第13話 お迎え



 翌朝、カサンドラはアレクと共に朝食を食べていた。



 相変わらず父の姿は屋敷の中にはない。

 どうやら王城内に用意された部屋で寝泊まりをすることもあるようだと聞いてカサンドラは驚いた。

 どこまで仕事の虫なんだろう…と。


 それほどまでにこの国に問題が山積しているということなのか。

 いや、少し違うかも。



   あの人、正しい意味で『仕事が趣味』な人だからな…




 そう言えば、幼い頃から父は仕事一筋な人間だった。

 殆どカサンドラと共に過ごしてくれた時間など、数える程もなかったような。


 今更、そんな父の後姿を思い出してしまう。


 だからカサンドラが王子に一目惚れをして「王子と結婚したい!」と無茶振りをした時。

 本気でその願いを叶えてくれるよう動いてくれるなど思いも寄らないことだったことを思い出す。


 クラウスがカサンドラの希望を汲む形で面倒な縁談を引き受けたという事実に、ビックリ仰天。

 瓢箪から駒とはあのことだ。


 こうして空席のテーブルに視線を向けると、何度もむず痒い不思議な気持ちになってしまう。父は決して言葉が多い人ではないが、行動で示すタイプなんだろうなぁ。



「姉上、小耳に挟んだのですが…

 今日は学園で同窓会が開かれるとか」


 耳ざとく、昨日の話題を出してくるアレク。

 まさか昨日のリタとの会話自体を聞かれたわけではないだろうな…と内心冷や冷やだ。


「まぁ、そうなのですか?

 とても楽しそうなお話ですね」


 隣に座る母が、驚いた声を上げる。


 にこにこと微笑む母のフローラ。

 彼女が声を張り上げて怒っているところなどみたことがない。一緒にいて癒される奥様とは、母のことを指すのだろう。


「はい、今日の午後学園に皆様を集めて下さるとか。

 急なお話で驚きましたが、リタさんの心遣いに感謝しています」


 一時的に王都に集まった元学園関係者、生徒たちをたった一日で呼び寄せるなんて本当に可能なのだろうか。

 未だに半信半疑だが、催しがあるというのならそれを辞退する気持ちは毛頭ない。

 今から楽しみで、ちょっとワクワクしている自分がいる。


 和やかな雰囲気で朝食を終え、カサンドラは今日のイベントに想いを馳せていた。


 折角デイジーがこのレンドールの別邸に住み込みで働いてくれているのなら、彼女と一緒に学園に行きたい!


 今まで当たり前のように自分一人馬車に乗って登校していたけれど、お友達と一緒に馬車で学園に行くなんて機会は今後、絶対に訪れることはない。

 だから良い思い出になると思ったし、デイジーとこの二年何をしていたのかという話も是非聞きたいものだった。


 果たしてグリムやアレクとの縁談なんてどういう経緯でそうなったのか…とか。


 もし彼女が悩んで困っているのなら、相談に乗ってあげたいとも思っている。

 それには事情を知る必要があるし…



 そもそもカサンドラには、語るべき「不在時の話」が一つもない。

 体感的には本当に僅かの間隙なのだ。


 別世界に戻った後の出来事は既に霧に包まれるように茫洋とし、まるで胡蝶の夢のよう。


 だから自分が周回遅れの立場でしかないことは自覚している、せめて現状を知りたいと強く望んでいるのである。


 だがそんなカサンドラの思惑は、とある人物の来訪によって幻となってしまう。




 ※



 午前中、デイジーと一緒に学園に着て行く服をどうするか一緒に考えている最中のことだった。


「カサンドラ様は何をお召しになっても素敵です!

