第4話 エントランスホールにて
翌日の朝、カサンドラは一日何をするべきかアレクと話し合っていた。
父のクラウスに相談しようと思っていたのに、カサンドラが起きる前には既に城に出仕してしまったという話を聞いて愕然としてしまう。
お城で宰相として働いている以上、彼が多忙な身であることは分かっていたが…
帰宅できない日も多々あると聞いて、絶句するのみだ。
過労で倒れないか心配になってくる、
施政に携わる仕事をしている人達に、満足な休みなどないのかもしれない。
特に御三家の前当主がいなくなってしまったことで、強制的に若い世代に代替わりしてしまった。その影響が大きいのか、それとも国の体制を抜本から変えていこうという試みがあるのか…
地方とのやりとり、交流も大幅に増えて国の中心、王城中枢は多忙という言葉では表せない程バタバタしているらしい。
そりゃあ、王都に留まらず多くの都市が魔物による壊滅的な被害を受けて、まだ二年しか経っていない。王都はそれなりに復興できても、各地に波及した被害から完全に国が立ち直るまでもう少し時間がかかりそうだとか。
そんな切羽詰まった状態で、二年間ずっとカサンドラを異世界から召喚するために力を尽くしてくれていたのかと考えると、悲鳴が喉から漏れ出そうだ。
「姉上。今日はどうされます?
僕は来週まで王都に滞在予定なので、それまではお付き合いしますよ」
アレクに希望を聞かれても、父の多忙さ加減を聞いた今では中々言いづらく感じてしまう。
「そうですね…
お世話になった方々にお会いしたいと思っていますが」
「あ、三つ子さん達、時間が空いたら姉上に呼んで欲しいって言ってましたよ」
殆ど三つ子と会話をする機会もなかったから、勿論彼女達に逢いたい――と思う。
「わたくしが呼ぶのですか…?」
声を掛けられたら飛んでいくと言われても、わざわざ自分の元に来てもらうのも憚られる。聞けば彼女達もお城やそれぞれの家で役割を果たしているのに、まだ何も持っていない自分が仕事の邪魔をするのはいかがなものか。
こちらから呼びつけるなんて、流石に抵抗がある。
できれば彼女達が休みの時にでも、顔を合わせる機会があればいいのだけど。
むしろこちらから会いに行くべきでは?
「アレク。
今日は神殿関係者の皆様に、お礼に伺いたいです」
「そうですね、あの人達には姉上を捜してもらうのに随分労力を割いてもらったと聞きますし。何より女神――姉上に物凄く会いたがっていたので、喜ぶと思いますよ!」
王子や三つ子たちだけではなく、召喚の場を整えたり準備を手伝ってくれた人達のことを忘れるわけにはいかない。
とりあえず自分がいなくなったことで各所に迷惑をかけてしまったようだし、相手の様子を伺いながら挨拶周りに向かうべきだろう。
カサンドラのために便宜を図ってくれた神殿のお偉いさん達に、礼を欠くことは出来ない。
「では今日もお城を訪ねるという予定で良いですか?」
「そうですね」
それに昨日、アーサーが時間が空いたら会いたいと言ってくれたし。
運が良ければ、少しくらいは話が出来るかも…
昨日のように長い時間をとってもらうことは難しいだろう。
せめて、彼が現在何かに怯えることもなく伸び伸びと働けている姿を見れたら良いなと思う。無駄に自分を抑えて、誰かの顔色をうかがうような立ち回りを強いられていた頃は辛かっただろうから。
アーサーが開放感とともに日々の仕事に従事出来ているなら、それに勝る喜びはない。
広い王城で彼と偶然出会うなんて奇跡は起きないだろうが、期待するくらいはいいかな?
