第2話 夕食会は家族と一緒に
アーサーに着けてもらった指輪の輝きに恐れおののいていたカサンドラだった。
だがしかし、今カサンドラが強く緊張しているのは贈り物の装飾品だけの影響ではない。
彼の外見が、二年という時をすっ飛ばして、記憶にあるものと少し違うものになっていたからだ。
学園生活のアーサーは見目麗しい、物語の中に出てくるそのままの「王子様」だった。
毎日のように傍にいれば緩やかに変わっていくはずの容姿が、急に変わっていたら心構えのないカサンドラには大変動揺をもたらしてしまう。
顔かたちは最初から完成されていたはずなのに、カサンドラが知らない間に更に凄味が増しているというか…
少し伸びた金の髪の毛のせいか、それともふとした瞬間に見せる若干憂いを帯びる表情のせいなのか。この年頃の彼にはごく順当な成長だと思うのだけど。
……え? 王子って、こんな雰囲気だった?
視覚から入ってくる彼の外見は、ずっと一緒にいた頃と変わらないはずなのに。
男性っぽさが少し上がっているというか、男性に関して使うには見当違いかもしれないが色気が当時の数倍は増している気がする。
それまでの清らかすぎる、見ているこちらが浄化しかねない美しい容色に重なる形で、艶っぽい雰囲気まで増して入っている…?
この二年間、彼の身に何があったのか想像も出来ず、カサンドラは彼の姿を直視するのが難しい。
しばらく、苦肉の策としてアーサー自身に焦点を合わせないようにしながら彼と会話をしていた。
しかし視線をふとズラせば、指に填まって燦然と輝く指輪が嫌でも視界に入ってくるので、もはや逃れようもない。
「……? キャシー?
私の顔か髪に、何かついてるのかな…?」
そんなカサンドラの胡乱な様子を彼が不審に思わないわけもなく、困ったような顔をされてこちらの方が焦りを感じてしまう。
王子…いえ、王太子のお姿がグレードアップしていて、直視できません!
なんて真実を口にするのも憚られ、慌てて首を横に振った。
「いえ、そのような事は決して!」
16歳から18歳となったアーサーの姿は、余りにも視覚的に衝撃が大きすぎるのだ。
自分が一切変わっていないから、余計にそう感じてしまうのだろう。
「それならいいけれど。
今日は王宮の食堂で夕食会を予定していてね。
もうすぐ時間になる、是非キャシーに参加して欲しい」
「まぁ、ありがとうございます!」
緊張し通しだったせいで今まで忘れていたが、確かにお腹は空いていた。
何せ数時間立ちっぱなしだったし、この身体で食事を採った記憶は遠い昔の彼方に思える。食事と聞いて、一気に現実を思い出したような気になった。
「皆さんとお食事…ということは、晩餐会形式なのでしょうか?
でしたらわたくし、別の服に着替えた方が」
畏まった席に、シンプルなワンピースだけで特攻する自信はない。
だがアーサーは首を横に振る。
「本当に内輪…家族だけの夕食会だから。
キャシーは何を着ていても綺麗だからそのままで問題はないよ」
家族だけ?
脳裏に過ぎったのは、父親であるクラウスと、義弟のアレクだ。
そしてアーサー…
他の面々がいないのであれば、確かに着飾って同席するのも逆に浮いてしまうかもしれない。
念のためにストールを羽織り、カサンドラは彼と一緒に家族が待つという食堂へ向かうことにしたのだ。
もしかしたら母もいるのだろうか、とカサンドラの足取りは軽かった。
横に並んで歩くなら、彼の顔を直視する必要はない…
そう思っていたのだが、廊下を歩いていると大勢の使用人や従者たちの視線を浴びることになる。
アーサーが一緒だと、かなり目立つ。
どこにいても見つかってしまうだろうから、かくれんぼなんて不利すぎて勝負にならないだろうな。
定まらない視線が映す王城の建材は、どれも真新しいものだ。
記憶と比べて、若干変化している。
ああ、本当に…この大きな建物が、王城が、恐ろしい『悪魔』によって一度破壊されてしまったのかと。その痕跡を見せつけられ、冷や汗を流していたカサンドラ。
「……姉上!」
食堂近くで待機していたらしい、一人の少年が手を挙げている。
すらっと細身の銀髪の美少年。
それは言わずと知れた自分の義弟…のはずだ。
「アレク!」
召喚されてこの世界に戻ってきたばかりの時は、じっくりと彼を観察することは出来なかった。しかしアーサーが二年の時を経てぐんと大人っぽく成長したように、アレクの外見も記憶と違って見えてしょうがない。
まず身長!