 スタイルが良くていらっしゃるから!」


 完全にデイジーの着せ替え人形状態になってしまったカサンドラは、苦笑を浮かべながら新らしいワンピースに袖を通していたのだが…


 どうせだったら自分だけでなくデイジーにも服を選んで欲しいと思うし、自分の服で良ければ好きなものを試着してみればいいと何度も勧めた。


「いえ、カサンドラ様のお洋服は私には着れませんよ。

 それに主役はカサンドラ様ですから!」


 えー、とカサンドラは内心ガッカリした。


 デイジーはすっかり大人の女性の雰囲気を醸し出すお姉さん的な存在になっているし。

 適当に何でもいいと選んだ服で参加するのは、勿体ないと思っていた。


 一応カサンドラは現状デイジーの「女主人」的な立場なので命令すれば、こちらの気持ちを汲んで着替えてくれるだろうが。

 友人と思う相手に対して、無理矢理嫌がることを強いるのも…と、かなり複雑な心境に追いやられていたのである。


 友人同士の外出着の選び合いっこって、一方的に片方が称賛されるものではない。

 断じて違う。



 一体どう言えば彼女がカサンドラのことではなく、自分の装いのことも気にしてくれるのだろう…

 そうモヤモヤ悩んでいたカサンドラに、いや、正確にはデイジーに。


 思いがけない来客があったのだ。






 何の前触れもなく、この屋敷に馬車に乗って男性が現れた。


「まぁ、グリムさんが!?」


 カサンドラが声を上げると、


「えっ」


 と、デイジーが表情を強張らせた。



 グリムもまた、一学年下ではあるものの今回の参加条件に当てはまる元学生である。

 かなり早い時間だが、何故かデイジーを迎えに来たと言われてカサンドラは彼の対応に向かう――難色を示すデイジーと一緒に。



 広い玄関ホールに立っていたのは、腹違いの兄のジェイクとは全く似通っていない優男風の美男子である。唯一兄と同じところは、橙色の瞳くらいか。


 身長も男性として平均的…だが、爽やかな笑顔を浮かべるグリムは文句なしの美青年だった。


 彼とは殆ど会話をしたことがないが、嫌味のないニコニコ笑顔の彼の人懐っこさオーラには目を瞠るものがあった。


「この度は王国へのご帰還、心より感謝申し上げます。

 ――カサンドラ王太子妃殿下。

 私はグリム。

 少し前に騎士の叙勲を受け、第三師団両翼長の任を拝命いたしました」


「…はい、お話は伺っております。

 こちらこそ、皆様の尽力のお陰で再びこの世界に戻ることが出来、有難く思っておりますよ」


 チラ、と横を見るとデイジーが驚愕の表情でグリムを凝視している。



 …ああ、気持ちが何となくわかる。

 普段砕けた口調の人物でも、必要な場面ではそれっぽい立ち居振る舞いをしてくるので度肝を抜かれるよね…

 何回ジェイクの豹変ぶりに「げっ」と驚き二度見したか分かったものではない。


 流石兄弟…。

 


「大変不躾なお願いで恐縮ですが、これからデイジー嬢をお借りしても宜しいでしょうか?

 勿論、時間までに必ず学園に向かいますので」


「ええ!? ちょっと待って何そんな勝手なことを」


「カサンドラ様が帰って来たら、今後の話をするという約束だったでしょ?

 …善は急げだよ、僕、今日一日休みになったから!」


 ピースサインで臆面もなく言い切るグリムには一切の迷いも躊躇いもない。

 外面だけ見たら完璧な貴公子なため、一歩さがった傍観者目線では、彼にドン引きしているデイジーの方が奇妙に映ってしまう。


「……いえ!

 そんな…私、今日はカサンドラ様と一緒に学園へ向かう予定になっていますから」


 縋るような視線でデイジーがこちらに訴えかけてくる。


「そ、そうですね。

 大変申し訳ございませんが…」


「妃殿下!

 申し上げるのが遅れて申し訳ございません。

 実は王太子から伝言を言付かっております。


 ――これより王太子がカサンドラ様を迎えに来られるそうですよ!」




   王家の紋章付き  馬車で。




 その時初夏に似つかわしくない突風が、ゴウ、と三人の間を駆け巡る。



「あ、アーサー様が…?」


 彼が迎えに来てくれたことは初めてではない。

 脳内で王族御用達スマイルで片手を振るアーサーの姿が思い浮かび、デイジーを見る視線に微細な変化が起こってしまった。



 でも、いくらアーサーと一緒に馬車で向かいたいからと言って

 デイジーのことを放置して良いわけではない!


