第12話 <アーサー>
――やらかした。
自分でも自覚している。
カサンドラと別々になった後、クラウスの話を聞いていたのだけれど…
大変良心が痛む後ろめたさを感じずにはいられなかった。
かと言って露骨に視線を逸らすような真似をすれば不審に思われかねないと思い、努めていつも通りを装っていた。精神状態はかなりギリギリ、胃が痛かった。
かなり罪悪感を背負い、若干の後悔を憶えたのである。
――
未だに鵜呑みにはできない自分がいた
彼女の姿を見て声を聞いていれば、この二年間の方が夢か幻だったのだと安心することができるのに。
視界からいなくなってしまうと、落ち着かない。
カサンドラがこの世界に帰ってくれて良かった、ホッとした。
嬉しくてしょうがない。
そう思って彼女から目を逸らし、もう一度その方向を見ると――
『あれ? キャシーは?』
彼女の姿が消えている。
それだけならまだマシだ。
触れようと思っても、まるで陽炎のように彼女の実体がなくて指先が虚空を撫でるだけの夢も何度も見た。
疑い深くなってしまうのは、仕方のないことだ。
そう自分に言い訳をしてしまう。
今もまだ長い夢を見ている途中、という可能性だって否定しきれない。
彼女の姿は記憶にある最後の姿のままだから。
自分達が重ねた二年の歳月を彼女は経験していない。
変化のない彼女の姿は自分の想像力の限界、
カサンドラが幻である証なのでは…
だから触れて確かめたかった。
血の通った人間であることを実感したかった。
そして彼女のあたたかさと柔らかさに、つい――
ここに在るという証拠、痕を残してしまいたくなったのだ。
だが時間が経つにつれて、別の現実がアーサーを襲う。
自分の持つ不安を解消するために、衝動的につけてしまった彼女の痕は。
きっと他の人の目にも触れてしまうのだろう。
…別に構わないと覚悟の上だったはずなのに
いざ冷静さを取り戻し現実に引き戻されると冷や汗が背中を伝った。
そう、 現実。
昨日、今、明日と繋がる――地続きの世界。
目が覚めたら、目を離したら 消える夢とは違い
彼女は翌日以降もこの世界にいるはず。
そうでなければ困る
少なくとも彼女にとって迷惑に思うだろう行為を
己の不安を解消するためだけに
カサンドラの承諾なく行ってしまったこと
……今度会ったら、謝ろう。
※
夕食の後、私室に戻り今日の出来事の反省会を単身開催していた最中、予期せぬ客が訪れたのだ。
この時間になって突然訪問者がやってくるなど、普通はあり得ない。
フリーパスで自分の私室を訪ねることができる人間など、ごく限られた相手であることは明白だ。
「……ラルフ?」
扉を開けて出迎え、そこに立っている人影にぎょっとした。
何故彼が?
……既に朝一番に用事を終えたはずでは。
緊急の問題が発生したのだろうかと、アーサーは気を張り詰め友人を部屋の中に招き入れた。
「こんな時間に申し訳ない、でも先に報告しておいた方が良いと思ってね。
なんと言っても明日のことだから」
「……明日?」
確かに急だ。
特に大きな予定が入っているわけでもない一日のはずだけど。
そもそも、カサンドラを呼び戻す日が決まった後、数日間は面倒な予定を入れないように調整済だ。
カサンドラが戻って来ても…最悪、戻って来てくれなかったとしても。
自分がいつも通りに行動できるという確信がなかった。
運命の日を終え、心を整理して落ち着くまで――ややこしい話を考えたくなかったのだ。
唯一、クラウスだけは相変わらず淡々と通常通り。
アーサーにいつも通りの振る舞いを暗に要求し、今日も予定を入れられていたのだが。
まぁ、彼と話をしていると本当に勉強になる。
価値のある時間を提供してもらっている身で、文句は言えない。
南方のレンドール地方全域を治めるクラウス侯は、もしも聖女アンナが悪魔を倒すという伝説を打ち立てなければクローレスの家臣になっていなかっただろう。
世が世なら、レンドール連合国の盟主、いわば一国の王様だったはずの人だ。
長い歴史を汲んでいる家系なので、治世問題に大変明晰な領主様なのである。
…もしもクローレスという国が西大陸を統一していなかったら…
カサンドラは王女という立場だったに違いない。
まぁアンナが存在しなければ歴史が大きく変わるので、自分やカサンドラ、はたまたクラウスさえ生まれて来ていたか分からないので無意味な仮定だけど。
彼の長年の経験談を問題ごとに分け、整理して聞かせてもらうことは大変興味深いものだ。
アーサーは多忙な宰相に時間を割いてもらうため、講釈を『お願い』している立場。
クラウスにしてみれば、面倒だし余計な時間と思われているかもしれない。
だからこそ、今日のクラウスとの時間は予め指定されたものでズラすこともできず、更に後ろめたさで心が爆発しそうだったわけなのだが。
そんなアーサーの茫洋とした振り返りを気に留めず、ラルフは単刀直入に話を俎上に上げる。
「これはリタが提案した話なのだけど」
彼が話してくれた内容は、目を丸くせざるを得ないものだ。
学園の講堂に『二年前学園の生徒だった皆に集まってもらう』という、今日の明日で実現することなど普通はありえない規模の話だったからである。
「…そんなに急な話、集まれるものだろうか?」
ソファの向かいに腰を下ろすラルフは、苦笑した。
