第8話 限界ギリギリ
――本当に自分がジェイクの代わりにお邪魔して良いのだろうか…
ジェイクたちに押し切られる形で、無理矢理お昼ご飯を一緒に食べることになったのだ。
果たしてアーサーがどういう気持ちになっているのか分からず、戦々恐々である。
まぁジェイクとアーサーは立場こそ
きっと自分が予定に割り込んでも、そこまで大きな問題にはならない…はず。
自信がなく、承諾したことを若干後悔したカサンドラだったが。
案内された部屋は、昨日国王たちと一緒に食事をした広い食堂ではなかった。
もう二回り位、狭い部屋。
二人だけで食事と考えると広いが、その分隅に控える給仕の数も大きく減っているので圧迫感を感じない。
本来お仕事の話をする予定だったのだから、それに相応しい場所に案内されるのは当然か。
あんな開放感あふれる食堂では、込み入った話をするのも難しいだろう。
「キャシー! 本当に君が来てくれたんだね」
既に部屋で待機していたらしいアーサーが、立ち上がってカサンドラを迎えてくれた。
そのニコニコと明るく眩しい笑顔に、カサンドラの不安は一瞬で溶ける。
いくら王子が人当たりの良い完璧な人であっても、歓迎しない予想外の相手が来た事をここまで無意味に喜びはしないだろう。
緊張が一気に弛緩していくのが自分でも分かった。
「はい、ジェイク様とお会いした時に、何故かそのようなお話に」
「彼の方の”相談”が一旦棚上げになっているのなら、ただの友人との食事会に他ならないからね。
キャシーと一緒に過ごせることの方は、私は嬉しいよ」
そこまでハッキリと断言されるとは思っていなかったので、カサンドラも笑みを浮かべることくらいしかできない。
アーサーは二脚しかない椅子の片方を引いて、カサンドラに座るよう促した。
彼にこんな風に丁重に扱ってもらえる自分――というのが、全くもって、入学当時からでは考えられない話だ。
カサンドラの感覚では、まだ一年と数か月も経っていない、つい最近の話になってしまうけれど。
いっきに大人びた雰囲気が漂うアーサーを見ていると、そこに時間の流れの断絶を感じずにはいられない。
いっそ自分も二年分身体が歳を取っていれば、違和感がもうちょっと少なかったのだろうか。
「さぁ、食べようか。
…事前にキノコを避けてもらうよう指示をしているから、大丈夫だよ」
「……!
お、恐れ入ります…」
この献立だとキノコが数種類は混ざっているだろうな、と考えてしまったことまで見通され、カサンドラは顔を赤くして俯くしかない。
自分の苦手な食べ物のことも覚えていてくれたのかということ、その食材を克服できていない自分のこと…双方合わさって、恥ずかしくてしょうがなかった。
「キャシー、体調に問題はないかな?
別の世界から時空を渡って来たという話だ、何があってもおかしくないと心配しているけれど」
「今のところ、特に体調面の不安は感じません。
ただ、やはり皆様と同じように時間を歩めなかったことは、少し残念に感じてしまいます」
静かな空間で、アーサーとこんな風に食事ができる時が訪れるとは。
学園の食堂で、間にシリウスやラルフがいたり。
昨日のように国王陛下やアレクが一緒だったり…と。
中々そう言う機会も珍しいので、粗相がないか指先が震えているのは内緒だ。
父であるクラウスと一緒に食事をするのとは、また違う緊張感に包まれている。
「確かに私達はまだ、外見の差に大きく変化がある時期だと思う。
でも、その内慣れると思うよ」
「そうですね、正直に申し上げれば一番衝撃が大きかったのはアレクですから。
あの子と比べれば、皆様の変化はまだ想像の範囲内かと」
流石に自分の肩より少し高いかな、程度の身長だったアレクが同じくらいに伸びているとは。あまりにも成長期が過ぎる、成長痛とか大丈夫なんだろうか。
「…キャシーは」
「何でしょう」
「アレクと話をしている時は、とても楽しそうだね」
「……楽しい…?」
カサンドラは彼の発言に虚を突かれ、少し考え込んでしまった。
忘れているわけではないが、アレクはアーサーの実の弟だ。
しかもかなり可愛がっていたと聞く。
亡くなってしまったと思い込み、ずっと忘れられない存在だったことも知っている。
あたかもカサンドラの本当の弟…みたいな扱いをしている姿を見られ、それが気に障ってしまったのだろうか。
あんな事件がなければ、第二王子クリストファーとして、王城で暮らしていたはずの自分の義弟。
そう言えば先日、アレクに対して周囲を気にせずいつもの調子で話をしてしまった気が!?
