第3話 レンドール家


 夕食会が終わった後、カサンドラは父の指示通り三人で別邸に戻ることになった。


 アーサーともう少し話がしたいと思ったが、今日は何時間も召喚魔法のために魔力を遣っていたと聞いていたし、ただ呼ばれただけの自分とは違って疲れているはずだ。


 今日で会えなくなるというのならともかく、いつでも会おうと思えば会える距離。

 そもそも、クラウスに反抗しても良いことはなさそうだし。


 馬車の窓から見える景色は、記憶にあるものと違って見えて戸惑いを感じずにはいられない。この道を歩いていたら青い屋根の屋敷、この角には喫茶店…そんな風に焼き付いていた景色が別の建物に変わっていることに胸の奥がザワザワする。


 それに――無表情で瞑目したまま、車窓の端に肘をかけるクラウスを一瞬だけチラ見する。


 何故カサンドラが女神だなんて呼ばれたのか、世界の真実についてもクラウスだけではなく母まで伝わっているそうではないか。


 身内に知られるのは当然だと思うが、母親の気持ちを考えると受け入れてもらえるのか不安でしょうがない。自分はカサンドラだと思っていても、拒絶されればそこまでなのだから。


 ドキドキしながら別邸に戻るカサンドラ。

 既に空は夜の顔にすり替わり、月明かりに照らされている。


 5月の爽やかな風が、別邸に植えられる木々の葉を揺らす。

 馬車から降りた途端、カサンドラは緑色の双眸を大きく見開いた。


 予想できない人物に迎えられたからである。


「カサンドラ様!

 …またお会いできて嬉しいです。

 ええ、私は信じておりました!」


「デイジーさん!?」


 どうしてレンドールの別邸にデイジーの姿が、と大いに動揺した。

 この世界を離れていた二年間のことは、ある程度アーサー達から聞くことはできた。しかしアレクが現在レンドールで過ごしている状態なら、デイジーも学園が機能していない状況では実家に帰ったのだろうと思っていた。

 

 いや、今日は大勢の学園関係者が自分のために王都に駆けつけてくれた。

 きっとデイジーもわざわざ遠方から来てくれたのだと思うが…

 何故ここに? という疑問がカサンドラの周囲を飛び回る。


「私、今、こちらのレンドール別邸にお勤めしているんです」


 デイジーがこの屋敷で働いている?

 彼女は子爵家の令嬢だ――いや、まぁ貴族の令嬢の中には高位貴族の屋敷に行儀見習いという体で働く者もいると聞いたことがある。

 だが大体学園入学前の話だったはずでは?


「色々事情がありまして…」


 何故か言いづらそうに、デイジーは言葉を濁す。

 あまりにもよく分からない状況に助け船を出してくれたのが、アレクである。


「実は僕、デイジーさんに婚約を打診している最中なんですよ」


「えええええ!?」


 その時のカサンドラの脳内には、真っ青に広がる青空、流れる雲、燦燦と輝く太陽…そして一面のお花畑。そこで大勢の天使が「ふふふ」と手をつないでくるくる回っているわけのわからない図が展開されていた。


 完全に意識がトリップし、時空を彷徨っていたに違いない。

 この段階で、一緒にいたはずのクラウスは先に屋敷の方へと向かっていた。


 父がフッと姿を消したことに全く気付けないカサンドラ。


「あ、あああアレク?」


「まぁそういう話になったきっかけが、グリムさんなんですけどね。

 姉上、グリムさんのことはご存知でしょう?」


「ええ。勿論…知っていますが」


 ジェイクの義弟だが、彼は確か病弱設定だったような…?

 混乱する頭で何とか彼らの話を纏めると、リゼの癒しの力で元気になったグリムがいて、そんな彼がたまたまレンドールに行く機会があって、そこでデイジーと出会った。

 何故か彼はデイジーのことを大変気に入り、王都で生活したいと願っていたデイジーにノータイムで求婚したらしい。


「私はカサンドラ様にお仕えするなら、王都で結婚して女官に登用されることが最も願いに適うことなので、それを望んでいたのです。

 …レンドールにいる貴族に嫁いでは、カサンドラ様のお力になるのは難しいですから」


 まさかデイジーが!

 この世界に帰還するかどうかも分からない自分のために、そこまで真剣に将来を考えてくれていたなんて思わなかった。


 話を聞いていれば、王都で貴族として「住む」ならグリムは結婚として最適かもしれない。ロンバルドの侯弟だし、病気が治ったならそのまま騎士団に入って活動するのだろうし…


「私はどうしてもロンバルド家に関わる人との縁談が気が進まず、返事を保留にさせてもらっていました」


「デイジーさんがお困りだったので、姉上の『役に立つ』という一点なら僕と婚姻してレドールの人間になるという方法もあるのでは? と提案したわけですね。

 僕も他の令嬢と会ったり、話をいただいたりというのも面倒だったので…

 グリムさんが駄目なら、利害の一致という意味で、デイジーさんの相手は僕で良いんじゃないかと思ったんですよ」


「思考が飛躍し過ぎていませんか?