赤い双眸が少し細くなる。
「もう帰ってしまった人もいるかもしれないけれどね。
カサンドラと会う機会を探している人も、まだ王都に大勢いるはずだよ」
「私だって先日は驚いた、まさかあんなに沢山の知人たちが王都に集まってくるだなんて」
カサンドラのことを知っている人達は――
あの世界が巻き戻りかけた『真っ白』な空間に立っていた女性が、カサンドラだったことを知っている。
悪魔を斃したのは確かに聖女である三つ子だが、その後純白に染まった世界の終わりから皆を救い導いてくれた存在が…カサンドラだと認識しているわけだ。
だからカサンドラが女神の生まれ変わりだと言う話、女神が顕現した人間だという話などシリウスが恣意的に世間に伝えた「女神説」を多くが信じ、噂に真実味を添えてくれた。
だから彼女が再び召喚されるという話を聞けば遠方からでもはるばる姿を見に来ようと思うのは当然なのかもしれない。
まさかここまで影響を及ぼすとは、自分達も想像の範囲外だったのだ。
それは女神だなどという噂話だけではなく…
学園生活の中で、彼女自身が多くに慕われていた結果ではないか。
いくら女神だなんだと言われても、日頃疎んでいたり嫌っている相手のところに駆けつけるミーハーな人間ばかりではないだろう。
「急かもしれないけれど、リタの思い付きは荒唐無稽な話というわけではないよ。
久しぶりに学園に足を運ぶのは、僕達にとっても良い気分転換になるし」
「確かに…そうかもしれない」
カサンドラと出会って、そして彼女がいなくなった場所。
あの場所の至るところに彼女との思い出が残っている。
そして彼女を探すために皆で集まった場所…
自分にとって、あの学園は絶望と希望の象徴だった。
そこでまた、一時であっても皆で楽しく過ごす機会が得られるのなら…
「私もリタ君の意見には賛成だよ」
長い時間参加できるか不明瞭だが、顔を出すくらいの時間は作れるだろう。
カサンドラの性格上、自分のために来てくれた人たちに会えないままという状況も好ましくないととらえている可能性が高い。
「それは重畳」
ラルフは口角を上げ、笑む。
「もしアーサーが無理だと言っても、事態は既に動いているからね。
今頃、大量の伝令が王都内に駆けまわっているはずだろうし。
それに当時の学園長にも話は通して、学園の解放許可をもらっているし」
「……もうそこまで」
話が早すぎる。
「僕は相談ではなく、『報告』と言ったはずだよ。
準備段階で君を煩わせるのも本意ではないから」
この数時間の間に話をそこまで具体的に進めるというのは、普段から計画的、周到に準備を始め根回しを欠かさない彼にしては珍しい。
リタの発案だから、という理由も大きいに違いない。
人の事を言えた義理ではないと分かっているが…
皆、恋人に甘い。
特に彼女達は、普段相手に何かを頼ったりお願いし、振り回すような性格の持ち主ではないから。たまに「どうにかならないか」と頼まれれば拒否はしない。
気持ちが分かるだけに、今日突然降ってわいた「最優先事項」への先んじた行動に何か意見することも難しかった。
自分だってカサンドラに同じことを提案されたら、同じように動くことは間違いない。
「学園…か」
アーサーは瞑目し、当時のことを懐かしむ。
その光景の中で、ふと考えなければいけないことも思い出した。
「元学園の生徒が集まるということは、当然多くが貴族。
万が一の危険がないよう、騎士団から人員を派遣してもらう必要がある」
彼らも護衛を連れて参加するだろうが、多くの要人が集うことなら身の安全には注意を払わなければ。そうでなければ、同窓生たちの親御さんたちも納得しないだろう。
「勿論、先にジェイクには伝えてある。
何とか都合をつけてくれるそうだから、心配は要らないよ」
淡々と言葉を返されて、アーサーも面食らう。
準備に余念がない…。
どうやっても絶対に明日の同窓会を敢行するという強い意志を感じる。
「……こんなに急な話、彼も良く引き受けたね」
「リゼ嬢が乗り気だから」
……あぁ、成程。
多少の無理をすれば何とかなる案件、それなら――
頼まれれば彼も断れないだろうな…
普段これと言って恋人を困らせるような言動をとらない彼女達。
カサンドラが間に入ったら、ここまで変わるのか…
と、実感してしまう。
「スケジュール再調整で、今日は遅くまで残っているんだろうね」
ラルフは全く悪びれた風もなく爽やかに笑う。
確かにこういう時に、融通の利きやすい友人が要職に就いていることは本当に便利なことである。
まぁ、そこは持ちつ持たれつのお互い様だけど。
それにしたって、ジェイクにとって中々の災難ではないか。
事前に決まっていた予定が直前で覆ってしまうのはよくある話だが、流石に学園の警護となったら一部隊ではすまない大規模な配置転換が必要である。
……人間関係諸々考えないといけないことは多い。
アーサーだって可能な限りやりたくない仕事。それを急に仕事の終わり際に押し付けられた形になった彼は今何を思うのか。
「騎士団の中にも同窓会に参加する者がいるようだし。
ジェイクが深夜まで執務室に詰めるくらい、別にいいのでは?」
しれっとした顔で言うラルフも、今日の予定が明日の手配で全て潰れてしまっただろう。
ジェイクを道連れにしたことでスッキリしたのかも?