そんな風に自分に言い訳をしながら、食後のデザートを口に入れる。
甘酸っぱいオレンジの味が、口の中に拡がった。
※
護衛付きの馬車で城の門をくぐり、アレクと並んで城の中に入る。
こちらを見た衛兵や使用人たちが、一斉に整列してこちらに頭を下げてくる光景は何度体験しても慣れないものだ。
足早に去るのも変だし、表情が顔に出ないよう気を引き締めなければいけない。
ようやく建物の中に入ることが出来て、ホッと人心地だ。
どうして正門から城の入り口までこんなに歩かされるのだ…と若干愚痴を零したくなるカサンドラ。
しかし、いざエントランスホールに踏み入った瞬間、ぎょっと目を丸くする光景を目の当たりにしたのだ。
「…あ、アーサー様!?」
城の入口近くは、当然王城に勤める沢山の人物が出入りする場所だ。
下級役人や、衛兵、末端関係者も多く闊歩する王城のエントランス近辺に「王太子」がいるのは明らかに違和感がある。
アーサーはエントランスホールで等間隔にそびえる、精緻な作りの石柱の傍で、誰かと向かい合って話をしているようだった。
こちらの声を受けて、その人物も一緒に振り返る。
見覚えのあり過ぎる顔。
「…ラルフ様」
「ああ、おはよう。
元気そうだね、カサンドラ」
少々驚いたような表情ではあったものの、何枚かの紙を片手で支え持っているラルフはいつもの調子で声を掛けて来た。
着ている服が制服ではないせいか、身体的な変化を知ることなく二年のスパンが空いたせいか、やはり彼の姿も新鮮に映る。
片方の肩に短い布のケープを掛け、どの角度から見ても高貴な身分にしか見えない美青年は、アーサーと並んでいると流石、親戚だなと思わずにはいられない雰囲気の親和性を感じる。
まさか朝一番で、この二人と遭遇する事が出来るなんて…
朝から運が良いなと思った。
「おはよう、キャシー。
昨日はありがとう、陛下も喜んでおられたよ」
「こちらこそ、夕食会にお招きいただきありがとうございます。
とても楽しい一時を過ごすことができました」
全然心の準備が出来ていなかったので、カサンドラは内心の動揺を隠すのに必至だった。
訪れた家の扉を開けたらラスボスが…ならぬ、王太子が立っている状況に等しい。
とても想像がつかない現実に、心が右往左往している。
学園のエントランスに学園長がドンと構えて待機していたら、学生たちもざわつくだろう。
それと同じくらい、レアな状況である。
「王太子…」
隣で様子を伺っていたアレクが、ぽつりと呟く。
公共の場ではちゃんと呼び分けができている彼は偉いな、と思っていると。
「まさか、姉上をずっとお待ちになっていたんですか…?
ここで……?」
若干引き気味にアレクがそう問うた次の瞬間。
カサンドラは義弟の口を掌で塞いだ。
その俊敏さは、カサンドラ史上過去一のものだったに違いない。
いくら!
実の弟でも!
言って良いことと悪いことがある!
「アレク! 何を言うのです、そんなことがあるわけがないでしょう!?
多忙の王太子に対して、失礼です。
公務中、私的な用件で動かれる方でないことは、貴方が一番よく知っているでしょう?
――申し訳ありません、アーサー様」
さっきまで父を始めとした皆は、休む暇もないくらい仕事に追われていると言っていたではないか。
いくらなんでも、時間の約束もしていない相手が、こんな場違いなところで自分を待つほど暇であるわけがない。
「……そうそう、今はアーサーに急ぎで聞きたい要件があったから、僕がアーサーを呼んでもらったんだ。
来月の聖アンナ生誕祭の話、君が戻って来てくれたから内容に変更をしないといけないという話でね」
ラルフは手に持っていた何枚かの紙を軽く揺らす。
ちょうど二年の時が経って、5月。
学園の行事ではないが、国全体の催しとして大聖堂でも聖アンナ生誕祭が行われることは毎年の行事だっただろうし。
学園という限定的な規模の催しではなく、明確に国としての行事の一環に彼らが携わっているわけだ。
カサンドラは「ほら見なさい」とアレクに勝ち誇りたくなる気持ちを抑え、彼の口から手を離した。
朝からアーサーに不快な想いをさせるところだった、危ない…!
アーサーの苦笑いが、心にチクチク痛かった。
「ラルフ様、陛下より爵位を授与されたとお聞きました。
以後はヴァイル公爵や、ラルフ公とお呼びした方が良いのでしょうか」
普通に名前で呼ぶより、公の称号を付け足した方が良いのだろうか、今までの呼び方を変えるのは慣れないなと思う。
ただでさえ王子から王太子に変わったことを知ったばかり、未だに混乱してしまうというのに。
「いや、別に…今まで通りで良いのでは?」
「ありがとうございます、ではそのように」
ヴァイル公爵と言ったら、なじみ深いのはレイモンドの顔。
彼の姿が、一瞬脳裏に過ぎった。
そう言えば彼はどうなったのだろうか。エリックの末路は聞いたが、果たしてあのおじさんは…?
