後日談 <お気に召すまま>

第1話 選んだ世界


 再びこの世界に召喚された…という事実に、まだ心と体が追いついていないような気がする。



 ――そもそもカサンドラは、戻りたいと願ったから自分の力で元の世界に戻って来れたわけではない。


 アーサーを始めとした皆の尽力があってこそ、自分はカサンドラだった記憶を思い出し、この世界に戻ることを「選択」することができたのだ。


 自分のために長い時間をかけて皆が自分を呼び戻してくれたことは素直に嬉しかった。王子…いや、現在は王太子という身分になったらしいアーサーに会えたことはこの上なく嬉しいことだ。


 何故か『女神』扱いされ、王宮広場に集まる大勢の市民たちに笑顔で手を振るという状況に、思考は完全に停止していたかもしれない。

 気慣れない薄いローブ、それに銀色のゴテゴテした髪飾りを頭に飾り大勢の歓声に内心では失神寸前の状況に追い詰められていたのだけど。


 隣にアーサーがいてくれたから、気絶まで至らなかったのだと思う。


 そりゃあ、いつか彼と結婚式を挙げることになるならば、民衆への顔見せ、お披露目は避けては通れなかった。だが何の心構えもなく、ポンと放り出された先で大歓声に包まれると言う異様な状況は、心臓に悪すぎる。


 一人一人の顔を見れば、皆覚えがあった。

 だが大地が割れる程の大歓声を浴びると、自身がクエスチョンマーク発生装置と化したのか?と勘違いする。






 自分がここに居られるのは、頑張ったのは王子たちのお陰であって。

 何もしていないのに、笑って手を振っていて本当に良いのか…?




 そしてカサンドラは、考えるのをやめた。





 ※





 ようやく解放された…。



 普段休日に着ていたような、装飾の極めて少ないシンプルなワンピースに着替えた後。

 カサンドラは完全に虚脱感に包まれ、部屋のテーブルに突っ伏していた。


「ああ…疲れました…」


 周囲に誰もいない状況になって、ようやく人心地ついた気がする。

 立ち眩みもやむなしという立場に置かれたが、何とか耐え抜いた自分を褒めたいと思う。


 さっきの歓声が耳の周囲に残っている気がしたが、徐々に落ち着きを取り戻す。

 少なくとも…


 この自分がこの世界を去ってから二年が経過しているということは、『ループ』現象からこの世界が解放された証拠であろう。

 夢のようなうつつのような不思議な白い世界で、確かに自分は何かをしたのだと思う。だが、それを思い出そうとすると頭がズキンと痛んだ。



「キャシー、入っても良いかな?」


 扉をノックされ、ビクッと肩が跳ねる。

 続けざまに聞こえたアーサーの声に、慌てて椅子から立ち上がった。


「……! は、はい!」


「突然のことで戸惑ってしまったかな。

 お疲れ様、キャシー」


 客室に姿を現した彼の姿に、カサンドラは改めてこれが現実なのだろうかと頬を抓りたくなった。


「わたくしのために時間を割いて下さってありがとうございました。

 あの…大変恐縮ですが、当時何が起こったのか、現在の状況もあわせて教えて頂けると有難く思います」


 このまま放置されていても、状況を把握することはできない。

 自分だけに手渡された『二年間の空白』を、今、完全に持て余していたのだ。


「そうだね。

 急にこの世界に戻って来たんだ、君にも知っておいて欲しいことが沢山ある」


 落ち着いた声に、どこか懐かしさを感じる。

 自分の体感では二か月もかかっていないはずなのに。

 一気に彼の容姿が大人びたように感じるからだろうか。


 彼の姿は当時より一層煌めきをまとい、まじまじと見てしまうのが恥ずかしくなる。

 鏡で確認した自分カサンドラは変化が無いように思えるので、いきなり皆が年上になったということか。


 やっぱり、慣れない。


 アーサーがテーブルの向かい側に座り、カサンドラも再び椅子に腰を下ろす。

 彼と二人きり、向かい合って話をするのは初めてではないはずなのに。

 暴れる心臓の置き場に困ってしまう。


「キャシーは…あの日のことを、どこまで覚えているのかな」


「あの日…」


 正面に座るアーサーに促され、当時の記憶に想いを馳せた。


 そして、ぞっと全身が凍り付く。

 無意識に自身の右手が、お腹を庇うように動いた。


「そ、そういえば、あの日、わたくしは…怪我を…」


 大柄な男性の影がボウッと背後に立ち昇った気がした。


 そうだ。

 あの日自分は、王子に手紙を渡したいと思って…

 校舎の裏庭に王子がいると思って行ったら、そこにいたのは王子じゃなくて。


「君の傷は、彼女達が癒してくれた。

 …フォスターの三つ子は、君を助けるために『聖女』の力に目覚めたということだね」


 あたたかい、白い光。

 誰かの声。


 そうか…あれは、三つ子たちの……



 冷静に考えれば、身体を正面から刃で貫かれて無事でいられるはずがない。

 当時のことを詳しく思い出そうとすると汗が噴き出そうになるのは、あの殺意を秘めた恐ろしい瞳と、凄絶な痛みをこの身体が覚えているからか。


「ごめん、辛いことを思い出させてしまって」


「いえ! 詳しく聞きたいとお願いしたのは、私ですから!」


 三つ子が聖女に覚醒したのなら、その原因を知らないままなのは耐え難い。

 イヤな記憶が過ぎったが、それよりも自分があの日迂闊な行動をとったせいで皆に大迷惑をかけてしまったのかと内心大いに慌てた。



 シリウスに、身の安全に気を付けろと再三言われていたのに。

 自分が迂闊だったのだと思う。


 