 その上、軽いです!」


 デイジーだってアレクだって、いつかは結婚するはずだ。

 年齢的にデイジーはいつ結婚したっておかしくない適齢期!


 だが、自分の元同級生とアレクが…?


「それも私にとっては怖れ多いことですので、お受けするのも難しく…」


 要はグリムとアレクに婚姻の打診を受けている状態ということか?

 どちらかを選ぶと言うのは、かなり難しい話だと聞いているカサンドラの方が頭が痛くなってきた。


 完全に頭を抱える状態のデイジーに、救いの手をもたらしたのは誰あろう、カサンドラの母フローラであった。


 しばらく――カサンドラを呼び戻すまでの間、王都にあるレンドールの別邸に働きに来ないかとデイジーに提案したのである。

 当のグリムがデイジーに興味津々で、かなり前向きな状態らしい。


 デイジーは魅力的な女性なので、男性から好意を寄せられることもあるだろう。


 だがデイジーからすればグリムは良く知らない男性だ。

 相手の為人ひととなりを知るためには近くで過ごした方が良いのではないかということ。


 どうしてもグリムと合わない、一緒にいたくない、縁談を受けたくない状態になった場合は、アレク本人が希望しているのでそのままレンドール家に嫁入りすればいいんじゃない?

 フローラもそのままデイジーに「義母予定」として接することが出来るわけだし。


 どちらの結果に転んでも、デイジーにとっては損はない。


 母のフローラはクラウスと共に王都で暮らしているが、レンドール侯爵名代である。どうしても月に何度かレンドールに移動する必要があり、その間デイジーに留守を頼んでいるのだとか。


「姉上が戻られるかそうでないかでも、デイジーさんが王都にいる必要性も変わってきますしね。

 今日、この日を迎えた結果で、今後のことを考えても遅くない…

 そのような結論なったんですよ」


 自分の目の前で、感無量と言いたげに両手を組んでいるデイジーが、まさかそんな信じられない状況下にあっただなんて!


 彼女は学園時代、自分に対していつも善くしてくれていた思い出しかない。

 同じレンドール出身者ということで心強かったし、彼女の献身に幾度となく助けられた。


 デイジーには幸せになって欲しい。


 その想いは真実だが、まさか自分が彼女の人生の選択を大きく変える存在だったというのは驚きの事実である。


 本来なら親の勧める縁談のまま、誰かに嫁ぐのが彼女に関わらず多くの貴族女性の辿る道。

 そこから外れようものなら、多くの人に迷惑をかけるし、下手をすれば親に勘当され修道院に逃げ込むしかなくなってしまうだろう。


 カサンドラがこの世界に戻ることを確信していないと、とても王都の男性に嫁ぎたいなんて言い出せないだろうし。


 そこでアレクがデイジーに次善のアイデアとして自分との婚姻を提示したのも、更に吃驚だ。いくらなんでも結婚相手を適当に決めすぎでは、と心の中が大嵐。


「デイジーさん、わたくしのことを考えて下さってありがとうございます」


「今後のことはまだ分かりません。

 どなたとも結婚しないという選択肢もありますし、このままレンドールのお屋敷でお勤めを続けると言うのも良いなと思うんです!

 カサンドラ様がご結婚されるまで、傍仕えとして置いて下さいね!

 私の働きぶりがお眼鏡に適うのであれば、是非お輿入れの際、女官としてご指名ください!」



 結婚しない選択肢…?


 本当にそれでいいの? 




 グリムはロンバルドの侯弟だぞ?

 彼の体調が完治して将来の心配がないと言うのなら…

 その立場になりたいと接近している女の子がどれほどいるのかと考えると、『返事を待つ』と了承しているだけでも大変なことだと思うのだ。


 そしてもう一人がアレク?

 5歳も年上なのに、レンドールの嫁になるかと気軽に声をかけられるなんて…

 全く予想していなかった死角から衝撃をねじ込まれたようなものだ。


 どちらの件を受けるにしても貴族の令嬢として生まれたからには、是が非でももぎとりたい類の良縁ではないか。


 それを宙ぶらりんの状態にして、あまつさえ状況次第では結婚するかどうかも分からない…?


 王妃付の女官は貴族令嬢で構成されていることは分かっている、そこにデイジーが加わってくれたら本当に心強いと思うし。

 

 だけど、おかしい。

 自分付きの女官とかより、もっと結婚について前向きに考えた方が彼女自身のためなのでは…?