流石にこの場で聞くのは躊躇われる。後でそれとなく父にでも尋ねてみようか、彼なら全ての事の顛末を知っているだろうし。
呼び捨てにするほどの関係性でもないので、本人が良いならいつも通りで良いのだろう。
「確認作業でお忙しいところ、大変お邪魔いたしました。
またお声掛けをいただけること、楽しみにしております。
…さぁ、アレク、わたくし達も参りましょう」
「キャシーはこれから何処へ向かうのかな」
「神殿関係者の方に改めてお礼を、と考えております」
「成程ね。
そちらにはリナ君がいるはずだ、きっと彼女も喜ぶだろう」
アーサーが初夏に相応しい、爽やかな微笑みを向けてくれた。
カサンドラにエネルギーと元気を与えてくれる無敵の王子スマイル!
今日一日、幸せな気持ちで過ごせること請け合いである。
偶然とは言え、ラルフに感謝しなくては…!
「リナさんが…
教えて下さってありがとうございます!
それでは失礼いたします」
アーサーの言葉に、一気に気持ちが高揚するのが分かる。
ペコリと頭を下げ、急ぎ来たに向かう回廊に向かったのである。
「………。」
何故かアレクは、無言でアーサーを眺めていた。
疑わしそうな目で、最後まで。
※ ※ ※
カサンドラと弟の姿がエントランスの後方に去って行ったのを確認し、アーサーは大きく肩を落として傍の石柱に腕を押し付けた。
何とも言えない気まずさ、自己嫌悪の類がドッと押し寄せてくる。
少なくとも弟は「絶対嘘だ」と視線に籠めていたから誤魔化せていないと思う。
「………ッ……」
そんな自分の様子を見て、笑いを堪えるラルフを軽く睨んでしまう。
彼は手に持っていた紙を顔の前に立て、こちらの視線を遮った。
肩の震えは、全然抑えきれない。
「カサンドラも、まさか君が朝からこの近辺をウロウロしていたなんて思わないだろうね…
僕も何事かと吃驚したよ」
アレクの疑問からカサンドラの流れるようなやりとりに、アーサーは何も口を挟むことが出来なかった。
――君が来るかも知れないと思って待っていた
それが本音だったが、とても言い出せないカサンドラの慌てように大いに焦ったものだ。
空気を読んでくれたラルフのフォローが無かったら、もしかしたら彼女に幻滅されていたかもしれないと背筋が凍る想いである。
「……どうしてこうなるのだろうか…
私はただ、昨日あまり二人で話が出来なかったから、その時間を取り戻そうと」
二年…
ずっと彼女の事だけを考えて過ごしていたのだ。
カサンドラが戻って来たことでようやく一番の目的が達成されたと嬉しかったけれど。
折角また会えたのだから――もっと一緒にいたい。
ただそれだけの希望が、昨日から悉く見えない壁で阻まれているような気がしてならない。
「今までの彼女と変わっていないのなら、仕方ないことだと思うけどね。
真面目な性格だからね……君がいわゆる『恋愛事』に
ラルフの言葉がグサッと感情に突き刺さる。
「はぁ…中々、思った通りにいかないものだ」
「愛の言葉を囁くより高価な贈り物をするより、真面目に義務をこなしている姿を見せる方がよっぽど喜ぶのでは?
…中々珍しいタイプだね」
反論の余地がなく、頷いて同意する他ない。
確かに自分は、周囲の人間から後ろ指を指されないよう、『模範的』な王子でありたかった。
”ここにいてもいい”と皆が思ってくれるような存在でありたいと思っていたのだ。今でもその気持ちは変わらない、けれど…
今の自分は、目の前のことを全て棚に上げても、カサンドラと一緒に過ごしたいという気持ちが強くなってしまっている。
他のことはどうでもいいとまでは言わないが、彼女と一緒に過ごす時間以上の価値を見い出せない。
でもそういう自分の姿は彼女には「不真面目」に映るのは明白――今まで自分がそうありたいと思っていた姿のせいで、自身の首を絞めているような結果に陥っているのでは…?
そんな馬鹿な。
「焦らなくても、彼女はもうどこにも逃げない。
時間が出来たらデートにでも誘えば良い、喜んでくれるよ」
ようやく笑いの衝動が収まって来たのか、ラルフは肩を竦めて励ましてくれた。
――公私の区別に厳しいのはカサンドラに限った話ではない、それは分かっているつもりだ。
今後の目標はプライベートの充実だな、と。
アーサーは密かに心に誓った。
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