第6話 離れていても
シリウスの雰囲気が以前と比べて若干ではあるが、穏やかになったというか。
険のあった表情が少し変わったと思えるのは、カサンドラの気のせいではないだろう。
「ところでシリウス様。
先程リナさんが見せてくださったのですが、新しい魔法道具を開発されたとか」
シリウスの耳元にイヤリングは見当たらないが、彼の胸元のブローチがキラリと光っているのが視界の端に入る。
リナのイヤリングと対になるようなデザインだ。その道具を使って、離れた場所にいる相手と会話ができるなんて夢のようは話だと思った。
当然カサンドラの脳内には、アーサーの姿が思い浮かんでいた。
全くの妄想であるが、自由に会話が出来るなら…と色々な会話のパターンが思い浮かび、つい表情が緩んでしまいそうになる。
「これか?」
シリウスが自身のブローチを軽く指で突つき、珍しく愉しそうに口角を上げて話し始める。
「ああ、この件でもお前には礼を言う必要があるな。
召喚を成功させるために、別の国から拝借した魔法技術を応用した技術を用いていたのだが…
その過程の副産物として、作られたモノだ。
あれほどまでに大掛かりな魔法研究の場がなければ、生み出されることはなかっただろう」
「かなりスムーズにお話が出来ていましたよね、どれくらい離れた距離まで声が届くのですか?」
「色々出力を上げるように調整してはいるのだがな、残念ながら城全域にも全く満たない、数百メートルの短い距離だ。
魔力の充填に時間がかかる上、声を届けられる時間も短いものだ。
実用には障害が大きいが、今後の改良余地を多く残しているとも言えるな」
「リナさんが仰っていましたが、わたくしが使えるようには…」
「無理だな。
少なくとも宮廷魔導士レベルの実力がないと、とても使いこなすことができないだろう。
カサンドラ、お前の魔法の腕前は?」
「………。」
彼の黒い双眸がカサンドラをじっと見据えている。
そんな風にプレッシャーをかけられたところで、ゼロはどうやったってゼロなのだ。
魔法の才能がないことに、こんなデメリットがあるなんて…
いや、そもそも貴族の令嬢に魔法の才能なんて必要なかった。
今更必須と言われても、一朝一夕でどうにかなるとは思えない。
「シリウス様はこのところ、時間が空く度に研究所に籠っているんですよ。
魔法に関する知識も私より遥かに多いですし、手先も器用なので。
カサンドラ様が無事に戻られた昨日も、変わらずずっと。
研究がお好きなんでしょうね」
「シリウス様…
魔法道具の研究職が貴方の天職なのでは…」
代々の宰相、エルディム侯爵に向かってこんな事を言うのも、侮辱していると受け取られかねないが。
リナの言うことが確かなら、独り黙々と研究室に籠って魔法道具や、新しい魔法の開発に尽力したら?
王国の魔法技術が軽く二世代くらい発展しそうなものだ。
勿論、学園に入学する前からエルディム領の一部の管理を任されながら、将来の宰相有力候補として英才教育を受けてきたシリウスだ。
いきなり彼が重要な国の役職から抜けると言うのは、アーサー――将来の国王陛下にとって、決して嬉しいことではないだろう。
安易にそれを薦めるのは悪手だと気付いた。
「……それは私も自覚している。
正直に言えば、施政関連の面倒ごとを背負いこむより、遥かに没頭できる『趣味』だな。
遠い将来、一線を退く時が今から楽しみでならんが…
しばらくはこのまま、余暇の範疇で楽しむつもりでいる」
一応、王城内で今の立場のまま国政を支えるつもりではあるらしい。
宰相を務める父も、シリウスに対して悪い印象ではないようだし、できれば今の関係のまま続いて欲しいと思う。
「それに、どうしても魔法関係の予算がな…
現状の割り当てが少なく、今までのような十全な研究費が降りてこないという問題もある」
「予算?」
「……お前を召喚するための研究に必要だと言えば、今までラルフも臨時で資金を国庫から提供してくれていたのだが。
流石にこれ以上の資金を
ほぼ私の趣味だからな、この魔法道具を実用化させるには時間がかかるだろう」
「…シリウス様がお金のことで、ラルフ様と…?」
あれだけとんでもないエルディム家の当主、金持ちが予算だ資金だと渋っている姿があまり想像できないカサンドラ。
いくらでもお金など湧いてくるのでは…?