流石に無礼な振る舞いだったか…?
「アレクは複雑な事情が重なっているとは言え、わたくしの家族の一人です。
やはり一緒に過ごした年月の分、話しやすい相手だと思っております」
「……そうか。
彼と仲良くしてくれているなら、私も嬉しいよ。
それで、他の皆にはもう会って来たのかな?」
深く追及されることはなく、別の話題に移ってくれた。
彼と一緒に過ごす時間は、自分にとってとても貴重なものだ。
次にこうして二人きりの時間を過ごせるなんて、いつになるのだろうか。
しっかりとこの幸せを心に留めておかなければ…と決意し、彼の一挙手一投足を見逃すまいという心持ちで食事を続けていた。
デザートのレモンのシャーベットを食べ終えてしまったら、そこで「さようなら」だ。
最後まで食べ終えるのに心理的な抵抗があった。
だけどカサンドラが食べなければ、シャーベットは室温によって情け容赦なくドロドロに溶けてしまうわけで。
折角美味しい状態で運んできてくれたデザートに無惨な姿を晒させるのにしのびなく、可能な限りゆっくりと堪能することにした。
食事の後のデザートを食べている最中、学園の食堂で向かいに座っていたジェイクの死ぬほど嫌そうな顔が脳裏に浮かんだ。
甘い物が苦手なら残したり、最初から出さないように頼めばいいものを。
そういう小さいところでも特権を使うような人達ではなかったなぁ、とぼんやり思い出していると…
「キャシー、これから少し、私に時間をくれないかな」
「……アーサー様は、午後もお忙しいのでは?」
「その用事もジェイク側の都合でなくなってしまったからね。
折角空いた時間だ、君と一緒に過ごしたい」
まさかその後のアーサーの時間も抑えていたなんて聞いていないぞ、と記憶の中のジェイクにツッコミを入れたくなる。
だが、カサンドラにとってあまりにも僥倖…!
食事だけという話で終わるのかと思っていたら、もう少し一緒にいられるらしい。
それも合法的に? これはなんてラッキーな状態なんだ!
彼の執務の邪魔をしてはいけない、と。
去年チラッと見えた豆粒文字でびっしり記載されたアーサーのスケジュールを見た時、心に決めた。
だがその用事がキャンセルになったら、邪魔ではない…よね?
「嬉しいです、アーサー様。
わたくしももっとお話がしたいと思っておりました」
場所を変えようと言われ、カサンドラは内心ウキウキだった。
以前は亡き王妃の管理していた薔薇園に連れて行ってもらったが、今度はどこを案内してもらえるのだろう。
王城内部は広すぎて把握が困難な上、建て直しされているのがもはやカサンドラにとって迷路のような場所と化している。
尤も、行き先がわかれば廊下を歩く召使たちが懇切丁寧に教えてくれるから、迷いようはないけれど。
カサンドラのある意味で浮かれた予想は、根底から覆されることになる。
※
王太子が案内してくれた先は
彼の私室でした。
※
――――!?
何も言われないまま部屋に通されたカサンドラは、一瞬呼吸をの仕方を忘れる程驚いた。
確かに城の奥の方に向かっているなとは思っていたが、執務室とは思えない完全にプライベート空間じゃないか!