 デイジーがグリムとの『話し合い』をそこまで嫌がるなら、ここは自分が盾にならなければ。


 アーサーと話をする機会は、これで終わりというわけじゃない。


 カサンドラがそう決意する直前、



「…ということで、まさか!

 カサンドラ様命の君が!



  アーサーとの間に割って入って邪魔をする…なんて出来ないよね?」



「…分かりました!

 それではご一緒いたします!


 ……カサンドラ様……どうか王太子と良き時間をお過ごしくださいませ…!」



 デイジーはそれまで、「嫌だ嫌だ嫌だ」という心情駄々洩れ状態だった。

 しかしその感情を一瞬で栓を締め切るかのように抑え、放出を止める。


 ぎゅっと拳を固め、表面上だけでも微笑みを浮かべたのだ。


「デイジーさん、そんなに嫌なら無理にグリムさんとお出かけにならずとも」


「…約束は約束ですし…

 はい、行ってきます…」


「妃殿下にご配慮いただき、大変恐縮です。

 デイジー嬢のことは私に一任下さい」


「あの、グリムさん。

 デイジーさんはわたくしの大切な友人です。

 くれぐれも、無理強いのないよう心を配ってくださいね」


「――委細承知しました」



 わぁ、良い笑顔! 


 デイジーの表情が対照的で、大変不思議な組み合わせである。



 後で、デイジーに話を聞かなければいけないな…




 魂が抜けたようなフラつく足取りで、グリムと一緒に馬車に乗ることになったデイジー。

 カサンドラは彼女の後姿を心配そうに見つめるしかない。


 実際に彼女が嫌々ながらも自分の意志で行くと宣言してしまった以上、それを妨げることは難しい。


 何より――アーサーが迎えに来てくれるなら、当然デイジーは一緒の馬車に乗ることはしないだろう。


 仮に遠慮するなと言ったところで、彼女の性格上絶対に頷くことはないはずだ。


 順当に想像すると、デイジーは一人で学園に向かわなければいけない。


 …それなら、グリムに連れて行ってもらった方が心細くないだろうか…





  何より、まさかアーサーが自分を迎えに来てくれるなんて思わなかった。



  罪悪感に苛まれはするけれど…



  やっぱり、嬉しい。



  



  ※






   ――王太子が迎えに来る。





 グリムの言葉は、勿論デイジーを連れ出す方便でも嘘でもなかった。


 カサンドラが落ち着かず部屋でそわそわしていたら、屋敷の内部が俄かに騒がしくなる。

 事前に伝えてあるとはいえ、王家の馬車が敷地内に入って来たら皆も緊張するし、空気も変わってくるだろう。


 カサンドラは逸る心を抑え、アーサーの待つ馬車へと足を進めた。



「やぁ、キャシー。

 迎えに来たよ。

 ――今日は突然のことで驚いたと思うけれど」


 彼は馬車の前に立ち、カサンドラを微笑みとともに迎えてくれた。

 遠目から見てもあまりのキラキラした輝きっぷりに動揺するし、相変わらず変わっていないなとホッとする。


 彼のいない世界で暮らしていたことが、今の自分にはとても想像できなかった。




「ありがとうございます、アーサー様。

 わたくしのために、皆様都合をつけてくださったと聞きました。

 改めてお礼申し上げます」


 アーサーに促され、馬車の内部に入っていく。

 まるで部屋の一室と見紛うばかりの広い空間、そしてふかふかの椅子。

 全く窮屈に思えないこの馬車に、また彼の婚約者として乗る機会があるなんて。


「急な思い付きだけど、皆にとっても良い機会だと思うよ」

 

 扉が閉まり、アーサーが隣に座る。


 こうしていると、学園時代のガーデンパーティの記憶を思い出してしまった。

 アイリスは今回の参加者条件に当てはまっていない、また近い内に彼女に挨拶に向かいたいものだ。


「……ところで、キャシー」


 しばらくの間馬車に揺られていると、アーサーは申し訳なさそうに目を伏せた。

 かなり気まずそう――まるでイタズラを恐る恐る報告する、子どものような萎れた態度で。


「ど、どうされたのですかアーサー様!?」


 一体何があったら、彼はここまで落ち込み、悄然となるのか!?