「…? 三つ子が聖女になったということは…」


 サーっと顔が蒼くなる。

 彼女達が強大な力を得てしまったら、それこそ荒唐無稽な『聖女計画』とやらが成ってしまうということではないか。


「ああ、悪魔は現れたよ」


「王子!?」


 思わず悲鳴のような声が上がる。

 今まで散々、彼が悪魔にならないようにと、それだけを考えて過ごしてきた。

 さらっと”悪魔”という単語が出てきて、カサンドラも思わず立ち上がって手を伸ばしかけた。


「私に『悪意の種』を植え付けようとしたエリックだが、それに失敗。

 ……替わりに――彼が、悪魔になってしまった」


「そんな…」


 何と言う予想外の状況だろう。

 自分が気を失っている間に、大変なことが起こってしまったのだ。


「悪魔自身は聖女たちが斃してくれた、そして『核』も彼女達が壊したと言っていた。

 だけどそれでも、世界は…また、時間を遡らせようとしたんだ。


 私には、その時君が何をしたのかは、分からない。

 でも君の姿を近くに見たと思った瞬間、目が醒めた。


 世界は――それまでの形を、継続して保っていたよ。

 私達はこうして未来を生きている」



 この世界の運命タイトルを変えたことで、その呪縛のようなループからようやく解放されたのだろう。

 そうか、自分の思い付きや判断は間違っていなかったのか。


 カサンドラは安堵し、ホッと息を落とした。


 それから姿を消したカサンドラのことを、皆がずっと捜し続けていたそうだ。

 穏やかな口調ながらも、アーサーはその間のことはあまり詳しく語ってはくれない。


 自分が入学してから途中退場するまで、一年と二か月ほど。

 その倍近い期間を、この時間で語り尽くす事など無理だろうし。


 彼がどれほど悲しかっただろうと想像するだけで、カサンドラも胸が詰まってしまう。

 自分だったら…急に彼が何処かに消えてしまって、しかも自分の事も忘れて、別の世界で暮らし始めるだなんて。想像したくもない!

 毎日泣き暮らすことしか出来なかっただろう。


「皆様に導かれ、私はまたこの世界に戻ってくることができたのですね。

 本当にありがとうございます」



 そもそも、アーサーを救ってほしい、ループから助けて欲しいと言う願いから、最初に自分は召喚されてしまったわけで。


 それが終わったら、『  』の存在はこの世界には必要がないものだ。

 だから巻き戻り現象を解決した直後、この世界から弾き戻されて、カサンドラの記憶も思い出せない状態になっていたのかも…



 ……ん?




 自分は、カサンドラ・レンドール。

 王立学園に入学する前日、助けを求めてゲームを基に作られれた世界に召喚された『  』。


 『   』!


 おかしい。



 自分は…… 誰    だった?




 急に全身、総毛立つ。





 思い…出せない。

 



 いや、カサンドラとして生きて来た15年、そして王子たちと過ごした1年と少しの学園生活の記憶は全て覚えている。余すところなく、大切な思い出として。

 この世界で何が起こったのか…

 そしてこの世界で自分がした行いも。


 沢山の同級生の顔を覚えているし。

 この世界で学んだ知識も全て覚えている!



 だが、自分が元々いたはずの世界、知っている『人物』の記憶を、何一つ思い出せないのだ。


 頭の中に浮かぶのは、ぼんやりとした人間の輪郭だけ。




    あれ?  お母さん? お父さん?



    仲の良かった友達


    同僚    先輩





    『   』の中に在る、

    自分の記憶がまるで強い滝に押し流されるように

    凄い勢いで喪失していく……!






「キャシーが、この世界を選んでくれて本当に私は嬉しい。

 君が望んでくれたから、また会えたんだ」





 選んだ。


 そう、自分はこの選択を後悔していない。

 向こうの世界よりも、この世界に帰りたい、皆に、王子に会いたい。



 って、強く思った。




 これが…選択するということなのか。

 どちらかにしか存在できないというのなら、選ばれなかった方の世界の事を忘れてしまう。

 いや、もしかしたら、元の世界が『  』のことを忘れてしまったのかもしれない。



 忘れていく…

 忘れていく!


 自分の中に確かにあったはずの、30年近い日々の記憶が!

 あの世界に置いて来た、自分の足跡が。



「キャシー!? どうしたんだ、急に…

 キャシー!」


 俯き、ポロポロ涙を流していた。

 アーサーが慌てて傍により、肩をぐっと抱き寄せてくる。


「どこか痛い?

