第5話 衝撃の事実
広大なクローレス王城敷地内。
神様に纏わる信仰の拠点、そして魔法に纏わる多くの施設は北部に位置している。
その構造は変わっておらず、正門が南に位置しているので移動するのにより多くの時間を要することも以前と同様であるらしい。
王城内を端から端まで歩くと言うのは、かなりの苦行である。
しかもカサンドラはこの王城内において、すっかり顔の知れた有名人になってしまっている。大勢の視線に晒されることとなり、歩みを進めて行くごとに段々頬の筋肉が痛くなってきた。
元々、普段から笑顔なわけじゃない。
黙っていれば機嫌が悪いのか、怒っているのかと勘違いされるのは、父クラウスの性質を受け継いでしまったものと思われる。
クローレス王国は初代女王に聖女を戴いた――創造神ヴァーディアの信託の下に建国された国とされている。いわば王城は信仰の拠点で、ただでさえ広い城の敷地内には、聖アンナを祀り崇める大聖堂と、女神ヴァーディアを信仰する大神殿が同時に陣取っているわけだ。
カサンドラが向かった先は、大神殿。
神職が日夜女神に祈りを捧げる、神聖な石造りの建物はカサンドラも今まで出入りしたことのない場所であった。
そもそも、大神殿自体が神官などの神様に身を捧げた神職しか入れないことになっている。
カサンドラに縁の無いはずの場所だが、よくわからないことに、自分が「女神」ということになってしまったから立ち入ることができる…らしい。
”真顔で女神と言われても…”と、内心複雑な想いをしながら、神殿の仲を案内される。
神職ではないアレクは中に入れないため、申し訳ないが外で待機してもらうことになった。
長く待たせるわけにはいかないな、と。カサンドラは神殿の奥へと入っていく。
カツン、と。
カサンドラの靴の音が、静謐な空間に響き渡った。
ここは…見覚えが、ありすぎる。
――つい先日、カサンドラが召喚された空間だと、すぐに気が付く。
床には複雑な古代文字で描かれたらしい文様が描かれたままだが、昨日確かに放たれていた白い輝きは失われ、ただの模様と化している。
この空間に放り出された時は視界に入らなかったが、最も奥まった部分に一際大きな女神ヴァーディア像が立っている。
女神像の髪は長くウェイブのかかったもので統一されているので、カサンドラとは似ても似つかない。よくもまぁ、これでカサンドラを『女神』だなどと言ったものだ。
そして女神像の前で両膝をついて手を組み、まさしく祈りを捧げている女性――
リナがゆっくりと立ち上がる。
純白のローブを纏うリナが、音もなくこちらを振り返った。
大きな蒼い双眸が揺れ、カサンドラと視線が交錯する。
「…カサンドラ様!」
リナの表情が、ぱあっと明るく花開くかのように輝いた。
「先日はありがとうございました。
お礼も申し上げないままで、心苦しく思っております」
たたたた、と小走りに走り寄ってくるリナは今まで見た事の無い笑顔だった。
「わざわざ来ていただいてすみません!
呼んで下されば、すぐに駆けつけたのですが」
嬉しさが全身から放たれている、そんな喜色満面のリナを見るのは初めてのことではあるまいか。
…可愛い!
「いえ、皆様お忙しいようですので」
お礼を言うためにこちらから呼びつけるというのも意味が分からない。
自分はこの世界を一月程度離れていた程度の感覚しかないが、彼女達が自分のために費やしてくれた時間と労力を考えると申し訳なさで一杯になる。
栗色の髪を肩より下に伸ばすリナは、まさに清楚系の可愛いお嬢さんと言った姿だ。優しい笑顔を見ているだけで悪しき存在が浄化されそうな清らかさを放っている。
白いローブを着こんでいることもあって、まさに多くの民が聖女様とイメージする女性に相応しい。
「またお会い出来て、嬉しいです!
もしカサンドラ様が戻って来なかったらと思うと…」
うるうる、と目の端に涙を浮かべるリナを前に、カサンドラは大きく狼狽えた。
「…私達の願いを叶えてくれて、ありがとうございます。
ああ、良かった。
未来って、こんなにいいものだったんですね」
自分だけが何かをしたというわけではない。
皆の想いや行動があって、それらが奇跡的に上手く当てはまったから今の状況がある。
それを「神の御業」と言われては反論の余地もないが、今の世界に生きていられるのは――皆が、自分を呼んでくれたから。
「リナさんは今、神殿にお勤めなのですか?」
「そうですね、一応聖女ということで…
ただ、困っているのが聖アンナ教の教祖になってくれと言う話があって、流石にそれは…と断っているところなんです。
今は他の役職の方とは別枠で、こうして女神に祈りを捧げているわけですが」
ヴァーディア神を信仰する派閥には、聖アンナ教以外の教団も存在している。
国教として聖アンナ教が布教されているクローレス王国で、聖女そのものが教団の長となるのは彼らの悲願なのだろう。
宗教が更に大きな力を持ってグイグイと中枢に絡んでくるのは、リナの本意ではあるまい。
「カサンドラ様、少しお時間頂けますか?」
「ええ、構いませんが」
一瞬アレクのことがチラッと頭に過ぎったが、折角リナに会えたのだ。
それに、まだ神殿の関係者に儀式のお礼を言っていない。
「……それでは、シリウス様を呼びますね」
そう言ってリナは、耳元の青いイヤリングに手を当てた。
ポウ、と淡い光を放つ大きな石を見て、カサンドラは目を丸くする。
『――どうした、何か用事か』
しかもイヤリングにはめ込まれた、親指大の蒼い石から聞き覚えのある男性の声が発しているではないか。
思わずきょろきょろと周囲を見渡すが、当然シリウスの姿はどこにもない。
「今、
『そうか…
分かった、二十分、いや十五分程度待っていてくれ』
フッとイヤリングの光が消える。
カサンドラの驚愕の視線に気付いたのか、リナは少し照れたように笑った。
「こちらはシリウス様が開発中の、遠隔で離れた人と話ができる魔法道具なんです」
「えええ!? 離れていても?