全く良心の呵責なく、笑顔でさらっと言う彼がちょっと怖い。
「ジェイクの立場で、そんなことまで引き受けなくてもいいだろうと私は思うけれどね…
あまりにも面倒なことは下に投げれば少しは楽が出来そうなものだけど」
なんでもかんでも些細なことまで抱え込んでいたのでは、捌ききれるわけがない。
これに関してはクラウスからも散々注意を受けていることなので、若干ジェイクの事が心配になる――その内爆発するんじゃないかと。
「それが出来るなら、学園時代からあそこまでこき使われてなかったよ」
それはそうだ。
「……
今の形が、彼にとってやりやすいのかもね」
現状、ジェイクが自分で動いた方が問題が早く進むし、解決できてしまうのだからしょうがない。
それに彼自身が過去、将軍からの
誰かに仕事を押し付けるのがよっぽどイヤなんだろうと思われる。
まぁ、粛々と滞りなく明日のイベントごとが進んでいるのなら、アーサーもそれに乗っかるだけで良いから大変気楽な話だ。
「同窓会には何を着て行けばいい?」
「今更制服で集まるのは無理だし、スマートカジュアルで。
気楽に集まりたいと言っていたからね」
畏まった服装は必要ない、彼の指示も尤もだ。
すると――ラルフは、何故かこちらをジーッと眺めている。
どうして彼に凝視されなけれないけないのかと、少しばかり居心地の悪さを覚えた。
「ラルフ? どうかしたのかな」
彼はボソッと呟いた。
「カサンドラは不便だろうと思って」
「……?」
彼の言っている意味が分からず首を傾げかけたが――間を置かずラルフは追撃の構えだ。
「首元を隠さないといけないのは、さぞ大変だろうね。
…はぁ、まさかそんなに大きな虫がいたなんて可哀想に」
「――――! ラルフ!」
ちょっと待て!
何故彼がそんな細かい事情を……
「一応リタには、誤解を防ぐために触れ回らないよう釘は刺しているけど。
……アーサー……まさか君が」
脳内でリタが「カサンドラ様がおっきな虫に刺されちゃったみたい!」と騒ぐ姿が過ぎった。
眩暈がする、彼女ならそうしかねないのが恐ろしいところである。
「違う! 私は神に誓ってやましい事など…」
あれ?
疚しいって、どこからを指すのだろう?
全く気持ちが無かったわけではない。
あの行動は衝動的に行ってしまったもので
「………アーサー」
反論も難しく、アーサーは若干俯き加減のままビクッと肩を上下させる。
「……あまり相手を困らせるような真似をしては駄目だよ。
君の過ごしてきた二年を、彼女は実際に見てきたわけじゃない。
今のカサンドラは、彼女が消えた瞬間から殆ど間を置いていない――つい一月ほど前の感覚だということは分かるよね?
君の気持ちは理解したいし、尊重したいと思っているけど。
だからと言って彼女を追い詰めるような真似はどうかと思うよ。
――控えた方が良いのでは?」
「……。」
海を隔てたケルン王国
あの国には、こんなフレーズがあるのだという。
――あなたたちの中で罪を犯したことのない者が
まず石を投げなさい
そう……
「分かっている、もう彼女がいなくなるという不安がないことくらい。
今日のような過ちを繰り返すつもりはないよ」
他の誰に言われても「お前が言うな」と納得できない想いが渦巻くだろうが
ラルフに言われたら頷くしかないのである。
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