「そもそも国のお金はヴァイルの管轄だ、あいつのサインがないと金貨一枚動かせん。
各家の資産は全く別の話な上、エルディムとて無尽蔵に金貨が湧いてくるわけではない、用途は決まっているから私の趣味にそこまでつぎ込めるわけないだろうが」
何を言っているんだ、と言わんばかりのシリウス。
お金持ちのお坊ちゃんであることは間違いないが、全てが自分の思うがままというわけにはいかないのだそう。
まぁ、裁量で私的に使えるお金はカサンドラの感覚から考えれば桁違いなのだろうが…
それでも魔法の研究に莫大なお金がかかるなんて知らなかった。
自分一人をこの世界に召喚するのに、手間や時間だけでもなく大きなお金も動いていたのかと改めてその規模の大きさに全身が震える。
「資金の分捕り合戦で魔法職と騎士団で闘争の様相を呈しているしな。
…政務部門はクラウス侯が卒なく済ませてくれるだろうが、このままだとこちらに使える金が削られかねない」
王国の運営にかかるお金のことについて具体的に考えたことはなかったが、そりゃあ皆が皆好き勝手に何でも使えるわけがない。明朗会計で、誰かがきっちり管理しなければいけないはずだ。
それを実行していたのがヴァイル公爵家だったのか…
ああ…それなら、学園での生徒会で会計担当になりますね…
「まあ、どのみちこの道具の改良が出来、実用化に耐えうる状態になったとして、だ。
お前が魔法を使えない以上、使用することは不可能だ」
「シリウス様!
カサンドラ様は今まで魔法に関わる機会が少なかっただけですから。
練習すれば魔法を使えるようになるはず。
そのような言い方は事実と異なる可能性がありますから、大変失礼です!」
シリウスの横で話を聞いていたリナが、シリウスの態度に少し怒り顔を見せる。
自分のために怒ってくれるのは嬉しいし、カサンドラだって魔法が使えればと夢想してしまった。
その道具を貸してもらって、別の場所にいるアーサーと顔を見ずに会話することが可能になるかもしれない。
夢はいっぱい!だけど…
自分に魔法の才能がないことは、シリウスに指摘されなくても自覚していることだ。
「そ、そうか。
すまないなカサンドラ、お前でも頑張れば魔法を使える可能性もなくはない。
訂正しよう」
余計に空しくなるから謝るのはやめて。
「カサンドラ様! どうかシリウス様の言葉は気になさらないでください。
それに、もし私で良ければご協力いたします。
大丈夫です、カサンドラ様が魔法が使えないなどあり得ませんから!」
リナは何とか自分をフォローしてくれようとしている。
「リナさん、良いのですよ。
わたくしが魔法を使えないのは事実です」
「そんなことありません!
人間には誰しも魔力があるものなんです、早々に諦めないでください」
そう必死になられても、期待に応えられる自信なんて一切ない。
向き不向きがあるのだ。
リナとシリウスのやりとりを見ていて、離れていても言葉が届く光景に大きく憧れを抱いただけ。
仮にシリウスが個人的な趣味で改良を重ね、もしも魔法を使える人が日常的にそのアイテムを持ち歩けるようになったら…アーサーも友人や、別の人とその魔法道具を使ってやりとりをするようになるのか?
そうなった時の自分の疎外感を考えると、何とも言えない焦燥に身を焼かれそうだ。
しかもシリウスが目標にしているのは、王城や王都のみならず、各地の遠く離れた街と街の間でもやりとりができる規模らしい。
自分だけが魔法を使えないという状態に、じんわりと嫌な汗が浮かぶ。
…頑張れば魔法を使えるようになる?
才能がないのに?