殆ど自分と変わらないくらいまで伸びているし、輪郭が「子ども」のものから青年のそれに変化しつつある。
幼かった彼の面影は、今のアレクの中に殆ど見い出せない…
13歳なんて、少年が一番変化する時期だからしょうがないのだが。
アレクは元々規格外の美少年だったので、顔の造作については言わずもがな。
このまま歳を重ねて行ったら、カサンドラの想像を超える成長を遂げてしまうのでは?
姉ながら、アレクの未来に恐れを抱かざるを得ない…
まさに将来性の塊である。
彼はニコッと微笑んだ。
「今日はお疲れ様でした。
…姉上がお戻りになって、僕達も嬉しいです」
「二年という長い間、アレク達に心配をかけました。
わたくしも、また会えて良かったです。
ありがとうございます」
世界は、もう救われた。
三つ子たちも聖女になったし、それぞれ恋人と一緒に幸せに暮らしているのだろう。
別に自分がこの世界にいなくたって、何の支障もなかったはずだ。
それなのに皆が自分のために、力を尽くしてくれたことに心がジンとし感動してしまう。
「いやー、それにしてもちょっと残念です」
「アレク?」
「姉上がお戻りになるタイミングがもう少し遅かったら、気になっていたあの手紙の内容を確認できたのに…」
残念残念、と軽く肩を竦めるその仕草はカサンドラも見覚えがあるものだ。
容姿が多少成長しても、動作の癖や根本はそのまま、それにホッとする。
だがそれはそれ、これはこれだ。
カサンドラは思わず自身の鎖骨あたりに手をあてがい、真っ向からアレクに文句を言う。
「アレク! よりにもよって、あの声掛けはありえませんよ!?
姉のプライバシーを何だと思っているのですか」
「ああでもしないと姉上の意識がこちらに向かないと判断したまでです。
むしろファインプレーと褒めて下さってもいいのでは?」
飄々とした態度のアレクが、少し自分に近づく。
ぎょっとして固まっているカサンドラの目の前で立ち止まった彼は、自分の頭の上スレスレで手の平を水平に掲げ――その手をカサンドラの方に突き出してきた。
背を比べ、彼は嬉しそうに笑ったのだ。
「わぁ、僕の方がちょっと高くないですか?
やった、姉上に追いついた」
嬉しそうな顔のアレクとは対照的にカサンドラは何故か大きなショックを受けてしまった。
「アレクが…大きくなってしまうなんて」
普通の人間の男子、しかも成長期ど真ん中!
だから二年も目を離していれば起こりえる現象なのだろうが、なかなか受け入れがたいものだ。小生意気な可愛い弟、という存在だったのに。
このまま時間が過ぎれば、遠く離れた親戚のような存在になるのかもしれない…
「僕、王太子より背が高くなりたいんですよねー」
「えっ…それは…うーん、複雑な感覚なのだけど」
それまで笑顔で様子を伺っていたアーサーが、話を振られて心底戸惑いの表情を浮かべる。
こと、身長に関してだけは本人の努力ではどうにもならないことで…
将来の成長した背丈も今から分かるわけもない。
「アーサー様と同じくらい、背が伸びると良いですね」
だって実の兄弟だし…
普通に考えたら、物凄く差が開くと言うのは、考え難い気がする。
まぁ、兄弟間や姉妹間でも身長に差が出る人はいくらでもいるけれど。
「僕、ジェイクさんくらい背が欲しいです!」
「やめてください」
思わずカサンドラは手を伸ばしてアレクに抗議する。
ジェイクの身長は190cm近いのだ、そんなに背が伸びたら『弟』なんて感覚が一瞬で雲散霧消してしまう…!