 たまたまグリムと縁があって結婚して王都に来た結果、カサンドラが帰還したので女官として立候補します! とは全く状況が違う。



 彼女が自分の意志で、カサンドラのために自分の人生計画を投げうって行動していることに感謝よりも申し訳なさの気持ちが先に立ってしまう。


 だからこそ、母もデイジーのことを考えて声をかけてくれたのだろう。

 下手をしたら彼女の人生が滅茶苦茶になってしまう…と。


「も、もし…わたくしが戻らなかったら、どうなさる予定だったのですか?」


 顔が青ざめ、指先が冷たくなる。

 ドッドッ、と心臓の音が耳に直接届いているのではないかと錯覚するほど、動悸がする。


「――?

 カサンドラ様が王子のところに戻らないなって、あり得ませんよね?」


 心底不思議そうに首を傾げるデイジーを目の前に、彼女には敵わないなと思った。


 カサンドラは決して彼女に対して何か便宜をはかったり、厚遇したり――贔屓をしたりなんかしてこなかったのに。

 彼女の立ち位置で、学園内でのカサンドラからの対応に不満がなかったはずがない。


 それなのにいつだって自分の味方でいてくれた。


 学園時代、色んなことがあったな。

 楽しいことも悲しいことも、辛いことも幸せなことも…


 でも彼女が影でフォローしてくれなかったら、自分がどこかで躓いて転んで諦めてしまったかもしれない。こんな風に世界を救うだなんて芸当も、不可能だったに違いない。


 今までも十分彼女に支えてもらっていたのに、彼女はその場限りではなく今後も自分と一緒にいたいと思ってくれているのだ。こんなに嬉しいことがあるだろうか。


 彼女がどんな選択をするのであれ、最大限に尊重しようと思った。

 そして――絶対に彼女の想いに応えられるような人間でいなくてはいけないと心得、自然と背筋が伸びる。

 

 今までは王子の事を好きだとか、助けたいとか。

 皆の恋路を応援したい! そんな想いで、学園生活を駆け抜けていた。


 だがいざ一人の「レンドール侯爵家の人間」という立場に置かれると、自分以外の人生を背負っているのだなと実感せざるを得ない。

 自分がしっかりしていないと、デイジーを始め家族や使用人たち、縁続きの貴族たちにも累が及ぶのだ。

 自分の行動の影響が、自分だけに留まらなくなる――

 それは学園生活でも肝に銘じていた現実だが、学園という大人の庇護がなくなった場面では重みが違う。


「これからも宜しくお願いしますね、デイジーさん」


「はい! カサンドラ様にお変わりが無さそうで安心しました。

 中で夫人がお待ちです。

 長々とお引き留めして、申し訳ありません」


 デイジーが頭を下げるのに釣られ、視線が別邸に向く。

 今まで自分が過ごしてきた建物の外観とは少し違うが、出来る限り再現したのだろう。

 建材の色、素材が若干違う程度で中の構造は一緒なのかも知れない。


 煌々と照る明かりに向かい、カサンドラ達は歩いていく。

 


 


 玄関の扉が開くと、穏やかな表情で佇む母と視線が合う。


 懐かしい。

 最後に会ったのはいつだったか…


 学園に通っている時には、数度顔を合わせる程度の接触しかなかった。

 でもやっぱりニコニコ笑顔で、怒った姿を見た事の無い母。カサンドラにとって見習いたいけど見習えない女性であった。


 誰もが王子にはなれないように、持って生まれた性格、向き不向きがある。

 割と頭に血が上りやすい性質のカサンドラに、おっとりのほほんとした「あらあら」タイプの母親の真似事は困難極まりない。


 長い髪を一つに纏めるフローラは相変わらず年齢不詳な容姿をしている。

 二年経っているというのに、彼女の周囲だけ時が止まっていたのか?と不思議に思ってしまった。綺麗な人は何歳になっても綺麗だし、美形なんだなぁ。

 きっと王子たちも年齢を重ねて行く毎に、その年代に応じた威厳や美しさも重ねて行くに違いない。



「おかえりなさい、キャシー。

 ……頑張りましたね」



 母親にぎゅっと抱きしめられたのは、何年ぶりだろうか。

 何だか凄く懐かしい気がする。




 自分の事を娘だと、家族だと思ってくれるのだろうか。



 父のクラウスもそうだったが、すんなりと自分を「娘」だと認めるのは、真実を知った以上は難しいことなのではないか。

 少なくとも、父と母は知っているという話だったし、カサンドラは内心ビクビクしていた。



 もしも彼らに否定されてしまえば…という恐怖がゆっくりけていく。







 両親からも受け容れてもらえたのは、奇跡ではないだろうか。


 カサンドラはようやく、本当の意味で『この世界の人間』になれた気がした。


 と同時に親の愛や、器の大きさに触れた気がする。



 自分はフローラのような母親になれるのだろうか。

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