いいなぁ、と羨ましく思う気持ち。
自分にその「道具」は縁がないと分かった落胆。
それらに気付かれないよう、カサンドラはしばらく彼らと会話を続けた。
※
「大変お待たせしましたね、アレク…」
「遅かったですね、あねう…え!?」
一時間ほど待たせてしまったことを義弟に詫びる。
彼は特に気にした様子はなく、逆にカサンドラを一目見るなりぎょっと目を瞠って驚いていた。
「先程シリウスさんと会いましたけど…あの人と何かあったのですか?」
恐る恐る、アレクは声を掛けてくる。
そんなにどんよりした表情をしているのだろうか、確かに気が緩んでしまったかもしれないが。
「いいえ…と言うべきか、はいと言うべきか悩ましいですね」
別にシリウスがカサンドラに対して何か酷いことをしたわけではない。
ただ、彼の発明の恩恵に与る事の出来ない現実が、ショックだっただけで。
できるだけ感情を込めず、アレクに事情を軽く説明した。
「……ああ、シリウスさんの……
僕も一度使わせてもらいましたけど、かなり魔力を使用しますし。
並の魔導士では扱いきれないかと」
「アレク!」
ああ、なんで自分の周囲には魔法の扱いに長けたものが集っているのだ!
アレクは苦も無く魔法を使えると言うのに、自分と来たら…!
「わたくしに…わたくしに、魔法を教えてください!」
学校の講義では全くモノにならなかったが、自分の事を良く知る相手なら…と藁をも縋る想いでアレクに食ってかかる。
「え? 嫌ですよ」
だが肝心の義弟はけんもほろろな対応だ。
いつもカサンドラが頼みごとをすると、しょうがない、と手を貸してくれたアレク。
ここに至って明確な拒絶を受けるとは思わなかった。
カサンドラは二重のショックを受ける。
「ど、どうしてですか?
お願いします、わたくしもアーサー様と離れた場所でも会話をしてみたいのです」
アレクは蒼い目を細め、かなり呆れたと言わんばかりの態度であった。
冷ややかな…と言っても良いくらいの視線に、カサンドラは一瞬たじろぐ。
「あ、いつもアレクにばかりお願いしていますものね。
それに来週はレンドールに戻りますから、時間も…
やはりここは、リナさんにお願いするのが良いでしょうか」
ついいつもの癖でアレクに望みを繋げてしまったけれど。
彼だってカサンドラに振り回されるのはもう嫌だろうな、と大きく反省することになってしまった。
何とか前言を撤回しようとするカサンドラの眼前で、痛む額を指先で押さえたアレクは――大きな大きな、地を這うような溜息を落としたのである。
「あのですね、姉上もいい加減、そういう時には兄様を頼ってください!」
「ええ!?」
「兄様だって、絶対姉上に頼られたいはずです、そうに決まってます!
何なら個人指導で手取足取りしっかり教えを受ければ良いでしょう、何でわざわざ僕や他の人達を頼ろうとするのですか?」
うっ、と言葉に詰まる。
「そ、それは…本当に恥ずかしいくらい、魔法の基礎も出来ないものですから…
せめてある程度形になるまでは」
自分の不出来な姿を見られたくないという想い。
学園の魔法講師に、薄ら笑いで才能がないと婉曲的に示唆された記憶が蘇る。
自分には必要がないと遠ざけていたものが、今になって是が非でも習得したいものに変わるなんて!
「なんで貴女たちは、そんなに良い格好ばかり見せたがるんですか。
出来ないことは素直に出来ないと言って、何とかしてもらえばいいんです!
――兄様が可哀想ですよ!」
カサンドラの鼻っ柱に向かって指をさすアレクの言葉が、グサグサとカサンドラをそのまま貫いていく。
出来ないことを出来ないと言う。
頼れるものは頼る…それが、アーサーのためだと?