「ここで立ち話をしていてはいけないだろう、アレク。
…陛下達がお待ちなのでは?」
「そうでした!
姉上、今日は家族そろってゆっくり夕食にしましょうね」
……ん? 陛下……?
カサンドラの耳が聞きなれない敬称を拾う。
聞き間違いであることを期待したが、食堂に通されて心臓が悲鳴を上げる寸前であった。
縦に長いテーブルの奥に着席しているのは、紛れもないクローレス王国の国王陛下!
彼の傍には父クラウス…
食堂の席に着いているのは彼ら二人だけだった。
確かに少人数の食事会かも知れないけれど。
こんな普段着同様のワンピースで、陛下の前に目通りなど想像もしていなかった。
「おお、これはこれは、カサンドラ嬢、久しいな。
我が国に帰還してくれたこと、国を代表して感謝しよう。
この度は大儀であった」
以前会った時より、雰囲気がいくらか穏やかになっている気がする。
笑み、頬に刻まれる深い皺のせいだろうか。
「大変恐縮です、国王陛下」
カサンドラは顔を引き攣らせないよう注意深く、国王に頭を下げた。
家族での夕食…と言うことになれば、レンドール家だけではなく王家も含まれるわけで。
アーサーとアレクだけではなく、王様がいるのはちっともおかしな話ではない。
「そんなに畏まる必要はない、普通でいなさい。
…陛下の方が気を遣われるだろう」
クラウスの声も重なり、緊張が解かれるところかさらに二重の追撃を受けた気持ちである。
※
幸い、国王陛下と食事を共にするのはこれが初めてことではない。
当時からカサンドラに対し友好的に接してくれたし、今の国王は色々吹っ切れているようで、余計に親しみやすさが増していた。
どちらかと言うと父から発されるプレッシャーの方が食事の進みを遅める要因である。
お父様は全てを知っるって、確かに言ってた。
その上で本当に私を娘として、受け容れてくれるのだろうか?
今まで騙していたようなもの…
でも今更父親じゃないと言われても、既に帰る世界は閉ざされ。
そして…その世界の記憶は、既に自分の知るところではなくなってしまった。
懐かしむことも、郷愁に浸ることも出来ないのだ。
「まぁ、皆さん、爵位を継がれたのですね」
話の流れで、シリウス達が現在何をしているのかという情報を教えてもらえた。
どうやら三家の当主がそれぞれ代を替わって、新しい世代になったと言うではないか。
こんな若い内から責任のある立場に立たされる彼らのことを考えると、同情してしまう。
「彼らなら大丈夫だよ、『聖女』の助けもあるしね」
アーサーが補足してくれた通り――エリックが求めていた、誰も逆らうことの出来ない絶対的な『
まぁ、だからと言って、現実の問題が全て解決というわけにはいかないだろうし。
それに聖女も一人ではないし、今後の権力・権威的かじ取りの難しさを思うと、王様にとっては頭が痛いことかもしれないが。
――ジェイクとシリウスが侯爵…? ラルフが公爵?
自分にとって永遠の少年的なイメージがあるので、やっぱり慣れない…!
「何、我々には女神がいる。
これで丸く収まった話ではないか」
王様はカサンドラの方に視線を向け、キラキラと曇りなき眼で微笑みかけてくれる。
親子ですね、その笑顔…! と思わず口に出してしまいそうになる。
「あら、今、ジェイク様は大将軍になられたということですよね」
「そうだね、それ以外になれる人がいないから」
流石実力主義と権威主義の混ざり合った王城一の伏魔殿。ジェイクの嫌そうな顔が浮かんできた。…さぞ逃げたかっただろうな…
「では、どうしてお父様が未だに宰相を?