 昨日会ったばかりではないか。

 離れていた僅かな間に彼が心を傷めるような出来事が…!?


 カサンドラは内心で大いに慌て、彼の顔を覗き込んだ。


「本当に申し訳なく思っているよ。

 ――首元を隠さなければいけない状況にしてしまって」


 彼は手で口元を覆いながら、言いづらそうに声を絞り出す。

 チラリと向ける彼の視線の先には、カサンドラのストールが。


 その視線と言葉の意味を認識し、カサンドラはカーッと体中の体温が一気に跳ね上がったのを感じた。


「え、ええと…

 その、わたくし、全く気付きませんでした…」


「……ごめん」


「い、いえ!」


 アーサーが謝ったということは、この痕が付いたのは彼の故意ということになる。

 その事実にカサンドラの思考回路は一層混迷していくのだ。


「凄く、幼稚な感情だよ。

 ……自分が痕を付ければ――

 それが残っている間だけは、君を独占できると思って」


 確かに先日はこの痕のせいで散々恥ずかしい想いをした。

 リタもかなり心理的羞恥ダメージを負っていたことは想像に難くない。


 だからもうこんなことは辞めてもらえたら助かる…と、機を見て訴えるつもりだったのだ。まぁ、彼の姿を見た瞬間にはそんな些末なことはスコンと忘れていたわけだけど。


 知らん顔をするわけではなく、ちゃんと気持ちを伝えてくれたのが嬉しかった。

 別にカサンドラを困らせて虐めてやろうとしたわけではない。


 それが分かれば、十分だ。

 昨日のリタとの会話は…忘れてしまえばいいのだから。


 それに痕だって一生残るわけじゃない。

 所詮は内出血痕だ、数日で薄れて行くはず。


 彼が殊更大袈裟に謝ってくるほどのことでは…と思う。


「わたくしが…いなくなってしまったからですよね」


 一度この世界から消えてしまったという、隠しようもない前科がある。

 彼を不安にさせてしまっただろうし。


 カサンドラの知っているアーサーなら、こんなことはしなかった。

 ましてや、今のような表情は見せなかったはずだ。



  この世界に帰って来て僅かな間に、何度そう思った?




  ――非日常なアーサーの姿が表出してしまうくらい、

    彼は大きく心を揺さぶられている。




「わたくしは、もうどこにも消えたりはしません」



「うん、ありがとう。…分かっているよ。

 私だって、不可抗力とは雖も二度と君を手放す気は無い。


 ……まだ…君が戻って来た『日常』に慣れるまで、時間が必要そうだ」



 彼は細く長い吐息を落とし、微苦笑を浮かべる。

 互いに顔を見合わせるものの、気を抜けば首元に視線が行ってしまいそうになって大層気恥ずかしい。



 カサンドラも戸惑っているし、アーサーも落ち着かない。


 こればかりは、急に意識が切り替わるものではないから、仕方ない。






「アーサー様!」


 カサンドラはぐっと拳を握りしめ、己の胸の辺りに添える。




「もうわたくし達に『時間制限』はないのです。

 …それだけはお心に留め置きください」




 今までずっと、「三年間」という縛りがあると思い、カサンドラは焦燥感に苛まれていた。卒業するまでに、ゲームで過ごしていた期間が終わるまでに…と。




「……ありがとう。

 気を遣わせてしまったね。

  

 君が傍にいてくれるなら、私は大丈夫だ」




 彼の微笑みはいつも通り、爽やかで光の粒子を纏っていると勘違いしてしまうほど綺麗だと思う。





 でも――






 それまで『大丈夫じゃなかった』のかなと思うと、


 心がギュッと苦しくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る