広々とした空間に、どれをとっても一流の調度品があつらえてあり、シンプルながらも生活感を感じない。センスの塊のような一室に案内され、脳内に「!?」マークが乱舞する。
「え、ええと…アーサー様?」
いやいやいや、落ち着け。
自分だって、以前アーサーを自分の部屋に招待したことがあったではないか。
どこにいても衆人環視と言える王城内で、彼ら王族のプライバシーが守られる唯一の
それだけでもかなり優遇されている、頭がグルグル回って沸騰しそうな現実だが。
カサンドラはアレク以外の、男子の部屋に入ったことがない。
そもそもアレクだって、訪れる時は「非常識」と言わんばかりの態度だったし。
だから本音で言えば興味があったので、視線をこれを機会にと視線が色んな方向に流れてしまう。
そうか、彼はこの部屋で生活をしているのかと好奇心を刺激されていたカサンドラだったが…
「素敵なお部屋ですね、アーサーさ…」
お世辞ではない、素で感動してしまったカサンドラが隣にいる彼の顔を見上げると。
全く何の前触れもなく、頬に彼の手が当たった。
何だろうと疑問を挟む余白もなく、カサンドラの口が塞がれる。
一体何が起こっているのか状況を俯瞰するまでもなく、昨日も同じ感触を経験したことがまざまざと蘇って来て二重に恥ずかしい。
これは勘違いでも事故でもなく、相手の意志があってキスをされているという状況だ。
完全に息が止まる。
昨日は――そうされるのが、自然で当たり前だと受け容れることが出来たはずなのに。
何故か二度目の今の状態は、頭が冷静になっていた分羞恥が増す。
ゼロの距離に、彼の顔。
甘酸っぱい、柑橘系の味がする。
「あ、あの…アーサー様。
これは一体、どういう状況なのでしょう」
彼が唇を離し、ようやく息が継げたと安堵した瞬間、身体を抱え上げられそのまま一緒にソファに座らされている…
客観的にイメージするとそのまま蒸発しそうになるくらい意味不明な状態だが、要は横抱きにされたまま彼の膝の上に座っているわけだ。
どうして?
なんで?
だけどそういう言葉は、口を出ることはない。
「良かった、君がここにいてくれて」
耳元でそう囁かれ、背中がゾクゾクと震えた。
遠く離れていても彼の声は特別だなと思うのに、耳に息がかかるくらいの距離で直接響くのだ。
心臓が自分の一部とは思えないほど強く早く打ち付けているのが分かる。
彼の柔らかい髪の先が頬を掠めて
「もしかしたら、昨日のことは全部幻なのではないかと、ずっと怖かった。
都合の良い夢を、この二年間何度も見て来たんだ。
何度も…
君を取り戻したと思ったのに、目覚めたら君はどこにもいない。
……だから…昨日の感触も、夜になると幻覚だったのかと。
情けないことに、殆ど眠れなかったよ」
「……アーサー様」
ぎゅっと胸が締め付けられる。
二年という時間を軽く見ていたわけでは決してなかったはずなのに。
本当に戻ってくるか、どこにいるのかも分からない相手を待ち続けるのはどれだけ精神的に負担がかかることだろうか。
先の見えない状態で――しかも彼の友人の傍らには恋人がいるという中。
どんな想いで過ごしていたのか。実際に体験していないカサンドラは、その何分の一も辛さが共有できないのではないかと思ってしまう。
カサンドラの背中へ回される彼の手に、ぎゅっと力が籠められる。
彼に抱きすくめられ、頬と頬がそのまま接してしまいそうな至近距離。
「今朝は、君が来るかも知れないと思って、ずっと待っていた」
「……!?」
ま、まさかあんな城のエントランスで、王太子がウロウロしていた!?