代々、エルディム侯爵が宰相を務めると言う慣習だったと記憶していますが」
順当に行くならば、爵位を継いだシリウスが宰相になっていないのは不思議な話だ。
しかも現在その地位に就いているのがクラウスであるという事実が、カサンドラに大きな違和感を与えたのだ。
「…彼たっての希望であるのと同時に、別にそういう慣習も必要ないという話になってな。
今は私の補佐役をかってでてくれている。
――元々学生時代から政務の手伝いをこなしていただろう、やっていることは以前と変わらないと思うぞ」
本人がそれでいいと言うのなら、カサンドラが口に出すことではないけれど。
シリウスも想うことが色々あるのだろう、ある意味で立ち位置的に最も負荷の多い人物だと思うから。
でもカサンドラとしては、彼が自責の念を感じて、どこか遠くに行ってしまったりしなくて良かったと心から思っている。
なんだかんだ、彼の事は味方に出来たらこの上なく心強い人だと思っているし、リナの大切な人だし…
「それではお父様、シリウス様と一緒にお仕事をされているのですね。
あの…問題がおこったりなど、しておりませんか?」
シリウスだってエルディムの当主という地位を背負っているなら、宰相に就かずに補佐官に徹している状態はもしかしたら不本意なこともあるのでは?
喧嘩になることはないと思うが…と冷や冷やしながらクラウスに尋ねる。
しかしクラウスは若干眉を顰め、傍にいる国王陛下に何故は目くばせでアイコンタクト。
「なぁ、ウェル…彼は本当に今のままで良いのか…?
私は彼に任せてレンドールに戻っても良いと考えているんだが」
「本人の望みだから、好きにさせてあげればいいのでは。
カサンドラ嬢の心配があてはまるような何かあるのか、クラウス?」
「いや、そういうわけではない。
…そりゃあ、エリックの奴も昔から優秀だった、性格はアレだが能力は三兄弟で
…目の前に性格の悪くないエリックの写し身がいることに、未だに慣れん…!」
ぼそぼそと話す会話はあまり聞き取れなかったが、大きな軋轢があるわけでもなさそうでホッとした。
不思議そうに首を傾げる国王は、大きく笑って別の話題を振って来たのだ。
「ところでカサンドラ嬢、今日は息子と久しぶりに会ったのだろう。
話したいことも沢山あるに違いあるまい」
急に角度と距離が大きく変わった。
その大胆な話題変換に仰け反りかけたカサンドラ。
「今宵は是非、我が城に留まってゆっくりしてはいかがかな?」
突然の提案に、吃驚して視線がアーサーの方を向く。
今まで王城に何度か来たことがあったが、勿論泊まったことなど一度もない。
来ようと思えば日参できる距離なので、別に敢えて泊まる必要はないのでは?
「陛下もこう仰っている事だし――」
アーサーが声を続けようとした瞬間、不機嫌そうな重たい声が横から降って来た。
「キャシー、夕食が終わったら別邸に帰宅するのでそのつもりで」
「そうですよ、夫人も姉上のことを待ってます!
別邸の使用人たちに、姉上の無事を見せてあげてください。
今日は家族皆で帰りましょうね」
間髪入れず、そう言われれば別邸に戻らない選択肢はない。
母にも、そして自分が今まで世話になっていた使用人たちに会えるのは純粋に楽しみだ。
ずっと待っていてくれたことに礼とお詫びを伝えなければ、不義理というもの。
「お母様も、ナターシャも、皆さんお変わりなく?
二年前、怪我を負ってしまった者はおりませんか?」
「はい、大丈夫です。
屋敷もすぐに、大勢の協力があって建て直されましたし。
奇跡的に、怪我人もいなかったですよ」
それは良かった…
王城が崩壊するくらいの災厄が訪れ、身内だけではあるが無事を教えてもらえてホッとした。
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