第7話 ジェイクの提案


 アレクと一緒に回廊を歩き始めると、彼は当然のように疑問を口にする。


「次はどこへ行きますか?

 別邸に戻ります?」


 神殿の関係者へのお礼は終わったし、リナとシリウスにも会えた。

 一瞬だけとは言え、アーサーとラルフとも顔を合わせることができたわけだ。

 予想していた以上に、知っている友人達と出会えた状況。


「ジェイク様は騎士団にいらっしゃるでしょうか」


 さっきのシリウスの話を思い出してしまった。

 召喚の時間中、大変ハラハラしていたに違いない。

 自分を呼び戻すため、ジェイクの力添えがあったことも事実だし。

 折角王城を訪れたのにこのまま声を掛けずに帰ると言うのも不義理に感じたのだ。


「そうですね、リゼさんもいると思いますよ」


「お二人共、騎士団に?」


 ジェイクが騎士団を統率しているのは知っているが、リゼも一緒とは。

 二人仲良く同じ仕事に携わっているなんて、カサンドラの立場から見れば羨ましい限りである。



 先程通った長い回廊をひたすら南下し、ようやく右手方向に騎士団の建物が姿を現した。

 南西部――王城の敷地全体の四分の一は、この騎士団関係の建造物で占められていると言っていい。多くの兵士が使用する宿舎もあるし、訓練施設なども含めれば規模が大きくなるのは仕方ないことかもしれないが。


 いかつい門構えの傍に近づくと、門をくぐろうとしていた騎士が背後から声をかけてきたのである。


「騎士団に何かご用でしょうか、妃殿下」


 予期しない呼びかけを受け、カサンドラは自分の他に誰かいるのかと周囲に視線を向けてしまう。

 後ろを振り返ると、ニコニコ笑顔で礼をする一人の青年騎士の姿があるのみだ。


 どこかで見た事のある騎士だな、とカサンドラは己の記憶を辿る。


 青年はクライブと名乗ったが、騎士と直接話をしたことなど数える程度しかない。

 だがその少ない経験から、自分が以前お気に入りの日傘をさして街を歩いていた時の事を思い出す。

 そうだ、あの日はたまたまアーサーと街でばったり出会って。

 カサンドラを屋敷まで送ってくれた騎士ではないか。


「いつぞやは、わたくしを送って下さってありがとうございました。

 お元気そうで何よりです」


「まさか覚えて下さっていたとは…光栄です。

 妃殿下、もしかして将軍をお探しですか?」


 どちらの呼称も、大変慣れないもので背筋がむず痒くなる。


「はい、ジェイク様はおいででしょうか。

 ご挨拶に伺いたいのですが」


 『妃殿下』という呼称は控えて欲しいと思ったが、あまりにも自然に呼ばれたものだから訂正するのも気が引ける。

 気を遣ってそう呼んでくれているのなら、好意と思って受け取る方が円満な選択だろう。


「恐らく、中庭の方で休憩している頃かと。

 私がご案内いたします」


 クライブと言う二十代後半の騎士は爽やかに笑う。

 騎士は貴族の次男や三男が多いと聞く通り、品の良い男性が多い。しかもしっかりと戦うことができる精悍な体躯を持っている。


 勿論筋骨隆々、戦士のような体型の騎士もいるので、全てが全てそうではないけれど。


 アレクと一緒に案内を受け、敷地内に入って石畳の道をゆっくり歩く。

 こちらの歩幅に合わせてくれるクライブは、何故か凄く嬉しそうだった。


 余計な仕事を増やして申し訳ないと思いつつ、クライブの発言にあった『休憩時間』という単語に引っ掛かりを覚えてしまう。


 アレクの言葉が正確ならば、きっとリゼもこの騎士団で過ごしているわけで。


 ジェイクが休憩時間ということは、リゼも一緒にいる可能性の方が高い。


 二人で仲良くしているところを邪魔をするのは本意ではない、が…

 かと言って仕事中に話しかけるのも迷惑かと思うとこのタイミングしかない気もする。


「あちらです」


 気まずいシーンを目撃したら、どうしよう…


 なんて若干別の方面の心配をして、カサンドラはクライブの掌の先に恐々と視線を向けたのだ、が…





 カサンドラが二人の存在を視覚にとらえるよりも早く、彼らの会話が耳に届く。


「だから、やっぱりライナスさんの言う通り、馬!

 馬を増やした方が良いですって、まだ全然少ない!」


 リゼの声と同時に、銀色の軌跡が宙を凪ぐ。

 だがその鋭い剣の切っ先をあっさり受け流し、ジェイクも長剣を軽く横に払った。

 互いの剣が交錯し、一際高い乾いた金属音を立てている。


 リゼは真っ白な軍服を着こんでおり、彼女が動くたびに燕尾状の裾がひらひらとはためく。

 もし軍服が黒なら、まるで文字通りの”燕”と見まごうような、体重を感じさせない軽やかな動きだ。


「いや、でも防具が良いって。

 二年前の被害で、殆ど在庫もなくなったんだぞ?