……。
「アレク…」
カサンドラは大きく、ゆっくりと。首を横に振って義弟の指摘を拒絶する。
彼の言い分は分からないでもないが、
「確かにあの方にお願いすれば、どんなことであろうと、わたくし程度の些細な悩みなど一瞬で解決して下さるでしょう。
わたくしが魔法を使えるように、最善を尽くして下さるに違いありません」
恥ずかしいという感情さえ、見て見ぬふりをしてしまえば。
きっとアーサーは優しいから、カサンドラの望みを叶えてくれるよう動いてくれるだろう。
それを「嫌だ」と感じてしまう根本的な理由は…
「人は…易きに流れるもの。
まだ何も努力をしていないのに、”出来ない”とあの方を頼るのは違うと思うのです」
他に自分の力でできる事があったかもしれない、努力が足りなかっただけかもしれない。
それを試さずに、自分に対して相当甘い対応をするだろうアーサーに全部丸投げしてしまうのは、良くないことだ。
彼自身はカサンドラの一人や二人分の不出来成分を抱えても平気な顔をして立てる人だろうけれど。
凡人に過ぎない自分がそんな楽を一度でも覚えてしまったら、自覚のない内に
――それが、最も恐ろしい事態だ。
少なくともカサンドラは、自分で何もしないできない、誰かに助けてもらって当たり前だという主張を続ける人間を尊敬できない。
易きに流れ、怠惰を貪る…
自分が絶対にそうならないなんて言いきれない。
根本的にカサンドラは自分に自信を持てない
彼の隣に並んでも恥ずかしくない人間でありたいのに、そこで自分にとって楽な方向に流されてしまったら元に戻れなくなってしまうのではないか、という恐怖を感じる。
今回は魔法の件だったかもしれないが、それで彼を頼る心理的抵抗が低くなってしまえば今後も同じように別件で…と連鎖的に続いていくかもしれない。
それだけは絶対に嫌だ、避けたい。
「まずは自分で何とかするべきという考えは変わりません。
そのために今までアレクを頼っていたことは申し訳なく思っておりますが」
「……はぁ…そうですか…」
アレクは何かを諦め、遠い目をして力無くぞんざいに頷いた。
「何より! 王子の前で不格好な、無様な姿を晒すなど、耐えられません!」
『馬鹿な子ほど可愛い』ってキャラじゃないことくらい、
自分が一番よく知ってるし!
※ ※ ※
この上、さらに姉の魔法の特訓まで付き合わされそうになったアレクは、全力でNOを提示した。これ以上兄の感情の導火線周りでステップを踏みたいわけではない、頼るなら兄を頼れという話だ。
姉に魔法を教えること自体は根気よく付き合えばどうにかなるかもしれないと思うけど。
兄アーサーにのみ発動するのだろう、姉のプライドの強さと負けん気の強さは…
アレクごときでは手に負えない、いかんともしがたい分厚く高い壁である。
相手の事を尊敬し、憧憬の対象に押し上げてしまっているから、ここまで
…向上心があることは、一般的にいいこととされる。
しかし兄の胸中を想像するといたたまれない想いになってしまう。
魔法の勉強がしたいと一言言えば、確かにあの人なら万難を排す勢いでカサンドラにその環境を整えてあげることが出来るだろう、本人も教えがるだろうし。
…もしも姉に魔法の才能がなく、努力しても実らなかった場合は、そんな挫折感を味わわせる『魔法道具』自体を廃棄するようにシリウスに働きかけないと言い切れないところが怖い。
隙あらば甘やかそうとしている現在の兄がどんな行動をとるのか、アレクにも分からないし。それくらい二年間というどん底の暗闇を体験していた兄の想いが燻っているのだ。
姉の気持ちも兄の気持ちも分かってしまうアレクだが、こんな些細なことで意地を張る姉を前にして、文句の一つも言いたくなる。
「姉上が仰っていたように、僕は来週にはレンドールに戻ります。
残念ですが、お力にはなれません」
「こちらこそいつも申し訳ないです、事情を全てご存知のリナさんに相談してみますね。
絶対に、魔法を使えるようになってみせますから!」
姉よ…どうして貴女はいつもそうなんだ?
もう少し緩く生きる道を選んで、安穏と穏やかな――愛を育む生活とやらを享受してはいかがか。
「アレク」
カサンドラはパッと顔を明るくし、こちらに微笑みかけてくる。
「シリウス様が言っていたのですけれど、あの魔法道具は王国全土まで効力を発揮させるのが目標らしいのです!」
それは大きく出たものだ。
シリウスなら、いつかはそれを実現させてしまいそうだ。
夢物語と否定できないな…
「その時わたくしが魔法を使えるようになっていたら、レンドールにいるアレクともいつでもお話できるということ。
想像すると、今から楽しみでなりません。
わたくしとシリウス様の今後の頑張り次第です、どうか応援していてくださいね」
完全に不意を突かれ、アレクはいつものように上手く言葉を返せなかった。
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