人の兄と後継者争いを繰り広げ、勝ち取ったという。
当然父方の従兄たちは皆シリウスの失脚を手ぐすね引いて待ち構えている、隙を見せるわけにはいかない。
ここで明確に父に反抗することはできない、面従腹背とは本当に腹に据えかねる状況なのだと、もう一度大きく溜息をついた。
机の上に頬杖をつき、顎を乗せる。
窓から見える景色は、庭師たちが整えた目を瞠るような爽やかで美しい”春”だ。
平和で、穏やかで、凪いだ世界。
この特別寮で過ごして日が浅いが、シリウスにとって思いの外居心地のいい場所である。
この学生という期間が永遠に、ずっと終わりなく続いていくのなら……
そんな無意味な事を考える馬鹿な自分に苦笑いだ。
「考えなければいけないことは、他にもある」
三つ子に纏わる進退が最重要事項としても、それ以外を疎かにして良いわけがない。
シリウスには他にも使命を任されている。
その内の一つが、アーサーの婚約者であるカサンドラ・レンドールの『処分』だ。
聖女計画がどうなろうが、どのみちカサンドラは自分達にとって邪魔な存在である。計画の結果如何に関わらず、消えてもらう必要がある。
もしもアーサーが悪魔になったら、連座的に彼女に責任を被らせることは可能だが、そんな事態は今は想像したくない。
有力地方貴族レンドール侯爵クラウス――彼は、力をつけすぎた。
中央に進出を目論んでいるという話は聞かないが、結束が強い一族を擁し肥沃な土地を広くもち、国内でも有数の鉱山を有するレンドールの存在は看過できないものとなりつつある。
出来る限り、彼らの持つ豊かさを手中に入れつつ反抗の芽を潰したい。
それにはレンドール家の”大きな失態”が必要不可欠だ。
レンドールに、クローレスという国への負い目を持たせればいい。
自分が婚約者に立てた娘が学園内でいざこざを起こし、衆目が「悪」とみなす状況で断罪されてしまえばレンドール侯爵も今後社交界で大きな顔は出来ない。
彼女の不始末を盾に、いくつかの難しい案件を呑ませることが出来るかもしれない。
それで彼らが独立だなんだと騒ぎ立てても、元々のきっかけ、断罪の理由が向こう側にあるのならレンドールを軍隊で攻める口実にもなる。
改めて、王の名のもとに自分達に利する子飼いの貴族を新しい領主に挿げ替える、ということも可能だ。
何も瑕疵が無い従順なレンドールを王国軍が攻めることはできない。
そんなことをしたら、全ての地方貴族が王国の道理のない傍若無人ぶりに抵抗して王国を二分する戦争が起こってしまうだろう。何せ、明日は我が身だ。
だが非があるにも関わらず、武力で独立を勝ち取ろうとレンドールから蜂起するなら正々堂々と軍隊を動かせる。
恐らくエリックはこれを狙っているのだろう、まぁ、あのクラウス侯爵が自分の娘が追放されたからと王国に牙を向けることはないと思うが……
彼は保守的な人間だ。
自領の平穏を望み、娘を切り捨てる方向に進むだろう。中央との争いごとなど嫌がるに違いない。
カサンドラの事については、シリウスも事前に調べ上げている。
彼女の性格、そして周囲からの評判。
決して風の噂などという曖昧なものではなく、入念に証拠を持って報告させた大量の資料がシリウスの実家に積まれている。
あの性格の人間なら、勝手に自爆してくれる。
最初からアーサーの婚約者に相応しくない相手。
追放しても、シリウスの良心は痛まない。
王子の婚約者になろうなど、なんと身の程知らず。
尤も、シリウスは罪をでっちあげてカサンドラを追放したいわけではなかった。
無いものを”有る”ことにしたてあげるのは殊の外リスキーな行為である。
少なくとも、シリウスは彼女に対し何か邪魔をしようとか嫌がらせをしようなんて毛ほども考えていない。
そんな事をしてしまえば、足元を掬われかねない。
事を荒立て、醜聞を広げる起点はカサンドラでなくてはいけない。
無理矢理彼女を陥れるような事をしてもいけない。
火のない所に煙を立たせるのではなく、彼女が起こした小火を広げて大火事にするのが自分の役目だ。
あの高慢な性格、さして有能な分野があるわけでもないのに偉そうで、周囲からは疎ましがられている。
外見もまさにこのケースに相応しい悪役顔、儚げで可憐とは程遠い。
プライドの高さで、他の令嬢達とトラブルを頻発させてくれることだろう。
そんな風に吞んでかかっていた彼女に、今日図書館であんなやりとりを見られたのだから――自分の言動を振り返れば記憶を消したいくらい恥ずかしいと思ったのは当然のことである。
「何故、こうも『違う』のだ……?」
揚げ足をとるような真似をしたくはないので、出来れば綺麗に派手に『悪役』として自爆して欲しい。
それがシリウスの思惑だったのだが……
何かが、おかしい。
聖女が三つ子だというのも奇妙な状況に感じられるし。
カサンドラの性格が事前調査と全く違う別人のようなということも違和感を覚えるし。
「はぁ……。」
シリウスは眼鏡を一度下ろし、曇ったガラスを布で拭き上げる。
善良であれ、誠実であれ、と他人にも自分にも求めていたかった。
今でも、全世界の人間がそうであればいいと思っている。
なのに――
罪悪感を抱かないため、カサンドラに対し『嫌な人間であって欲しい』と望む自分は、望んでいる自分のあるべき姿と真逆。
私は一体、何をやっているのだろうな。
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