 そっちの方が急務だろ」


 カン、ともう一度二人の剣が重なる。


「馬は早めにルート確保しないと揃えられないって、言ってましたけど」


 リゼが大きく後ろに退がり態勢低く、再び地面を蹴って相手の懐を伺い――

 斜め下から剣を切り上げる。



   ……殺す気か?



 いや、殺意は欠片もないのだけど。

 そんな渾身の一撃、普通の人間なら完全に胴を真っ二つにされてしまいかねないのだが。



「だーかーら、ラルフがOKしないんだから無理だっての!」


 剣の刃を横に向け、溜息をついたジェイクは――その一撃をやはりあっさりと流し、リゼの足下を自身の右足で払う。


「わっ」


 足払いを避け、バランスを崩して蹈鞴を踏んでしまったリゼと、目が合った。


「……ああああ! カサンドラ様!」


 リゼは持っていた剣を一瞬で鞘に納め、出会ったばかりの頃では考えられない俊足でカサンドラの元へと駆け寄って来た。


「ごきげんよう、リゼさん。

 この二年間、わたくしのために色々取り計らってくださりありがとうございました」


「いえいえいえいえ!

 カサンドラ様が戻って来て下さったなら、全然あんなの、なんでもないです!

 良かった、本当にご無事で良かったです」


 リゼが屈託ない明るい笑顔を向けてくれ、カサンドラも心がじんわり暖かくなる。


 誰かに必要とされたり、喜んで迎えてもらえるって、なんて幸せなことなんだろう。


 栗色の柔らかい髪は、リナと同じように記憶よりも伸びていた。

 首の横で一つにくくっているのは、普段から動き回るからだろう。


「よう、カサンドラ」


「ジェイク様も、ご無沙汰しておりました。

 ……ところで、今は休憩中とお伺いしていたのですが…」


 少し離れたところで直立不動の姿勢を保つクライブに、チラッと視線を向ける。


 どう見ても休憩中には見えない二人のやりとりに、カサンドラはかなり動揺していた。

 休憩時間なのに、剣の稽古をしているようにしか見えないわ、会話から察するに仕事の話をしていたようだわ。


 この二人は本当に恋人同士なのか?


 内情を知らない人間だったら、とても判断の難しいやりとりが繰り広げられていた。

 まぁ、彼女達らしいと言えばそうかもしれないが。


「はい、休憩中です」


「ずっと机に向かってると、ストレスが貯まるからな」


 何とも返答し難い反応に苦笑いをしていると、アレクが横からカサンドラに耳打ちしてきたのだ。


「姉上、イメージが難しいかもしれませんが、この二人は騎士団で大変精力的に働いているようで…

 どちらも重度の仕事中毒ワーカホリックなんですよ」


 昔からジェイクが騎士団関係の仕事をダグラス将軍に無理矢理強いられていたのは知っていた。本来は兼任学生であるジェイクの本分ではないことも、無理矢理強いられていた。


 要は良いように使われ父親の小間使いそのものだったわけで。


 まぁ、文句を言いながらも忙しく動き回ることに対して何の抵抗もない、意外と真面目な人間だ。


 騎士団周りの仕事が元々の性に合っているのだろう。

 そこに、学習意欲MAXで、勉強大好きのリゼが騎士団の内部関係の仕事を教わってハマり込んでしまったら…


 仕事に対して真面目が二人揃い、こういうことになってしまったのか…

 剣を扱うリゼは、リナのように婚約指輪を填めているわけでもないし。

 軽口を言い合える友人同士のような関係にしか見えない…



  休憩時間さえ仕事の話し合いに終始するとか、嘘でしょ…?






「――カサンドラ様もケルンに招待されるでしょうけど、船酔いには気を付けてくださいね!

 本当にアレは駄目です、陸に生きる人間が海の上で生活できるはずがないんです…!」


 リゼがケルン渡航の話を聞かせてくれている間中、ジェイクとアレクも何か用事でもあったのかコソコソとこちらに聞こえないように小声で話をしていた。

 こちらの邪魔をしない程度に、時間を潰しているのかなと思っていたが。


「おい、カサンドラ」


 リゼとの話の切れ間に、突然ジェイクが声を掛けてきた。

 相変わらず、大柄な体躯でその分声も大きい、目の前にいるのにそんなに強く発声しなくてもいいのにな、と。

 カサンドラは彼の方に向き直る。


「休憩時間にお邪魔して申し訳ございません、わたくしもそろそろおいとま――」


「お前さ。

 今日昼食の予定、ないんだろ?」


「え、ええ、そうですが」


 アレクとの会話でこちらの事情を把握したらしい。

 別にカサンドラがどこで誰と食事をしようが彼の関知するところではないはずだが?

 まさか一緒に昼食を食べようと言うお誘い?


 特にこの後の予定はない。

 だから相伴にあずかれるなら、ちょっと嬉しいと気持ちが上向いた。

 勿論、リゼが良いと言ってくれればの話だが…


 そんなカサンドラの考えの斜め上を行く提案をされるとは、思っていなかった。


「じゃあさ、これから俺の代わりにアーサーと昼を食べるってのはどうだ?」


「――……? え?