いつでも相手と会話ができるのですか!?」
とんでもない魔法道具の存在に、カサンドラは思わず声を上げてしまった。
……あら?
確か、自分はこういうものと同じ力を持った道具を、いつかどこかで使っていたような…
ああ…過去に自分が住んでいた世界で、使っていたっけ。
電話? 通話?
そんな言葉だったかな…
でも、使っていた記憶が、思い出せない。
話す先の相手の顔が、存在が、自分には既に「無い」ものだから。
「その道具、わたくしも使えますか!?」
つい前のめりになってリナに詰め寄ってしまう。
彼女の片耳につけられたイヤリングに、そんな特別な仕様があるなんて!
「申し訳ないです、こちらは試作品の一対しかなくて。
しかも、魔法が使えないと使用できないのです」
確かに魔法道具を扱うなら、魔法に対する知見がなければ難しいだろう。
しかし相当便利な道具がポンッとこの世界に現れたことに、驚きを禁じ得ない。
イヤリングを大事そうな手つきで触れるリナ。
その指先を見て、普段の彼女には見かけない装飾品があることに気が付いた。
「リナさん、その指輪」
すると彼女は気恥ずかしそうに手を下ろし、カサンドラの視線から逃すように右手を後ろに回す。
「こちらはシリウス様から頂いたもので…
カサンドラ様も、新しい指輪を王太子から贈っていただいたのですね」
返す刀と言わんばかりに、リナもカサンドラの右手を指差す。
リナのものと負けず劣らず、いや、かなり目立つカサンドラの右手の薬指。
反射的に左の掌で隠してしまった。
お互いの経緯を知っているがゆえの、気恥ずかしさが…
「……。」
「……。」
二人で何故か無言で見つめ合い、フフッと小さな笑みが漏れた。
「そういえば、リゼやリタにはもう?」
「いえ、まだなのです。
ラルフ様とは先ほどお会いできたのですが。
リタさんはお城にはいないのですよね?」
「はい、リタは今忙しい…と言いますか、カサンドラ様のためと言いますか。
クレアさんと一緒に頑張っていると言いますか」
何だか含みのある言い方に、カサンドラは首を捻った。
「……わたくしのため?」
国の中枢に蔓延っていた、「御三家」というくくりをなくしていこうという流れになっているのは、カサンドラも何度か耳にした。
だが今までは、ヴァイル、ロンバルド、エルディムの夫人が社交界で派閥のボスだった。
王妃とは関係のないところで、それぞれの派閥ごと宜しくやっていたわけだ。
そもそも王妃自体が三家の中から選ばれるような慣習があったので、王妃自身が派閥の一員だった…という状況だったのかもしれない。
もし現状、三家という壁を失くしましょうという話になれば、貴族の女性たちのやりとりを円滑に「まとめる」役割はそのまま繰り上がりで王妃のものになるはずだ。
すんなりいくとは、思えない。
ラルフもジェイクもシリウスも、他の爵位持ちと同じ扱いを受ける普通の貴族の当主、という扱いになっている。
三家の境があいまいになってしまう弊害で、今まで結束していた紐がバラバラに解けてしまって…彼らに連なる中央貴族は揺れるだろう。
カサンドラが帰還してすぐに、新しい社交界に放り出されて動揺する女性たちをまとめ上げ、導く役に収まる――それは難しいのではないか。
だからリタは、中央だ地方だ、三家だという話に関係なく、主要な貴族を一度まとめて、ヴァイル家の『サロン』に招待することにしたそうだ。
それはヴァイル派のためのサロンではなく。
交流をはかりやすくなった状態の『社交場』は、『
勿論リタたちだけではなく、アイリスを始めキャロルといった元ヴァイル派を始め、ミランダやシャルロッテたちを通して続々と多くの女性貴族が出入りできる場所を提供しているのだとか。
その方が今後カサンドラが社交界をとりしきる立場になった時に動きやすいのではないかという話らしい。
「……リタさんが」
上流貴族の社会などと無縁だった彼女が、学園時代の伝手を使いつつ色んな女性達をカサンドラの名を使って先んじてまとめてしまおうとは。
あまりにも大胆なやり口で、よくもまぁ反感を買わずにいられるなと関心せずにはいられない。
――聖女の一人であるという事実が、それほどまでに威光として強いのか…
いや、多分彼女の持ち前の性格を考えれば、声を掛けられたらつい顔を出したくなるだろうな。
何と言っても素の状態で、あのケンヴィッジの三姉妹と普通に会話が出来て仲良くできていたくらいだし。
「カサンドラ様が学園時代に、皆さんと仲良くしていらしたからですよ。
皆さん特に反発もなく、カサンドラ様が戻ってくるのなら是非、という