約束もしていないのに、来るかどうかも分からない自分に会うため…!?
ひぃぃぃ、と怖れ多い気持ちが心の奥からカサンドラの全身を縛り上げていく。
もしかしたら、カサンドラが戻ってきた一連の出来事は
夢だったかもしれない。
そんな想いで眠れなかったアーサーは、きっと現実に存在しているカサンドラを見て大いに安心したことだろう。そんな心境の彼に対し、自分はなんて言動をとってしまったのかと大いに反省してしまう。
知っていたはずなのに。
誰にでも優しい博愛主義者――という外面を持っていて、その裏の彼の素顔もまた、とても愛情深いのだということを。
どんな言葉にすればいいのか、分からない。
「……。」
それまで縮こまっていた自身の手をもぞもぞと動かし、彼の胸元に当てる。
自分も相当緊張して鼓動が速くなっていると感じているけれど、手のひらから衣服を通して響く彼の心臓も同じくらい。
ドキドキしているのは自分だけではない、という事に少しホッとする。
そのまま手を滑らせ、鎖骨、首筋――うなじに触れていく。
自分がそうしたいと思ったから、彼の首の後ろに両の腕を回し、頬に軽く口付ける。
最初に彼の事を好きになったのは、恥ずかしながらその強烈に視線を惹きつけられる外見だ。
初めて見る、王子というひときわ輝く存在感に、ただただ引き寄せられるだけだった。
だけど彼の事を少しずつ、ちょっとずつ知っていく度にもっともっと好きになった。
絶対に彼を助けたいと思った。
自分が彼を幸せにしたいと、それだけの気持ちでここまで駆け抜けてきたのだ。
時間にすれば、一目惚れからたったの二年。
でもそのぎゅっと凝縮された時間の中で、カサンドラは誰かを愛することや、愛されることの喜びを知ることができた。
「キャシー」
彼は嬉しそうに声を発したが、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべている。
そんな顔もするんだ、と見入ってしまう。
アーサーはこちらの顔を上から覗き込んでくる。
そのまま、もう一度唇に軽くキスを落とした。本当に軽く、一瞬だけ。
完全に不意打ちを食らい、反射的に口元を指先で押さえてしまうカサンドラ。
「次はキャシーからしてくれるかな?
――頬じゃない方に」
じ、自分から!?
まさか口にしろと!?
「……!
む、無理です! それはちょっと、恥ずかし……」
首も手も全力で横に振ろうとするカサンドラの首筋に、アーサーの唇が触れる。
吃驚し過ぎて、変な声が出そうになって息を呑む。
「何回すれば、慣れてくれるかな?」
……冗談か本気か分からない彼の言葉に、カサンドラの羞恥ゲージが限界を突き抜けようとしていた。
※ ※ ※
「どうした、ジェイク。難しい顔して」
机に向かって、各騎士隊や守衛隊からの報告を眺めていたジェイクの顔が、どうやらフランツには不思議なものに映ったようだ。
「お前もコーヒー飲むだろ? ホラ、持って来てやったぞ」
フランツが机の端に置いたコーヒーに手を伸ばし、再度ジェイクは頬杖をつく。
アーサーがカサンドラに会いたいと思っているその気持ちは、良く知っているつもりだ。
気を回したつもりで、食事の機会を彼女に渡した。
彼女に話した内容は、全て本当の事だ。
まぁ、一切の下心がないとは言えないけど。
アーサーの心象が良くなる事への期待が、若干入っていた。
ラルフはアーサーに甘い。恐らく彼の口添えがあればジェイクにとって望ましい結果が得られるだろう案件がいくつもあるのだ。
だけど…
今になって思い出す。
昼食後、二時間くらい
そうか、アイツ二時間フリーなのか……。
……あれ? ヤバくね?
果たしてカサンドラは無事なのか。
もはや神のみぞ知る世界だな、と。
ジェイクは真っ黒なコーヒーに口をつけた。
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