 な、何故…アーサー様のお名前が…?」


 唐突にアーサーの名前を出され、カサンドラは完全に硬直してしまったのだ。

 不意打ちにも程がある。


「あの、アレクもおりますし」


「僕はジェイクさん達と一緒にご飯にしますから、心配しなくて大丈夫ですよ」


 アレクは朗らかな笑みをたたえ、大きく頷いた。


「いやー、アーサーに相談事があって、会食の予定を入れてもらってたんだけどさ。

 思ったよりこっち側の意見がまとまらない事情があってな。

 アーサーには別の機会に提案する。

 ――で、二人で昼食の予定、俺が行く必要なくなったってわけだ。

 代わりにお前、行ってくるか?」


「で、ですがジェイク様もアーサー様と一緒に食事ができる機会ですし…」


「いいからいいから。

 アイツもお前が帰って来て心底喜んでるんだし、正直今日は仕事どころじゃないと思うぞ。

 そもそもなんでお前が騎士団内こんなとこウロウロしてんだ?

 今日くらい、アーサーと一緒にいたらいいだろ」


 真顔でジェイクにそう聞かれて、カサンドラは背中に大量の汗を流していた。

 

「で、ですが」


「いいじゃないですか、カサンドラ様!

 私もジェイクと一緒にお昼食べたいですし、是非代わって下さい!

 お願いします」


 横からリゼに頭を下げられてしまっては、ここで断るのも逆に失礼と言うか。

 意固地な人間に思われてしまうかもしれない。


「ジェイク様とご一緒する予定が、わたくしに代わっては…

 アーサー様にご迷惑では」



『それは絶対に無い(です)。』



 事前の打ち合わせもなく、アレクとジェイク、そしてリゼの声が綺麗に重なった。

 突然の提案に、カサンドラは理解が追い付かない状態だ。


「ええと…それではお言葉に甘えさせていただいても宜しいのでしょうか」


 そりゃあアーサーと二人で一緒に食事ができるのなら、嬉しいけれども。

 完全に邪魔になっていないかと内心で何度も悲鳴を上げていた。



 ジェイクもリゼもアレクも、かなり気を遣ってくれているのだろう。

 何よりカサンドラだって、状況が許せば一緒にいたいのは本心なのだ。


 


「よし、決まりだな。

 …クライブ!」


 ジェイクは近くで様子を伺っていた騎士に、声を掛ける。

 こちらの和やかな雰囲気とは対照的に、彼はかなり緊張感迸る真剣な表情でこちらを見て敬礼する。


「はっ!」


「昼の会食の参加者を変更する、カサンドラになったってことで。

 良い感じに、アーサーへ伝言頼む」


「承知いたしました」


 あっという間に、事態が動いてしまった。


 まさか騎士団を訪れることで、こんな恩恵にあずかれるとは…

 全く予定にないことだったが、ここに立ち寄って良かったと心底思った。


「カサンドラ様、もう王城に住んじゃえばいいと思うんですが。

 王太子にお願いしたら、部屋をすぐに用意してもらえるのでは?」


 リゼの言葉に、ぎょっと目を丸くする。

 現状、婚約者と言う立場ではあるものの、ただそれだけの立場である。

 クライブは自分をそのように扱っているらしいが、正直な話、まだ全然王子と結婚して王城で暮らす…という自分が想像もできない。


「何を仰っているのですか!? リゼさん!

 結婚もしていないのに、そのような」


 考えようによっては、下宿? みたいな扱いになるから、一般の意味での「同棲」とは全く違うのだろうが。

 カサンドラの持つ常識の部分が、その状況を否定してしまうのだ。



「そ、そうですよねー。

 普通は結婚してから一緒に住みますよね、うん。


 ……だって、ジェイク」


 ははは、と乾いた笑いを浮かべた後、リゼは若干突き刺すような視線でジェイクを見上げる。


「他人の事情なんか知らん。

 …そろそろ休憩終わりだな、俺は先に戻るか」


 ジェイクは軽く首を回し、肩をコキッと慣らしながらそう呟いた。


「はーい、じゃあ私、カサンドラ様を皆に紹介してきますね。

 騎士の皆、カサンドラ様に一目会いたいって、昨日からずっと落ち着かなかったんですよ。

 是非元気な姿を見せてあげてください、お願いします!」


 リゼが頭を下げると、彼女の襟もとに銀色のチェーンが掛かっているのに気づく。

 完全に首を覆うような襟を立てた軍服なので、チラッとでも見えたのはたまたま、偶然だったが。


 以前、自分も王子にもらった指輪をネックレス状に着けて、首に掛けて登校していたことを思い出す。

 あの指輪は壊れてしまったというが…


 もしも現物が存在しているなら、それも大切な思い出だ。

 身体の痛みも思い出し震える、あの恐怖の一日を象徴する指輪だけど…


 

 カサンドラの部屋にあった、王子にもらったものや思い出は混乱の最中、殆どが失われてしまったという。




 学園時代の思い出、一つでも多く手元に残しておきたいな。


 

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