キャロルさんやミランダさん、シャルロッテさんの力添えがあって、こんな風に理想が実現したんです。
私も何度か顔を出していますけど、学園時代にあった見えない壁が無くなった感じです」
あれだけくっきり、派閥として分かれていたのは凄かった。
それだけ三家という枠組みがきっちりしていて、あたかも三つの国とも言える境界線が引かれていたのだろうな…。
「皆様、お元気でいらっしゃるのですね」
アイリスに言われて、キャロルのためにと派閥間の緊張を解こうと自分が動いていたことが、今になって良い方向に結実したというのであれば、この上なく嬉しいことだ。
あの一年と少ししかなかった学園生活で、自分にも成せたことがあったのだ。
少し涙が浮かびそうになった。
自分がいなくなってしまった空白の時間、カサンドラのことを覚えていて、きっと戻って来ていずれ『王妃』になると信じてもらっていたということだから。
「はい、カサンドラ様は今後、リタと顔を合わせる機会が増えると思いますよ」
「それは楽しみですね」
リナとしばらく学園時代の懐かしい話をしていた途中、広間に一人の男性が姿を現す。
先ほどの会話を覚えているから、当然その人影がシリウスであることは明白なのだが。
やはり彼が登場すると、その場の空気がピリッと音を立てて軋むというか。
緊張感が漂うと言うか…
彼と対峙していると、自然にカサンドラも背筋が伸びてしまうのだから不思議だ。
「ご、ごきげんよう、シリウス様」
自分がこの世界に再度召喚――呼び戻してくれる話になった時、彼の立場が一番負担が大きかったのではないかと思う。
元々、『悪意の種』に封印魔法を重ねがけをしようと話がまとまった時も、シリウスが中心だったし…きっと召喚魔法の実行の際、彼に遠大な労力を割かせたに違いない。
「お前が自分の意志でこの世界に戻って来てくれ、こちらとしては大変助かった。
大きな決断であったことは理解しているつもりだ、感謝している」
いきなり面と向かってお礼を言われるとは思っていなかったので、カサンドラはぎょっとした。何か悪いものでも食べたのか? 熱でもあるのか? とそんな失礼なことを思ってしまう始末だ。
彼の言葉の中に、皮肉が無い…だと!?
「……!? え? あ、こちらこそ、わざわざ呼び戻して下さってありがとうございます」
「本当に心の底からありがたいと思っている。
…もう少しで、この儀式の広間が血まみれの大惨劇になるところだったからな」
彼は眼鏡を指で押し上げ、とんでもない台詞をサラッと吐いた。
「……? どういうことですか? シリウス様」
リナも不思議そうにシリウスの言葉に食いつく。
彼女も知らない何かが、ここで行われる予定だった…?
シリウスは軽くハッ、と息を吐く。
「カサンドラがどうしても必要だと、アーサーが切望していたのでな。
あいつはクラウス侯への遠慮があって、カサンドラに”自ら選択してもらおう”だなどとぬるいことを言っていた。
……もしお前が戻って来なかったら…
私達が身体の一部をそれぞれ捧げる方法をとってでも、お前を強制的に召喚する方法に、術をスイッチする予定だった」
かつて『カサンドラ』が、自分の身を捧げる覚悟で異世界の『人間』を喚び、この世界に引き込んだように。
「聞いてませんよ、シリウス様!?
まさか…あの時、王太子の呼びかけの間、ずっとそんなことを考えていたんですか!?」
「正直、反応がないなら無理矢理連れてくる他ないとは考えていた。
腕の一本無くなるくらいで済めば良い方かと思っていたからな」
「……も、もしわたくしがあの時この世界に帰ろうと言う意志がなかったら…?」
「お前を強制的に呼び戻す代わりに、ここには血の池ができていただろうな」
しれっと言うシリウスの気持ちが分からない。
そこまでしても『カサンドラ』をこの世界に呼び戻す必要があった、と?
……
「それでも…たとえお三方の犠牲があったとしても…
私達が把握していない状態!
召喚が成功するとは限らないですよね!?
シリウス様、まさかそんな事を考えていたなんて…!」
予想外の事情に、リナも顔面蒼白だった。
「――?
だからカサンドラの選択に感謝していると、礼を言っているではないか」
怖い、怖い怖い怖い! 色んな意味でバッドエンドが過ぎる!
カサンドラの脳裏に浮かんだのは先日の何気ないシーン…
ジェイクとラルフが視線を合わせて肩を竦めていた場面がフラッシュバックする。
二人がアイコンタクトでホッとしたの、当たり前だわ!
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