 もしかして、世界を渡ったことによる影響が…

 戻って早々、無理をさせてしまって本当に申しわけない」


「違う…違うんです。

 そうじゃ、ない…です」


 きっと、どちらの世界のことも覚えている、なんて都合の良いいいとこどりはできないんだ。そうだ、だって自分は向こうの世界でこの世界のことを忘れていたはず。


 心からこの世界の住人になりたいと望んだあの時に、別の世界の自分は「消えた」?


 …別の世界の『  』の記憶は、この世界にとって不要な「添加物」。

 この世界の神様が、自分を受け容れてくれる代わりにもう必要のなくなった記憶を洗い流してしまったというのか?

 それとも、心の奥底にぎゅっと詰めて思い出せないように封印されてしまったのか。


 ああ、ぼんやりする。

 確かに自分は、他の世界で、他の人生を歩んでいた人間だった。


 でももう、家族の顔も 友達の顔も名前も


 そして自分が誰だったのかも    思い出せない。





「君には君の生活じんせいがあった。

 多くのものを捨てる形で、こちらを選んでもらったことは分かっているつもりだ」



 記憶って、こんなに簡単に消えるものなんだ…


 カサンドラは、神様という存在をあまり信じていなかったけれど。

 流石この世界の記憶を延々と消し続け、同じ三年間を繰り返させていたというべきか。ここまで記憶を良いように…いや、もしくは…これは神様の慈悲か。




 ああ、もし自分が別の世界で、アーサー達のことを覚えていて

 二度と戻れないと知ったら、悲しくて気が狂いそうになる



 同じように、二度と帰ることのできない世界のことを思い出すことがないように。

 本物の神様が自分に施した、『安全弁』セーフティバルブなのかもしれないな、とぼんやりする意識の中でそう思った。



 それでも流れ落ちて忘れていく記憶達を黙って見ているしかできなくて。


 自分が置いて来たものの重さを、今一度痛感してしまう。

 ここに帰りたいって思ったことは後悔していないのに、おかしな話だ。




 勝手に涙が流れてきて、少し困る。

 悲しいのは悲しいけれど、自分が選んだことなのだ。


 既に失われてしまったモノの郷愁に浸っていても、彼を困らせてしまうだけだろうに。



 ぐっと下腹に力を込め、とりあえず笑おうと試みる。

 二年間、ずっと自分のために時間や気持ちを捧げてくれた皆に対し、失礼だと思ったから。




 座ったまま、強くぎゅっと抱き締められる。

 …今日は、今まで彼に触れて来たトータル時間の何倍も、彼に接触しているような…?


 普段、人に対して距離感を持っていて、あまり触れるような人ではないと思っていたので、ちょっと不思議な気持ちになった。





「私は、君がこの世界に戻って来たことを後悔させない。

 一生をかけて、必ず君を幸せにすると誓う。



  ……選んでくれて、ありがとう」




 そんな風に、罪悪感を宿す切なそうな表情をしないで欲しい。


 望んで此処にいる。

 皆に願われたから、此処にいる。



 それは――とても幸せなことなのだ。






「はい、アーサー様。

 わたくしはこの世界で、貴方と幸せに生きていきたいです」






 彼は少しだけ、安心したような顔をする。

 そしてカサンドラの前に、一つの小箱を差し出した。


「まずはこれを君に渡したかった」


「……これは…」


 見覚えがある、この箱のフォルム。

 アクセサリー類、特に指輪に使われる紺色の箱…


 パカッと開くとそこに現れるのは、予想通りの指輪。

 しかも前にもらった指輪より、何だか豪華になっているような気がするのは…

 自分の見間違いだろうか。






   一体どれだけのダイヤモンドを使ってるんだ、この指輪…怖い…。

   この指輪で窓ガラスを叩いたら一瞬で粉々になりそうな硬度ではないか?




 思わず声を失い、その指輪とアーサーの顔を交互に眺める。


「あ、ありがとうございます…お気持ち、とても嬉しいです」


「以前に渡したものは、どうやら役目を終えてしまったようだ。

 新しく作らせたものだから、どうか受け取って欲しい」


「はい、家に持ち帰り、大切にしまって――」


 少々照てが混じり、家に帰ってゆっくり指輪を眺めようと思っていたカサンドラ。

 しかし、そんな自分の言葉を意に介さず、彼はカサンドラの右手の薬指に指輪を填めた。


 今までにない強硬なアーサーの振る舞いに、唖然とする。


「君に着けていて欲しい。

 …リタ君たちも着けているものだから、キャシーが着けていないのはおかしいからね」



「えっ…」




 そう言えば殆ど三つ子と話をしていない。

 彼女達なりに気を遣ってくれているのだろうが、色々と聞きたいことは山積みだ。



 チラ、と自分の指に填まる婚約指輪を視界に入れる。




 そうか…彼女達も婚約したということか?

 良かった、三つ子たちの頑張りが報われて本当に嬉しい。





 脳裏に過ぎるのは、記憶にある御三家のお屋敷――その門構えである。










    一体どんな途方もない額が動いたの?

    とても聞けない…




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